検非違使参戦
~承前
それは、唐突に襲ってきた言葉では表現出来ない違和感だった。
「……………………なに?」
ぐっすり眠っていた筈のリリスは勢いよく飛び起きた。
深夜3時を回ったシーアンの街は、恐ろしい程に静まりかえっている。
巡回警邏の鳴らす拍子木だけが響き、返って静けさを際立たせた。
「さすがでやすね、お嬢。どうやら面倒な事態のようでやんす――」
起きあがったリリスが見たものは、窓辺に立って様子を伺うリベラの姿だった。
全身に警戒感を滲ませ、黙って窓の外を睨み付けていた。
……ただ事じゃない
そう確信したリリスだが、リベラは抑えた声で続きを言った。
「――まだわかりやせんが……何者かがガチでやり合ってやす」
闇に消えるような声で告げたリベラ。
その両手に音も無くナックルガードを付け、まるで氷のように佇んでいる。
稀代の細作は接近戦でやり合う事を前提に装備を調えていた。
「……手練れ?」
前後の言葉を全部省略したのだから、一瞬では意味が通じない筈だ。
だが、長年の主従関係が省略された言葉を自動補完し、会話は通じる。
リベラはただ一言『相当な手練れが複数おりやすね』と返答した。
他ならぬリベラが接近戦でガチ戦闘を覚悟したのだから生中な連中では無い。
リリスは部屋着では無く外服に着替えて様子を伺った。
リベラが目の前に居るのだが遠慮は無かった。
そもそも、このリベラはリリスが眠っている時はずっと傍らで起きているのだ。リリスのエリートガードとして、魔導師が最も無防備な時間を受け持つ護り手の約なのだった。
「……そうらしいね。さっきから凄いわ――」
リリスの頭髪が逆立ち始めた。強い魔力の発露が辺りに強い影響力を及ぼしているのだ。そして、そこらの魔導師が束になって掛かっても太刀打ちできないリリス故に、今度は誰かの魔法発動で影響を受けていた。
「――魔導の威力を本当に上手く調節してるし、それに速くて正確なのよね」
リリスレベルの魔導師ともなると、何者かが魔法を使った時点で察知できる。少々距離が有ったところで、威力のある術を使えばすぐに波動が伝わってしまう。
「……嫌な予感がしやす。ちょいと様子を見てめぇりやすんで、どうかこの場にて動かれませんよう」
リベラは窓を開けて音も無く部屋を出て行った。こんな時、ネコという種族は本当に忍者の如き動きをするのだ。足音も気配も全て消し去ったリベラは意思を持たぬ風の様にスーッと暗闇を流れていった。
ただ、その足が自然に向かったのは真鍮亭で、あと一区画行けばと言う所で自ずと足を止めていた。真鍮亭の本館が紅蓮の炎に包まれていて、その周囲には複数の人間が激しく動いて戦闘をしている。
その戦っている相手は真鍮亭の黒服で、恐らくはリベラが一度は手痛い敗北を喫したあの魔導師だろうと思われた。
――――嫌な奴が相手だな……
一切の虚飾を抜きにそう独りごちたリベラ。
ただ、そこでは信じられないシーンが展開されていたのだ。
「やりやすねぇ……」
複数の存在が距離を取り、魔導師を明るいところに引きずり出しては刃物を投げている。その全ての刃物は魔導師へ突き刺さることなく、直前でポトリと落ちているのだ。
だが、そんな刃物と一緒に飛び交っているのは、火の着いた柱と思しき材木や、建物の基礎に使っていたと思われる大きな岩などだ。並の人間では持ち上げることすらままならぬ筈なのに、そこでは遠慮無く飛び交っているのだった。
「コイツはめぇりやしたね……」
暗がりの中で自在な動きを見せる存在を見て取ったリベラは、呆れた様な口調でそう漏らした。全身を黒尽くめの衣装で覆った刺客と思しき者達は。リベラにも見覚えのある存在だったのだ。
――――そこに居るのは誰だ?
