表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
541/665

工作拠点の確保

~承前




 そのヘビの男は、パチパチと弾ける静電気のような雷光をまとっていた。


「リベラさんやい…… これはどういう事だい?」


 ヘビの男は薄衣の衣服を身にまとっている。その衣服の表面を細かな雷光がパッと走り、迂闊に手を出せば怪我では済まないことが見て取れる。そんな状態で首を傾げ、一面血の海に染まった居間に積み重なる夥しい死体を眺めている。


 その向かい。巨大都市シーアンの東部地区にある建物の中、リベラは珍しく全身に返り血を浴びて佇んでいた。その表情は久しぶりの殺しに高揚する暗殺者のソレで、ややもすれば次の犠牲者を探しているようにも見えた。


「なに…… ちょっと昔の血が騒ぎやしてね……」


 見る者を怖気させる笑みを浮かべ、リベラは手にしていたナイフを鋭く振り抜いて脂と血を払った。そのナイフは魔力を持つ者なら嫌でも理解出来るとんでも無い呪物だ。


 刃紋に浮かび上がるのは、苦悶の表情を浮かべ断末魔の叫びを上げる死した者達の最後の姿。そして、苦痛と憎悪と激しい敵意を剥き出しにして、触れる物全てを冥府へと誘う死神の霊気を纏っている。


「だからと言って私の家でいきなり始めることは無いでしょう?」


 まいったなぁと言う表情でリベラを見ていたヘビの男は、両手をスイッと胸の高さへ持ち上げ、その手の間に眩い電撃状のスパークを飛ばし始めた。およそ魔術の中で最も困難なモノは電撃なのだが、それを自在に操る手練れであった。


 暗がりを照らす雷光が一瞬だけリベラの目を焼く。だが、視界に頼らずとも仕事をこなす位は朝飯前の細作にとって、それは何の障害にもならない事だ。


「へぇ…… ですがね…… あっしは細作なんでさぁ…… 手練れを見ると血が騒ぐんでやすよ…… 殺してみてぇてね…… それこそ旦那なんて…… 散々殺してきたんでやしょ? ここへ流れ着いたヒトを遊びで殺して来た。違いやすか?」


 ニヤリと笑ったリベラ。パチパチと弾ける電撃のストロボ効果で、ヘビは初めてリベラの身体が生身では無い事を知った。無意識レベルで常に暗がりを選ぶ稀代の暗殺者は、己の正体を最後まで明かさなかったのだ。


「そりゃ当たり前さ。私は芸を仕込むのが仕事でね。それで今まで生きてきたし、覚えないなら覚えないで使い道は他にもあるだけさ。遊びで殺したい客なんてごまんと居る。それよりリベラさん…… そりゃぁ一体どういう了見だい? あんたのソレは……」


 そう。リベラの身体は生身では無い。いや、肉で作られては居るし、飯も喰らうし、なにより臭い息も吐く立派な身体だ。だが、死体から使える部品を集めて作られた木偶の坊的な肉人形などではない。


 凄まじい魔力と魔術により作り上げられた、極限の能力を持つとんでも無いスペックの肉体を持つ魔を宿した存在。ある者はそれをホムンクルスと呼び、ある者はそれをタロースと呼んだ。或いはそれをゴーレムと呼ぶ地域もある。


 だが、共通して言える事は一つ。それは、母の胎内から産まれ出でた者では無く作られた存在。人造人間と言う事だ。人を超える能力を与えんが為に魔力に富む者が作り上げた最強の守護者なのだ。


「へぇ、そりゃぁもう見ての通りでございやす。あっしの主がね、何処へでも行けるようにと作って下さったんですよ。んでね、あっしは一度死にやして、この中へ入っているってな寸法にござんす」


 リベラは半身になって右足を引き、グッと腰を落として突撃をかます体制となった。とんでも無い呪物その物な刃を身体の後方へと隠し、一気に距離を詰めて襲い掛かる姿勢だ。だが、ヘビの男は困った様な表情になり、ややあってきりだした。


