贖罪
~承前
そのシーンは、円環同盟軍に参加した各国の代表が見ていた。
トゥリングラード演習場を出発して2週間が経過した頃だった。
「陛下…… この愚かな男に厳罰を下さいますよう伏してお願い申し上げます」
獅子の国との国境となった荒れ地には、ル・ガル軍工兵による大掛かりな前線基地が増築されていた。いったい何処から運び込んできたのか?と訝しがる様な、柵と石積みの拠点だ。
そんな拠点本部前にある広場の中、戦衣に身を包んだカリオンの前で跪いているのはドリーだ。遠い遠い昔、始祖帝ノーリより下賜されたと言うスペンサー家の宝刀を前に差し出し、全ての責任は自分にあるのだと暇を願い出ていた。
ただ、その暇とはすなわち、軍責任者に対する敗戦の咎であり、この首を刎ねろと求めてるのだった……
「ドリー……」
ボソリと呟いたカリオンは、大剣を右手に持ち替えてから歩み寄った。芝居がかったやり方ではあるが、これもまた大切な事なのだろう。午後になって到着したカリオンらの大軍勢は、続々と拠点の周辺に宿営地を設営し始めた。
大河イテルの水量は着々と回復しつつあり、水には事欠かない状況だ。そんな状況で始まった責任論の推移をキツネやネコは興味深そうに眺めている。どうせ格好だけだろ?と、どこかニヤニヤしつつ眺めているのだった。
「聊爾恙なく…… 御心のままにあるべきでした。全ての責はこの私にあります。功を焦り賞賛の甘露に塗れんと欲したのであります。どうか……」
それはつまり次期帝キャリへの配慮で、もっと言えば他国へのデモンストレーションだ。ル・ガルという国家のシステムを見せ付け、同時に安定と繁栄を印象づける為のモノ。
だが、そんなモノとは別に、ドリーは間違い無く自らを恥じていた。そして、出来るならば敬愛する王の手で処刑されたいとすら願った。一点の曇りも無い眼差しでカリオンを見つめるドリー。その赤心はカリオンにも痛いほど伝わった。
「ヴァルター」
カリオンは親衛隊長を呼んだ。その言葉にドリーが僅かながら残念そうな表情を浮かべた。王の手では無く親衛隊長に首を刎ねられる事になる……と覚悟を決めたのだ。だが……
「お呼びでありますか」
「うむ。余の太刀を持っておれ」
手にしていた太刀をヴァルターに預けたカリオンは、ドリーの前にあったスペンサー家の太刀を手にした。その鞘にはノーリ自らが書き記したという文字が残っていた。
――――――王の剣
国家を安寧に導く為の剣であれ。そう願ったノーリの想いが文字になって残っているのだ。その文字をしげしげと眺めたカリオンは、押し黙ったまま鞘から太刀を引き抜いた。
徹底的に手入れされているその剣には、曇りひとつ無い状態だった。青い空と太陽の光を反射する太刀筋に、自分の顔が映った。
――――歳を取ったな……
己が老いている事など良く解っている。そう。カリオンの胸に去来するのはそんな事では無い。遠い日に父ゼルが残していった言葉を思い出し、こんな経験をする事になった己の在位期間に思いを馳せたのだ。
「ドリー……」
しばらく太刀を見ていたカリオンが不意にドリーを呼んだ。そのドリーは何処か恍惚感に包まれたような表情で王を見ていた。心の底から惚れた男に殺される。ドリーはそこに悦びを見いだしていた。
「余の吾子が捉えられた事はやむを得ぬ。だが、不要なる死者を出したことは許されざる事だ。会戦の法則はそなたも知っていよう。事に当たり慎重に検討を行い必勝を期すべきであった――」
どれ程の事情があろうと罪は罪。王の指示を無視したことについての責任を取る者は絶対に必要になる。ただ、それを言って聞かしているのはドリーでは無い。カリオンの近くに立っているキャリその人だ。
「――勝負は時の運だが、古来より言う様に不思議な勝ちはあっても不思議な負けは無い。負ける時は理由がある。そしてそれは『父上!』
キャリは我慢ならずカリオンの前に飛び出し、両手を広げ得てカリオンを止める体制に入った。そもそも前線最高責任者はキャリであった筈なので、叱責されるなら自分が叱責されなければいけないはずだった。
「止められなかったのは……自分の責任で――
――――ッバギャ!
