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シーアン争乱

~承前




 シーアンの街に半鐘の音が響き渡る深夜3時。

 リリスは自室の中でリサを後ろから抱きしめて毛布を被っていた。


 ――――凄い火……


 リリスはどこかボンヤリとしながら、街を照らす赤い炎を見ていた。

 街の暗がりを明々と照らす炎は凄まじい勢いで、バケツリレー程度の措置では鎮火もままならぬ事が容易に予想できる状態だ。


 だからこそ放火は殺人に次ぐ重罪であり、一般的に犯罪としてそれを行った場合の処罰は苛烈なものとなるのだが……


「大丈夫。ここは燃えないよ」


 ふと我に返ったリリスは、リサがカタカタと小刻みに震えているのに気付いた。

 そして、優しい声音を選び、静かにそう語りかける。


 それが叶わなかった夢の発露かどうかは解らない。

 だが、母親の立場を疑似体験するこんなひと時を、リリスは嫌いではなかった。


「……うん」


 銅銹館にやってきて早一か月。

 気が付けばリサはまるで娘のようにリリスに馴染んでいた。

 そもそも、リサは母親の愛情を知らずに育ったのだろう。


 生まれて程なくして母親と死別したのだから無理もない。

 それがリサについて回る苛烈な運命な事を知るのはリリスだけだ。

 それを理解できる年齢になる頃には次のリサが生れ落ちて死ぬことになる。


 リリスの母であるレイラとカリオンの父であるゼルの間に生まれたリサ。

 この子の持つ壮絶な宿命は、生物の軛を越えてしまった罪かも知れない。


 ――――酷い話……


 リリスは心底そう思う。そして、そんな事になるとは思いもしなかったであろう己の母は、きっとどこかで後悔と申し訳なさで一杯なのかもしれないと思った。種族の壁を越えて子を為す事は神の摂理に反するのだ。


 認めたくはないが、それでもそこには『神罰』と言う単語が付いて回るのだ。自分自身が生物の範疇から外れた存在になってしまったし、そもそもが呪われた生きものであった事もリリスの心に暗い影を落としている。だからこそ……


「ありがとう……ママ」


 齢12程度のリサが素直にそう言うと、リリスは胸が一杯になってしまった。

 母親ではないが母親のポジションに自分が居る事への後ろめたさと嬉しさ。

 そんな思いが錯綜しているのだ。


「……うん」


 ギュッと力を入れて抱きしめ、リリスは優しくリサをポンポンと叩き続けた。

 そんな仕草が親子の情を育むのかも知れないし、或いはもっと深い部分で魂を結ぶのかも知れない……


 ――――ん?


 母親ごっこをしていたリリスの魔力探査が何かを捉えた。

 アクティブでは無くパッシブな探査は無意識に行ってるものだ。

 ただその感触は既知のもので、まもなく来るなと思った時には窓が開いていた。


「ただいま戻りやした……よ」


 暗がりの中でリサを抱き締めていたリリス。

 その姿を見たリベラは瞬時にここで何をして居たのかを理解した。


「お疲れさまです。なにか問題がありましたか?」


 リリスはあくまで下からの物言いでリベラに接した。

 抱き締めているリサが不安そうな顔で見ているのがリベラにも見えた。


 ――――警戒されているな


 リサの内心こそ見えないが、少なくとも自分自身が警戒の対象にされていることは解った。ただまぁ、それもやむを得ないのだろう……


「いや、これと言って問題はねぇんですがね。ちょっと面倒な事態になりそうで」


 ニヤリと笑ったリベラは静かに部屋に入って窓を閉めた。廊下の側に人の気配を感じたからだ。少なくとも細作である事は隠さなければならないし、相当な腕利きである事などばれた日には面倒な事になりかねない。


 スッと自然な仕草で廊下側へ目をやったリベラだが、リリスもまた気配を感じながら『静かにしてるのよ?』とリサに言い聞かす。リサは幼い仕草でコクリと頷きつつ、グルリとリリスの腕の中で回って抱きついた。


「リベラさんやい。起きてるかい?」

「へぇ。どうぞ」


 部屋にやって来たのはドーラで、長男であるカルロを連れていた。

 驚くことにカルロは長剣を抜き身で持っていて、眼光鋭い状態だった。


「おやおや。リサはすっかりリースに懐いてるね。まぁ、リースも満更じゃ無いんだろ? 良い事だ。それよりリベラさんや。ちょっと相談したいことがあってね。下に来ちゃくれないかい?」


