危険な賭
~承前
真鍮亭
そこはシーアンに立ち並ぶ娼館の中でも極めつけに変態が集まる店だった。金を払って女を抱くだけの店ならいくらでもあるのだが、世間にはそれでは満足しない変態がいくらでもいるのだ。
まだ精通もしていない少年ばかりを専門に犯して回る男がいる。幼女と言って差し支えない幼児を裸にして抱き締めるのが大好きという者だっている。それだけで無く、手足を欠損した肢体不全な者を愛する者すらいる。
人の持つ欲望のダークサイドな部分。社会の中では良心や世間体と言ったモノで公言するのが憚られる嗜好や性癖。だが、もしそれなりの金額を用意出来るなら、遠慮無く、世間に知られること無く、それが出来ますよと言われたら……
「あの子の売りはなんなの?」
静まりかえった銅銹館の奥深く。リベラに与えられた私室の中でリリスは頭を抱えていた。リベラが街中で集めた情報は、眉を顰めるような困った性癖持ち達の盛り上がる様子だった。
「へぇ…… それがまぁ要するに…… 余所の国の正真正銘なお姫様を好きに出来るってな部分でして…… 街の仕立屋がガルディア式のドレスを仕立ててるって所が話の始まりでやした」
リベラの言葉にリリスが表情をグッと厳しくした。話の真相が見えたからだ。どうしたって貴族だの王族だのと言った存在は尊大に振る舞うもの。平民の中にはそこらの貴族を凌ぐ財を持っている者だっているが、所詮は平民だ。
そんな連中にしてみれば『単に貴族に産まれただけで……』と不平不満を持つだろうし、数々の特権に守られた連中を苦々しく思うだろう。だが、どんなに愚昧でも下劣でも貴族は貴族なので、平民とは会話しないと言い切る者すら普通にいる。
そんな連中からプライドをへし折られてきた者にすれば、鬱憤晴らしには最適なのかも知れない。しかもそれが獅子の国と敵対しているイヌの国の姫なのだから、ある意味では、千載一遇のチャンスと言えるのだろう。
「……どうしようか」
腕を組み厳しい表情で思案に暮れるリリス。その脳裏に浮かぶのは、悲惨で凄惨な未来。世の中には凡そ考えつく限りに凄惨な拷問を加え、泣いて喚いて許しを請う姿を見るのが大好きという歪んだ性癖持ちがいるのだ。
それこそ、力一杯に激痛を加え、その身体を壊しはするが決して殺さずにおく。気を張り、意地を張り、強い意志と折れない精神で必死に抗う姿を見せれば、更に悦んでしまう最低の人種だ。
「荒事になってでも……その店に入ってララを助けられる?」
リリスは単刀直入にそう尋ねた。だが、リベラは黙って首を振った。
「はっきり申し上げやすが…… あそこに忍び込んで若を回収するのは骨が折れやす。あの店の黒服はあっしより上でやしょう」
リベラが迷わずに自分より上と呼ぶ存在。それを聞いたリリスは驚きの表情でリベラを見た。だが、当のリベラは涼しい顔で平然と言ってのけた。
「何度か手合わせいたしやしたが、まったく太刀打ち出来ねぇバケモンでさぁ」
重い沈黙が流れ、リリスは辛抱強くリベラの次の言葉を待った。きっとリベラにとっては苦い教訓なのだろう。だが、聞いておかねばなるまい……と、リリスは覚悟を決めていた。
「……細作の中には幾人か魔法が得意な者だっておりやす。それこそ、裏稼業に身を置く者なら名前ぐれぇ一度は聞いた事があるってバケモンなんでさぁ……ただ、手が届く距離なら魔法より刃物が強ぇってのは間違いねぇこってす。でも――」
リベラは一気に表情を硬くしてリリスを見ながら言った。
「――刃物を使う技と同じ速度で魔法を使う奴なんでさぁ…… それこそ、瞬きの間に魔法を三つも四つも使いやがる。そのおかげであっしは死に掛けやして、もう顔も見たくねぇってこって」
心底嫌そうな様子でそう言ったリベラだが、リリスは若干表情を変えて切り出した。ある意味では当然の提案なのだった。
