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ネコの本質 キツネの本質 イヌの本質

~承前




 ナンジン市街の中心部に設営された太陽王の幕屋には、息苦しいほどに重い空気が立ち込めていた。仮の玉座に腰を下ろすカリオンを筆頭に、ル・ガル軍団の首脳陣が結集しているのだ。


 彼らは一様に厳しい表情になっていて、そんな中をウォークがお茶のサーブに歩いていた。現状をどう収拾させるかについての打ち合わせだったはずだが、既に葬式のような空気だった。


「こんな結末とは……予想すらしていなかった――」


 絞り出すように切り出したドリーは、虚無感に溢れた暗い表情だった。ナンジン攻略に狩り出されたガルディア連合軍だが、その最後に介入してきた九尾達の恐るべき実力が露わとなり、ル・ガル陣営は頭を抱えている状態だ。


 それは、九尾の狐が見せた圧倒的な実力の衝撃であり、獅子の軍勢が見せた圧倒的な魔法攻撃を意図も容易く上書きし、倍以上の威力をもって反撃に転じた事への狼狽だ。そしてこれは、味方であるから良いと言う事では無いのだ。


「――つまり、彼らは手抜きをしていたと言う事だ」


 虚無感溢れる表情を憤怒に変え、茶の入っていた湯飲みを勢いよくテーブルに叩き付けたドリー。そこに見える武人の怒りは言葉では説明出来ないモノだ。何故なら、過日キツネとやりあった時、彼らは本気では無かったと言う事だからだ。


 公爵家の当主達は皆、ル・ガルとの決戦に出てこなかった九尾達を何処か侮っていた部分がある。どうせお飾り上役だろう。大した実力もなく、家柄と代々受け継ぐ権益でデカイ面をしているだけ。


 そんな風に思っていたのだ。しかし、今回九尾が見せた実力は、間違い無く本物だった。つまり、彼らはイヌの実力を見て取って、イヌと同じ程度で良いと手加減していたとなるのだ。


「あの実力は……そら恐ろしいですわ……」


 上品な口ぶりと典雅な発音でジャンヌがそう零す。だが、彼女の纏う空気にも何処か刺々しさが混じっていた。およそル・ガルの武人たる者ならば、実力で勝ち得た勝利こそが栄冠であり、名誉ある敵と相まみえることは最上の事と言える。


 全身全霊を掛けてこれを打ち破り、勝利を収めることこそが至上の名誉。その為に公爵家の当主達は武芸を磨き戦に備えると言って良い。だが、その全てが見事に瓦解する事態だ。


「全てはキツネの掌中……と、言うことか」


 感情を感じさせないウラジミールの言葉に全員が硬い表情のまま首肯を返した。それは、ナンジン攻略の最後に現れた九尾達の見せた、恐るべき魔法効果の威力その物だった……






 ――――――6時間ほど遡る


「バカな……」


 空を見上げたカリオンは、ボソリと呟いて絶句していた。俄に曇った空からは雨のように落雷が降り注いでいた。凄まじい轟音に驚き『まさか……』と呟いて空を見上げたが、そこで見たモノは獅子の国を遙かに超える天候操作の魔術だった。


 凄まじい突風が吹き抜けたあと、文字通り雨のように雷が落ち始めた。落雷の威力は実際に見るまで誰も理解出来ないモノだ。だが、一度でもそれを目にすれば、誰もが一斉に逃げ出し始める。


 直撃を受けた者は、まるで爆ぜるザクロの実のように内臓をぶちまけながら即死する。その周囲に居る者は巻き添えを食うように放電を受け、それによる電撃で一瞬にして黒焦げとなり即死するのだ。雷の威力が弱ければ麻痺する程度で済むのだが、九尾の操る落雷は自然のそれに比べ数段威力のある状態だ。


