表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
539/665

信じる事の難しさ

 穏やかな幕開けであった帝國歴398年は、激動の状態で終わろうとしてた。

 酷い激突を経験したル・ガル軍は崩壊一歩前の状態で、お話にならない現状維持が精一杯の状況に陥っていた。


 生存者の救助を終えたキャリは強がりな報告を上げているが、その裏にある葛藤と絶望感を城のスタッフ全員が共有している状態だ。カリオンは今すぐにでも前線へ駆けつけたいが、今度は王府全てのスタッフがそれを引き留めていた。


 ――――まずは地均しが優先です


 今行けば傷口が広がるだけ。それを解っているからこそ、ウォークまでもが歯を食いしばってカリオンを引き留め、ジリジリと焦燥感に駆られつつ何事もままならぬ状態なのだった。


「状況はまだ掴めないのか?」


 一日に数回は下されるカリオンの問いこそが、その心情を雄弁に語るもの。激突から既に2ヶ月近くが経過した11月の始めにはそれが慣例化し始めていたが、今度は絶対的な距離が障壁となり、断片的な情報だけが王都へ届いていた。


「キャリの送って寄こす情報では、リリス様とララの行方が……全く……」


 ウォークも表情を曇らせそう返答するしか無い。魔力で繋がっていた筈のカリオンとリリスだが、現時点ではその繋がりを断ち切った状態になっている。カリオンもすでに常識外れの魔力を持つ存在に成長しているが、その魔力探査でリリスが見えないのだ。


 双方共に冗談のような魔力を内包するだけに、あり得ない事態と言える。ただ、そこに僅かにでも希望が存在するとするなら、仮にリリスが死んでいた場合でもカリオンはそれを察知できるはずと言う部分だった。そして、夢の中で別れを告げることくらいは簡単にやってのける次元の魔女だという部分。


 それらを勘案すると、そこには一つの仮説が浮かび上がる。つまり、何らかの事情があって連絡を取れない環境に居るか、若しくはそんな環境に押し込められていると言う可能性だ。


「……リリスはまぁ、何とかなるだろうが……あの子が……」


 カリオンの零す心配事は、いつの間にか息子では無く娘を心配する父親のそれに代わっていた。ウォークの妻となったクリスティーネの事を思えば、仮にイヌの王の娘だとしても壮絶な扱いをされる事は想像に難くない。


 そもそもが世界の支配者であると僭称する獅子の国なのだから、イヌの国など辺境の未開国から来た田舎娘程度の扱いであっても何ら不思議なことでは無い。


「やはり行かせるべきでは無かった。今さらこれを言っても仕方が無い事ですが」


 ウォークは遠慮無くそんな言葉を吐くが、それ自体がカリオンの精神を削るヤスリのようなモノになっていた。苦々しい表情を浮かべつつ、それについても首肯を返すしかない。


 だが、痺れを切らして取り乱す事など出来ない立場だけに、誰よりもカリオンが辛い事を皆が解っていた。そして、その焦燥を我が事のように理解する者がふらりと王府に姿を現した。


「勝手に邪魔をする――」


 そこに現れたのは全身に緊張感を漂わせたトウリだった。検非違使の衣装をまとい黒い頭巾で顔を隠しているが、カリオンにもウォークにも着膨れしたその正体は伝わっていた。


「――手勢を連れて前線に赴きたい。許可をくれ」


 ララはトウリの娘だ。その焦燥を共有している存在でもある。それ故にこうやって表舞台へこっそり戻ってきたのかもしれない。間違いなく甲冑をまとっているのだろうトウリは、喧嘩支度で来ているのだ。


「検非違使を持ち出すのか?」


 流石のカリオンも即答を避けた。ル・ガル戦力の中で唯一手つかずのまま残っていた切り札。トウリはそれを持ち出す許可を求めていた。やる事は単純で簡単な話だ。如何なる犠牲も顧みず前進し続け、獅子の国へ侵攻してララを探すのだろう。


