シンバ出陣
~承前
風に乗って舞い込んできた柏の葉には、蜘蛛の糸で刺繍された『不問』という文字があった。それは、光通信によりフィエンの街へ送られた連絡を受け、クアトロ商会のエゼキエーレがエデュに繋いだ太陽王親書の返答だった。
「こんな使い方もあるのですね」
驚いた様に零したウォークは、ネコの女王ヒルダが使って見せた上品な魔法の行使に感心した様子だった。柏の葉に蜘蛛の糸で刺繍するなど普通は思い付かない様な事だ。
しかし、やがて完全に土へと還る代物をここまでに仕上げてしまう技量と力量は生中な事では無い。なにより、イヌの陣営へ見栄を張るには最適の事だった。
「まぁ、表だって文句も言えぬであろうな」
溜息混じりにそう漏らしたカリオンだが、それもやむを得ないだろう。ナンジン市街で激突したネコの騎士は35名。トラの戦士は凡そ10名。だが、市民がトラの側に付いた結果、ネコの騎士は11名の死傷者を出し退散した。
ジョニーが駆けつけた時には市民がトラの戦士を持てなしている所で、宰相シザバは争乱について平謝りしていた。結果としてイヌは手を下さなかった形となり、ギリギリの所でイヌのメンツは保たれた形になる。
「要するに尻尾を巻いて逃げ出した腰抜けですからね」
あのウォークまでもが中々辛辣な物言いでネコを罵った。短気で短慮で享楽的。そんな風に評されるネコの性格は、全てが損得勘定で支配されている。それ故にその場は逃げ出した形になるが、彼らはなにも問題無い。死ぬよりはマシだから。
だが、それではネコのメンツが保てぬとなれば話は変わってくる。ことにネコの女王とも為れば、他国に対しメンツが有るし見栄も張らねばならぬのだ。故にここでは『些事に過ぎぬ』と事を荒立てる訳には行かなかった。
ただ、それでネコの側に収まりが付くかと言われれば、それもまた『否』と言わざるを得ないだろう。お楽しみを取り上げられたネコにしてみれば、オモチャを取り上げられた3歳児レベルで癇癪を起こす……
「先が思いやられるな……」
小さく溜息をこぼしたカリオン。
だが、その向かいにいた存在は硬い表情で首を振っていた。
「今だって……そうよ」
そう漏らしたのはリリスだ。リリスの作った夢の中の会議室にヒルダは直接メッセージを送ってきたのだ。少なくともそれは、ネコの女王のここの存在が知られていると思って良いことだろう。
どうやって知ったのか?など、本当に些事に過ぎない。例の七尾でしかないキツネの女は相棒らしいタヌキの女と共にここへ直接アクセスしてきた。ウィルやハクトやセンリは直接出入りできる存在だ。
一定の水準まで魔導レベルを上げた者であれば、誰でも入れる可能性があるし覗き見して居る危険性もある。だが……
「まぁ、それについては後回しだ。差し当たってララは見つかったか?」
カリオンの声音がグッと厳しくなった。行方不明になってもう4ヶ月が経過しようとしているのだが、今だ確実な発見には至っていない。恐らくここだろうと言う宛は有るのだが、突入した際には発見出来なかった。
「……全く見つからぬ。面目ない」
切歯扼腕するような声音でそうオクルカが漏らすと、トウリがそれに続き血を吐くように言った。共にララとタリカを探して歩いている状況だが、明確な焦燥感と狼狽を隠せずにいた。
「間違い無く気配はある。だが見つからない。どうやら……手をまずった」
それはシーアンの街でオクルカとトウリが行った工作の結果だった。彼らが行ったのは、先ず補助軍側を襲い、彼らの装備を剥ぎ取って口封じを行った事だ。その後で何をしたのかは言うまでも無い。
補助軍に化けて正規兵を襲ったのだ。10名程度の小隊を襲った彼らは大半を完全に絶命させ、数名だけを生かして遁所へ這々の体で逃げ帰らせた。だが、それは最初の罠に過ぎない。
同じ頃に今度はシーアン市民を惨たらしく殺し、そこに獅子の正規軍が使う兜や槍を置き去りにしたのだ。その状況を見れば、多くの市民がライオンによるモノだと勘違いするように……
「上手く行くと思ったんだが…… 面目ない……」
再びオクルカがそう漏らしたのだが、そこにリリスがフォローを入れた。
「けど、シーアンの街は間違い無く争乱状態よ。それに、今はアチコチから避難民が続々と入っていてて大変な事になってる。いま私が居るこの置屋だって、舞台にまで避難民を収容してる。こうなればもう街自体が不安定で『あの子は?』
我慢為らず口を挟んだサンドラ。そこに見えるのは女性サイドの持つ不安だ。ララが何処かで荒くれ男の慰み者になっているかも知れない。そんな不安をサンドラは持っていた。
「それについてだけど……」
リリスは何処か達観したような態度で言った。
「いまのシーアンであの子を競りにかけて売ろうなんて事はとてもじゃないけど出来ないし、よしんば買い取ったとしても、慰み者にして云々なんて余裕は何処にも無いよ。いまはもう、今日を生き延びることで精一杯なんだから」
それがリリスの実感であるし、現実問題としてシーアンの街は収容限界御超える人口を抱えて破綻寸前だった。そもそも、上下水道完備な計画都市である街なのだから、計画人口を越えた場合には手当てが必要になる。
