狙い澄ました反撃
~承前
疼くような痛みに意識を取り戻したリリスは闇の中に居た。
ゴロゴロと響く音を聞けば、それが馬車の中であると気が付く。
――――どこ?
全く光のない状況を考えると、最初はそう思うのも当然だった。
だが、闇を見通す魔術を使った時、そこが窓一つない馬車の中だと知った。
「申し訳ありやせん……姫。ちと下手をうちやして、こんな状況に」
不意にリベラの声が聞こえ、リリスはリベラを探した。
そのリベラは馬車の中で天井から逆さまにぶら下がっていた。
「……どういう事? 何が起きたのか教えて」
「へぇ」
リベラはリリスが昏倒した後の事を一気に語り始めた。
まず、中に浮かべた城壁が一斉に崩れ、市民や獅子の正規軍補助軍を踏みつぶした事。その結果、補助軍は大混乱に陥り正規軍と同士討ちを始めた。だが、城外に居た正規軍主力が城内になだれ込み、混乱する状況を収束させるべく行動を開始。
実際には抵抗するもの全てを排除し、無抵抗の者を収容することで事態の収拾を図ったのだという。そしてその場でジェンガン執政官を名乗る者が姿を現し、現状で獅子正規軍に収容された者全てを奴隷階級とすると宣言。
それはかの国では一般的な行為で、逃散する市民や捕虜の身分保障をする為の行為なのだとか。本来の主が現れればそちらに引き渡し、一定の期間を置いて雇用主なり主人が現れない場合は新たな身分保障人の元へ引き渡すのだという。
「つまり、奴隷って訳ね」
「へぃ。面目ねぇこって」
闇の中でリベラは頭を下げた。広い馬車だが車内はリリスとリベラだけで、ウィルの姿が無かった。体中のあちこちが疼くのだが、無視できるレベルだ。
「ウィルは?」
その問いに対し、リベラはさらに畏まったようになって言った。リリスが昏倒した後、正規軍相手にウィルはなおも魔法闘争を繰り広げたというのだ。だが、獅子軍側が何か大きな魔法効果を引き起こす術を使い、ウィルはどこかへ吹き飛ばされたという。
それが魔術による敵の排除であることは明白で、過去に何度か教えてもらった強力な魔術師との戦い方における奥の手の一つだった。それ故にリリスも溜息をこぼして納得せざるを得ない。
「高位魔術師同士の戦いは千日手になりやすいから……」
魔法は何も神の御業ではない。すべてに理屈とメカニズムがあり、それを知っていれば相手の魔術を邪魔したり反転させたり、あるいは逃散させることで決着が付かなくなるもの。
そうなった場合に備え、高位魔術師は相手を吹き飛ばす魔術を身に着けるもの。相手もその魔術を使い、双方同時に距離を取って離れる事もある。リリスのように己の命そのものを媒介として強力な魔術を使う事もあるが、それは稀な事だった。
「そうなんだ……とりあえずありがとう。おかげで生き延びたわ」
「へぇ……ですが……」
闇の中、おともなく床面に着地したリベラはリリスの前へ片膝をつき傅いた。
ほかに二人といない己が主を前に、稀代の細作は小さく縮かまっていた。
「ですが……?」
「実はちと困った事態になりやして」
暗闇の中、リリスは首をかしげることで続きを求めた。
それを見て取ったリベラは、ため息を吐きながら切り出した。
――――半日ほど前
「キャリ! ヤベェ!」
いきなり大声を上げたタリカは彼方を指差して叫んだ。
戦線指揮台の上に居たキャリ達が見たものは、空中に浮いた巨大な城壁の塊だ。
「あれが魔法の威力か」
感嘆したようにキャリが呟くが、その直後に城壁の岩が崩れ落ちはじめた。濛々と砂煙を巻き上げる光景は凄まじいの一言だが、問題はその後だった。
「……うそ」
ララは傍らに居たタリカの肩を叩いて視線を向けさせた。その視線の先に見えていたのは獅子軍団の主力だった。ジェンガン郊外の何処かに展開していた軍団はこの時を待っていたのか待っていたのかも知れない。
ただ、そんな事はどうでも良い。少なく見積もっても2万や3万じゃ効かない数の軍団がそこに居るのだ。彼らが何をするのかは言うまでも無いだろう。タリカは引き攣った表情で叫んだ。
「砲兵! 砲撃用意! 目標ジェンガン市街周辺広域! 榴弾を使『待って!』
ララはタリカの指示を抑え、それに重ねて言った。
「水平射撃! こっちへ来る! ここを目標に!」
ララは左右に両手を広げ、その両手を閉じる事で戦術のあらましを伝えた。