 穏やかな表情でドーラはそう言うが、少なくともその身に纏う空気は喧嘩支度その物だった。ケダマに産まれた女だからか、ドーラはどうしたって厳つい空気が付いて回る。


 ただ、それとは別に彼女が持つ空気の鋭さには、言葉では説明出来ない百戦錬磨感があるのだ。それこそ、戦帰りな男のような近寄りがたい威圧感。しかもそれは並の男より余程鋭く強いときた。


「リースさんはここでリサと待っていなせぇ」


 スッと表情を変えて部屋の出口に向かったリベラ。

 リリスは小さく『お気を付けて』と返答し、言葉では無く気配を追った。


「また……戦かな……」


 不安そうな言葉を漏らしたリサは、泣きそうな顔でリリスを見上げていた。その表情を見ていたリリスはたまらない愛しさを感じ、ギュッと抱き締めてから小さな声で言った。


「大丈夫。大丈夫。大丈夫だから」


 ニコリと笑って見せたリリス。

 ただ、その後の言葉は、胸の内から出す事がどうしても出来なかった。


 ――――ママが一緒だからね……






「で、どうだったんだい?」


 いきなり本題から斬り込んできたドーラ。

 リベラは一瞬だけ怪訝な顔をしたが、全部お見通しであると了見した。


「めぇりやしたね。お見通したぁ恐れ入った」


 クククと笑いを噛み殺し、リベラはドーラの部屋にあるソファーで寛いだ。大柄な種族の男がずっぽりとはまるサイズの巨大なソファーだ。リベラもそれなりの体躯だが、それでもソファーに包まれるほど。


 ややもすれば何か合った場合に俊敏な動きを封じられてしまうだろう。ソファーの上では身体を起こすにしたって力が逃げてしまうのだ。ドーラはそれを見越してリベラにソファーのポジションを勧めたのだ。


 ――――こちらの旦那も百戦錬磨な様で……


 一つ気を入れ直してドーラを真っ直ぐに見たリベラ。僅かに笑みを浮かべて居るようにも見える表情は、ネコ族特有の顔立ちだけでは無いとドーラは直感した。気合と根性と心意気の激突が始まった。


「いやいや。そいつは買い被り過ぎってもんだよ。ただアタシはね、何となく窓が開いたように感じたから聞いたのさ」


 それが牽制である事は論を待たない。逆に言えば、この自室に居て窓が開いたことをドーラは察知したと言う事だし、場合によっては何らかの魔法的な監視を行っている可能性もある。


 手の内がばれないように、慎重な対処が必要だ。そう確信したリベラだが、ウソばかりを並べるのは得策じゃ無い……


「……とりあえずは火事の現場を見てめぇりやしたが――」


 遠回しな表現で最初の一手を打ったリベラ。ここからが勝負だと解っているだけに、様々なパターンを思案し、文言を脳内で組み立てた。


「――なにやらよくわからねぇ連中が真鍮亭を焼き払っておりやした」


 検非違使をドーラが知っているかどうか。そこが一つのポイントだった。少なくともル・ガル以外の地域で検非違使が大っぴらに活動したなどと言う事は聞いたことが無い。


 ル・ガル内部で見聞してきた者なら知っている可能性もあるが、少なくともこんな獅子の国の奥深くにまで進入したのは稀であろうし、無い可能性の方が高い。


「そりゃぁ……獅子じゃ無いんだね?」


 ドーラは何とも奥歯に物の挟まった言い方で確かめに来た。何に引っかかっているのだろうか?とリベラも思案するのだが、実態が見えないのだ。


「へぇ。そりゃ間違い無く獅子の衆じゃぁございやせん。遠目には……うーん……小柄な種族に見えやしたね。例えるなら……まぁそれこそ……ヒトぐれぇの大きさにございやした」