「へっ 陛下ッ! あれをッ!」


 裏返った声でポールが叫びながら空を指差した。雷光に照らし出されるそれは、大空を埋め尽くすように巨大なスーパーセルと呼ばれる超大型積乱雲の塊だ。金床雲とも称されるそれは、凄まじい威力の突風を巻き起こす代物だ。


 地上のありとあらゆる物を叩き潰すような突風が吹き抜け、その直後に地上の各所から天へ向かって昇竜が舞い上がるが如くに竜巻が発生した。凡そ竜巻というモノは地上において最大級の突風を起こす代物だ。


 そんな竜巻が1ダース以上の数で同時発生し、地上の各所を嘗め尽くすように暴れ始めた。その巨大なつむじ風は周囲にあるモノ全てを飲み込み、空高くへと吸い上げてしまう代物。


「……あり得ない」


 それを眺めていたウサギが言葉を失っている。彼らの様に高度な魔術を使いこなす者達からしてみたら、冗談のような出力での魔法効果が発動している状態だ。だが、そんなウサギ達の驚愕を余所に、戦線は大混乱に陥っていた。


 獅子の軍勢はもはや統制もクソも有ったモノでは無く、各所で一斉に逃げ出し始める始末だった。しかし、そんな獅子の正規軍を待ち受けていたのは、視界の全てを奪うような土砂降りの雨だった。


 砂漠地帯と言って良い場所に降り注ぐ集中豪雨の大雨が何を引き起こすかは言うまでも無いだろう。元々雨の降りにくい地域に大量の雨が振った結果、彼らは足元が全く覚束なくなり行動不能に陥った。そして……


「あいつら…… 悪魔よりひでぇ……」


 アレックスがボソリとこぼす。ただ、それも仕方が無いだろう。土砂降りの雨があっという間に氷雨に変わり、ややあって横殴りの猛吹雪に変わった。天候操作により遙か上空の寒気を地上に引き寄せたのかも知れない。


 だが、そんなメカニズムなどどうでも良いのだ。いま獅子の正規軍は視界を失う程の猛吹雪にまかれパニックを起こしている。そもそも南方種族の多い獅子の国の正規軍においては、寒気だけでも充分に武器になるのだ。


「足止めと言うには理想的だな」


 感心したようにカリオンが呟くが、そんな風にしていられる状況では無いことなど火を見るより明らかだ。横殴りの猛吹雪は視界を奪い、ホワイトアウトした獅子の軍勢は右往左往するばかりだ。


 そんなところに再び落雷攻撃が再開されると、強力なストロボ効果により眩い光の柱がいくつも立ち上った。雷光に照らし出された雪が光を乱反射させ、地上に居た者達の目を焼き始めた。


「これでは……彼らもたまったものじゃないですね」


 ウォークがボソリと漏らしたのも無理はない。その攻撃の本質は視界を奪うことだからだ。そして、視覚情報を失った者の末路など推して知るべしだ。パニックに陥った彼らはその場に足を止めてしまった。


 少しでも自分自身が生存するためには、より正確な情報を収集する必要がある。その為に頼るべきは光ではなく音だからだ。猛吹雪と落雷で行動力を失った獅子の魔導師達は、状況をウォッチするだけの存在になり下がった。そして。


「冗談じゃねぇ……」


 ひきつった表情のままアレックスが言う。それは激しい吹雪の向こうに現れたキツネの大軍団だった。よく手入れされた馬に跨がるキツネの武士は馬上で大弓を構えると、鋭い矢じりの付いた矢を放った。


 まだまだ距離がある状態ながら、その矢は凄まじい風切り音を放ちながら飛んでいき、獅子の魔導師の頭蓋を貫通した。ただ、矢自体に重量があるのか、直撃を受けた獅子の魔導師は首が飛んでいた。


 無様な絶叫を挙げてパニックを起こす獅子の魔導師達。それを見ていたキツネの武士は一斉に歓声を挙げ、次々に矢をつがえて構え始めた。当然のように獅子の側は大混乱に陥り、どこでも良いから逃げ出そうと走り始めた。


