表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
青年期~第5次祖国防衛戦争
55/665

家族の集合。そして、運命の再会

 暖かな日差しが降り注ぐ三月終わりのガルディブルク。

 街の中心にそびえる巨石、インカルウシの上には、帝王の居城がある。

 特に名を付けられた訳でも無く、一般的にチャシと言えばこの城の事を指す。


 だが、対外的にはガルティブルク城で通っていて、諸外国ではそう呼ばれている。

 そして、この街の市民にすれば自慢の一つで、観光客が足を止める名所の一つだ。


 統一王ノーリの築いたこの城は、ル・ガルの行政を受け持つ帝国議事堂や、各種官僚の詰める行政機関施設などが集まる巨大な政府施設だ。


 だがそれと同時に、ノーリ以後、歴代帝王が生活の場とする居城でもある。

 従って、国家施設などの屋上には広大な庭園が広がっていて、その中にル・ガル王一族のプライベートエリアが置かれて居るのだった。


 空中庭園には春を彩る花々が咲き乱れていた。

 雪こそ降らぬもののそれなりに寒いガルディブルクでは、冬枯れの寒々しい景色が、一気に春色へ変わる季節だった。


 カリオン十八歳の春。

 ここガルディブルク城にカリオンの家族が集まり、春の風に吹かれていた。


「ママ。この花は?」

「これはペチュニア」

「これは?」

「これはインパチェンス」

「こっちは?」

「これはアレナリア」


 花壇に咲き誇る花々を眺める幼女が一人、手を引かれて空中庭園を歩いていた。


「凄く綺麗!」


 庭師が丹精込めて作り上げた庭園を愛でる幼女。

 その頭に耳はなく、スカートから見えるはずの尻尾もなかった。

 その姿はヒトそのもの。

 ただ、その手を引いているのはエイラで、紛れもなくイヌの女性だ。

 そして、その後ろにはカリオンが立っていた。


「お兄ちゃん 結婚するの?」

「まだしないよ、でも結婚の約束をするんだ」

「すごーい!」

「なにが?」

「うーん わかんない!」


 年の頃なら四歳か五歳程度だろうか。

 誰が見ても見間違えないレベルでヒトとわかる女の子。

 だが、その子はカリオンを『お兄ちゃん』と呼んだ。

 そんな姿を見ながらエイラが笑っていた。

 そして、ゼルも。


「よぉ! 兄貴! 案外早かったな」

「あぁ、例の長距離光通信で内容を聞いていたからな、ちょっと無理してやってきた」

「そうか。まぁなんだ。ちょっとこっちに来てくれ。見て欲しいモノがある」


 花を見ていた女の子の頭を撫でたゼルは

 『 い い 子 に し て る ん だ ぞ ? 』

 と言葉を残してカウリと共に城の中へ消えていった。

 相変わらず女の子は花を眺めている。

 エイラに手を引かれ、楽しそうに笑いながら。


 ややあって今度は男の子の声が空中庭園へ聞こえてきた。

 随分興奮した声で驚いていた。


「凄い!」

「凄いでしょ?」

「家があんなにちっちゃく見える!」


 興奮した声で空中庭園へ走り出した男の子。

 だが、後ろから声を掛けられて立ち止まった。


「こら! 走ったら危ないでしょ!」


 男の子を叱りつけたのはリリスだった。

 強い口調で男の子を叱りつけている。


「ここから落ちたら死んじゃうのよ?」

「ごめんなさい姉さま」

「いきなり走っちゃダメっていつも言ってるてしょ!」


 再びリリスの手を握った男の子は、空中庭園の中へ進み出た。

 黒い髪に黒い瞳。だがその姿はマダラの様だった。

 そしてこの子にも耳と尻尾は無かった。

 つまり、正真正銘のヒトらしかった。


「あ! カリオン兄様!」

「おぉ! 来たか!」