唐突にそんな声が聞こえ、その直後に何か巨大なモノが音を立てて飛んできた。素速く身を躱したリベラは足元を確かめてからグッとジャンプし、一気に建物の3階まで飛び上がった。
魔法生物となったリベラの肉体は常識では計れないポテンシャルを発揮する。そもそもが身のこなしに秀でたネコ故の芸当なのだが、それにしたって常識外れも良い所だ。だが、リベラに誰何した存在は、難なくそれを追ってきた。
「貴様。何者だ?」
闇に溶けこむような黒尽くめの装束は、身体にピッタリと触れていてボディラインを露わにしている。それは少年のような小柄でか細い男のようだ。ただ、頭にソレと解る耳がない。
つまり、そこに居るのはヒトで、しかもそんな芸当が出来るヒトをリベラは1種類しか思い浮かべることが出来なかった。
「……なぜシーアンに検非違使が居る? カリオン王の差配か?」
リベラは咄嗟にそんな言葉を吐いてしまった。そしてその直後にそれが悪手だと知った。誰何された時、細作は無意識に己の存在を消し去ろうとするもの。闇に産まれ闇に消えるのが細作なのだから、自分の正体を明かしてしまうのは間抜けだ。
だが、だからといって検非違使の単語を出したのは間違いだった。少なくとも検非違使は王の密偵で懐刀。しかも実働部隊でも有るのだから、出来る限り隠密にしておくのが常道だ。
「検非違使を知る者か…… 生かしておく訳にはいかないな……」
素直な少年の声だ……とリベラは思った。そして同時に、この子は殺しては行けないのだと直感した。あのコトリが産んだ子かも知れないと思ったのだ。何の根拠もないが、僅かな所作に弟子であるコトリの仕草を見たのだ。
「ちょっと待ちなせぇ! オメェさんは『問答無用』
常識外れの素早さで何かが襲い掛かってきた。
電光の速さで巨大な落石の威力がやって来たのだ。
「…………………………ッ!」
声になる前にリベラの身体へ拳がめり込んだ。間違い無くコトリに教えた接近戦闘術の基礎にある当て身術の一つだ。半身にした身体を一気に加速させ、真正面から拳を打ち抜くそれは、回避不可能な一撃を入れられるのだ。
――――ほぉ……
ただ、その一撃を受けて絶命するほどリベラはひ弱では無い。と言うより、魔術で命を繋ぎ止めているだけに、死なないのでは無く死ねないのだ。
「なかなか良い一撃だが…… まだちょっと修行が足らねぇようでやんすね」
強い一撃を受けたリベラは、後方へテイクバックすることで力を受け流しつつ足を振り上げ一撃を加えた。相手の力を利用するカウンターは、相手の一撃が強力なほどの威力を増す。
そして、慮外の一撃を受けた検非違使の少年は、ただならぬ敵の存在に少々狼狽しているようだ。だが、少なくとも実力で力負けするとは思えないのだろう。故に少年は更に踏み込んで一撃を加えようとした。だが……
「坊や。覚えておくと良い。強い力は流される。必用なのは技術だ」
踏み込んで来た少年の一撃をスッとかい潜り、真正面下側から立ち上がる方向で力を加え殴ったリベラ。検非違使の筋力による一撃をバカ正直に受けてしまえば、さしものリベラだって危険だろう。
だが、踏み込んでくる相手の力を上方法へ受け流し、おまけに敵側の踏み込み速度をこちらの一撃として加えられる絶妙の方法だ。少年はリベラを飛び越して吹っ飛び、そのまま壁に激突して大穴を開けた。
「クソッ! 舐めんな!」
壁の穴から飛び出してきた少年はするどい踏み込みで一気に加速した。僅か数歩の距離でやり合う接近戦だが、こうなると手数を稼げないだけに場数と経験が重要になってくる。そして、その意味ではすべての面でリベラが有利だ。
「若さと気合だけで勝てるほど、世の中甘くねぇんだぞ。小僧」
目の前に急接近した少年が左右の腕を同時に突き出した。身体を捻る力をダッシュ力で補えるなら、片腕よりも両腕での攻撃が有利。どんな場面でも戦いは数なのだが、それをする事で死角が増える事を少年は知らなかったらしい。
「ってぇ!」
最初の『い』を言う暇がなかった。いきなりの衝撃と激痛が襲ってきた。対処する前に自らの進路を変えるしかなった。リベラは死角になる角度から左足を振り上げて蹴りを入れた。こうなると速度自体が凶器になるのだが、少年はそこまでの思慮が無かったらしい。
振り抜かれたリベラの左足は少年の右肘を強く叩き、結果的に少年は右腕を左に折り畳まざるを得なかった。その腕が視界を更に遮ってしまい、思わず右側へ飛んだのだ。足場のない空中へと……
「うわっ!」
地上三階の屋根の上なのだから、相当な高度があるのは言うまでもない。そんな空中へと自ら飛んでしまった少年は、空中で姿勢を整える事も出来ずに地上へと激突した。
普通の人間なら当たり所悪ければ即死で、それを免れても重傷を負うはず。だが、その少年は難なく立ち上がると上着を取って諸肌を見せた。暗闇の中に白い肌が光って見えて、リベラは柄にもなく神秘的だとすら思った。
「もう容赦しねぇぞッ!」