 ただ、激しい吹雪と落雷の最中に右往左往したところで、実際どうになるものでもないのだ。


「……こちらの軍を後退させろ。彼らの活動の邪魔になる」


 カリオンは冷徹な声でそう命じた。すぐさまウォークが引き潮の指示を出し、ル・ガル軍団は一斉に後退を始めた。砲撃の完了と共にル・ガル兵が突撃を開始するはずだった。


 しかし、そんな物など全く不要な事態となるモノをキツネは見せていた。人の心の弱みにつけ込むキツネらしい戦い方。ナンジンを放棄した獅子の軍勢は一斉にシーアンへと逃げ込むだろう。


 なにより、ジェンガンから逃れてきた避難民達が更なる恐怖と後悔を抱えたままでシーアンへと殺到する事になる。だが、そのシーアンは既に一触即発の事態になっていると報告が入っていた。


「ここからが大変ですね」


 まるで他人事のようにウォークが漏らした。

 ただ、その理由はカリオンもよく理解しているのだった……






 ――――――ナンジン市街中心部 太陽王幕屋


『報告致します!』


 駆け込んできた憲兵少佐は一瞬だけ幕屋の空気に面食らったらしい。公爵家を預かるル・ガルの枢密院と、太陽王を中心とする王府の全てが暗く沈んでいるのだからやむを得ない事だ。


 だが、そんな事態に陥った理由は、キツネの手抜きだけでは無かった。と言うより、そもそもキツネの問題など付帯的な物に過ぎない。ここに集まっていた公爵家の当主達が雁首を揃えて話し合っていたのは別件だ。


「少しは収まったか?」


 カリオンは厳しい声でそう言った。声音が不自然に強張っているのもやむを得ない。戦闘終了後に始まった歓迎せざるるお祭り騒ぎは、カリオンらル・ガル軍関係者も手に余す事態だからだ。


「はッ! 奴隷階級の解放証書発行はまもなく終了します。ですが……」


 思わず言い淀んだ憲兵少佐は渋い表情だ。だが、それもやむを得ない事態が起きていた。キツネの大軍勢は全てが幻影で、それを見てパニックを引き起こした獅子は一斉に逃げ出した。


 護る者全てが居なくなった市街へ最初に突入したのは、意外なことにネコの軍団だった。降り積もった魔法の雪を苦にせず、彼らはナンジン市街の民家や軍の駐屯地へとなだれ込んだ。


 そこで何が始まったのかは、言葉にせずとも解るだろう。護りを固めた城塞都市が陥落したあとに発生する悲劇は、何処の世界でも全く同じモノだ。ライオン系種族であるか否かを問わず、抵抗する者は殺され金銀財貨の略奪が始まった。


 ネコの騎士や兵士達が一斉に各住居や施設に押し入り、強盗行為その物を行い始めたのだった。


 ――――イヌの王よ!

 ――――どうか暴虐を諫められよ!


 ナンジン市民議会の議長がカリオンの元へ泣きつきに来たのだが、この時点でカリオンはどうすることも出来なかった。少なくともネコに対する命令権をカリオンは持たず、あくまでネコの指揮命令系統は別系統なのだ。


『我らはネコに非ず。ネコを支配する者でもない。彼らは彼らの意志で動いている故に、イヌはネコの活動を制限する事能わず、彼らに直接訴えかけるがよろしい』


 カリオンの回答はこれだけだった。

 ただ、それを伝えたウォークは最後にこう付け加えた。


『今までネコにしてきた事をされ返されるだけだ。恨むなら己の傲岸不遜な過去の振る舞いを恨むべきでしょう』


 それを聞いたライオン系市民は一斉にナンジン脱出を開始した。だが、今度はそこにキツネの軍勢が立ちはだかった。そして、ありとあらゆる金目の物を奪い取ると、着の身着のままでシーアンに行けと指示した。


