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シンバ

~承前




 その隊列を一言で形容するなら、豪華絢爛と言う言葉が最も正しいのだとリリスは思った。獅子の国西部最大都市であるシーアンの街は、上に下にの大騒ぎだ。街の東にある巨大な門を潜ったその隊列は、都よりやって来たシンバの一行だった。


「……凄いですね」


 基本的に館からは出ないリリスも、この日ばかりはドーラに引き連れられ街の大通りへとやって来た。その腕の中にはまだ幼いリサがいて、興味深そうに華やかな隊列を見ていた。


「1億市民と3億の奴隷を束ねる存在ってのは大変さ。シンバって存在は全てを統合する存在なんだが、逆に言えば一番大変な樽の(たが)ってこった」


 ドーラはどこか同情するような調子でそう言った。ただその中身は、リリスにだって容易に想像がつくものだ。かつては王妃だったのだから、シンバと呼ばれる存在の立場による気苦労や神経の張りつめ具合には同情すら覚えるレベルだ。


 佞言は忠に似たりと言うように、様々な言葉も巧みに王の歓心を得ようとする者が後を絶たないのだろう。それらのウソを見抜き、正しく対処し、一歩も踏み間違わずに正道を歩み続けなければならない。


「きっとご苦労なさってるんでしょうね」


 つい口を突いて出た言葉にリリス自身がドキリとした。正体がばれてしまっては意味が無いのだから、どう誤魔化そうかと思案する。そして勿論、それを顔に出すのも憚られる。つまり、現状だって十分に気苦労が絶えないのだ。だが……


「そりゃそうさ。アンタだって男に言い寄られて苦労してるんだろ? その何倍もシンバは苦労してるのさ。寝首を掻かれない様にするのは大変だよ」


 ドーラはリリスの漏らした言葉に反応する事無く、そんな言葉を返して隊列を見ていた。磨き上げ得られた揃いの装備を身に付ける親衛隊に護られ、ひと際大きなマントを身に付けた男がやって来るのが見えた。


 ――――――………………って、え?


 最初、リリスは何かの間違いだと思った。遠目に見た時、大きなマントを背負っているように見えた存在は、実はまだ子供だったのだ。ライオンと言う事で成人男性となれば立派な飾り髪を持つ筈なのに、それが一切ない小さな男だ。


 いや、男と言うより少年と呼ぶ方が正しいかも入れない。幼い日のエイダを思い出すような、文字通りの少年だった。


「あっ…… あのっ…… あのっ……」


 びっくりした顔でドーラを見たリリス。

 ドーラは深い溜息を吐いてから目を瞑り首を振って言った。


「あれがシンバだよ。今のシンバだ」

「でもッ! まだ……子供……」


 驚きのあまりに思わず声を出したリリスだが、その声も最後は小さくなって掠れて消えてしまった。そんな彼女をちらりと見たドーラは心底残念そうな顔になり、悲しみを添えたかのような声になって言った。


「前のシンバ…… フンリーは本当に凄いシンバだった。世界中に20度も遠征して全部勝った戦の天才だった。新しい事をいくつも始めたし、国中を上手くまとめてたのさ。けどね、そんなフンリーもいよいよ歳になってね――」


 悲しそうな表情で遠くを見たドーラは、まだ幼いシンバの後ろにある馬に乗せられた、ミイラ状のものを見ながら深い溜息を吐き出した。シンバの収める獅子の国にあって最も重い刑罰である凌辱刑は、処刑だけでなく死後も辱めを受けるのだ。


「――あれさ。フンリーの宰相だったヘッセンはシンバが衰えたのを良い事に、やりたい放題だった。国中に重税を課したり、周りの国に洗いざらいの朝貢を要求したりしてね。獅子の国は世界中から怨まれてんのさ」


 リリスは大きく目を見開いてドーラを見た。ガルディアの各国が動乱に陥った原因がそこにあったのだ。ル・ガルが騒乱状態に陥った原因が判明したのだ。そう。全ては愚かな男が獅子の国政を混乱させたからだった。


