タリカの行方 ~ オオカミとイヌとキツネ
~承前
新年を迎えたシーアンの街は、既に内戦一歩前のような状態で推移していた。
街の治安を受け持つ衛士は基本的に正規軍で編成されるが、現在のシーアンでは衛士の立ち入れないエリアが大きく拡がっているのだ。
――――ライオンは信用できない!
シーアンに暮らす多くの種族がそれぞれにコロニー状態な街の区画占領を行い、その中へライオンが立ち入ることを拒否。最初は強引な突入を図った衛士も、イザコザの果てに死人が出た事もあって放置するに至った。
ただ、それだけでは済まず各コミュニティは各々が自警団を結成し、それぞれに争い始めたのだ。そもそも獅子の国は大きく区分けするだけでも18の種族が暮らしている。シンバと呼ばれる皇帝がライオンであるだけなのだ。
――――シンバの存在は否定しない
――――だから我々の存在を否定するな
多くの種族が求める話は至ってシンプルだ。ライオンに非ずば人に非ず。そんな空気を改善し、全種族が対等に話し合える環境を作る事を求めていた。奴隷制度に縛られた多くの下層民が身分解放を求めたのだ。
その結果、シーアンの街ではとんでも無い事態が発生していた。過去に記憶のない事だが、他種族の軍隊が堂々と立ち入り、公式に要求を突き付けたのだ。入って来た種族は北方大陸から来たオオカミで、要求は『我らの王子を返せ』だった。
「大変申し訳ないが……我らも今はこの街を統制し切れておらぬ――」
シーアンを預かる行政官は困惑した表情でそう切りだした。それを聞いているのはオオカミ王オクルカで、今にも大爆発しそうな厳しい表情を浮かべつつ黙って話を聞いていた。
「――街は既に混乱の極みとなっており……我ら衛士も街の中に何があるのかを把握し切れておらぬのだ。そなたの子息であるオオカミの王子が街に居るのだとしたら、我らはそれに関与しないので自由に探して良い。ただし、責任は持たぬ」
その言葉にオクルカの側近達が今にも爆発しそうだった。事に同行していたオギとナギは今にも剣を抜きそうな勢いだった。ただ、執政官の言いたい事も痛いほど理解出来るが故に、今は黙って聞いているのだ。
少なくとも、この1000年単位で安定した社会を作ってきた獅子の国だが、そんな国内に他国の軍隊が徒党を組んで堂々と入って来ている。それはある意味では終焉の光景であり、世界の終わりを意味していた。
つまり、獅子の国が国内の支配と国境の管理を手に余し始めている事の証左。言い換えれば、獅子の国内部で不満を持つ者達に差し込んだ希望の光。奴隷として抑圧されてきた下層民達に立ち上がり抵抗を試みる勇気を与える行為その物だ。
「……甚だ不本意だが承知した。我々は我々の同胞を探させて貰う。その課程で衝突する危険もあるが、その責任の一切は貴国と貴殿らにある。それが承知できないのであれば責任持って我が息子を差し出して貰いたい」
100万都市であるシーアンを預かる執政官は獅子の国の元老院議員でもある。そんな存在の横っ面を遠慮無くひっぱたいたオクルカは、鋭い眼光を残しつつ振り返ると、大股で歩いて接見室を出て行った。
早朝から街を取り囲み、対応に出てきた獅子の正規軍を追い返したオオカミの一団だ。執政官は現時点で取り得る最大の譲歩策を示したに過ぎない。一歩間違えばシーアンは炎上しかねないし、占領などと言う事態になると困る。
その結果として夕暮れより穏便な話し合いの席がもたれ、暗くなった後で執政官は甚だ不本意そうな顔になりつつもそう決断を下した。獅子の正規軍がまだ大量にあるうちに、それをした方が良いという判断だった。
「オギ 何処でも良いから徒党を組み、街中を馬で走り回れ」
オクルカがそう指示を出すと、オギは『合点!』と返答し駆け出した。盤石な治安を誇っていた獅子の国の街中を他国の軍隊が走り回る事の衝撃は、言葉では説明出来ない事だろう。
しかも、その他国の軍隊は我が物顔で徒党を組み駆け回るのだ。そんな行為がもたらす効果の程は、程なく現れるのだとオクルカは知っていた。かつてフレミナの地に姿を現した太陽王とその一行による意識変化を見たからだ。
「ナギ ライオン以外の種族で最大勢力を持つ所を探して接触しろ。タリカを見つけたなら君らの力になる。そう、力を貸すと言えば良い」
それがどれ程の凶手なのかは言うまでも無い。熱狂と狂奔がもたらす破壊的な暴力衝動は、時に劇的なパラダイムシフトを巻き起こす。少なくとも支配する側にとっては歓迎せざるる事態ではあるが、立ち上がる側を焚きつけることは有効だ。
フレミナの内部で延々と行われてきた酸鼻を極める権力闘争において、こんな手段を使いクーデターまがいの権力禅譲を何度も経験しているのだから『ガッテンでさぁ!』と返答したナギもやり方をよく心得ている。
――――さて……
これで良いかな?と思案したオクルカは、執政官の館を出た所で足を止めた。ただならぬ気配を察したのだが、首を振らずに辺りを確かめた時、すぐ後ろの壁に何者かの気配を感じた。
「そこの暗がりに居る者よ。名乗れ」
夜の帳が降りたシーアンの街だが、混乱と対立が招いた結果として市街を照らすかがり火すら焚かれていない。街には各所に本当の暗闇が存在し、人の気配に敏感な者でなければ暗がりに隠れる存在を察知できない。
「さすがにございますね、オクルカ様。手前は霜月。キツネの隠密です」
――――キツネだと?