「なら…… そうだな。君の今後だが私に鞍替えしないかね。君の身体に興味が有るし、今後についても今以上のモノを用意しよう。何なら定期的により能力のある身体を用意しても良い」


 それは、己の置かれた状況や差し迫った危険を一切考慮しない姿だった。そもそも、なんで自分が死ぬのか心底理解出来ないと言ったものだ。リベラが見せている感情の発露や嫌悪感と言ったものを全く理解出来ていない。


 言うなれば人間性その物がすっぽりと抜け落ちた昆虫の様なもの。目的の為に最短手を選び、それに立ちはだかる者は全て粉砕してきた。それを可能とする実力を持っていたし、立ちはだかる存在は統べて殺してしまった。


 ただ、そんな存在にとって最大の誤算だったのは、そこに居たヒトの女が姿形と中身が全く別物の存在と言う事だった。


「なるほど。ヒトの多くがヘビやトカゲを毛嫌いする理由はこれなのね」


 踊り子の衣装のまま姿を現したリリスは、ニコリと笑ってそう言った。ただ、姿形の中身が一致しないのを見抜ける者には驚異の塊が姿を現したに等しい。


「リースだっけか。お前はヒトの女じゃ無かったんだな」

「どうなんでしょうね? 半分はヒトだと思うけどね」


 あはっ!と笑ったリリスは楽しそうに表情を崩し、そのまま両手をフワリと振り上げた。ただ、それがただのジェスチャーで無いことはすぐにわかった。


 リリスの両手から紅蓮の炎が吹きだし、辺りの壁や柱を一斉に焼き始める。魔法で起こされた炎は魔法でしか消せない。しかし、火を消すのは水と言う一大原則がここで顔を出す。窒息消火法が使えない魔法の炎を前に、ヘビの男は首を傾げた。


「ほほぉ…… 素晴らしい!」


 それはどんな反応だ?

 一瞬だけリベラとリリスは対処を思案した。

 だが、その前にヘビの男は一方的に盛り上がり始めた。


「君はヒトの姿をした何者なんだね? 実に興味深い! どうだね? いっそ我が妻にならんかね? 君を研究したいんだよ。考えられる全ての贅沢を提供しよう」


 今にも笑い出しそうな歓喜を見せているが、そこに垣間見えるのはただ単に自分の希望や欲望、願望と言ったものの発露でしかない。そしてそこには相手への配慮だとか気遣いだとか、そう言った人間性の部分が僅かですらも無い。


 アスペルガーとかADHDと呼ばれる症状にも似ているが、最も正しい表現をするならサイコパスなのだろう。このヘビの男にはそう言う人間としての感情の大部分が欠如していたのだった。


「あー ……そう? なら――」


 一瞬だけリリスがとんでもなく邪悪な笑みを浮かべた。

 あの城の地下にあった死者の宮殿で伯母シャイラをいびり抜いていた時の顔だ。


「――もう一度お姫様にしてくれる?」


 返答次第ではとんでもない事態になる。リベラは全く違う形で緊張の度合いを上げた。何故なら、完全にブチ切れた時のリリスが何をするかは、常識では予測不可能だからだ。


「姫? それはどういう意味だね? 興味深い」


 ヘビの男は首を傾げたまま愉悦にあふれる笑みを浮かべた。新しい玩具を買ってもらった子供が見せる屈託のない笑顔そのものだ。だが、そんな笑顔が一瞬だけ凍り付いた。リリスの手から眩いばかりの電撃が迸ったからだ。


「そのままの意味よ。だって私は――」


 リリスが右手を振りぬいた時、まるで落雷のような音を立てて電撃が飛んで行った。着弾したのはヘビの男にまとわりつく静電気状の電撃だ。だが、おそらくそれはヘビの男の慮外な出力だったのだろう。


「――こう見えてもイヌの帝国の王妃だったのよ? 過去形なのが悲しいけどね」


 怒りに駆られたらしいリリスの電撃が再びヘビの男を襲った。通常の魔術において電撃を操る事は最上位の困難さを持つ。自然現象を観察し再現することから始まった魔道の研究においては、電撃を人工的に再現することが不可能だからだ。


