リリスの現状とララの行方
~承前
ケダマの女が営む店に身を寄せてほぼ1ヶ月。
ドーラと名乗るヒョウの女が営む芸楼『銅銹館』は、シーアンでも名の通った高級店らしい事にリリスは気付いた。夜半の火事で投げ出され、とりあえずと店に入った直後に見た印象が強烈だったからだ。
――――ここは……
――――普通じゃ無い……
それは魔導ある者の直感だとか、或いは魔力探査だとか、そう言う類いのモノでは無い。建物の作りや設え。些細な調度品などなど、隅々まで尋常じゃ無い程に金を掛けて作ってある事が垣間見えるのだ。
なにより、正面から見る以上に広く大きく作られていて、芸楼と言う名の通り多くの客を入れ芸を見せる為のステージがいくつも用意されているのだ。そう。言うなればそれは巨大な演場であり、歌劇や舞踊を繰り広げられる劇場だった。
ただ、そんな施設がなぜ栄えているのかと言えば、それはつまりこの演劇場のもう一つの顔故だ。ここではステージを眺めて踊り子や役者の女たちを品定めし、買うことが出来るのだ。つまり、劇場であり遊郭でもあるのだ。
――――楽屋がいくつか余っているから当面の居場所にするといい
――――いつもは旅芸人が来るんだけど何せ戦だからね
――――当面はウチの演劇だけさ
その戦が何であるかは考えるまでも無かった。ただ、ル・ガルとの闘争が獅子の国にとっても決して簡単なモノでは無いのが意外だった。『なかなか終わりませんね』とリリスが漏らし、ドーラも渋い表情だ。
それこそ、ル・ガルなど片手で捻るような実力差が有ると勝手に思っていた部分がある。だが、実際にはそう簡単な話では無いらしい。ドーラは渋い表情のままため息交じりに言った。
――――そりゃ仕方が無いさ
――――シンバだってアチコチに気を使わなきゃならないんだからね
――――死んでこいなんて命は出せないだろ?
ドーラの言う言葉にリリスは『そうですね』と気のない返事を返していた。少なくともル・ガルであればカリオンがそれを命じかねないし、部下だって二つ返事でそれをやりかねない位の信頼関係が出来上がっている。
だが、獅子の国にはどうもそれが無いようだ。単純な利害関係によるものか、若しくは国の中で壮絶な権力闘争が繰り広げられているのか。シンバと名乗る皇帝は様々な勢力の利害調整に腐心している可能性がある。
――――……あっ!
リリスはある時ハッと気が付いた。獅子の国が持つ最大の弱点だ。そしてそれは普通の方法ではカバー出来ない致命的な部分と言える。獅子の国が常に何かに備えている理由。それは思いも寄らない敵の存在だった……
「ところで館長 そろそろ暖簾を出しますよ?」
芸妓ではなく従業員の衣装を着たリリスは、ドーラにそう告げて大籬の見世さき格子に掛けられていた暖簾を入口へと持ってった。見世とは遊郭から出ることが許されない芸妓達が居並ぶ顔見せひな壇のことだ。
店の常連は推しの女が今日のステージに立つかどうかをここでチェックし、辺りを見回してライバルが居ないかどうかを慎重に見極める。一夜で3度のステージが繰り広げられるのだが、その中で客はステージの上に舞う芸妓を見定め、館主と芸妓本人を相手に一夜の夢の値段交渉を始めるのが営業の流れだった……
「あぁもうそんな時間かい? リースはよく気が付くね」
ニコニコと笑いながら店の前まで出て来たドーラは、不意に空を見上げてから表の通りに水を撒き始めた。石畳で舗装されているとは言え、埃が立てば不快なのは言うまでも無い。