 ヒトぐらいの大きさ。

 一口にそういった所で解釈は色々だろう。


 だが、ドーラはその情報に『うーん……』と唸っていた。

 ヒトの成人であれば、イヌやネコやそれ位の大きさと言う事になる。


「で、真鍮亭はどうなったんだい? あそこの変態共はみんな灰になったかい?」


 真鍮亭の運営側も筋金入りの変態揃いなのは論を待たない。

 類は友を呼ぶと言うが、変態だからこそ変態の要望をくみ取れる部分もある。

 だが、だからといって周囲がそれを許容するかというと……


「いえ、残念ですが大半は逃げ出したようで」


 リベラがそう応えると、目に見えるレベルで盛大な溜息をこぼしたドーラ。

 いっそ死んでくれた方が……と、そう言わんばかりの様子であった。


「実はね、獅子の正規軍じゃない方の連中が自警団を組織するって話でね、アタシの所に挨拶に来たんだよ。昨日」


 挨拶に来たと言うのは、実際にはスポンサーになれと脅しに来たと言う意味だ。

 そして、補助軍側が自警団を組織したと言う事は、獅子の国の統治機構がもはや信用ならないと遠回しに言っている状態だ。


 ――――こりゃぁ……


 リベラは内心でニヤリと笑いつつ、ポーカーフェイスのまま返答した。


「……ってこたぁ 獅子とそれ以外がやり合うって事でござんすね?」


 自警団など作らずとも、獅子の国の正規軍は街の統治も受け持っていた。だが、そんな組織に頼らないと自治を宣言しかねない。そうなった場合、獅子の国は奴隷の叛乱だとして強力な措置を取りかねない。


 だからこそドーラはリベラが何を見たのかを知りたかったのだろう。この辺りで全体像の見えてきたリベラはどうするべきかを思案した。だが、迂闊な事をすれば身バレするし、したがっていれば獅子の正規軍に目を付けられかねない。


「おいおいリベラさんやい。随分とやる気だねぃ」


 ドーラは苦笑いしながらリベラを見ていた。だが、その両眼が全く笑ってないのをリベラは気が付いていた。遠い日に見た、あのエゼキエーレの眼差しその物だからだ。


「いやいや。黒服をやる以上は何か合った時にしっかり対処せにゃぁならんってこってすよ。いざとなりゃぁ……あの娘を連れてあっしは逃げなきゃならねぇ」


 リベラはかつて話したとおり、リースは自分の主のお気に入りだというスタンスで押し通す所存だった。


「まぁいいさ。ウチに居る以上はウチの門番をしっかりやっておくれよ。後はお前さん好きにすれば良い。遅くにすまないね。明日もしっかり頼むよ」


 ドーラは要件を打ち切ってリベラを退室させた。ザッと思い返し手抜かりウッカリは無いと確信したのか、手短に『へぃ』と応えてリベラは部屋を出た。


 そして、暗い廊下を移動し自分の部屋へと戻る。そこにはリリスがリサを寝かしつけて起きていて、僅かに眠そうな様子だった。完全に気配を殺しているリベラだが、リリスは解っていたようだ。


「遅くまでご苦労様です」


 リリスが先手を取ってそう切り出す。

 つまり、報告は明日で良いと言うことだ。


「先に寝なせぇ」


 リベラがそう言うと、リリスはリサを抱きかかえ『じゃぁお先に』と断って寝床に入った。僅かな間を置き、スッと寝息を立て始めたリリス。それを見ていたリベラはカリオンにどう報告するかを考えていた。


 だが、日が上りシーアンの街が日常に戻る頃には、街の中が大騒ぎになりはじめていた。真鍮亭を放火したのは補助軍残党では無いか?と言う訴えが獅子の中から沸き起こり、それに対し補助軍側の指揮命令系統から謝罪要求が出たのだ。


「今日は店を開けないからね。鎧戸を開けるんじゃ無いよ。それと、誰が来ても関わりたくないって言って追い返しな。良いね」


 ドーラは5人の息子にそう命じ、銅銹館が臨時休業であると看板を出した。

 ただそれは、これから起きる事への対処について、いくらでも修正が可能であるようにする為の方便でしか無かった。


 補助軍残党の組織した自警団が行政府の庁舎を取り囲み、正規軍の獅子たちと睨み合いを始めたからだ。こうなったならもう意地の張り合いで有り、折れた方が負けと言う事になる。


「あぁ……やだやだ……」


 そんな事を漏らしたドーラだが、奴隷階級の側が各所で蜂起を始め反獅子連合につくのが目に見えていた。シーアンの街全体が混乱し始めたのだった。




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