「なら、話は簡単よ。私をそこの店に売りに行ってくれれば良い。中へ入り込んでその魔法使いを始末すればいいんでしょ? なんなら店ごと吹き飛ばしてしまえば良いし、まとめて処分するには良い機会よ」
魔法勝負と言うのなら全く負ける気がしないリリスだ。パワー系な解決方法だが一番確実に事をなせるのかもしれない。しかし、そんなリリスに向かってリベラは厳しい表情で言った。
「……で、若を回収したとして、どうやってこの街を出やすか?」
暗殺などで様々に暗躍してきたリベラだ。事を為すだけでなくその後の事までも思考を巡らせていた。何より、こっそり忍び込んで暗殺するならともかく、建物ごと吹っ飛ばしてしまうようでは後が困る。
獅子の国の衛士は案外優秀で、リリスとリベラだけならともかく、ララを連れていれば簡単に見つかってしまうだろう。その後に待ち受ける運命は過酷なものになりかねないし、場合によってはその場で処分されかねない。
「……さすがのリベラも軍隊相手じゃ荷が勝ち過ぎよね」
「然様にござんす」
助けに行くこと自体は簡単に出来るだろう。だが、その後が続かない。どうしたもんかと思案するのだが、不意にリベラが顔を上げて言った。
「いっそ、街そのもの混乱させちまいやしょうか?」
そんな言葉で切り出したリベラ。リリスは『多分だいたい同じことを考えてた』と応えつつ『具体策は?』と付け加えてリベラのプランを聞いた。ただそれは、リリス自身がララの二の舞になりかねない危険をはらんだものだった。
勿論そんな事は絶対にさせない!とリベラが頑張るだろう。だが、予想外の事は必ず起きるのだから危険な事には変わりない。リリスは黙って話を聞き、時にはウンウンと首肯しつつ殊更に悪い笑みを浮かべていた。
「それ……面白いわね。早速明日からやってみようか」
当のリリス自身が乗り気になっていた。人倫に悖る行為を含んだ酷い作戦だが、ある意味ではすべてを解決する大きなチャンスかもしれないのだ。
「……ですが、念には念をいれやしょう。まずは……旦那にお伺いを立てては?」
リベラは遠回しにカリオンへ繋ぎを取れと進言した。事と次第によってはカリオンの勘気を被りかねない話だからだ。だが、リリスはここで意外な反応を見せた。
「え? 私の旦那はあなたじゃ無くて?」
あっ!と、そんな表情になってリリスを見たリベラ。
リリスは満足げな顔になってリベラを見つつ言った。
「あなたがやれと言うならやっとくけど……今は必要ないと思う。それに、ララの話を今したら、それこそ準備も何も出来てないウチに大攻勢でも始めかねないし」
全く持ってその通りだ……と、リベラは小さくなってしまい『面目ねぇこって。おっしゃる通りでさぁ』と項垂れた。少なくともカリオンならば後先考えずにそれをやりかねない。ならばこちらで何かアクションを起こし、それから報告を入れた方が良い。
今からやろうとしていることは、街の中に争乱を呼び起こす行為だ。故に、上手く行ったのであれば、それからル・ガル勢を呼び込む方が良いだろう。
「大丈夫。この程度の事なんて恐くも何ともないから」
一度は死んだ存在だ。魔を宿し死の影を操る魔女なのだ。リベラはキリッと表情を引き締め『抜かりなくやらしてもらいやす』と応じた。盤石の主従関係がもたらすものだった。
あくる日の夜。その日三回目のステージが終わったあと、禿たちの面倒を見ていたリリスにご氏名が入った。3度目の演舞をした女たち相手に銭を切るのは半ば道楽。そんな言葉が銅銹館には存在する。
だが、目当ての女を買いそびれたり袖を振られたりした男にしてみれば、半ば負け惜しみのようなもの。そして、持っては来たが使わなかった銭を捨てていく行為でもある。