それ故に、入口と通りに水を撒き、店が開店していることを無言で知らせる気遣いそのものの行為。そして、鼻息荒く目当ての女を探す者たちにしてみれば、戦いの始まりを告げる号砲となる。
「さて、あぶく銭を手にしたバカな男をいっぱい釣り上げるよ! お前達! しっかり稼ぎな!」
気っ風の良いドーラの掛け声に館内の女たちが『ハーイ!』と応える。この数ヶ月の間にいきなり羽振りの良くなった男達が沢山居て、そんな連中が銅銹館の様な娼館に出入りしている故にドーラも潤っているのだ。
驚く程に大柄でリリスよりも頭2つ以上は背が高いが、それでも傍目に見ればやはり女に見える。リリスもそれなりにグラマーだが、館主はそれ以上に大きな胸を揺すって見せる豊かな体型をしていた。種族の違いと割り切るには少々悔しいが、どんなに頑張っても乗り越えられない障害はあるのだ。
「今日も皆さん熱心ですね」
ウフフと笑うリリスは通りの四方に目をやってそう呟いた。羽振りを良くした男達は懐の銭を勘定しながら、見世の奥に居並ぶ女たちを品定めしている。時には同じ女を推している者通しが視線を闘わせ、相手の予算を見定めていた。
人気の女優を一晩買う入札は一発勝負であり、その上で女が首を縦に振らねば取引は成立しない仕組みだった。しかも困った事に、取引が成立しようがしまいが、入札には現金を打たねばならず、失敗した時には返金しないのだ。
「そりゃ誰だって真剣さ。有り金はたいて勝負に来てる奴なんてごまんといる」
ドーラが悪い笑みを浮かべて通りを見れば、困った様な表情を返してくる男が何人も居た。だが、リリスには全く同情する余地など無く、むしろここでどれだけ金をむしり取れるかが興味の対象になっていた。
なぜなら、その男達やドーラを潤わせている予算の原資は、先のジェンガン戦役で得られた捕虜である奴隷の売買によるモノが殆どだからだ。日中の納品業者が『世界は不公平だ』と呟くとおり、獅子の国全体の問題でもあった。
――――これ……上手くしたら街を争乱状態に出来るかも……
他人を出し抜き、叩き潰し、自分の居場所を作る。ル・ガルの常識で言えば決して褒められたモノでは無い。だが、弱肉強食こそが自然の掟であり、負け組は勝ち組の養分でしか無い。
つまり、獅子の国を蝕む本当の敵は、市民の中にある他人などに配慮しないという精神。その本質は市民の間にある階級闘争なのだ。市民とされる者。市民ではなく居住者扱いの者。そしてその下には財産扱いされる奴隷階級がいるのだ。
「有り金はたいちゃった人は可哀想ですね」
リリスが漏らすとおり、負けた側に掛ける温情など存在しない世界だ。それぞれの階級間には絶対的な格差がつけられていて、しかもそれは世襲制度に守られていた。特権を持つのは市民階級のみで、その下の者には生存権すら無い。
奴隷は売買される事で自分の居場所を確保し、主に利益をもたらさねば容赦無く売られることを覚悟せねばならない。そんな取引を仕切る者こそが市民階級で、もっと言えば獅子の正規兵参加者達だった。
「もっと戦をしてくれって思うだろうさ。まぁ、お上にはもう金も無いだろ。しばらくは戦も出来ないってな」
戦役での報奨金は無く、奴隷を得た者はそれを転売することであぶく銭を得る。その結果としてシーアンの街全体がちょっとしたバブル景気の様相を呈していた。だがそれは、持つ者と持たざる者の格差を広げる行為でもあるのだ。
――――さてさて…… 面白くなってきた!