 リリスの手を握っていた男の子はワーッと走っていってカリオンに飛びついた。

 まるで年の離れた弟と遊ぶようなカリオン。その向こうでリリスが見ている。

 女の子の手を握っていたエイラが目を細めてリリスを見た。


 シウニノンチュで別れてから早くも十年。

 あの時は、何一つ女の子らしい振る舞いが出来なかった子だ。

 だが今は綺麗にドレスアップして、花も恥じらうような乙女になっている。

 驚くほど綺麗になって、そして、息子カリオンと視線を交わして微笑んでいる。


「ご無沙汰しております。エイラ伯母様」

「本当にご無沙汰ね。すっかりお嬢さんになって」

「おかげさまで…… 女になりました」

「そう」


 エイラはリリスを抱きしめた。

 懐かしい匂いを感じて、そして抱きしめたリリスの背をポンと叩いた。


「あなたも大変な人生になりそうね」

「でも、私が望んだ事です。それに、生まれる家は選べませんから」

「そうね」


 しばらくして、階段を登ってきた足音が聞こえた。

 リリスが一緒に連れてきた男の子はスタスタと走っていって出迎えた。


「母さま! 皆様お待ちです!」

「はいはい」


 階段を登ってきたのはカウリの第二婦人レイラだった。

 リリスの母であり、曰く付きの出自という特殊な人間だ。

 だが、カウリはある意味で正妻ユーラよりもこのレイラを溺愛している。

 そして正妻ユーラもそれを認めているらしいのだが。


「初めまして」

「こちらこそ初めまして。やっと会えたわ」

「私も会ってみたかったですわ」


 思わずリリスとレイラを見比べたエイラ。

 ゼルとワタラが瓜二つと言うほど似ていたように、リリスとレイラも瓜二つだ。

 まぁ、レイラは加齢の影響でそれなりに陰りは見えるのだけども、その立ち姿といい美貌といい、エイラは思わず嫉妬するレベルだった。


「リリスが美人になってるから、お母さんも絶対美人だと思ってたけど」

「親子って似るモノですが、美人は褒めすぎです。それに」


 レイラはエイラとカリオンを見比べた。

 優しさに溢れる眼差しにカリオンが微笑む。


「エイラさんの目はカリオンと一緒ね。良い目をしてらっしゃるわ」


 社交辞令のようで、すでに百年の友人のような会話。

 エイラとレイラの二人は静かに言葉を交わしていた。


 だが、その向こうでは。


「ぼくイワオ! なんて言うの?」


 リリスの連れて来た男の子はエイラの連れて来た女の子とおしゃべりを始めた。

 楽しそうに話す二人を、カリオンとリリスは笑みながら黙って見守っている。

 だが、エイラだけは非常に怪訝な顔になった。


「あの子はイワオって言うの?」

「そうよ」

「何でイワオなの?」

「何ででしょうね? なんとなく……かな」

「え? じゃぁ、名付けたのは?」

「私ですよ?」


 レイラはにこりと笑った。


「私がこんな姿ですから、あの子の親が間違えたのでしょうね」


 不思議そうにしているエイラの表情を見て、レイラは困ったように笑った。


「五年ほど前になりますが、主人と娘と郊外へ出かけた際、ネコのヒト商人の馬車が街道から脱輪してまして、で、籠が壊れてヒトが逃げ出してるところに遭遇しましてね」


 非常に怪訝な顔になったレイラは、にらみ付ける様にイワオを見ていた。


「逃げたヒトを追いかけていた猫を主人が一刀で斬ってしまい、その場で絶命したんですが、その檻の中で母親にしがみついて泣いていたのがあの子でした。母親は生きているのが不思議なほどの痩せ具合で、主人が保護しようとしたのですけど、そこで絶命したんです。で、私がその母親から託されまして、シュサ王の勅旨にあるとおり、責任持って養育を行う事になりました。ですが、ヒトの子もイヌの子も、どっちも可愛いものですわ」