 狂った実験の果てに作り出された存在である「かさなり」を人工的に生み出した存在。検非違使を構成する覚醒体はある意味ではカリオンの劣化コピーであり、違う面から見れば従姉妹のような存在。


 それ故に持ち出しは思案せざるを得ないものだ。何より、ここしばらく連絡や接触のないイワオとコトリが動員されるのは間違いないだろうし、行くなと言っても勝手に行きかねないのだ。


「あぁ。それにリリスも探したい。色々と言いたい事もあるだろうが――」


 覆面の奥にある眼差しが狂気を帯びている……

 ふとそんな事を思ったカリオンは、黙ってトウリの言葉を待った。


「――黙認では無く明確な許可が欲しい」


 つまり、アレコレ気にすること無くフルパワーで殴らせろ。トウリはそう言明したに等しい。そしてその気持ちも解らない訳では無い。しかしながら、事態はもはやル・ガル一国で済む状況では無くなっている。


「……少しだけ考えさせてくれ。基本的には行かせたいし、むしろ行って欲しいと言うのが本音だが……」


 顎を擦って思案に暮れたカリオン。その脳裏に去来するのは、オオカミの王であるオクルカであり、キツネの皇であり、ネコの代表であるエデュ。そして、なによりもリリスとララの笑顔なのだった。











 ――――――帝國歴398年 11月 12日











「お疲れ様にございやす。お嬢」


 リリスが部屋に戻ってきた時、リベラは辺りに聞き耳を立てて人気の無いことを確かめてからそう切り出した。顔を向けずとも耳だけを左右に振れるネコの特性はこんな時に便利らしい。


 ジェンガンの街から西方へ凡そ8リーグ。正確な距離は解らないが、凡そそれくらいの距離にある街、シーアン。ジェンガンを遙かに超える巨大な都市の片隅にある大きな芸楼の中にリリスとリベラは居た。


「この歳で習うには難しいわね。飲み込みが遅くなってる」


 薄衣で設えられた踊り子の衣装に身を包んだリリスは、着ていたモノを全て脱いで丁寧に畳むと、粗末な普段着に着替えて椅子に腰を下ろした。その首には豪華な設えの首飾りが輝いてて、今のリリスの立場を雄弁に物語っていた。


「本当に……申し訳ございやせん。咄嗟のこととぁ言え……面目ねぇこってす」


 主であるリリスに茶を差し出し、リベラは小さく縮かまって向かいに座った。だが、当のリリスはニコリと笑って茶を受け取ると、一口飲んでからホッと息を吐き出して笑った。


「良いのよ。良いの。これで良い。それに、あなたがこれを持っててくれたおかげで助かったんだし」


 リリスの手が触れたそれは、遠い日にリリスの母レイラが身に付けた首飾りだった。フィエンゲンツェルブッハの有力者であったネコの男が母レイラにプレゼントしたというそれは、ヒトが誰かの持ち物である事を雄弁に語るもの。


 有形財産である奴隷の証であり、主を持つ存在故に迂闊な事をすると法的に面倒な事になると雄弁に語る身分証明書。少なくとも獅子の国において迂闊な扱いをされない為の重要な保証でもあった。


 ただ、少なくともこの場面では世間からの眼には奇妙な光景に写るだろう。奴隷であるヒトの女が鷹揚と過ごしている向かいでは、主である筈のネコの男が小さくなっている。主従の立場が入れ代わってしまっているのだ。


「本当に……面目ねぇこって……」


 ジェンガン市街戦の後、獅子の国の正規軍は事態収拾活動に当たっていた。そんな連中を相手に、リベラが言った咄嗟の出任せの結果だった。


「でも、殺されそうになったんでしょ?」


 リリスが言うそれは、リベラの説明にあったものだ。その場において獅子の正規軍はリベラを殺そうとしたらしい。リリスを見つけた正規兵は、その所有権を巡って争ったらしい。だが、リベラはそこに介入したのだ。