 つまり、もって生まれたセンスと観察眼。後は瞬時に大電流を起こす為の膨大な魔力を要求される。そもそも瞬時に大量の魔力を絞り出せば、魔導士魔術師の類は命の危険を伴う。


 そしてこの瞬間、ヘビの男は悟った。自分に御せる様な存在ではないし、魔術師の力量としてははるかに上の存在だという事に。なにより、全てが手遅れで、後は死を待つだけだと言う事に……


「お嬢…… もう死んでやす」


 リベラに声を掛けられリリスは我に返った。頭の中で何かがプチリと切れたのが自分でも解っていた。ただ、それが自分の中にあったプライドであり、叶わぬ願望でもあると言う事を認めたくは無いとも思った。


 ――――もう手遅れよ……


 今の自分が何者であるのかを考える必要すら無い。考えてもどうにもならないのだから、もう全て飲み込むしか無い。そして今を楽しめば良い。恨んで生きるより楽しんで生きる方が健全だから。


「黒焦げにして跡も残さずにしたかったけど……」


 燃えさかる炎を見ながらリリスは言葉尻を飲み込んだ。そろそろ脱出しなければならない局面なのだが、心の何処かに妙なわだかまりを感じたのだ。


「お嬢…… 気持ちは分かりやすなんて安い事を言うつもりはございやせん。ですが……『大丈夫。解ってる。もうどうにもならない事も』


 ニコリと笑ったリリスはフワリと身を翻して建物の中を走った。既に街の中は騒然とし始め、建物の中に居たヒトがワラワラと建物の外へ出ていた。その中にリサの姿を見つけたリリスは、それとなく接近していった。


「大丈夫だった?」


 リリスの問いかけに『うん』と年齢相応な返答を見せたリサは、茫然自失の状態で炎を見ていた。激しい炎に何を思ったのか『怖い』と呟き、そのままリリスへと抱きついた。


「怖かったね…… 主様も助けたかったけど……」


 ここに来てリリスは改めて気が付いた。あのヘビの男の名をちゃんと覚えていなかった。建物の中では主様と呼ばれていたのだが、その名前は最後まで聞けなかったし聞かなかった。もっと言えば興味が無かった。


「……あの人は死んで良かった。あの人がお母さんを殺したの」


 思わず『え?』とリリスは聞き返した。だが、リサは震えながら言った。その小さな肩を震わせながら、怒りと憎しみを純粋に煮詰めたような表情で。


「お母さんは病気だったの。だから要らないんだって言ってた……」


 ぼそぼそと喋るリサを見ていたリリスは気が付いた。あの最初のリサには立派な犬歯があったはずだ。だが、このリサには犬歯が無くなっていて普通の人と変わらないのだ。


 見間違えたのか?とも思ったのだが、己の直感と魔力反応を見て間違いないとも確信している。ただ、そんな事よりも今後が問題だった。リリスが夢の中でカリオンに繋ぎを取ったことにより、あのヘビの男が気付いたのだ。


 リベラが呼び出され、屋敷の中に侵入者が居るから連れてこいと命じられた。リベラはその時点でリリスの魔力がばれたことに気が付き、屋敷の中のガード全てを殺して口封じを行ったのだ。


「これからどうしよう……」


 泣きそうな顔になってリリスに抱きつくリサ。その時リリスは気が付いた。リサの身体から立ち上る体臭が自分の一族と同じモノだと言う事に。ヒトの姿にはなったがイヌの嗅覚はなぜか受け継がれていた。


 そも、嗅覚は神経では無く脳が直接識別する感覚神経なのだとか。そんな医学的知識は無くとも、嗅覚によるモノの識別では恐ろしい程役に立つのだ。勿論今までの経験もある上に、魔力によるブーストも使える。


 その全てを客観的に判断すれば一つの結論が見えてくる。そう。間違い無くこのリサは自分に取って姪であり異父妹の子孫である。なにより、カリオンに取っては父ゼルから託された大切な存在であると言う事だ。