少年がそう叫んだ時、リベラは薄く笑って見せた。そう。若さって良いモノだと痛感したのだ。後先考えず我武者羅に戦えるのだ。自分にもそんな頃があったはずなのだが、今はそれが眩しいのだ。
ただ、少年が覚醒体になろうとした時、鋭い声が響いた。それはある意味で懐かしくすらもある女の声だった。
「お待ち! 何やってんの!」
子供を叱りつける母親の声。リベラは警戒態勢をフッと緩めて音もなくサッと地上へ降りた。間違いなくそこにいるはずだと思ったのだ。リベラにとって唯一無二な弟子が……だ。
「かっ! 母ちゃん!」
少年がバツの悪そうな顔をしている所へ現れたのは、同じように身体のラインが浮き上がるピッタリとした衣装姿の女だった。腕を組んで叱りつけていたその女が少年の頭をガツンと殴りつけた辺りで、リベラは普段の穏やかな空気になった。
「ご無沙汰しております。お師匠様」
覆面を取ったコトリが最初にそう言い、少年は驚きの表情で母親を見ていた。その直後に幾人も検非違使が集まり始め、ややあってイワオがやって来た。新鮮な驚きの表情を浮かべながら。
「……リベラの旦那。姉上は?」
そうだ。イワオにとってリリスは唯一無二の肉親で有り実姉でもある。そんなリリスに付き従う最強のボディーガードが居るのだから、リリスが居ないわけが無いと考えたのだ。
ただ、コトリが漏らした『師匠』という言葉。そしてイワオの言った『リベラ』という単語で少年は自分のした事が何だったのかを知り、猛烈な恥ずかしさを覚えていた。
「お嬢ならあっちの置屋でリサを保護しておりやす。なに、心配する事は何一つありやすめぇ……それより」
リベラがチラリと視線を向けた先には、猛烈な炎に包まれた真鍮亭の建物があった。その周囲には街の火消し衆が集まっていて、盛んに水をかけて鎮火を目指しているのが見えた。
だが、リベラの問題にしている相手は火事では無く黒服だ。それを敏感に感じ取ったコトリとイワオは、微妙な表情になって言った。
「あの店の黒服には逃げられました。割と削った筈なんですが……」
口惜しそうにコトリがそう漏らすと、イワオは若干の首肯を挟みつつ『手強い敵でしたが、思っていたほどでも無かったと思いますね』と付け加えた。それが強がりや余裕風で無いことはリベラにも解るのだ。
一対一のタイマン勝負ならさだめし苦労するだろうが、複数で掛かるなら魔導師は不利になる。そもそも魔導を使っての戦闘は体力以上に精神力を消耗する。それを解っている相手なら、集中力を削ぎながら体力を削りに行くだろう。
「さいでやすか。で、ララは?」
リベラが最後にそう問うた時、暗闇の中から心底悔しそうな声が響いた。
「居なかったよ。隅々まで探したんだが、消し炭になった死体も無かった。つまり最初からここに居なかった可能性が高い――」
暗闇から現れたのはトウリだった。黒の詰め襟服を着たトウリは、父カウリから受け継いだブロードソードを背中に背負っていた。その全身に悔しさを漂わせつつも、どこか安堵しているようにも見えた。
「――色々と手を尽くしたが残念だ。もっとも、あの魔導師には重傷を負わせたので追跡は容易いだろう。必ず見つけ出し、この手で息の根を止めてやる」
ふと気が付けばトウリに周りにヒトならぬ種族の者達が集まり始めた。イヌだけで無くオオカミやネコやキツネ。そしてウサギとタヌキがそこに居た。イヌの王の懐刀であった検非違使は、既に独立した機関として機能している可能性があった。
「……なるほど。今は別当の組織ってわけでござんすね?」
トウリは完全に検非違使を掌中に収めた。少なくともリベラはそう判断した。そして、それと同時にこの組織が覚醒体だけでは無く魔導師を実戦配備した強力な戦闘集団である事を見て取った。
――――こりゃぁ……王も罪なことをなさる……
リベラがそう思うのも無理は無い。今のトウリはかつてのカウリがそうで有ったように、太陽王を支える最も深い部分での要石を受け担っているのだ。対外戦争時代のル・ガルにおいて、最も手強い敵を受け持つ最強軍団の長だったカウリ。
今のトウリは内部闘争に明け暮れるル・ガルの中で、王の敵を完全完璧に暗殺しその存在を消し去ってしまう役目を担っているのだ。
「いやいや。今も太陽王の秘密兵器さ。まぁ、役目は随分と変わったがね」
遠回しにリベラの予想が正解なのだとと応えたトウリ。その見に纏う空気が随分と変質していて、今は完全な王の手駒になっているとリベラは思った。なにより、それが国家の利益であり、イヌの利益であると理解しているのだ。
「……で、お会いになりやすか?」
リリスと会うか?
そう問うたリベラ。だが、トウリは間髪入れずにスパッと応えた。
「いや、組織の者が行方を追っている。今夜中に秘密のアジトを探し出して強襲するつもりだ。ララが完全に壊れてしまう前にね」
トウリは重要な情報をポロリと漏らした。恐らくはトウリの周りに居るジンを追える者達の探索なのだろうと思った。だが、ふと気が付けばそれを言ったトウリの目が異常な程に炯々と光っていた。それは正に、純粋な怒りの光だった……