ドリーの命乞いを始めたキャリだったが、その横っ面をカリオンの手にしていた太刀の鞘がひっぱたいた。鉄の塊で殴られたのだから、顎の骨その物が砕けた。キャリはそのまま横へと吹っ飛び、口中よりダバダバと血を流していた。
「若ッ!」
それを見たドリーが驚いて叫び、思わず立ち上がったその時だった。カリオンの手がサッと翻り、眩い光が辺りに振りまかれた。それと同じくしてパッと血煙が上がり、どうせ寸劇だろうよと生暖かく眺めていた者達が驚いた。
カリオンの振った太刀の切っ先はドリーの右目辺りを下から上へと切り裂き、眼球を切り裂いてドリーの視界を真っ赤に染めた。その痛みに思わず『グワッ!』と呻いたドリーの口から舌が伸びた。
その舌目掛けカリオンは太刀を振り下ろした。再びパッと血煙が上がり、同時にドリーも口中より鮮血を吐き出した。状況的に見れば、カリオンの振った太刀によってドリーの舌が切り落とされたと誰もが思った。
「ふたりとも聞け」
グッと沈んだカリオンの声が辺りに響く。その凄惨な光景に他種族の者達が息を殺して様子を伺っている。だが、そんな事に構うこと無く、カリオンは冷徹な声を放った。
「獅子の国はル・ガルを凌駕する大国ぞ。まともに戦えば負ける事は必定。されど戦わねばならぬ。戦って自由を勝ち取らねばならぬ。だが、どうやっても勝てぬ相手でもある。故に上手く負けねばならぬのだ」
他の種族が聞いているのを承知でカリオンはそう切り出した。それは、時より他国の他種族が見せる刺々しい空気への配慮だった。イヌならぬ種族の国家は事実上ル・ガルに併呑され、ガルディア円環連盟に参加した部分がある。
それ故か、ふとした拍子に敵意染みた空気を垣間見せることがあるのだ。それを力でねじ伏せる事はある意味容易いが、やがて何処かで限界を迎えて爆発しかねないのだ。だからこそ、その因果を語って聞かせて納得させねばならない……
「ドリー」
厳しい声音でドリーを呼んだカリオン。ドリーは血を流しつつも傅いた。
「そなたに罪は無い。罪を背負いしものはその舌だ。故に余はその舌を成敗した」
一瞬の間に何をしたんだ?と訝しがったキツネやネコは、その時点でカリオンが何をしたのかを知った。一瞬だけ見せたドリーの舌を縦に斬って見せたのだ。イヌの長い舌先がおよそ1センチほどスパッと斬れていて血を流している。
ドリーは痛みを堪え舌を口に収めている。だが、そのマズルからはボタボタと血が流れていて、顔からも血を滴らせた状態でカリオンを見上げていた。
「キャリ。立て」
カリオンの厳しい声にキャリはグッと奥歯を噛もうとした。だがその瞬間に激しい痛みが脳天を貫いた。凡そ奥歯という所は人体においてもっとも単位面積当たりの圧力を掛けられる場所だ。そんな奥歯が完全に砕かれているのだ。
痛みを堪える為に奥歯を噛みたくても噛めない。その矛盾した状態のまま事を成さねばならない。その為にはどうすれば良いのかをキャリは学ばねばならない。己の身体で感じる事の出来ない痛みを上手く取り込まねばならないのだ。
「お前が止めなかったのがもっとも悪い。つまりお前が殺したのだ。見殺しにしたのだ。その責と咎は本来なら命で償わねばならぬ。だが、お前を支えんとする忠臣や多くの者達がお前を庇うだろう――」
カリオンの言葉を聞きながら、キャリは父である前に前王たる男が何を言いたいのかを察した。やがて自分が受け継ぐ事になるモノを背負ってきた存在の、その心からの叫び。己を律する事の難しさと大切さを骨身に染みこませなければ……
「――やがてもっと大きな決断を迫られるだろう。もっと難しい決断を求められるだろう。私がそうだったように、お前もそれをする事になる。下々にある者達が手に余して決断を上に求めてくるが、順繰りに上がって来てお前が最後になるんだ」
「……ふぁい」
はい……と言おうとして、砕けた顎ではそれが精一杯だった。痛みに涙を浮かべつつ、それでも必死に堪えて見せた。栄えるイヌの帝國において、次代の帝位に就くであろう青年が修行を重ねている姿。
他の種族はそれをジッと見ていた。それなりの実力と胆力とを兼ね備えねば帝位を継ぐことすら出来ない。そんなカリオンのデモンストレーションは、眺めていた者達の中で、殊更キツネの胸を叩いていた。
「ヴァルター。両者にエリクサーを」
預けていた太刀を受け取り、カリオンはふたりにエリクサーを飲ませた。キャリは悔しさと共にそれを飲み込んだが、ドリーは僅かに拒否する素振りを見せた。しかしながら、カリオンが『飲め』とジェスチャーを見せ、承伏して飲んだ。
「軍法により責任者の処罰は逃れられぬ。だが、今戦時下において敵情を良く知る者を前線から外す訳にも行かぬ。故に――」
スペンサー家の宝剣を鞘に収めたカリオンは、その柄をドリーに差し出した。
「――そなたに暇を与える事は出来ぬ。現時刻を以てそなたをル・ガル全軍参謀総長に任命する。粉骨砕身の働きに期待する」