瞬間的にグッと表情が厳しくなったオクルカだが、その直後にカリオンの言葉を思い出した。キツネが動き出しているのだと事前に聞いていた件だ。
「なるほど。太陽王より承っている。して、如何な用か?」
オクルカの纏う空気が厳しい。ただ、キツネとオオカミは本気で仲が悪いのだからそれもやむを得ない部分がある。だが困難な目的の為に一時的な休戦を取る事と犬猿の仲であることは矛盾しない。
敵の敵はやっぱり敵だが、時には味方よりも信頼に足る敵だって居る。そしてこの場面に限って言えば、キツネの隠密は全ての種族の中で最高の味方になり得る可能性を持っている。
「単刀直入に申し上げます。オクルカ様のご子息は獅子の国軍施設の中にて存命にございます。相当酷い目にあった様子ですが、まだ亡くなってはおりません」
思わず『え?』と言葉を漏らしたオクルカ。
霜月は一瞬だけ間をおいてから続きを語った。
「シーアン南部。補助軍と呼んでおります獅子ならぬ種族向け施設の中に監禁されております。ライオンの行政官が返還を求めておりましたが、どうやらそれを拒否しているようでございます」
暗がりの中に居る霜月は音もなくスッと地上に降り、全く風を起こさずに動いてオクルカの左脇側に傅いた。その見事なまでの体裁きはリリスを護るネコの細作に勝るとも劣らないもので、キツネの国の驚くべき現実を見せつけた。
「獅子の国では捕虜を奴隷とするのですが、ご子息は奴隷の立場を拒否し意地を張ったようです。ですが、どうしても他種族の王子を奴隷として連れて歩きたかったのでございましょう」
オクルカの纏う空気が一気に厳しくなった。タリカは奴隷の立場を拒否し、意地を張って殺せと頑張ったのかもしれない。或いはララの件があり、何事かの取引材料にされる事を拒否しているのかもしれない。
獅子の国内部の実情がいまいち見えないだけに、全てが憶測と推測でしかない。だが、一つだけはっきりしているのは、まだタリカが生きているという事だ。そしてそれは、オクルカを突き動かす行動原理としては至って純粋な動機になり得た。
「一つ聞きたい。そなたらは我々にそれを教えて何の利がある?」
これ自体が取引材料にされかねない。オクルカはそれを危惧し、場合によってはこの先で飲めぬ煮え湯を飲まされかねないのだ。それこそ、無理な譲歩の材料にされかねない事を問題視するのは、一族を預かる王の癖みたいなものだろう。
「……他意はございません。我らキツネとオオカミの間に蟠る積年の懸案は一朝一夕に解決できる物に非ず。ならば砂粒を一粒ずつ摘まみ上げ、信用と言う堰を作り信頼と言う水を貯めるのみにございます。そして――」
もったいぶる様に一息開けた霜月は、一つ息を吐いてから言った。
「――帝の詔にございますれば、我らキツネはそれに従うのみにて」
このキツネは遠回しに『不本意だ』と言ったのに等しい。少なくともオクルカはそう理解した。だが、不本意であろうと不承不承であろうと、帝の命は絶対なのだろう。ないより、諍いを続ける事の徒労感・不毛感はオオカミにもあるのだ。
「…………………………」
何かを言おうとして、それでも言葉にならなかったオクルカ。
だが、その胸中ではひとつの結論が浮かび上がっていた。
「承知した。情報の提供に感謝する」
オクルカは疑る言葉の代わりに感謝を述べた。イヌと同じく信義に重きを置くのがオオカミの美徳であり、なにより大切なのは赤心を貫くことだ。キツネは騙し合いを好むが陥れ破滅させるまでの事はしない。
どこかに正々堂々だとか清廉潔白である部分を持っていて、時には己よりも相手の利を大切にする時がある。そしてここでは、タリカの行方についてオオカミを誑かす理由が思い浮かばないのだ。