「……それにしたって。獅子の旦那はなんで私なんかに?」
見てわかるレベルの愛想笑いを浮かべ、リリスは慣れた手つきで獅子の男に酌をしていた。銅銹館の奥にある客を呼び込む個室の中では、今宵の晩餐がフルコースで運び込まれていた。
38種の料理から好きなメニューを選び、一つずつ皿を拵えて提供する。そんな手の込んだやり方は、嫌でも給仕する女の技量に左右されるもの。そしてこの料理においてリリスは完璧な対応を見せていた。
「いや……まぁ、こういうのもありだなってな」
立派な体躯をした獅子の男はニコリと笑ってリリスを見た。なんとも愛嬌のある顔立ちだが、その身体はカリオンたちイヌの男よりも全然大きいのだ。ややもすればトラのような大型種族に匹敵するサイズで、身の丈は3メートルに達する。
そんな者たち故に股座からぶら下がるモノだって御大層なサイズとなり、ヒトの女を犯せば命の危険がある。だからかも知れないが、大型種族の男は舐めるの専門などと言われるのだが……
「まぁ、お好きになさいな。私は売り物じゃございませんから」
そう。リリスを含めた3度目のステージ要員は、様々な理由で抱けないのが銅銹館のルールだった。まだ幼いとか身体が悪いとか色々理由はあるが、一番の理由はヒト故に獣人相手の房事が務まらないと言った所だ。
「そうか……惜しいなぁ……」
ボソリと呟いた獅子の男は絶妙な塩加減となった一皿を平らげながら、横目でリリスを見ていた。舞台で踊る扇情的な衣装では無く、何処にでも居る女中姿でしかないのだが、兵士として幾多の戦場を歩いてきた男には魅力的だった。
獅子の男に生まれたならば、正規兵として兵士となるのが宿命付けられている。そして、その兵士が務まるように獅子の男達は厳しく育てられた。文字通り、スパルタなやり方だったのだ。
「惜しいと言われましても……」
困った様な顔になったリリスは、間を持たせるように一際強い火酒を勧めた。喉を焼く辛い酒だが、一気に飲み干した男は小さく溜息をこぼしながら言った。
「俺は母親の顔も名前も知らないで育った。獅子の男はみんなそうだ。乳離れした頃には最初の営舎に送り込まれ、そこで徹底的に鍛えられる」
そう。本当にスパルタのやり方が獅子の国の根幹にあるのだ。障害を持っていないか。知能に問題はないか。最初にそこをしっかりと確かめられ問題無しと判断されたならば乳離れと共に共同生活が始まる。
まだ幼児の頃から徹底して教育を受け、同時に持って産まれた才能を吟味されそれぞれ専門の兵種に送り込まれていく。魔法に長ける者は魔導科へ。膂力体格に恵まれた者は戦闘科へ。そして、そこでは猛烈な競争が行われるのだ。
「……厳しいのですね」
心の底から同情するような声音になり、リリスは一言だけそうもらす。だが、そんな言葉は獅子の男にとって相当な一撃になったらしい。そう。つまりは愛情に飢えているのだ。
「なぁ…… リース…… 俺にも少しばかりなら金がある。お前さんの主に話をさせちゃくれないか。別にお前を抱きたいとかそう言う事じゃ無いんだ。ただ……」
……お前を買い取りたい。そう言いかけて飲み込んだ獅子の男は、リリスが再び注いだ強い酒を一気に飲み干し、盛大に溜息をこぼした。獅子の正規軍には厳しい掟があり、軍属が街中で騒ぎを起こせば問答無用で処刑されるらしい。
厳しく育てられ一騎当千の強者に育っているのだから当然だが、暴れ出したら手が付けられない。それ故に厳しい軍紀となっているも致し方ないだろう。ただ、個人の感情は時に暴走する時がある……
「……ちょっと待っていてくださいね」
リリスはどこかアンニュイな顔をして部屋を出て行った。そして、数分が経過した後、リベラとドーラを連れて戻ってきた。それが何を意味するのかは獅子の男にもすぐに理解し、サッと居住まいを正して話を切り出そうとした、その時だった。