 レイラの浮かべていた厳しい表情がふっと緩んだ。

 遠くを見て思い出すようにして、そして再びしゃべりだす。


「何故かは分かりませんが、あの子の名はイワオにしようと思ったんです。なんか語感が良いなと思ったんでしょうね。イワオ。良いと思いませんか?」


 今度はエイラが何かを思い出そうとしている。

 手を頭に沿え、しばらく黙って考えている。


「どうかされましたか?」

「いえ。イワオって名前をどっかで聞いたことがあるなと思うの。だけど、どこで聞いたのか思い出せないのよ。どこだっけなぁ……」


 必死になって考えているエイラをレイラが黙ってみていた。

 その向こうでリリスはエイラの連れて来た女の子を見ながらカリオンと話をしていた。


「あの子もシウニノンチュで一人ぼっちなの?」

「いや、今のシウニノンチュにはヒトの子が何人も居るよ」

「え?なんで?」

「俺が元服した前の年にさ、北方からトラの国を目指していたヒト商人がシウニノンチュを通過してさ。で、親父が馬車を臨検したんだよ。そしたら、シュサじぃが禁じていた十五歳未満の子が乗っていて、親父がその商人を徹底的に痛めつけて吐かせたんだ。どういうことだ?って」


 リリスは黙って聞いていたのだが、痛めつけ吐かせるという単語に顔をしかめた。

 だが、カリオンは女の子の頭をなでながら話を続けた。


「ウサギの国を出たときには母親が居たらしいんだけど、途中で死んだって言うんだ。で、親父はそう言うことならウサギの国を出たときの出国手続き書を見せろって言ったわけさ。ル・ガルを通る以上はウサギの側も事情を飲み込んでるはずなんで、無いわけが無いだろ?ってね。だけど、その書類には母親の名は無かったし、そもそもウサギの国を出る時点で八人の筈が、馬車には二十人近く乗ってた。座れないくらいね」


 腕を組んだカリオンの表情に怪訝な色が混じる。

 だが、怒りをかみ殺してる姿にリリスはどこか安堵を覚えた。

 カリオンの中に王の才覚を見たのだった。


「親父はそこでマジ切れしてさ。ル・ガルの法により馬車の中で横になって寝られぬ分は通行を許可しないって始めたんだよ。で、そんなの知るか!ってネコが逃げようとしたんでとっ捕まえてね」

「で、どうなったの?」

「え? あ、いや。離してやったよ。親父が来てさ、このネコの商人をシウニノンチュの境まで連れて行って置いて来いって言うから『ウン、分かった』って答えて、で」

「で?」

「霧の谷まで行って離してやった。まぁ、たぶん無事に帰ったと思うよ。川まで行けば、後は川沿いに歩けば出られるって話をしておいたから、多分その通りにしたと思う」


 ニヤリと笑ったカリオンの笑みが恐ろしいほどに凶悪だった。

 その姿にリリスは背筋が薄ら寒くなる。

 遠い日、完全に迷子になって泣きながら歩いた霧の谷だ。

 川へ行くというのは崖から落ちるのと同義。つまり、死は免れない。

 運良く川へ落ちたとしても、そのまま行けばあの谷の先の滝へ落ちる筈。

 つまり……


「今まで見たことが無いくらい親父がぶち切れてて、おふくろも手を付けられなくて、でもってオスカーとヨハンがヒトの世話をしたんだけど、その子たちが今もシウニノンチュに居てさ。みんな情緒不安定だったんだ。親父は見かねてチャシへ連れ帰って『風呂に入れてやってくれ』っておふくろに渡して、で、そのままみんなおふくろに懐いちゃったってなオチだよ。すっかりおふくろの遊び道具だな」