リリスがそう思うのも無理はない。シーアンに連行されたル・ガル兵士の大半が奴隷階級となったが、その価値が高騰していて誰一人死んで無いという報告をリベラは行っていた。
よく鍛えられた若い男達故にそれだけで思わぬ高値が付いたのだが、それ以上に重要なのは出自だ。彼らは己が国の姫自身が担保となって自らの身分保証をしている事を良く理解しているのだ。
それだけに、全く持って従順な姿勢を示していて、イヌらしいと言えばイヌらしいバカ正直が売りだった。その結果として転売に次ぐ転売が行われ、今では市場価値を大きく越える相場で奴隷の権利が売り買いされている始末だ。
――――捕虜なら普通は殺されてやすぜ
――――生きてるだけで儲けもんだ
リベラの言葉には棘があったが、それでも言いたい事は分かった。奴隷達が姫の為にと自嘲し忍辱の日々を送っている裏にあるもの。ララの身に何かがあれば奴隷たちが一斉蜂起しかねない危険性を孕むのだ。
そして、その奴隷売買で思わぬ利を得て気をよくした成金が現れる一方、儲け損ねた者が生臭い息を吐きながら酒場で荒れている。それだけでなく、無駄なあぶく銭が降ってわいた結果として街中の様々な物がインフレを起こし苦しんでいる下層の者達も荒れていた。
「……今年もそろそろ終わりなんですね」
館内へ吸い込まれていく鼻息荒い男達をいなしながら、リリスがポツリと呟く。例年では奴隷市場の取引が間もなく終わるのだ。それ故に駆け込みで手持ちを手放したり、あるいは新しい奴隷を入手したりで街中の銭が活発に動いている。
それ自体は好景気の到来で良い事なのだが、それに伴い街中が殺伐としているのも事実だった。何より、それを肌で感じているドーラが小さく溜息をこぼしながらぼやくように言った。
「ほんとにねぇ…… 年の瀬だって言うのに世間は荒れてるねぇ・・・・ やだねぇ」
そう。現状のシーアンでは辻斬り紛いの事件が頻発していた。金目の物を狙った物取り殺人が毎晩のように発生しているのだ。街の治安を受け持つ衛士達が毎晩目を光らせているが、犯人は全く検挙されていない。
街の中では衛士自体がやってるのでは無いかと噂が立つほどで、治安維持機構への信頼すらも歪む酷い状況になっていた。ただ……
「まぁ、仕方が無いですよね。無い者は無いし、有る者から奪うしかないし」
リリスがボソリと漏らしたそれは、この1週間ほどの間の出来事から来る率直な心情だった。銅銹館のステージは3部構成で、1幕と2幕では館の花形である女たちが際どい衣装で男達を魅了するのだ。
そんなステージを見に来る男達は、それぞれに推している女目掛けて銭を注ぎ込んでいる。集まった銭を前に『今夜はこちらの方がわっちの旦那おす♪』と袖を引いて個室へと消えていく。
実に解りやすい資本主義経済の仕組みが繰り広げられているが、ここで推しを買えなくて帰る男達は、出した銭を回収する事が出来ない仕組みだった。それ故に奴隷や様々な物が流動的に取引されているが、顔を見せなくなる者の方が多い。
「無駄に景気がいいのも困りもんだね」
ハハハと笑いながらドーラも店の中に入っていった。ステージを取り囲む升席は様々な階層の男たちがひしめいていて、血走ったような目でステージの袖を見つめている。
厚い緞帳の向こうから現れるはずの芸妓達を品定めする男たちは、懐の銭を摩りながら思案に暮れていた。ここで有り金はたいて女を買えば、その後に待っているのは極貧生活だからだ。
「もう少し考えてお金を使えばいいのにとは思います」
ドーラの羽織っていた上着をそっと降ろし、今宵のステージが始まる前の挨拶に立つ支度を進めるリリス。ガルディブルクの城で散々と見てきた女中たちの仕事だけでなく、女学校で学んだ高階層向け教育のあれやこれやが役に立っている。
ドーラはリリスが相当な家で使われていた奴隷だろう見当を付けていて、それ故に手放さず自分の手元で使おうと思っていた。何より、その方が自分を大きく見せる事が出来るからだった。
「そうは言ってもお前さん…… 随分と稼いでるんだろ?」
ドーラは悪い笑みを浮かべてリリスを見た。それは商売人の見せる銭の臭いに陶酔する顔でもあった。何故なら、ステージの女を買う事に失敗した男たちが次に狙うのはリリスだからだ。