「……何でそんなひどい事を」


 ぼそりと漏らしたリリスの一言は、ドーラをより一層悲しませたようだ。


「あのヘッセンはね、長い事不遇だったのさ。戦務処って言ってね、獅子の国を動かす頭脳が集まってる所で万年冷や飯喰らいの扱いだった。だからね、事あるごとにあちこちに噛み付いちゃぁ吠えてたのさ――」


 心底嫌そうな顔になったドーラは、怒りをかみ殺した声音で続けた。そこに見え隠れするのは、無能な存在が国を動かそうとする事への怒りと絶望だった。


 ただ、時にはそんな間違いが起きるし、不幸は最悪のタイミングで舞い込んでくる。そこで起きたのは、何処の世界でも起きる共通した出来事だった。


「――責任を取って辞めろとか、監督責任取って辞めろとかね。誰かを辞めさせる事と責任を追及する事しかしない正真正銘のクズだった。そしてね、事あるごとに言ってたのさ。自分なら上手くやれる。自分なら可能なんだってね」


 その言葉を聞いたリリスは思わず眩暈を覚えた。どこかで聞いたセリフがここにもあったのだ。長年不遇だった存在は、最終的に己の力量すら理解出来なくなる。不遇なのは不遇なりの理由があり、それを理解せねば出世は出来ないもの。


 だが、その類の存在は自分自身の力量も才覚も全く理解できず、それどころか自分はもっと有能なのだ。もっと評価されるべきだと勘違いする。そしてその手の連中は必ず一発逆転の夢を見る。


「……で、どうなったんですか??」


 リリスにはもうそのオチが見えていた。ル・ガルでもあったように、長年不遇だった存在が王を無きものにしようと画策する。あのアージン評議会がそうだったように、市民達に向かって言うのだ。


 ――――大丈夫です! 

 ――――私に一度やらせてみてください!

 ――――必ず結果を出します!


 ……と。ただ、それで上手くいった事など、古今東西聞いた事など無いしありえない。制度の壁に阻まれて己の野望が実現出来ないなら、制度そのものを飛び越えてしまおう。壊してしまおう。そんな手段に出るバカばかりなのだ。


 己の能力が足りていないから制度に阻まれるだけなのに、制度が自分を不遇にしている本体だと勝手に勘違いした挙句、制度とか社会とかそういうものを壊してしまおうと動き出すのだ。


「フンリーが衰えて着た頃、ヘッセンは薬と称して東方の秘薬を飲ませたのさ。どんな話でも信じ込ませて正体を壊してしまう薬さ。フンリーはヘッセンに全権を渡して別荘に引きこもってね、夢と現の境目が解らない状態になってしまった」


 年老いてきた人間にそんな薬を使えばどうなるかなど解りきっている。言葉巧みに誑し込み、だまし抜き、その果てに骨抜きにしてしまう。そうして全権を握ったのだろう事は容易に想像がついた。


 どこの国でも国家の中枢に有る者は同じような夢を見るのだろう。思うが儘に国を差配してみたい。世界を動かしてみたい。ただ、そんなことをすれば世界がバランスを崩す事を理解出来ないバカほど、失敗するのもまた世界共通の事だった。


「じゃぁ……ヘッセンさまは国を壊してしまったのですか?」


 リリスは解りきった答えを確かめるようにそう問うた。

 ドーラはゆっくり首肯した後で目を瞑り、悲しそうな声音で応えた。


「あの類の愚かな奴ほどね、ゼロか百かって言うのさ。真ん中を取って五十って発想が無いんだよ。結果を出してこなかったバカほど真ん中を狙うて発想が無い。解りやすい結果を出さないとダメって勘違いするんだろうね」


 ドーラの言葉に鋭い棘が混じり始めた。どれ程怨まれているのか?と驚くより他ないリリスだが、強い眼差しに明確な怒りを込めたドーラは、ヘッセンのミイラを指さして言った。