「……オクルカ様の信義に心より謝意を。また接触致します故、どうぞよしなに」
霜月はそんな言葉を残し、まるで煙のように闇へと解けて消えた。それがどんな術だったのかはオクルカには全く理解出来ない事だった。だが、少なくともそれをしなければならない理由があったのだ。
暗闇の中にヌッと姿を現した黒尽くめな衣装の男は、何も言わずにオクルカへと近づいた。まだ多少は距離の有る状態だが、オクルカにはすぐにそれが誰だか解った。実際に顔を合わせるのは久しぶりだった。
「行方は掴めましたか?」
幾人かの検非違使を連れたトウリがそこに立っていた。全身から殺気を放っている状態のトウリは、むき身のままの大剣を背中に背負っていた。父カウリから受け継いだその剣には若干の血錆びが浮いている。
――――相当斬ったな……
幾度も修羅場を潜っているオクルカならば、その実情が透けて見えるのだった。
「たった今、キツネから接触があった」
「……キツネから?」
オクルカの言葉に怪訝な声音でそう返したトウリ。それが誤情報であることを明確に警戒している様子だが、オクルカはすぐさま詳細を切りだした。情報は共有し沢山の頭脳で解析する事により細かな矛盾を露にするものだからだ。
「タリカは獅子の軍拠点に囚われているらしい。場所が判明しているので我々はこれから圧力を掛け、場合によっては強引に押し入る事にする」
オクルカの言葉にトウリはやや驚いた表情ながらも、首肯を返して見せた。そして、僅かに思案した後で『検非違使も一緒に突入する』と付け加えた。
共にオオカミの軍団として戦った仲だが、トウリは二重スパイだった事もあっていまいち信用されて無い部分がある。だからこそ危険を共有する事を選んだと言う面もあるのだが……
「わかった。検非違使が一緒だと心強いな」
オクルカは素直に喜び、同時にシーアンの内部へ飛び出していった部下を呼び寄せよと指示を出した。こう言うことは早い方が良いのだから今夜やる腹積もりだ。
そして同時に、トウリの娘であるララを探すためには圧力を掛けることが肝要だと気が付き、更に騒ぎを大きくする手立てを思い付いた。人倫に悖る行為だが、敵地ならば容赦は無い。
「別当…… いや、ここはトウリ君と呼んでおこうか」
オクルカはニヤリと笑ってからチョイチョイと手招きしてトウリを呼び寄せた。そしてその耳元で、ゴニョゴニョと何かを囁いた。それを聞いたトウリが一際悪い笑みを浮かべたのだから、決して良い話では無いだろう。
だが、それでもなお笑いながら『面白いですね。それで行きましょう』と返答するのだから、間違い無く効果がある作戦なのだろう。
「こういう事は徹底した方が良い。底なしの悪意は時に世の薬にもなるからな」
オクルカがニンマリと笑い、トウリはその場でサッと身体の向きを変え暗闇へと歩いて行って消えた。その後ろ姿を見送ったオクルカはトウリが確実な成長を遂げている事に気が付き、同時にそれがカウリ卿の心配事だったことを思いだした。
――――カウリ卿
――――あなたの子息も成長してますぞ……
心の何処かがほんのりと暖かくなったような気がしたオクルカ。
だが、その直後にナギがやって来て耳元で報告を上げた。
「オクラーシェ タリカは南側にある駐屯地の営倉らしい。そこに食糧を売っている地元の商人が教えてくれた。相当手酷くやられているがまだ生きていると。何でも『奴隷にでもするつもりだったんだろ?』
オクルカは殊更に不機嫌そうな様子になってそう応えた。
それを聞いたナギは間違い無く今夜大変な事が起きると確信するのだった。