思惑通りと想定外と
~承前
獅子の男に言い寄られたリリスが逆に口説いて見せてから数日。
年の瀬も迫るシーアンの街中が俄にキナ臭くなってきた。
連日のように新聞紙面には、凄惨な事件の発生が報道されているのだ。
「あぁーヤダヤダ。またタタキだってよ」
ウンザリ気味のドーラはお茶を飲みながらそんな事をぼやいた。
館長室の中で火に当たっている彼女は、昨日の帳簿を見ながら溜息をこぼす。
昨夜だけで3件の強盗事件が発生し、その全てが金目当ての犯行だった。
そのせいかどうかはともかく、ここ数日は目に見えて客の入りが悪い。
「何も他人の金まで盗む事は無いじゃないかねぇ…… そんなに遊んで歩きたいのかね……」
遊ぶ金目当ての犯行なのは間違い無いとの事だが、そのせいでドーラの稼業も妙に風当たりが強い気がするのだ。
「キオ! ケスタ! 裏の戸締まりはキッチリすんだよ!」
ドーラの手駒な銅銹館の5人組みは全てドーラの産んだ子で、全員父親違いの兄弟だった。胤違い故か姿形はさほど似てないが、それでも結束が強いのは兄弟故かも知れない。
「はいママ」
「兄ちゃんたちは?」
既にだいぶ大きく育っているが、どうにもこの子達は頭が緩い……
そうは思いつつも、やはり我が子は可愛いのだろう。いつまでも母親の顔を終わらせられないドーラだが、これはこれで楽しいと思うのも事実だった。
「カルロはクラーノと買い出しだよ。コルは風呂洗いだ」
長兄のカルロを筆頭に、キオ。クラーノ。ケスタニージョ。そして末弟のコル。
ドーラ一家と呼ばれる子供達の結束は傍目で見るより余程固い。
そろそろ夕闇がやって来る時間帯故に、各家々が戸締まりと厳重に行う頃だ。
最近のシーアンに吹き荒れる押し込み強盗事件は、その全てが裏口からの侵入だった。そのせいか、どの家も裏口の戸が固く閉ざされ、内側から家具で封鎖する念の入れようだ、
そしてそれだけでは無く、顔見知りな近所であっても裏口側で顔を合わせれば挨拶もそこそこにサッと家の中へと入って戸を閉めてしまう。そんな何ともギスギスした空気が流れているのだった。
「ところでリースや。あんた昨日の夜の旦那も口説いたんだって?」
ドーラはすぐ近くにいたリリスを呼び寄せて座らせると、単刀直入にそう切り出した。ここ数日は毎晩のように別の男達から声を掛けられていて、その都度にリリスは同じ事を言っていた。
――――年内に10万トゥン分のアウレウスを用意出来るなら……
――――私の主は手放しても良いと先日言っていたんですよ
そうこっそり告げてニコリと笑うリリス。彼女はここしばらく妙に色っぽい仕草が様になってきていて、芸楼の女を気取るのも上手くなっていた。ただ、それが遊女の仕事の顔だとしても、見事に釣られる男は多いのだろう。
俗に童貞を殺す服などと言うが、肌の露出が多めになったスリットドレスなどを着ていれば、鼻息も荒く視姦される事だってある。ただ、その全てが彼女の思惑なのをドーラはまだ気付いていなかった。
「そりゃぁ館長の思し召しですから♪」
リリスは何ら遠慮する事無く、良い調子でそう応えた。
だが、そんな言葉にドーラは渋い表情を浮かべつつぼやくように言う。
「アタシとしちゃぁ…… アンタは手放したくないんだがねぇ」
紛れもないドーラの本音。それを肌で感じ取ったリリスは内心で快哉を叫んだ。
少なくとも、現時点では目論み通りに事態が進行している。間違い無く思惑通りの展開になっている。そんな愉悦がリリスの表情に漏れた。
「……そう言って貰えると……ありがたいですね。どうにも酷い人生でしたから」
リリスの過去を知る由も無いドーラ故に、リリスは遠慮無くそう嘆いて見せた。
思えば彼女はその生まれからしてマトモでは無い人生だった。そして、数奇な運命などと言う表現が陳腐に感じるほどの痛みと屈辱を経験してきた。
だからこそだろうか。些細な仕草や表情の変化に偶然現れる愁いを帯びた蔭のある横顔は、何者かを庇護したいと言う欲求のある者にはストライクに効くのだ。
「まぁ、アンタの人生がマトモじゃ無いのは、見てりゃわかるよ。アタシだってこのナリだからね。色々苦労もしたもんさ」
軽い調子でそんな事を言うドーラだが、マダラ以上にケダマは苦労するし、間違い無く酷い目にもあったはずだ。だからこそ、女がもう何もかもかなぐり捨てて楽をしたい。或いは楽になりたい……と願う部分は痛いほど分かる。
「館長もご苦労なされたのでしょう?」
「まぁね。女は生きてるだけで大変さ」
フッと笑って同じように憂いの笑みを浮かべたドーラ。その堂々たる体躯が萎んだようにも見えるのは、気のせいじゃ無いとリリスは思った。
