決戦の始まり
大陸の風とは随分と乾いているのだな……
そんな印象を持ったカリオンは、太陽王の戦衣をまとい馬上にあった。
遠い日、敬愛していたシュサ帝の纏いし戦衣を仕立て直したものだ。
威風堂々という言葉がこれほど似合う者もそう居るまい……と、見る者皆がそんな印象を持つ姿。最初の愛馬レラから何代目だろうか。漆黒の駿馬に跨るカリオンは、背筋を伸ばし遠くを見ていた。
「キャリ。配置はどうだ」
ル・ガル軍団は五公爵全ての軍団が事前配置計画通りに分散展開している。
各軍団の状況は数の少ない通信機により一元管理され、作戦本部に届いていた。
「状況は良好です。各軍団は所定の配置に就きました」
シーアンを大きく取り囲む巨大な陣を敷いたル・ガル軍団は、要所要所に機動戦闘を旨とする騎兵を配置しているが、その全てが銃兵となっていた。そして、この配置はヒトの戦術教育をイヌが学び消化したものを実践する形になっていた。
相手がどんな動きをしようと絶対に逃さない。生かして帰さない。全てここで死んでもらう。そんな意思を体現した絶妙な配置に、カリオンを含めたル・ガル軍団首脳部の全員が同じ印象を持った。
――――ヒトと言う種族の持つ悪意は恐ろしい……
まだ幼い日、父ゼルが言った言葉をふとカリオンは思い出す。ヒトと言う生き物は1万有余の歴史の中で、ヒトがヒトを殺す為の道具に心血を注いで来たのだと。そして、それは道具だけでなく、戦術や戦略も同じなのだと気が付いた。
「よろしい。そろそろ始まる頃だ。そうだな、ウォーク」
太陽王はここに在りと示す軍旗の下、周囲を睥睨して立つカリオンの脇にいたウォークは『えぇ。勿論です』と自信ありげに答えた。前日の午後、獅子の国の機動戦術訓練を視察していた所に姿を現したウォークはシンバに謁見を申し込んだ。
最初はフシャンと名乗る宰相が出て来たのだが、ややあってシンバ本人が姿を現した。しげしげと眺めたシンバは間違い無く値踏みをしたようだが、ややあって手招きし、近くに来いと意志を示した。
――――そなたとそなたの主
――――共にひとかどの人材だな
――――私の側近として欲しいくらいだ
それは間違い無く最大の賞賛なのだろうとウォークは思った。ただ、それと同時にふざけるなと腹を立てたのも事実。胸を張り、声を太くし、ウォークは歯切れ良い口調ではっきりと言った。
――――私が命を捧げる主はこの世界でただひとり
――――二君に傅き尾を振る無様は行いませぬ……
グッと厳しい表情になったウォーク。その裂帛の表情を見ていたシンバはスッと真面目な顔になり、硬い声音で『口上を聞こう』と言った。あくまで上から目線で聞いてやると言うスタンスを崩さないのだろう。
だが、巨大国家を差配する王ならば、それもまたやむなし。激烈に難しい立場なのだから、僅かでも甘い顔をする訳には行かぬのだとウォークは喝破していた。
――――ならば申し上げる
――――我が主。この大地を照らす太陽の地上代行者
――――ガルディアを導く太陽王より預かった口上にて
――――どうかご静聴されたい
そこから切り出したウォークは、周囲を圧する程の大声で口上を述べた。異なる大陸をも併呑せんとする者たちの暴虐に命を持って立ち向かうと。そして、我らの命を軽んずるならば、この命全てを掛けて抵抗すると……。
元より勝とうなどとは思っていない。だが、誇りも尊厳も奪われ、隷属され使役されてまで生き延びようとは思わぬ。ガルディアに生きる最後の1人まで徹底的に抵抗するので、そのつもりでおられよ。
そこまで言い切って全く視線を切る事無く『ご返答を承りたい』と言った。最後の1人まで抵抗し無人の野となった地を欲するのか?と問うたのだ。そもそも、奴隷を増やし収益を得るのが目的だった筈だろ?と呑んでかかったのだ。だが……
――――黄昏の帝國を統べる王より返答する
と、不思議な口上で切り出した。そして、奴隷も国土も要らぬ故に戦を収められるものなら今すぐにでも収めたいのだが、どうやらそうもいかぬようだと。そしてシンバはこう続けた。
――――戦を嫌う空気が出来上がるまで存分に戦おうぞ……
一瞬、ウォークはその意味をつかみ損ねた。ただ、その直後にそれがシンバの余裕なのだとウォークは理解した。ガルディア種族のプライドをへし折ってやると通告してきたに等しい。
そう理解したウォークは『血塗られた道を歩んでこそ覇道。御口上確かに承った故、我が主にそうお伝えいたします』と応えた。そして、もし本気で戦を止めたいのであれば、先の会戦で連れ去られた我らが同胞を全て返せと言い切った。
その言葉にシンバが不思議そうな顔をしたのだが、ウォークは胸を張り、声を張り上げ、堂々と言い放った。
――――我が主の姫が捕らわれている
――――慰み者にでもしているのであろう
――――それを今すぐに帰せ!