「あのバカはね、自分なら国内の問題をゼロに出来るって言い切ってね。そんな事は無理だって抑えにかかった戦務処の対抗勢力をぜーんぶ殺しちまった後でね、国民の支持を買う為に有り金全部ばらまいたのさ。けどね、どんな錬金術使っても、そんな事は出来ないのさ――」


 そう。どこの世界でもそうだが、金を無限に生み出し続ける事など不可能だ。金とは価値の具現化に過ぎないが、脳無しのバカと理解力の無い愚者ほど金や銭やそういった価値の具現化したものをただの道具だと勘違いする。


 金が無いなら刷れば良い。金貨が無いなら作れば良い。国家は金を管理する権限を持っているのだから、無限に生み出す事が可能なんだと本気で信じ込むのだ。だから、その生み出した金の価値が目減りすることなど想像すら付かないのだ。


「――最終的に足りなくなった金を補うために世界中へ喧嘩を売った。その結果、獅子の国の若者がとにかく死んだのさ。で、最終的にはあの若いシンバが新たに任命した宰相の……あぁ、あれだ。シンバのすぐ傍らに居るだろ?」


 ドーラが指さした先には、鋭い眼差しと緊張感あふれる居住まいをした立派なたてがみのライオンが歩いていた。馬には乗らず、シンバの馬のすぐ隣にあって自分の足で歩いている存在だ。


「あの方……ですか?」

「そうだ。噂じゃ別の世界から転生してきたヒトの慣れの果てって言うけどね」


 ドーラの言葉にリリスが首をかしげる。だが、言われてみればあのライオンの男からは強い魔力を感じるのだ。そう。他ならぬ次元の魔女であるリリスだからこそ感じ取れる、凄まじい力の持ち主だ。


「……ヒトの転生ですか」

「噂だよ。ただ、それ位有能って事さ」


 興味深そうに『フーン』と応えたリリス。

 ドーラはまるで独り言のように続けた。


「あの宰相はフシャンと言うんだけどね。最初にやったことは前のシンバ、フンリーを病死させたのさ」


 思わず『え?』と大きな声を出したリリス。周囲の者が驚いて一斉にリリスを見てしまい、少しばかり恥ずかしくなった。ただそれでも少し時間を置けば興味は薄れるものなのだろう。周囲の注意が消えてから、ドーラはフシャンの話に移った。


「あのフシャンは若きシンバに進言して、ヘッセンに自死させたのさ。そんでね、愚か者が辿る末路を示すために、ああやって凌辱刑に処して国内に見せびらかしてね。それから始めたのは、世界中と始めてしまった喧嘩の後始末だよ」


 獅子の国がル・ガルとの闘争に全力投球できない理由。周辺国家やガルディア大陸に進出しようとしていた理由。トラやネコの国に飢餓輸出を強要し続けた理由。その全てが一本の線に繋がった。


 ここまでル・ガルを苦しめ、ル・ガル自体が崩壊しかねない事態に陥ったのはあの愚かな男が夢見た自分の野望の果てだった。つまり、大国には大国の責任がある事を理解しない愚かさの果てだった。


 そう思いいたった時、リリスは全身に静電気のような怒りをパチパチと弾けさせていた。グッと堪えていた魔力が僅かに発露してしまったのだが、ドーラは気づいていない様だった。


「あのシンバはね、とにかく戦を終わらせるって張り切ってるんだよ。勝っても負けても良い。後腐れ無く終わるようにしてるのさ。で、アチコチの戦を片付けて、最後に残ったのがこっちって事だ。遙か南の都から出張ってきたんだ――」


 ドーラの指がシンバの周りを固める親衛隊を指していた。


「――ご覧よ。アレはシンバの親衛隊になる王宮魔導師達だ。この世界の理を見抜く獅子の国の頭脳が集まってるんだよ。噂に聞くネコの女王だとかと同じ力をひとりひとり全員が持ってるのさ」


 ドーラの言葉にリリスは心底驚いて息を呑んだ。ネコの女王と言えばガルディアでも最強クラスの魔導師であることは間違い無いのだが、それと同じ力を持っているとなれば冗談では無いと言わざるを得ないだろう。