 カリオンの手がリリスの頬に触れた。

 愛しむように柔らかく触れた手へリリスが手を重ねた。


「あの遠い日にシウニノンチュへ来たリリスと同じだよ。おふくろも毎日楽しそうで」


 リリスはどこか嬉しそうにエイラを見た。

 彼女にしてみれば、エイラはもう一人の母親に等しいから。

 人見知りで臆病で人前に出たがらないリリスを外へ出してくれたのはエイラだ。

 街のカフェに出かけて行って、二人でお菓子を食べた日を思い出す。


「でさ……」


 先に切り出したのはリリスだった。


「あの子もやっぱり」

「あぁ。表立って言えないけどな」

「じゃぁ、イワオと一緒」

「やっぱりそうなのか」

「うん」

「だけど、あの二人はヒトの姿だな」

「私やエディはイヌの姿なのにね」


 全てを共有する二人だからこそ話せる本音。

 イワオたちのその姿はヒトそのモノだった。

 ピンと立つ耳は無く、立派な犬歯すらも無い。

 もちろん尻尾も無い。

 そんな姿のふたりをリリスとカリオンは見ていた。


「……兄さま」

「どうした?」


 女の子は急に困ったような声を出した。

 カリオンは優しく声をかけた。


「……オシッコ」

「よし」


 その手を引いて歩き出そうとしたカリオンだが、そこへレイラがやってきた。


「私が連れて行くわ。ちょうど私も行こうとしていたから」

「すいません。よろしくお願いします」


 その手をレイラへ渡したカリオン。

 レイラは優しく声をかけた。


「おばちゃんと行こうね」

「うん」


 レイラが女の子の手を引いて空中庭園片隅のトイレへと歩み去った後、リリスはエイラと話し込んでいた。


「イワオってどこで聞いたのかしら」

「他にいらっしゃるのですか?」

「うん、そうなの。いつだったか、どっかで聞いた気がするのよ」

「似たような名前だったとか?」

「いや、イワオだわ。間違いない。誰だったかなぁ……」


 怪訝な顔でイワオをジッと見ているエイラ。

 その表情が怖いのか、イワオはリリスの背に隠れた。


「あー ごめんね。ごめん! 怖かったね」


 リリスの背に隠れていたイワオがひょっこりと顔を出した。

 恐怖に震えるような表情で、リリスのドレスをギュッと掴んでいた。


 そんな時、遠くから聞きなれた声が聞こえてきた。

 エイラとリリスが振り返った先には、カウリとゼルが立っていた。


 ―――で、結局のところはノダも相当参ってる」

「しかし酷い話だな。俺なら剣一本担いで斬り込むな。遠慮なく」

「そう手荒な事も出来んさ。大公家のメンツもある」

「まぁ…… それは仕方ないが」


 二人で話し込みながらやってきたところでエイラとリリスが微笑みかける。


「良い娘になったなぁ カリオンには勿体無いな」

「それを言うなら逆だろ。太陽王の直系子孫だぞ? ウチの娘が……」


 ゆっくりと歩み寄るゼルへ向かってリリスが頭を下げた。


「ご無沙汰しています。伯父上様」


 複雑な笑みを浮かべたゼル(五輪男)がジッとリリスを見た。


「人の成長というのは見ていると本当に楽しいものだな」

「全くだ。カリオンを見ながら、ワシも同じ事を思ったよ」


 腕を組んで眺めていたゼル。

 エイラは先ほどの疑問をゼルへとぶつけた。


「ねぇゼル。昔さ、どっかでイワオって男に会わなかったっけ?」


 困ったような表情のエイラは話を続ける。


「あの子、ほら、リリスの影の」

「あぁ、ワシの家で預かりだ。シュサ帝の勅旨でそうなってるからな」


 カウリは手招きをしながら呼びつけた。


「イワオ! ちょっとこっちへおいで」

「はい、てて様」


 上等な身なりの幼い男の子がテテテと走ってきてカウリの前に立った。

 利発そうな表情を浮かべた男の子を眺めたゼルは『へぇ』と短く呟く。

 そしてゼル(五輪男)はその男の子の頭をなでた。