と……
――――――――帝國歴399年 3月 1日 午前7時
獅子の国 シーアン郊外
突如彼方より眩い光が降り注いだ。
それがなんであるかを理解する前に、凄まじい音量で雷鳴が響いた。
快晴だった筈の空だが、あっという間に東側の空が黒く妖しく曇り始めた。
そして、その雲からは紫電が大地に降り注ぎ始めたのだ。
「どうやら……あれが彼等の鏑矢ですね」
ウォークがぼそりと漏らし、カリオンも『らしいな』と応じた。
キツネの魔道兵による魔道攻撃。ただ、その威力が桁違いなのは笑うしかない。
「キツネも本気になったという事か……」
「……差し当たっては喜んでおきましょう」
カリオンの言葉にウォークがそう答えると、ル・ガル軍団本部に僅かな笑いがこぼれた。ガルディア軍団の全てに伝えられたシンバの言葉は、激しい怒りとなって各陣営のやる気を奮起させていた。
ただ、それが何をもたらすのかは言うまでもない。キツネの陣営に九尾がやって来たのか、冗談のような威力の魔法が乱発されていて、遠く離れたイヌの陣地にもビンビンと伝わってくるのだ。
「常識では測れませんね――」
カリオンのすぐ近くにいたヴァルターが驚きの余りにそう呟いた。天より迸る紫電が着雷する都度に大地からは妖艶な光が立ち上り、煙の様になって空に溶けて行った。
それは瞬間的に大電流が流れる事による生命そのものの蒸発なのだが、それと同時に起きているのは、敵対する陣営に与える恐怖と絶望の奔流だった。
「――落雷に続き突風ですから、敵に同情します」
頭上に沸き起こった黒い雲は巨大なスーパーセルとなって発展し続け、それが生み出すダウンバーストは容赦なく獅子の陣営を襲った。自然を観察し、研究し、魔法で再現する。言葉にすればそれだけだが、実際に目にすれば驚愕するしかない。
魔法によって電気や風を生み出す事は、ある意味で容易いのだ。イヌの国でも急速に普及した小規模な生活魔法がそうであるように、竈に着火する火種として極小規模落雷を起こしたり、炎を栄えさせる風を送り込む事も出来る。
だが、その魔法に注ぎ込む魔力そのもの次元を変えると、天候自体を操作出来てしまうのだ。そしてそれは、敵である獅子の国の魔道兵達が持つプライドをへし折るには十分なものだった。
「率直に言えば、侮っていた敵が自分たちの数倍の規模で魔法攻撃してきた訳ですからね。相当面食らっている事でしょう」
呆れたような口調でそう言ったウォークは、不意に西側を見た。強力な魔法攻撃を受けて陣形が崩壊しつつある獅子の国の軍勢は、ジリジリと後退を始めたのだった。だが、その後退した先にはネコの軍勢が待っている……
――――そろそろ始まるか?
そんな事を思っていたカリオンだが、それは唐突に始まった。キツネの側が見せた強力な魔法操作とは全く異なる魔法制御。だが、その効果は冗談のようなビジュアルと本能的に恐怖を覚える代物だった。
「……バカな」
誰かがそう呟いた。それ以上の言葉は無かった。ネコの側に後退し始めていた獅子の軍勢上空に巨大な黒い裂け目が現れた。それは、空が裂けたとしか表現できない代物だった。そしてそんな裂け目の向こうに見えたのは、血走った巨大な目だ。
怒りを滲ませたその目が現れた時、獅子の陣地から凄まじい断末魔の声が響き始めた。何が起きているのかは解らないが確実に一つだけ言える。そこに、獅子の陣地には『死』が起きていた。理屈ではなく、純粋な死だ。
「……命を直接削る魔法ですな」
ル・ガル陣営陣地の中に居たハクトがぼそりと漏らした。尾頭の三賢者をして冗談だと言わざるを得ない魔法だった。生ける者の生命その物を直接削り、死を生み出す暗黒魔法だ。
生命工学の部分で他国の追随を許さないネコの国だが、そんなネコの魔道が生み出す圧倒的な大技。何事かをブツブツと呟いているハクトだが、僅かに聞こえる言葉を総合すれば、どうやって魔法を終わらせるのか?が解らないらしい。
そう。およそ魔法と言う者は始めるより終わらせる事が難しい。魔力が枯渇すれば命そのものを媒体に魔法効果は顕現し続ける。そして、魔法効果により生み出されたエネルギーを相殺せねばならないのだから、大技はより一層難しくなる。
どんなに冗談のような魔法効果を生み出したとしても、エネルギー保存の法則と言う神の摂理からは逃れられない。故にここでは、驚くべき形で魔法効果の消散解消が行われた。死んでいった敵兵の命そのものが使われたのだ……
「どうやら大勢は決しましたね」