 いったいどれ程の才能を持てばその次元にたどり着けるのか? リリスは思わず唸っていた。単純に魔力の総量というならリリスにだって自信はあるし、少々なら負けやしないと自負もある。


 だが、魔力は量では無く使い方だ。馬力だけなら最強でも、使いこなすという面で見れば師であるウィルに到底及ばない。そんなウィルですらもネコの女王には一目置かざるを得ない……


「信じられない……」


 心底素直に感嘆したリリス。だが、シンバが本当に目の前までやって来た時、まだ幼いと思っていた少年の右手がスッと挙げられ、隊列の進行がピタッと止まってしまった。


 何が起きるのかと息を呑んだ民衆が静まりかえった時、よく通る声で少年が口を開いた。それは、ややもすれば可愛い声と言っても良いようなモノだった。だが、確かな意志と高い知能を兼ね備えたモノであるとリリスは思った。


『フシャン』

『……御意』


 宰相を呼んだだけなのだが、リリスはその声にウットリとするほど聞き惚れてしまった。しかし、そんな彼女の感情は、次の瞬間には一気に凍り付いていた。


「そこなヒトの女よ。ここへまいれ」


 ――――え?


 思わず当たりをキョロキョロと見回したリリス。だが、何処を見てもヒトの女は自分だけで、周りがサッと距離を取ってしまったことで悪目立ちしている状態になっていた。


「そなただ。なにも取って喰おうと言う事では無い。ここへまいれ」


 フシャンと呼ばれた男は右手を挙げ、ヒョイヒョイと手招きしてリリスを呼びよせた。何の根拠も無いことだが『ばれた!』と覚悟を決めた彼女は、ゴクリと唾を飲んでから一歩踏み出した。


「シンバ。間違いありませぬ」

「……そうか」


 馬上にあって強い意志と高い知性を感じさせる少年はジッとリリスを見ていた。その眼差しには愛と哀しみとが同居していた。そしてそれは、間違い無く何処かで見たモノだとリリスは確信していた。


「そなた。姿と中身が一致しておらんな。後ほど使いを出す故、余の元へ参れ」


 シンバが何事かを指示すると、すぐ近くにいたトリ系種族だと思われる者がリリスの所へやって来た。そして自らの羽を一本引き抜くと、驚くべき速さでリサの右耳当たりへ突き刺した。


 驚いたリサが小さく悲鳴を上げたのだが、一滴の血をこぼす事もなくその羽はリサの右耳タブを貫いて飾りになって居た。


「母よ。そなたの娘は何者なのだ。正体を知りたい。後ほどじっくり話を聞く。怖がることは無い。取って喰おうと言う事では無い。この世界の理が乱れているのを直したいのだよ」


 フシャンは落ち着いた声でそう言うと、リリスへ歩み寄ってからリサをジッと見ていた。怯えるリサがギュッとリリスに抱きつくのだが、フシャンはリサの頭に触れて考え込んだ。


「……これは驚いたな。そなたもそなたの母も……この世界には異質な存在か」


 何を言いたいのかを掴めぬままリリスは少しばかり硬直していた。正体がばれたとか魔導師で有ることが見抜かれたとか、そんな次元では無い問題だった。そう。ここまで隠し通してきた己の正体を見抜く者に出会ったのだ。


「じっくり話を聞きたい。問題解決の糸口になるやも知れぬ。悪いようにはしないから安心せよ」


 それだけ言いのこすとフシャンはシンバの元に戻って行き、何事かを報告した。それを聞いたシンバは再び右手を挙げ、前に倒して前進を指示した。シンバの隊列は一斉に動き始め、リリスは緊張の糸が解けていった。


「……なんた、何者なんだい? フシャンが声を掛けるなんてあり得ないよ」


 ドーラですら訝しがるなか、リリスは困った顔になって肩を窄めていた。


「私が聞きたいです。何が何だか……」


 ただ、少なくともこれで終わりには出来ない事だ。アドリブでも上手く対処せねば大変な事になる。さてさてどうしたものか……と思案するリリスだが、解決策はどうにも思い浮かばないのだった。

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