だが、そんなモノを無視し、非常事態であるが故に限界を超えた人間が犇めき合っている。しかもその大半がジェンガンやナンジンから焼け出され、這う這うの体でたどり着いた被災民だ。
本来であればシンバの威光というやつで獅子の国が面倒を見る事になる。だが、少なくとも現状のシーアンでは決戦前夜の空気になっていて、被災民に構っている余裕など無い。
「仮にこの状況であの子を売りに出そうなんて言うなら、すぐにその話が広まるわよ。なんせライオンもそれ以外も疑心暗鬼の塊になってるからね。だがら現状では少なくともあの子に――
リリスが何かを言おうとした時だった。不意に何かに気付いたトウリとオクルカが空を見上げた。勿論リリスもだ。そしてオクルカとトウリはほぼ同時にフッと姿を消した。
遠くシーアンからログインしていたふたりは、同時に目を覚ましてここから離脱したのだろう。それは通常の対応とは異なる緊急事態を思わせるモノだ。
「どうした?」
カリオンは厳しい声音でリリスに問うた。だが、リリスは僅かに首を振ったあと『解らないけど……今度報告する』とだけ言いのこしてフッと姿を消した。
「何があった?」
怪訝な顔のカリオン。だがその直後、カリオンもまた誰かに身体を揺り動かされて強制的にログアウトさせられた。パッと視界が変わり、現実世界へ意識が戻ってきた。
「陛下! 陛下! お休みの所を失礼致します!」
カリオンを起こしたのはヴァルターだった。王の幕屋に入ってこれる者は少ないが、その中の1人であるヴァルターは完全武装状態でやって来ていた。
「……何事だヴァルター」
眠そうな声を漏らして目を上げたカリオン。
だが、真剣な表情のヴァルターに異常事態の発生を察したのだった……
――――――同じ頃
「別当。これを」
目を覚ましたトウリの目の前には、イワオとコトリの間に産まれた息子タロウが居た。羊皮紙に書かれたモノを持ってきたタロウは、血相を変えた状態だった。
「……なんだ。何が起きた……」
よっこらせと起きあがったトウリは、眠い目を擦るように演技しつつもその羊皮紙を読んだ。そして次の瞬間にはクワッと目を開き、飛び起きて歩き始めた。
「タロウ! 検非違使の各隊首領を緊急召集しろ!」
クシャッと握り潰したその羊皮紙に書かれていたのは、シーアンの街にバラ撒かれた市民への呼び掛けだった。獅子の国の御璽が捺されたその文面には、全てのシーアン市民へシンバが呼び掛けたものだった。
程なくして検非違使が根城としていたシーアン郊外の農機具小屋に様々な種族が集まった。彼らはトウリの号令下にある検非違使の各小隊それぞれを代表する責任者だった。
「別当。如何なるご用件で」
最初にそう口を開いたのは、検非違使主力である覚醒者を束ねる者。案主のポストに居たイワオだった。赤組を率いるタロウと白組を率いるコトリ。更には魔導師チームである紫組。追跡専門の黒組。各種調査や偵察にあたる青組などの長だ。
「獅子の国が本気になった。残存戦力の糾合を図るようだが、総指揮としてシンバが直接この街へ来る事になったらしい」
それは、青組を率いている藍青はキツネとヒトの重なりだが、その能力はキツネのそれに比例して破格のものだった。そんな藍青が入手し分析し報告した情報に因れば、まもなくシンバはこのシーアンに入城するという。
そして、それに合わせジェンガンやナンジンを逃れた市民らに義勇兵としての参戦を求めていた。ライオン族には参戦で無条件のシーアン市民権を与える。それ以外の種族で奴隷階級にある者は、戦役への貢献により獅子の国の市民権を与えるとした。
「コン。済まないがひとつ、骨を折ってくれるか?」
トウリがコンと呼んだ相手は紺青だ。藍青と同じくキツネとヒトの重なりだが、コンの方はスナギツネにも見えるしフェネックの様にも見える。
「お易い御用です。別当」
紺青はニンマリと笑ってそう応えた。その任務は単純だ。調査チームの中で潜入班を構成している紺青は、避難民を装って義勇兵に参加し、獅子の国の内部情報を持ち帰るのが仕事となる。
当然のように危険はあるのだが、それをフォローする仕組みが今の検非違使にはあるのだ。赤組白組共に臨戦態勢となって待機するのは勿論だが、魔法チームもまた手薬煉をひいて待機することになる。
彼らが狙うのは単純だ。獅子の国の心臓部を痛撃する。そう。要するにシンバを暗殺しようというのだ。
「オオカミの集団と連係する事にする。彼らは直接シンバにモノを言いに行くだろうから、その謁見の場を狙う。全員気を入れて事に当たってくれ。以上だ」
トウリの指示でシーアンに侵入していた検非違使が一斉に動き始めた。それを見ながらトウリはふと思案に暮れた。これを使ってララを探せないか?と考えた。それは立場では無く純粋に父親としての本能だった。
だが、直接それを言い出せない部分も有るのだから始末に悪い。小さく溜息をこぼしたトウリは不意に空を見上げた。星の瞬く闇の中、漆黒の体毛を持つイヌの男は考えた。
――――これは好機じゃ無いのか?