「君はイワオというのか?」

「はい!」


 元気良く答えたイワオはちょっと緊張しつつも元気に答えた。

 そのイワオの前で片膝を付いたゼルは、腰に巻いていた飾り帯を解き、イワオの頭に巻きつけた。耳の無いのが誤魔化され、遠目にはイヌに見える姿だ。


「そうか。イワオというのか」

「どっかで聞いたことのある名前じゃない?」


 エイラはまだ気が付かなかった。

 もちろん。リリスもカリオンも、カウリですらも。


「俺だよ。イワオは俺」


 その言葉にエイラたちが首をかしげた。


「俺の……ヒトの世界での名は、ワタラセイワオ。ワタラセが姓でイワオが名だ。真名を呼ぶわけにはいかないってワタラの名にしたのはエイラじゃないか」


 あー! と思い出したエイラ。

 そしてリリスとカリオンは驚いている。


「あの……」


 イワオがゼルを見上げた。

 その頭に手を置いたゼルはイワオをジッと見ていた。


「あ! てて様!」


 空中庭園の片隅で黄色い声がした。そっちを振り返ったゼル。

 そこには走ってくる女の子とリリスそっくりなレイラがいた。


 建物の屋上だと言うのに一面の草原になっている空中庭園だ。

 ゼルに向かって走って来て、そして立ち止まってレイラを振り返った。


「コトリ!」


 名を呼んだゼルに向かって女の子は振り返る。

 だが、同時にレイラもゼルを見た。

 そして同時に声を出した。


「「なに?」」


 そんなシンクロに皆が大爆笑した。イワオですら笑い出した。

 ただ一人。ゼルだけを残し皆で大笑いだった。


「……ことり」


 すっかり遠くなってしまった日々の片隅に置き忘れてきた、セピア色の幸せな瞬間がいま目の前で再現された。

 眼を細め意識をどこか遠くにある筈の、掴めなかった夢の日々へと思いを馳せた五輪男。


「琴莉……」


 だが、表現できないモヤモヤとした感情が一瞬にしてフォルムを帯びた。何かに弾かれるようにしてリリスを見たゼル。

 零れ落ちそうなほどに見開かれた眼で睨み付けられ、一瞬リリスは息を呑んだ。そして次に五輪男はレイラを見た。

 驚くほどに瓜二つの姿。だが、加齢を加味してみればレイラは歳相応な女の顔だった。

 ただ、その娘――リリス――が幼い頃に見せた可愛い仕草を思い出し、ゼル(五輪男)は凍りついた。


 ――――まさか…… いや、嘘だろ


「どうしたのゼル?」

「私は母の生き写しだって良く言われるんですが」

「実はね、ゼルとワタラは……イワオもそっくりでね」


 リリスとエイラの会話にカウリが割り込んだ。


「ワタラか。懐かしい名を聞いたな。そうだワタラセだ。だがなんだな。ワタラとゼルはワシも見間違えるくらいそっくりだった。言われてみればリリスとレイラくらい似て居るな」


 カウリの大きな声が空中庭園へ響き渡り、その声がレイラの耳にも入ったらしい。

 不意に、レイラの顔から表情が消えた。


「わ……たら…… わた……ら…… ワタラ…… わたら…… わたら……せ……」


 茫然自失でゼルを見ていたレイラの目から焦点が消えた。

 皆が笑う中、ゼルとレイラはまっすぐに視線を絡ませていた。

 突然両手で頭を押さえ、首を降り始める。何かに慄く様にして。


「知ってる。私は知ってる。え? 何だっけ? なんだっけ!」


 そんなレイラを見ていたカウリが突然『いかん!』と叫んで走り出した。

 レイラをギュッと抱きしめ、背中を叩いた。


「レイラ。ゆっくり息をしろ。大丈夫だ! 大丈夫だ! ここなら大丈夫だ!」

「……カウリ」


 カウリの顔をジッと見たレイラは再びゼルを見た。


「レイラは記憶が失われていてな。相当辛い目にあったようで、医者の見立てでは別の人格を作ってそっちへ緊急逃避してる間に、本体人格が精神の奥底へ隠れてしまったという話だ」