「まぁなんだ。何人もの男に言い寄られるなんて女冥利に尽きるってもんだ。決して安請け合いするんじゃ無いよ。もっともっと釣り上げてやんな。男なんてね、惚れた女を逃す以上にね、他の男に負けんのが悔しいのさ」
駄目な男が処女を欲しがる理由。その根幹にはそれがある。誰かと比べられるのが嫌なのだ。比べられれば優劣が付くから。そして、前の男の方が良かったと言われたなら、駄目男は世界の終わりを感じるだろう。
だからこそ男はメンツにかけて負けられないと頑張る。いや、頑張らざるを得ないのだ。なぜなら、まずは銭の勝負で既に優劣が付いてしまうのだから。
「そうします」
ニコリと笑ったリリスは『開店の仕度をしますね』と館長室を出て行く。そして誰にも見えない角度で酷く悪い笑みを浮かべていた。全てが上手く転がっているのだと確信し、密かに快哉を叫ぶのだった。
その晩。
「リース! リースや! ちょっとおいで!」
唐突にドーラがリリスを呼び、給湯室にいたリリスは前掛けで手を拭きながら館内を走って行った。『はーい! ただいま!』努めて朗らかな声で応え、銅銹館の入口までやって来たリリス。
そこにはドーラと一家五人の息子達が勢揃いしているが、その向かいには獅子の正規軍兵士が居並んでいた。全員が完全武装姿になっていて、リリスは思わず足を止めて引き攣った表情になった。
「そなたがリースか。いや、怯えなくて良い。なにも君を取って捕まえて食べようと言う事じゃないんだ。ちょっとだけ話を聞かせてくれ」
一際身形の良い獅子の男がそう切り出し、リリスは『……はい』と小さな声で応え玄関の上がり框辺りにペタリと正座していた。
「私は正規軍1000人隊長のルキウス。故有って君に確かめたいことがある」
厳しい口調ながらも朗らかな表情でそう切り出した獅子の男は、見上げるような体躯の大男だった。
「そなたの主はネコと聞いたが、イヌの国の通貨で10万トゥン揃えれば君を売ると言ったと私は聞いた。この情報に間違いはないか?」
この男も私が目当てか?と一瞬だけ考えたリリスだが、それにしては雰囲気が変だと訝しがりつつも『手前の主は……それなら考えても良い……と』売るのでは無く考えると表現したリリス。
それを聞いたルキウスはやや怪訝な表情で『売らない可能性もあると言う事だね?』と念を押した。その念の押し方がやや怪訝なモノだったので、リリスはこの裏に何かあるのだと直感し『……そうだと思います』と応えた。
「なるほど…… いや、君を脅すつもりでは無いので、そこは勘違いしないで欲しい。ただね。奴隷市場で正規手続きを踏まずに奴隷の権利を売買するのは法に触れる行為であるから取り締まらねばならないのだよ」
……なるほど
何処か得心したリリスは僅かに表情を緩めた。だが、それを見透かしたかのようにルキウスはとんでも無い事を言い出した。
「先ほど大通りで通りすがりの商人がいきなり斬殺され即死した。下手人はとにかく金が欲しかったと言っている。その場にて捕縛したのだが、取り調べを進めた結果そう白状したのだ。そしてその理由は――」
ルキウスはスイッとリリスを指差してグッと厳しい表情になった。
「――君を買い取る為に金が欲しいと言う事で、この1週間で4件の殺人事件を起こしている。間違い無く死罪となるだろうが、君は何人かにその売却の件を話したかね?」
余りの衝撃にポカンとした表情になってしまったリリス。だが、それもまた女の演技なのは言うまでも無い。内心で快哉を叫び、よしよしとガッツポーズを取ったのは言うまでも無いことだ。
だが、少なくとも表向きとしては悲しげな表情をしなければならない。ましてや煽りましたなどと言う訳には行かない。慎重に冷静に。必用な結果の為に一つずつ念を入れて駒を並べてくのだ。
「……すぐには思い出せませんが、少なくとも5名の殿方にお話しを致しました。あいにくお名前を承っておりませんので私には解りかねますが……」
消えそうな小さな声でそう言ったリリス。ルキウスは『なるほど』と首肯しつつ部下に書き取りを命じ、『まぁ、君に罪を問うことはないから心配ない』と付け加えた後で手にしていたヘルメットを被った。
「君の主が不在なので直接通告出来ぬのが残念だ。だが、法は法なので主に伝えるのだ。奴隷の所有権は来年の1月15日から再開される奴隷市場以外で売り買いする事がまかり成らぬ。無届けで権利を売却した場合は捕縛し裁判となる。良いね」
一方的に用件を伝えルキウスは『邪魔をしたね。戸締まりを厳重に』と言い残して銅銹館を出て行った。その後ろ姿を見送ったドーラは横目でリリスを見ながら悪い笑みを浮かべて言った。