 つまり、ナンジンの街を出ることも隠れ続ける事もライオン系市民が出来なくなっていたのだ。そんな状態でライオンの市民に使役されていた奴隷階級が一斉に解放され始めてしまった。


 そこで何が起きたのかもまた、歴史は繰り返されると言う部分の発露だった。市街各所で悲鳴と絶叫と断末魔が響いた。昨日までは奴隷を顎で使っていた者達が一斉に報復され始めたのだ。


「残念だがイヌにはどうすることも出来ない。ル・ガル軍を再編成し、明日の夜明けを待ってシーアンへ進軍する。全軍団は移動の準備を開始せよ――」


 事実上の黙認宣言。そして同時に、イヌの目的を果たすと宣言した。


「――あと……イヌ以外の種族が何かをしでかしても一切止める必用は無い。だが、それに加勢するイヌを見つけ得た場合は即刻処分せよ。抵抗する場合にはその場で最終的解決を行って良い。イヌは一切荷担しない。その原則を徹底させよ」


 カリオンは厳しい表情のままそう発した。だが、不意に不本意そうな表情のウォークがカリオンを見た。何かを言い忘れたか?と思案したカリオンは、ややあって付け加えるように重要な案件を言明した。


「私には時間がない。一刻も早くシーアンへ手を掛けなければならない。余のもっとも要求するものはひとつ。彼の都市を陥落させ娘を探すことだ。その為に必要な処置を行って貰いたい」


 太陽王の口から出た『お願い』は、同時に達成必須の努力目標でも有る。公爵家当主達にしてみれば、それはもはや手柄争いのタネで有り、同時に公爵家存続の為の重要な義務でもあった。


 そしてそれは、太陽王の方針をしっかりと提示しろというウォークからの突っ込みでもあった。ここまでは獅子の国への対処という部分で、なかば忖度であった面がある。それ故に各家の足並みが乱れていた面も否定できない。


「御意!」


 ドリーは立ち上がってそう応えた。太陽王の臣第一を自負する男の決意が滲んでいた。だが、その直後に同じくポールが立ち上がり『御心のままに』と応え、幕屋の中の空気が変わった。そんな時だった。


『報告致します!』


 血相を変えた伝令が幕屋に飛び込んできた。最初にジョニーが反応し、一杯の水を差しだして『落ち着け』と命じた。だがその伝令は力水に反応すること無く厳しい表情のまま報告した。


『市街にてネコの騎士団とトラの戦士団が前面衝突状態となりました! 双方に多数の死傷者が発生! 現在はナンジン市民を巻き込み大混乱に陥っております!』


 その報告を聞いた首脳陣全員が同じ認識を持った。遂にトラがブチ切れたのだ。およそネコの異常な資質についてトラは良く思っていないのだ。彼らの美学や矜持といった部分の対極にネコが居る。


 そんなネコの横暴や狼藉を黙って見ていることが出来なくなったのだろう。そして遂にトラが実力行使に移った可能性が高い。当然の様に市民はトラの側に付く。その結果としてネコの騎士は収まりが付かなくなり逆切れ中……


「ジョニー」


 まるで冷え切った冷気のような声音でカリオンはジョニーを呼んだ。他ならぬ腹心の部下であり友でも有り、そしてル・ガル軍参謀総長の肩書きを持つ男でもあるのだから、当然と言えば当然だ。


「あぁ。解ってる。対処鎮圧に当たる」


 立ち上がると同時に傍らにあった小銃を担ぎ上げたジョニー。そんなレオンの男をジッと見たカリオンは、声音を変えず最終的解決の指示を出した。


「説得に応じないネコは全員射殺しろ。エデュ・ウリュールを通じてネコの女王に鎮圧を黙認させる」


 カリオンの決断が遂に下された。他の種族の兵士に対する越権対応だが、もはやこれ以外にどうしようも無いと判断した。そしてそれは、ネコ以外の種族からも理解されると確信するものだった……

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