その僅かなジェスチャーがララの内心をこれ以上無く現していた。
怖いのでは無い。好機だと判断しているのだ……と。
「ここを囮にする! 左右からつるべ打ちにして遠距離で数を漸減しておき、接近してきたところは銃撃! 急いで!」
この娘も黒耀種の気風を受け継いでいる……
指揮台に居た参謀達は全員が同じ事を思った。そして同時に、絶対にこの娘を殺してはならないと。キャリ以上にララを殺してはいけないのだと気が付いた。先のル・ガル動乱で太陽王が行ったアージン一門の内部粛正は血脈を細らせたのだ。
つまり、これからこの娘が産むであろうイヌとオオカミの中間に当たる子孫は、その細くなってしまったアージン主家を補佐する強力な衛星貴族となる。いや、王は男爵位を与える程度で公爵家伯爵家の待遇を与えはしないだろう。だが、様々な場面で国家と王家を支える柱となるのは間違い無い……
「姫! 我ら各砲座に陣取ります故――」
ライトハイザーは指揮台を降り始めつつ叫んだ。
「――各砲座に指揮を出されよ! 武運拙きときは我らが最後の堤と也申す! その間に後方へ脱出されよ! 武運長久! 神仏照覧! ガッハッハッハ!」
様々な家系の中で才ある者のみが集まった参謀陣だが、その中で歴戦のベテラン達が率先して12門ある砲座に散っていった。砲のオペレーションを行う操作要員は、状況判断の上で各個砲撃をするのには向いていない。
ここから先の混戦は予想するまでも無く確実なのだろうから、それに備えるのも重要な行為だった。
「……奴ら、漢だぜ」
タリカはその背中を見送って呟く。各々が砲座に陣取る以上、最後は玉砕覚悟だろう。最後の一兵まで盾となる覚悟を決めたと言う事なのだ。ただ……
「おぃキャリ」
タリカの呼び掛けに首だけ振ったキャリ。
だが、その表情は決然とした覚悟を滲ませる固いものだった。
「……あぁ、解ってる」
どうも微妙に認識の齟齬がある。だが、当事者達はそれに気が付かない。
彼らはララを守る為に散らばっていったのだが……
「おめぇは何があっても脱出しろよ。俺が最後の盾だぜ。だから俺に構わず」
タリカは凄みを添えた笑みを浮かべてそう言った。キャリは拳を伸ばし、その拳にタリカが拳を撃ち返した。信頼に信頼で応えるグータッチは、ふたりの男が無言で交わす信頼そのもの。
だが、そんな美しいシーンは唐突な砲声で破られた。最前列に陣取っていた砲座が各個判断射撃を開始したのだった。
「来たッ!」
ララが叫ぶ。
地平線を埋め尽くすような大軍が一斉に押し寄せてきた。
「総戦力凡そ4万! 各個砲座連続射撃始め!」
およそ1リーグの距離となる見通しの良い平原だ。砲撃を行うなら絶好の条件と言えるだろう。だが、不運にもここではジェンガンの側が風上だった。突進してくる軍勢が巻き起こした砂煙がやって来たのだ。
「クソッ! 見えねぇ!」
タリカが悔しがる者仕方が無い。猛烈な威力を持つ砲撃とは言え、煙に巻かれて視界を失えば敵勢の多くは恐怖も和らぐというもの。ましてやまだくらい時間帯なので、そもそもの砲火以外に恐怖を撒き散らすものはない。
「ほほほ。これでは溜まりませんな」
「そうだぜ。俺達の出番だ」
そんな事を言いつつ指揮台に上がってきたのはウサギのハクトとトラのルフだ。
ふたりは地平に向かって何事かの詠唱を始めた。先に魔法効果を発現させたのはルフで、城での研究が養った実力を発揮し巨大な竜巻を敵陣の中に起こした。
「すげぇ……」
「父上はこれを考えていたのか」
タリカもキャリも言葉を失うそれは、敵陣が巻き起こした砂煙を全て吸い上げ上空へと拡散する竜巻のバキューム効果だった。見る見るうちに視界がクリアとなってゆき、直接照準での砲撃が捗り始めた。だが、その直後にハクトの魔法が効果を発揮し始めた。それはハクトにしか出来ない魔法だった。
「……なに? あれ……」
ララが首を傾げたそれは、獅子の軍団に起きた信じられない魔法効果だった。立派な角を備えた大牛に跨がる獅子軍騎兵は速度に乗った吶喊を見せていた筈。しかし、そんな騎兵の吶喊速度がすーっと落ちていった。
見る者が見れば、それをスローモーションと呼ぶのだろう。時間という概念がまだまだ確立されてない世界では、時の進み方に干渉するなどと言う高度な物理概念を理解しろという方が難しい。