 カウリに抱きしめられガタガタと震えているレイラ。

 リリスは涙目になって母レイラを見ていた。


「お母さまの発作なんて何年ぶりかしら」


 その言葉を聞いたゼル。


 ――――フィエンの街の町長は言伝の女をエルマーと言った筈だ……

 ――――だが…… 首をかしげて…… そういえは名前を言い間違えたな

 ――――カリオンは何を言おうとしたんだっけか……


 あやふやな記憶を辿りながら、ゼルはある一つの仮説を思いついた。

 町長が勘違いしたか、或いは酔っていて間違えた可能性。


 ――――確かめるか……


 意を決したゼルは周りの目を気にする事無く頭の飾り帽を取った。

 耳の無い頭が白日の下に晒され、そして、長い髪を掻き揚げるとヒトの耳の跡が頭の左右へ現れた。その長い髪を後ろで束ね、上着を脱いで上半身裸になったゼル。


 鍛え上げられた男の身体が姿を現した。

 その胸元には、妻、琴莉をレリーフにしたペンダントがあった。


「これを見た覚えが無いか?」


 ペンダントを持ち上げ優しくキスをした五輪男は、レイラに見せるよに持ち上げた。

 クルクルと回るそのトップには琴莉の笑顔があった。

 蒼白になったレイラはカウリに抱きかかえられ、そのペンダントトップをジッと見つめている。

 空中へ手を伸ばし、掴むような仕草をして、そして、小声で呟いた。


「……い ……いわ ……く ん……」


 エイラの眼がこれ以上無いくらいに見開かれ、その瞳孔までもが大きく広がった。

 全ての表情が無くなり、唇だけが何かを呟いてパタパタと揺れている。


「……こっ 琴莉!」


 精一杯大きな声で叫んだゼル(五輪男)。その声を聞いたレイラがビクリと反応した。

 零れ落ちそうなほどに目を見開き、まっすぐにゼルを。五輪男を見ていた。


「琴莉! 俺だ! 五輪男だ!」


 エイラの顔が真っ青になった。

 カウリの顔といわず頭といわず、全ての体毛が逆立っていた。

 リリスとカリオンは呆然とその様子を見ていた。


「ごめんな琴莉! ごめんな! ごめんな!」


 フラフラと歩き出した五輪男。

 その姿をジッと見ていたレイラはボソリと呟いた。


「……いわくん」


 長い長い日々がフラッシュバックした五輪男。

 視界が真っ白に染まったような気がして、おもっきり首を振った。

 再び目を開けたときには、自分へ向かって歩いてくる女がいた。


「琴莉!!!!」

「いわくん!」


 ヨロヨロと歩いてきたレイラは五輪男の数歩前で立ち止まった。

 再び両手で頭を押さえ込み、両膝をガクリと付いて、そして―――


「キャァァァァァァァァッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 あらん限りの声を張り上げて悲鳴を上げ、そのまま前へと倒れた。

 あわてて走りよってレイラを抱き上げた五輪男。

 その腕の中に愛する妻。最愛の存在である琴莉が居た。


「琴莉…… やっと手が届いたよ あの時届かなかった手が…… 届いたよ……」


 抱きしめて泣き出した五輪男。

 声を上げて泣き出して。そして優しい声で五輪男は言った。


「頼むから目を開けてくれ。愛してるよ。愛してるから、だから目を開けてくれ」


 五輪男の腕の中の琴莉は、眠れる森の美女になっていた。

 青年期~第5次祖国防衛戦争 ―了―


 17,19,21日はお休みとなります。

 23日より『幕間劇~孤独な戦い』をお送りします。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