カリオンの命に思わず『陛下……』と漏らしたドリー。その処置が甘いと誹るつもりは無いが、少なくとも責任は誰かが取らねばならないはず。
「……余の父は不敗の魔術師と呼ばれたが、それは道理をわきまえた潜思熟慮の士故のことだった。失敗の中に改善点を見つけ、次に同じ失敗をしない事を信条としたのだ」
カリオンが吐いたその言葉で、ドリーは敬愛する王の後ろにもう一人の男がスクリと立ち上がる様を幻視した。王と同じく右手を額に当て、やや俯き加減でウロウロと歩き回りながら答えを探して考え込む男だ。
そんな男が何かに気が付いたようにハッと顔を上げ、自分の方を向いたような気がした。どんな軍略を描いたのかは解らぬが、底意地も悪そうにニヤリと笑いつつ敵を滅殺する戦術を考えたのかも知れない。
「……小官もお会いしてみたかったです」
王にこれ程の影響を与えた存在。そんな男がニコリと笑いながらこちらを見たような気がした。その瞬間、ドリーはゾクリとした寒気を覚え、同時に腹の底から何か不思議な力がわいてくるような錯覚を得た。
「そうか……ならば、余の父に挑んでみよ。ル・ガル統合作戦本部長と参謀本部作戦遂行責任者を兼任していた。つまりはル・ガル全軍の差配を受け持ち30万の兵を自在に操って勝利を目指した。ドリー。君に期待している」
カリオンの言った最後の一言でドリーの顔がスッと変わった。グッと気の入った顔になり、片膝を付いて言った。この致命的な失敗を挽回し、汚名を返上する機会を与えられたのだ。
「王より賜りましたこの一命を賭し、職責を果たします」
統合作戦本部長と参謀本部作戦遂行責任者。
この2つのポストがお前を待っている。
人のやる気を引き出す術をキャリは垣間見たのだった。
同じ頃……
「ホントにイヌの兵隊さんってのは来るんだろうかね?」
銅銹館の奥深くに陣取るドーラはそう独りごちた。シーアンの街は完全な内戦状態に陥っていて、銅銹館の営業は2週間近く取りやめていた。表も裏も鎧戸を立てて建物を封鎖してしまったのだ。
「余り良い状況じゃぁ……ございやせんね」
一宿一飯の恩義にと情報収集に当たっているリベラは、外部から持ち帰った情報を元に小さな声でそう応えた。この2週間の間に起きたのは、正規軍兵士であるライオンの歩兵数名が暗がりで袋だたきにされ、瀕死の重傷を負ったことだ。
だが、その発端はライオン以外の種族からなる補助軍の兵士が数名、見るも無惨な姿で斬殺され、広場に晒されたことだった。その胸には獅子の国の文字で裏切り者と書かれた板が縛りつけられていたのだ。
それだけでは無く、ささやかな夕食を楽しんでいた民家に正規軍兵士が30名以上押し掛け、家の中をメチャクチャにした事件があった。その家にイヌの密偵が潜んでいるのを見た……と、正規軍の駐屯所に密告があったのだ。
「まぁね こんだけ双方が疑心暗鬼じゃねぇ……」
ドーラが嘆くのも無理は無い。正規軍兵士はライオン以外の在留種族全てを一切信用できない状態になり、補助軍を構成するライオン以外の種族は獅子の国自体が信用ならなくなっていたのだ。
そんな状態で夜の店を開けていれば、危険を感じた者が助けを求めて飛び込んでくることがある。だが、それを追ってきた者達は構わず土足で上がり込んで引っ捕らえるだけでなく、何処かへ連れ去るのだ。
「今週だけでも20名近くが行方不明ですから」
リリスが漏らすとおり、ライオンとそれ以外の種族双方で合計20名以上の行方不明者が出ている。間違い無く何処かで殺されているのだろうが、その証拠が残っていないし、遺留品すらも無いのだ。
しかし、そんな行方不明者の存在も、街の治安を引き受ける衛士にしてみれば大した問題では無い。本当に問題なのは重傷を負って治療所へと運び込まれる市民や兵士達だ。
事に虫の息で治療所へ運び込まれた者が最後の言い遺す言葉は、獅子の国の中を揉ませるには充分な効果を持っていた。そう。今際の際に言い遺す『ライオンにやられた』だとか『ウシにやられた』『サルにやられた』と言う呪いの言葉だ。
「ジェンガンの郊外じゃ兵隊さんが防衛線を敷いてるそうだよ」
新聞を読みながらそう零すドーラは、吐き出した溜息と一緒にお茶を飲み込む。大量の補助軍を動員し、正規軍も陣を敷いている。獅子の国の官僚は戦闘奴隷に対し、功2等以上で有れば猶予期間を無視し市民権を与えると宣言した。
他国の他種族が市民権を持って獅子の国を闊歩できる権利を与えるとしたのだ。その結果として国内各所から数十万規模の補助軍が集まりだしている。それを見れば、間違い無く大戦になるのが目に見えていた。
「正規軍は補助軍の後ろだそうで……因業にござんすねぇ」
自分達は死にたくないから補助軍を肉の壁に使う。誰もがそう理解するような酷い戦術だ。だが実際には威力のある魔法攻撃を行うには詠唱の時間を要する関係でタイムラグがあるのだ。
それを知ってか知らずかは解らぬが、獅子の国の市民権というエサに吸い寄せられた補助軍は、既に50万に達しつつあるのだった。