水揚げ前の禿を抱くことは絶対に出来ないし、強引に事に及ぼうとすれば銅銹館の黒服に半殺しにされるだろう。となると、どうしたって白羽の矢が立つのはリリスになる。彼女を口説いて安く女を抱こうと頑張る者が出て来る。
だが、男たちの用意した銭を懐へ仕舞いつつもリリスは首を縦に振らず、それどころか『私の旦那に話を付けてください』と断ってしまう。どうしてもダメか?と詰め寄る者には『私を今の旦那から身請けしくれますか?』と逆に迫るのだ。
「そのうち諦めると思ってるんですけど…… 私のどこが良いんですかね?」
ぽつりと漏らしたリリスはドーラの上着を持ったまま片隅の暗闇に控えた。その暗闇の中にリベラが立っていて、辺りに目を光らせていた。闇の中を見通せる種族の者がそれを見て、小さな声で『アイツだ……』とツレと話をする。
最近入ったネコの黒服はめっぽう腕の立つ存在で、最近入ったヒトの年増の主らしい……と。どうもあのヒトの年増を溺愛しているようで、話を付けに行った男たちが何人も半殺しの目にあっているのだとか。
「お嬢…… ララの行方が知れやした」
暗闇の中、四方1メートル先には聞こえぬ声でリベラが報告を上げる。リリスはリリスで全く動じる様子無く、まっすぐにドーラを見つめたまま小声で返答した。
「無事なの?」
心配することはそれだけだ。ただ、一瞬だけ口籠ったリベラの反応に、リリスの気が僅かに乱れた。リベラの反応が僅かに遅れたのは、言いにくい部分があるからなのだろう。
奴隷たちの価値が落ちないように。資産に傷を付けないように。かなり大事にされているのはリベラの報告で分かっていた。だが、その前提となるララの身の安全は杳として知れなかったのだ。
「それが……どうもちょっと面倒なところに居るようでして……」
そのまま報告を上げようとしたリベラだが、その前にドーラが挨拶を終えて舞台の外れへと戻ってきた。その背中に上着を掛け『お疲れ様です』とリリスが言う。
隅々まで気を配れる優秀なヒトの女。これを見れば街の住人たちがヒトの女を欲しがる気も解るというものだった。
「リースや。お姫様ってのは誰だって欲しがるもんなんだよ?」
いきなり際どい言葉を吐いたドーラにリリスがギョッとした表情を浮かべ、明らかに困惑した素振りを見せた。自分の正体を見抜かれている可能性がある。若しくは何らかの諜報機関に属している工作員かもしれない。
色街にある忘八な娼館の女主などと言えば、並みの存在なら係ろうとすら思わない立場故にありえない話でもないからだ。だが、畳み掛けるように言うドーラの言葉には情が込められていた。
「お前さん自身が自分の価値を一番わかってないようだね」
思わず『価値だなんて……』と率直な言葉を漏らし、リリスは更に困惑した。だが、舞台から上機嫌で銅銹館へと入って行くドーラは途中で足を止め、振り返ってリリスを抱きしめながら言った。
「女ってのは損なもんさ。けどね、子供を産めるのは女だけなんだよ。あんたも色々と苦労しただろうからわかるだろ?」
二ッと笑ったドーラが再び歩き始める。
リリスはどう対処していいのかわからず、ただ黙って後ろをついて行った。
「まぁいいさ。上がりの3割を入れてくれれば、アタシは何も文句が無いよ。さぁ今夜も稼いできな。バカな男からしっかり巻き上げておいでよ」
アハハハと笑いながら館長の私室へと入ったドーラ。その後ろ姿に一礼したリリスは四方に気を配りながらスッと移動し、リベラと打ち合わせを行う小さな私室へと入った。ドーラの執事状態なリリス故に、部屋を宛がわれているのだった。
「で、どこにいるの?」
一切の主語を省略した言葉でリリスがそう問うた。ララの所在を訪ねた訳だが、それを臭わせる言葉は一切なかった。何かしらの魔術などで盗聴されている可能性があるからだ。だが、『それが……』と言い淀んだリベラの報告を聞いたリリスは卒倒しかけてギリギリで踏み留まった。
「真鍮亭にござんす…… 色街の中でも極めつけにおかしい連中専門の娼館でやんして…… 年明けには水揚げだと言う事で街の旦那衆がせっせと通ってやす……」