「腹の上で男を殺せりゃ女は株を上げるもんだが、女欲しさに犯罪を犯すほどの人気者たぁ見上げたもんだね。アンタは罪に思うんじゃないよ。むしろ株を上げたと思って胸を張んなよ」
ヒヒヒと笑ったドーラは館の奥へと入って行った。その後ろ姿に一礼したリリスは、硬い表情のまま自室へと入った。緊張しているのでは無い。油断すれば今にも笑い出しそうなのだ。
「リベラ。居る?」
「へい。ここに」
屋根の辺りの暗がりから音も無く床へと下りたリベラは、リリスの前で傅いた。
「何か新しい情報は?」
日中は街中を自由に歩き回り、様々に情報を集めているのだ。そして、ここしばらくは獅子の国の裏稼業な連中とこっそりやり合っていて、少しずつ名前と顔が売れ始めていた。
「ララの件は一切情報が漏れてきやせん。あの店の常連な旦那を持つ裏稼業の者に行き会ったので、締め上げて吐かせたのですが何も知らねぇようでした。ただ、真鍮亭じゃ西大陸の秘薬を集めているそうで、随分と金を集めておりやす」
リベラの報告に『……秘薬?』と応えたリリス。
そんな言葉に小さく『へい』と応え、リベラは表情をやや歪めて小声で言った。
「この獅子の国があるのは南大陸。その西には海を挟んで西大陸がありやす。ガルディアよりも遙かに大きいそうですが、あっしは行ったことはございやせん」
リベラは立て板に水の勢いで一気に説明を続けた。
「その大陸じゃぁ男も女も薬を嚥んで房事に耽るそうで、ウォーク卿の奥方が嚥まされた薬も似たようなモンでやしょう。ただ、それをララに使うのかどうかはわかりやせん。ですが、世の中にはその薬を使って遊ぶ物好きもおりやしてね――」
心底嫌そうな表情になったリベラは、吐き捨てる様に言った。
「――クワトロ商会の店にもその類いの男が何人も来ておりやした。ただ、エゼの旦那が全部断ってやしてね。ありゃぁ……人間まで壊しちまう薬で……」
そこまで言ったリベラは言葉を飲み込んでリリスを見た。
そのリリスも大きく目を見開いてリベラを見ていた。
「まさかたぁ思いますが……」
そう。二人がイメージしたのは、ララに限界一杯まで薬を飲ませ、完全におかしくしてしまってから売り出すと言う狂気の沙汰だった。ただ、考え得る限り全ての変態的な性癖を網羅していると言う真鍮亭だ。
世の中には薬に溺れておかしくなった女を犯したいと言う、もう絶望的にどうしようも無い性癖のダメ男がいるかも知れない。或いは、目の前で薬を飲ませて壊れていくのを楽しむ者がいるかも知れない。
ただ、本当に想像したくもないおぞましい行為と言えば、それは一つしかない。
「意地を張り続けるあの子を壊そうとしているなら……」
リリスがそう呟くと同時、リベラがギリッと奥歯を噛みしめる音を立てた。作り物の身体とは言え、それだけやれば痛みも感じるはずだ。だが、それと同時にリリスはふと『あっ……』と声を漏らした。
「ねぇリベラ。明日の日中、何処かで足の着かない死体を拾ってきて」
唐突にそう切り出したリリスだが、リベラは瞬時に全てを見抜き『入り込もうって魂胆でやんすね?』と返答する。そう、屍霊術の一つである死体憑依は基本中の基本だ。
死体を犯したいなんて要望を持つ変態だっていくらでも居るだろうから、ある意味ではうってつけなのかも知れない。
「……ジェンガンの街で死んだ者の遺体が魔法で凍らされて運び込まれておりやすんで、綺麗な死体を探してきやす」
居ても立ってもいられないのだから行動するしかない。だが、ふとリリスは気が付いた。日中にそれをやればドーラが訝しがるかも知れないのだ。
「館長の目をどうやって誤魔化そうか……」
小さくそう漏らしたリリスだが、リベラはふと思い立ってはっきりと言った。
「それならむしろ誤魔化さずに正々堂々やりやしょう。明日は休みを貰いやして街へ行くと言って連れ出しやす。そんで何処か連れ込み宿にでも入り込んで……」
リベラの言葉にニンマリと笑ったリリスが続きを言った。
「たまには抱いておきたいってね。館長も苦笑いよ。きっと」
思わず『勘弁してくだせぇ』と頭を下げたリベラだが、話の筋としては申し分ないレベルでしっかり出来ているのだ。何より、主の大半がそれ目的で女の奴隷を買っているのだから、むしろそれが無いと変な話になる。
「いずれにせよ…… あの子が心配よ」
リリスが何を危惧しているのかは言うまでも無いことだ。ただ、じゃぁどうするかと言えば、実際にはまず確かめてみなければどうしようも無い。だからこそ危険な橋を渡ろうと言うのだ。
「中の魔術師は手練れにござんす。どうかお気を付けて」
リベラにしてみれば、何よりそれが心配だった。
無事に終わるはずが無いと解っていても、それを言わざるを得ないのだった……