 このヒトの女は自分の持ち物だとリベラは凄んだ。その結果、獅子の兵士はリベラを殺してリリスを奪おうとしたらしい。リリスは完全に昏倒していたので詳細を知らないが、リベラは獅子の正規兵30名以上を殺したそうだ。


「そりゃぁまぁ……あっしはその道のもんですから。ですが……」


 ほぼ無意識レベルでそれをやったのだが、とんでも無い手練れが居ると話題になりジェンガンの執政官がやって来た。リベラはその場で獅子の国の商人に届けるよう委託されたモノを持ってきたネコの商人の使いだと嘘をついた。


 ヒトの女は自分の召使いで有りカバン持ちだと。安全を保証されてこの街に居たのにこのザマは何だ!と声を荒げ、これでネコの国にも帰れなくなったから補償しろと迫ったのだ。


「でも、結果的にはこの街に上手く入り込めたんだから良いじゃない」


 リリスは笑ってそう言った。リベラが言ったことは勿論全てが出任せなのだが、クワトロ商会の常套手段で、昔は散々とこの手で巻き上げたやり方。ふとそれを思いだしただけなのだが、困った事に想定以上の効き目で執政官が反応した。


 往来手形を発行するのでシーアンに向かえという。ジェンガンから西に向かった獅子の国の西方地域最大拠点都市だ。そして、その街で再起を図れば良いと。ちょうど良くヒトの女が居るなら、芸妓にでもして売ってしまえば良い金になるだろうから、軍資金は問題無いな?と妙な配慮までついて来た。


「そりゃぁ……まぁ、そうでやすが……それにしたって……」


 あっけらかんとしているリリス相手にリベラは二の句が付けられない。場合によっては客を取らされかねない立場にあるのだ。勿論そうなれば、リリスを選んだ客をこっそり腹上死させる事くらいは朝飯前にやってのけるが……


「良いのよ。良いの。それにけっこう気に入ってるのよ? これも」


 ウフフと笑って自分の衣装に目をやったリリス。男を誘ってその気にさせる扇情的な衣装は、はっきり言えば舞妓と言うより一夜の夢を男に売る女たちのそれだ。ただ、それもリリスにとってはある意味で楽しい事だった。


 母レイラが過ごしたクワトロ商会の実際や、その内情と言ったモノの多くをリベラから教えられたリリスは、母レイラが身体を売っていなかったとは思えなかったのだ。


 父カウリが好色の男であったのは嫌でも理解していて、そんなカウリをそれなりに満足させていたのだから、母レイラもそれなりに床上手だったはず。そんな母をリリスは何処かで尊敬すらしていた。


 それ故か、シーアンに到着した時、ヘビの魔導師がリリスを気に入ってしまってなし崩し的にその店に入ることになった際には、リリスの方が乗り気だった。結果としてリベラが店の黒服役として収まる形になっていた位だ。


「そりゃぁあっしだって……まぁ、懐かしい仕事ではござんすがねぇ……」


 クワトロ商会で最強の黒服であったリベラだ。春を売る色街の中のあれやこれやは教えられなくともよく解っている。そして、めっぽう腕の立つ存在と言う事で他の店の黒服達とバチバチにやり合った結果、シーアンの街でそれなりに押しが利くようになっていた。


 それを知ったリリスが命じたのは、街の中でララとタリカを探せと言う事だ。だが、そんなリリスの奥底に芽生えた不思議な感情は、母と同じヒトになった自分が妙に嬉しいと言うものだった。


 だからこそリリスは気にせずに仕事を行えとリベラを送り出し、その後で芸を身に付けるべくレッスンに励んでいた。まだ幼い子供達が様々な学問を身に付けるべく学んでいる横で、少女くらいに育った娘達が芸事の稽古をしている。そんな環境でリリスは個人授業状態のレッスンを受けていた。