だが、その結果だけを見れば嫌でも理解出来る事がある。そう。彼らの速度は落ちている。明らかに落ちている。こちらの放った砲弾も着弾前には速度が落ちるのだが、そんな事は余り問題にならない。
再装填し砲撃を行う側の時間は遅れていないのだ。つまり、敵側から見ればまるで連発するかのように砲撃密度が増えた錯覚に陥るはず。それを隠す砂煙が無くなったのだから、心理的なプレッシャーは倍増する筈。
「さぁ、ドンドンやるぞ」
「ハイよ!」
引き続きルフとハクトが詠唱を始める。同じように広範囲へ魔法効果を発揮するべく同じ魔法を繰り返し使っているらしい。獅子軍は続々と動きを悪くしているので、こちらの攻撃は威力を増し始めた。
――――上手くいってる……
ふと、ララがそんな事を思った。そして同時にキャリとタリカを見た。ふたりとも満足そうな表情で彼方を見ていて、ララは頭の何処かに『勝った』と確信を持つに至った。
ただ、3人の若者達は残念ながらまだ知らなかったのだ。上手く行っている時ほど見落とす物がある。順調な時ほど致命的なミスを犯す。そう。勝ったと思った瞬間から、負けがこっそりと顔を出すのだ。
「なぁタリカ。あそこ、獅子の騎兵の真ん中辺り。あそこに優先砲撃しよう」
キャリが指差した辺り。そこには騎兵でありながら槍や弓などの武器では無く、魔術師のようなワンドを持った一団が居た。それこそが獅子騎兵を最強たらしめる魔導騎兵であるのだが、ル・ガルはまだそれを見た事が無かったのだ。
「魔術師ならこっちに飛び込んでから魔法を使うんじゃ無いか?」
タリカはごくごく当たり前な反応を見せた。誰だって極限の精神集中を要する魔術師が馬に乗れるだなんて思わないだろう。だが、不可能を可能にせしめた時、それは戦場を一気に返るパラダイムシフトの核心になり得る。戦争と戦場を一気に変えてしまったル・ガルの面々ですら、その事実に気が付かなかったのだ。
「いや、もしあそこで魔法を――
タリカの呈した疑問にキャリが危険性を答えようとした時だ。唐突に竜巻がパッと消え去り、同時にルフがうめき声を上げてその場に蹲った。何が起きたのかはキャリにもタリカにも理解出来ないが、竜巻が消え去った頃で視界は再び悪くなり始めた。そして……
「ヤベッ!」
タリカがその異常を見つけた時、それは既にチェックメイトだった。獅子軍側から猛烈な魔法攻撃が始まった。ル・ガル側の軍勢が見たのは、文字通り炎の津波だった。魔法で起こされた火は普通の方法では消す事が出来ない。
その津波がル・ガル側陣地を襲った時、最初に起きたのは砲兵陣地の火薬が爆発する事だった。そう。彼らは犠牲を顧みず吶喊する事を選んだのだ。火薬が炎で発火する事を見抜き、炎の魔術で対抗しに出たのだ。
だが、幸か不幸か爆発したのは2カ所だけで、生き残った砲座は魔術騎兵の居る辺りへ砲撃を再開した。猛烈な砲撃が続き魔術騎兵を次々と焼き払っているが、後から後から現れる敵軍魔術師に砲が対処不能になりだした。
「銃が届く! 銃兵! 射撃準備良いか!」
キャリは直接指示を飛ばした。先頭指揮台の直下に作られた幾段もの射撃陣地から準備良しの返答が届き、キャリはグッと気を入れて命を発した。
「射撃7段! 前面より漸減せよ! 撃ち方用意! 放て!」
距離に知れば500メートルを切った辺りだろうか。銃兵が射撃を始めると、碌な装甲を持たない魔術騎兵がパラパラと落馬した。サッと入れ代わった2段目が一斉射撃を敢行すると、更に魔術騎兵が落馬し、後続に踏み潰された。
重量のある牛なのだから、馬と違って即死するのかも知れない。だが、命のやり取りな最中だけに情けは無用だ。3段目が前に出た時、既に距離は300を切っていた。
この距離なら完全に有効殺傷距離となる。そして、3段目以降は20匁弾を放つ小口径高速弾だ。猛烈な射撃煙の後に見えたのは、アチコチで蜂の巣状になった騎兵だった。
「ドンドン撃て! 殲滅せよ!」
キャリがそう指示を飛ばし、銃兵陣地から歓声が上がる。断続的な射撃が続き敵陣の前進速度がさすがに遅くなったような気がした。そもそも遅かったのだが、更に遅くなったのだ。だが……
「グッ…… 無念……」
突然ハクトが倒れた。猛烈な魔術の行使で魔力が尽きたのだ。その直後、敵騎兵が一気に速度を上げたように見えた。銃兵陣地が一瞬パニックになり、貴重な貴重な数秒が無為に失われた。そして……
「ララ姉ぇ! 逃げろ!」