「お前さん……ウチの女を買いたいそうだが、あんたいくらで買う気だい?」
ドーラは先制攻撃とばかりにそう切り出した。ただ、本来は非売品となる存在をいくらで買うのか?と持ちかけられた以上、もしかしたら買える可能性があると男は内心で喜んだ。
だが、その言葉を聞いたリベラははっきり表情を変え、渋い声音で吹っかける。『あっしのお気に入りを召し上げようって言うんだ。百やそこらの端金じゃ済まさねぇぞ。舐めた金額出したなら容赦しねぇからな?』と。
「……そうだな。アウレウス200とデナリウス5000。これでどうだ?」
アウレウスは金貨をさし、デナリウスは銀貨を意味する。多民族国家である獅子の国では貨幣が実態価値を持った貴金属その物であり、アウレウスは純金その物。公式に為替をおこなえない為、ネコの国との商取引では暫定相場が取られている。
ざっくり言えば10アウレウスで100トゥン大金貨一枚に相当する。つまり、1アウレウスは10トゥンだ。デナリウスは銀なので、ここ数年では12枚ないし13枚でアウレウス1枚相当になっている。
つまり、ざっくり言えば600アウレウス相当で6000トゥンだ。しかし、それを聞いていたリベラは表情を強張らせていた……
「おめぇさん…… 随分舐めた事言ってくれるな…… 人を小馬鹿にすんのもいい加減にしなせぇ――」
リベラの身体から隠しきれない殺気が漏れた。幾多の戦場を掛けてきた筈の獅子ですらも一瞬だけ息を呑むようなものだ。
「――この女はあっしの主から託されたヒトでやんしてね、あっしの主もいたく気に入ってるんでさぁ…… それを売れと言うんだ。10万トゥンは貰わねぇといけやせんが、まずは話の叩き台なら1万トゥンは言って欲しいもんでやすな」
10万トゥン。つまり1万アウレウス。そうそう簡単に用意出来る金額では無いし、まともな方法では生涯俸禄を全てつぎ込んだとしても足りないくらいだ。しかしながら、まともなじゃない方法では割と聞く金額でもある。
ましてやこの数ヶ月、奴隷市場で思わぬ高値が付いたと言う事で1万を越える金額を手にした者が多数居るとか居ないとか……
「……10万トゥン。用意出来たら売るのか?」
不意に獅子の男の気配が変わった。リベラもリリスもドーラまでもがそれに気が付く。それは、やる気や覚悟と言ったモノなのかも知れない。獅子の男がグッと厳しい表情になってリベラを睨み付け、もう一度言った。
「用意出来たら売るんだな?」
念を押すようにそう言った獅子の男だが、リベラはふとドーラに目をやり『場合に因っちゃリースを売りますが宜しゅうござんすか?』と確認した。ドーラはドーラで少しばかり困った表情になったモノの『上がりの3割を入れてくれれば、アタシは何も文句が無いよ』と承認した。
「お聞きの通りにござんす。10万トゥン。用意出来るモンなら用意しなせぇ。ただね、先に言わせて頂きやすが、限度は今年いっぱいだ。それ以上は待たねぇ あっしはネコの国へ帰らなきゃならねぇんで、リースは連れて帰りやす」
リベラの最後通牒に獅子の男はパッと表情を緩めた。喉から手が出るほど欲しいモノを入手出来るのかも知れない。ただ、ふとリリスを見た男はハッと我に返って気が付いた。全ては当人の頭越しに決まった事であり、女の都合や思いなど全くの慮外という事に気が付いたのだ。
故に男は恐る恐るな言い回しでリリスに尋ねた。『それでも良いか?』と。それに対しリリスは一瞬だけ考えたような素振りを見せ『けして無理はしないでおくんなさい。欲しいと言ってくれるだけで幸せですから』と漏らす。ただ、ややあってパッと花の様な笑みを浮かべ、静かにこう答えた。
「無鉄砲な男意気には……惚れやすいです……」