 ただ、困った事にその教官役はヘビの魔導師その物なのだ。そして、リリスはその魔導師としての実力で相手の力量を見抜いていた。迂闊にこちらが魔術を使えば身バレしかねないと言う事にも気が付いていた。


「あとはどうやってカリオンと連絡を取るか…… まぁ死んでるとは思ってないでしょうけど」


 ウフフと笑ったリリスは、その後でウーンと唸りながら身体を伸ばし窓の外を見た。沈んでいく夕日に目をやり、ふと思案に耽った。少なくとも自分の存在をカリオンは認識しているはず。夢の中へ入ると、程なくカリオンもやって来るのだ。


 仮に自分が死んだなら、間違い無く最優先でカリオンの元へ行っている筈。そうなった場合にはカリオンも自分を認識するだろう。故に現状では死んでないとカリオンが認識している筈。何の根拠も無いが、それでもリリスはそう確信していた。


 ――――なにか手を考えなきゃ……


 およそ魔導師というモノは、だいたいが抜け目なく抜かりなく、物音をよく考えるタイプだ。それ故に、出し抜くにしたって相当な手間が掛かるはず。リベラを使って繋ぎを取るにしたって、些細な事で見抜かれかねない……


「……お嬢。夕餉にいたしやしょう」


 少々アンニュイな表情にでもなっていたのか。リベラはリリスを見ながらそう切り出した。建前上は置屋では無い関係で、ここの女たちに食事の支給は無い。もっとも、ここでは女たちが遙かに稼いでいるので、むしろ余計な束縛を受けないことの方が重要らしい。


 つまり、食事は自腹で何とかせぃという事だ。店の黒服に収まったリベラはそれなりに給金をはずんで貰っているので、幸いにして懐は温かいはず。それならば街の大通りで何か食べたいモノを食べるだけ。


「そうね。じゃぁ、外にでも食べに出ましょうか。どうですか?ご主人様」


 いたずらっぽい笑みでそう言ったリリス。ただ、その言葉自体が身を斬る刃その物なリベラにしてみれば『勘弁してくだせぇ』と絞り出すので精一杯なのだ。


「ダメよ? 嘘はちゃんと突き通さないと、ばれた時に面倒だから」


 ウフフと笑ったリリスは再び外へと目をやった。街の空をいぶす煙は、各所から立ち上る夕餉の炊煙だ。ル・ガルは富める国ではあるが、このシーアンの発展は王都ガルディブルクを凌ぐ規模にも感じられる。


 なにより、周辺より様々な食物が集まり、凡そ考えられる全てのモノが自由に食べられるのだ。その豊かさを見れば、ル・ガルはとんでも無いところに目を付けられたと言って良いし、迷惑な話でもあった。


「へい。畏まりやした」


 困った様な表情を浮かべつつ、リベラは衣装行李からリリスのメイド衣装を取り出した。獅子の国では余り見ない衣類故にとにかく目立つのだ。そして、同時にリベラも全身黒尽くめの仕事着に着替える。これでネコの国から来た行商人とメイドのコンビニ見えるだろう。


「じゃぁ、サクサクと仕度しなせぇ」


 ニコリと笑ってリリスは着替え始めた。リベラが居るその前でだ。だが、今のリベラは生身の身体では無い故に間違いなど起こりようが無い。何となく一抹の淋しさを覚えつつ、それでもリベラはリリスの着替えが終わるのを待った。


「これはこれで楽しいわね。カリオンも連れてきたい」


 夕餉のメニューは何処か別の国の大皿料理が饗される店だった。カリオンならどんな顔で食べるだろうか?とリリスは思案した。ただ、ふと店内を見回した時、店の片隅に居たヒトの少女が眼に入った。そして思わず『え?』とリリスは漏らしてしまうのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