――――いやいや……
――――罠かも知れない……
それがどんな意味を持つのかなど全く無駄な思慮なのは言うまでも無い。
罠であれば食い破って進むまでだし、邪魔するモノは粉砕すれば良いのだ。
「別当」
不意に誰かが声を掛けてきて、トウリは我に返った。
「……ジロウか。どうした?」
それはイワオとコトリとの間に産まれた二人目の息子であるジロウだった。彼は話しに聞くララの存在を非常に気に掛けていた。再従兄弟に当たるララはどうしても会ってみたい存在らしかった。
「ララ様の救出作戦。僕も参加したいんだ」
20才未満と言う事で大志の肩書きを持っているが、その実力は折り紙付きだ。そもそも王の秘薬では無く尾頭の秘薬から産まれた存在であるからして、イワオとコトリの能力全てを受け継いだ存在である。
しかもジロウの場合には、産まれたのがそもそもに魔素の濃いネコの国の授産施設とあってか、魔導に関する資質もずば抜けた存在だった。魔導の道に進めば尾頭の再来になるとまで言われていたのだ。
「……解った。だがまずは、母親の了解を取ってくるんだ」
トウリはニヤリと笑ってそう言った。基本的にコトリはジロウの活躍を余り歓迎していない部分がある。トウリにとっては血の繋がった兄弟でもあるイワオも言っているのだが、ジロウは生命の供給源にしたいのだ。
如何なる種族とも交わり子を為せる存在なイワオとトウリは、カリオンの手札である検非違使の発展の為に相当な自己犠牲を払ってくれていたのだ。そして将来的には、このジロウの血統を使って検非違使の組織発展を考えていた。
「それが……おっかぁが言うには好きにしろって。」
コトリにしてみれば、そろそろ手を離れる歳の子なので好きに生きろと突き放している部分がある。だが、そうは言っても可愛い我が子だ。手の届く所に置いておきたいと言う母親の願望はトウリもよく理解出来た。
「そうか…… 解った。まずは紺青に話をしてみると良い。ただ、ここから先は修羅の路だ。はっきり言うが……ぬるくないぞ?」
厳しい表情と声音でトウリはそう言った。彼自身の生涯がそうであるように、人並みの幸せなど望むべくも無い試練の連続だろう。なによりコトリとイワオの血統の場合は、どんな種族相手でも子を為してしまうのだ。
だが、その存在が将来的に不都合を及ぼすのであれば処分しなければならない。そんな人倫に悖る行為を表情一つ変えずに出来るのか?とトウリは遠回しに問うていた。
「……うん。でも……やりたいんだ……僕は……」
――――バケモノだから……
その言葉を吐き出せずに飲み込んだジロウ。だが、初めて覚醒した日からジロウは解っていた。自分自身がバケモノであることを。そして、普通の人生など望むべくも無いことを。ならばこの生涯において為すべき事は一つだ。
「それ以上言うな。今日からお前は別当付きの補佐官だ。顎で使うから覚悟しろ」
トウリはジロウの頭をポンと叩くと、闇の中へと歩き始めた。その背中を追うように歩き始めたジロウは『合点でさぁ!』と嬉しそうに言いながら歩いた。シンバがやって来るであろうシーアンへと向かうトウリの背にはブロードソードがある。
――――別当も……
その人生が一筋縄ではいかなかったと言う話を父イワオから聞いていたジロウ。だが、そんな父イワオの命名の由来となったヒトの男の話をジロウはふと思いだしていた。
そして、何が何でもララを見つけるのだ!と心に硬く決めていた。どんな種族との間にでも子を為せる特殊体質なジロウの、その秘めた野望が彼を突き動かしているのだった。