ウォークが言うまでもなく、獅子の魔道兵や臨時徴兵された市民兵が我先にと逃げ始めた。社会の中に秩序や統制と言ったものが無い国家では、忠義忠誠や社会貢献の為の自己犠牲など存在しないらしい。
そもそもナンジンなどでル・ガル陣営と合戦した結果、獅子の魔道兵に残された魔力は僅かだったのかもしれない。だが、実際そんな事などどうだっていい事だ。ここでは陣形を崩した敵兵士が雪崩を打って逃散し始めた。具体的には南へだ。
だがそこに待ち構えていたのは、ガルディア陣営でも最大の膂力を持つトラの一団だった。巨大な戦斧を持ったトラの戦士たちは咆哮していた。イヌの成人男性では抱えるので精一杯な戦斧が唸りを上げていた。
「さて……そろそろ出番だ。各陣営に通達せよ」
腕を組んで眺めていたカリオンは渋い声でそう言った。
通信班の連絡将校がメモを取る体制になった時、カリオンは言った。
「一人も生かして返すな」
それは、すぐさまに通信器を使って各陣営に通達された。シーアンの城門は固く閉ざされているので、城内へ逃げ込む事はできない。広大な戦場の東部にはキツネの陣営が陣取っている。西部にはネコの陣営。そして南部にはトラが居た。
結果、その隙間を突いて北東と北西。そして、南東と南西に逃げるしかない。それを読んでいたル・ガル陣営は、彼らが通りそうなところに複数のパックフロントを展開していた。巨大な漏斗状に陣を配し、奥へ奥へと誘う仕組みだ。
だが、その最奥部で待ち構えるのは、およそ10万丁の新型銃だった。完全なボルトアクションを実現した新型銃は、試験において200発以上の射撃に耐える耐久性を示していた。そんな所へ逃げ込めば、どうなるかは言うまでもない。
「最初に戦端を開くのは……レオン家陣営ですね」
ウォークが彼方を指さしながら言った。ネコの陣地の北側に着陣したレオン家は自然地形に溶け込んで敵を待ち構えていた。パニックを起こして走っている獅子の国の兵士たちがそこへ差し掛かった時、最初の斉射音が響いた。
「……ほぉ。威力は十分だな」
銃身内径が18ミリもあるその銃は、音速を越えて銃弾を放てる代物だ。そんな巨大な銃弾が10万発近くも一斉に降り注いだ時、何が起きるのかは言うまでもないだろう。
遠くにあるル・ガル軍本部からもはっきりと見えるレベルで、濃密な血煙が空に立ち上った。威力のある攻撃魔法でも自然を操作する魔法でもなく、ただ単純に生活の中で便利だというレベルの魔法の兵器化。それは、この世界に産業革命をもたらした。
魔法で工業製品を作る事。それが生み出すバタフライ効果は、魔法を苦手とするイヌの軍勢が世界を滅ぼしかねない実力を持った事を意味するのだ。何故なら、そもそもに魔法が不得意だからこそ、イヌはこの世界の奴隷だった。
そんな彼等は、きわめて実直に、勤勉に、忍耐強く働くことを美徳とする様になった。統制の取れた一斉行動を得意とする彼らの手に、最も適した武器が流れ込んだのだ……
「続いて……ボルボン家陣営が……あ、今撃ちました!」
ウォークの声で北東側を向いた時、同じような凄まじい血煙と轟音が響いた。レオン家とは違い文字通りの一斉射撃が行われたようだ。音に聞こえるレベルでバツバツと着弾する音が聞こえる位だ。
レオン家とボルボン家による猛烈な射撃により、そっち方面へ逃げ出した獅子の国の魔道兵が続々とただの挽肉に変わっていた。そう。銃弾が巨大すぎるので、当たった辺りの肉が全て持って行かれ、文字通り挽肉に変わるのだ。
「凄まじい威力だな」
「えぇ。従来と比べ数段上の殺傷力です」
カリオンとウォークが共に唖然とする中、南側へ活路を求め脱出を図る者が現れだした。ただそれは、事態の改善には全く繋がらない行為だった。悲鳴を上げながら南東や南西へと走る者たちは、その眼前に拵えられた銃列を見つけた。
その銃口が全て自分たちを狙っている意味を彼等は理解できなかった。およそ銃と言う武器を始めて見た者が余りにも多かったのだ。そして彼らは知る事になる。銃と言う武器の持つ純粋な殺意に。それを作った者の有り余る悪意に。
――――ギャァァァァァァ!!
聞く者の精神をすべて削り取る様な断末魔が響いた。本陣左手に陣取っていたジダーノフ家と右手に陣取っていたスペンサー家が申し合わせたように一斉射撃を行い、巨大な銃弾が猛烈な速度で降り注いだ。
そしてその直後、今度は戦場中央に進出していた獅子軍団の生き残りに向かい、四方からのダブルクロスファイヤが降り注いだ。その銃声が蒼天に溶けた頃、戦場中央に生ける者は誰一人としていなかった。
この世界の戦争が、より一層凄惨な方向へと進化した、記念するべき悪夢のような一日だった。