「ちょっとお前さん達。これからどうするんだい?」


 不意に声を掛けてきたのは、あの主様と呼ばれたヘビの男の取引相手である大柄な女だった。どんな種族かは解らないが、少なくともネコの種族に近い大型種らしい。ただ、問題はその姿だ。


「ケダマのおばちゃん」


 リサは顔を上げてその女を見た。リリスも少々ギョッとした顔になりつつも、その姿を見ていた。ル・ガルに居た時は一度も見た事の無い存在がそこに居たのだ。


「おぅおぅリサちゃん。怪我が無くて何よりだ。怖かったろう?」


 ケダマと呼ばれたその女は、女であるのに獣人の姿その物だった。カリオンのように男で有りながら獣人では無くヒトの近い姿を持つ者をマダラと呼ぶが、それよりも更に希少な存在がケダマ。


 リベラは小声で『ヒョウ……でやすね』と漏らし、それ以上の言葉を吐かなかった。ネコの大型種でありながら、ネコよりも遙かに敏捷で強い存在。獅子やトラに比肩する能力を持つ獰猛な一門だった。


「お前さんは…… そうだリースだ。そうだね?」


 リサが抱きついていたリリスを見て、ケダマの女はしばし思案しながら言った。

 疑われてはいけないのだから、あくまでヒトであると貫くのが賢明だ。


「はい。その通りです」


 ウンウンと頷いたその女はふたりを呼び寄せるとギュッと抱き締めた。驚く程の膂力がリリスの身体をギュウギュウと締め付け、リリスは胸の内に入っていた空気全てを吐き出してしまった。


「女ってのは損だね。こんな時には自分でどう動く事も出来ない」


 これまでの人生できっと相当な事を経験したのだろう。そんな事を思うリリスの目の前でケダマの女は深く溜息を吐きつつぼやいた。全くその通りだと妙な感心をしていた時、不意に振り返って『カルロ!』と何者かを呼びつけた。


「呼んだかいママ!」


 やって来たのは背の高い獣人の男だった。ママと呼ばれたケダマの女は少しだけ不機嫌そうな顔になり『外じゃぁ館長ってお呼びって教えただろう?』と叱りつけた。そのやり取りを見ていたリリスは、親子だと気が付いた。


「ゴメンよママ! で、どうしたんだい?」


 相変わらずな調子で微妙に緩いのだが、もうケダマの女もそれについては何も言わなかった。


「キオとクラーノと一緒にこの子達を館に入れてやんな。アタシが預かるから。それとコルを呼んでおくれ。ケスタと一緒に役場へ行ってもらう」


 ――――……あっ!


 その瞬間、リリスの脳裏に一枚の絵が描かれた。このケダマの女は確か芸楼を経営しているはずだ。あのフィエンの街にあるクワトロ商会と同じように、色街の中で確固たる立ち位置を築いた存在だ。


 ならばここに寄生しておいて、時間を掛けて脱出したりララとタリカの行方を捜した方が良い。これから冬なのだから行軍にも時間が掛かるだろう。つまり、時間稼ぎしつつ目的を果たすにはうってつけだと思ったのだ。


「お店に入れて下さるのですか?」


 リリスはあくまで下からの物言いで望んだ。端から見ればヒトの年増にしか見えないのだから、それが正解だと思った。そしてこの場ではケダマの女には覿面にそれが聞く事を見て取っていた。


「そうしないと困るだろう? なにも客を取れとは言わないさ。お前さんだって色々他にも芸はあるだろう。しばらくウチに居て身の振り方を考えれば良い。ヌマには色々と借りがあるからね。悪いようにはしないよ」


 リリスの肩をポンと叩いてから『さぁ着いておいで』と一言くわえて女は歩き出した。その時点であぁそうかとリリスは思いだした。あのヘビの男の名前はヌマだった……と。このシーアンの街で一番嫌われていた存在で、名前を呼ぶのも嫌がられていた存在故に、殆ど名前を聞いたことが無かったのだ……と。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