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リリスが消えた!

~承前




 霧の立ち込める草原に可憐な花が咲き乱れていた。

 リリスの作り上げた幻の楽園。幼き日に見た、暖かな思い出の地。

 そんな白い世界の中、カリオンは僅かに怪訝な顔でお茶を啜っていた。


「……リリス。遅いね」


 ボソリと呟くサンドラの表情には怪訝な色が見える。

 次元の魔女が造り出した仮想空間の中、カリオンとサンドラは主を待っていた。


 瀟洒なテーブルと椅子が有り、カリオンとサンドラは向かい合って座っている。

 そのふたりの間にリリスが割って入り、カリオンはふたりの妻を見るポジションに座るのだが……


「なんだか妙な胸騒ぎがするんだがなぁ……」


 カリオンはやや気忙しげに顎を擦っていた。このサワシロスズの咲く草原では、若かりし頃の姿のままなカリオン。だが、サンドラは気付いていた。その姿は確実に老いていると。


 だがそれ以上に心配なのは、この仮想空間に流れる風が妙に生っぽい事だ。サンドラの鼻はそんな空気の中に血生臭を感じていた。それは、少なくともリリスの身に何かが起きた可能性が高い事を示していた。


「まぁ、ウォーク君が来ないのは仕方が無いとして……」


 サンドラはニコリと笑って見せて、新婚夫婦の幸せな夜を思っていた。

 今頃はクリスティーネがご機嫌だろう事をサンドラは祈った。だが……


「アイツは今頃……戦場だ」


 凡そボルボン家に有る女たちは、どれも一様に夜のこなしが上手いという。床上手と言うにはいささか下品なのだろうが、少なくとも男の方を負かしてしまう事が多いのだ。


「まぁ、上手く回っていれば良いんだけ『ん?』


 サンドラが何かを言おうとしたとき、僅かな異変をカリオンが感じ取った。そして直後、言葉では表現出来ない違和感をふたりは覚えた。同時に顔を見合わせ『ヤバイ!』とアイコンタクトを交わして仮想世界の中からログアウトした。


 しかし、そのログアウトの途中でカリオンが見たのは、一面のサワシロスズがサーっと枯れていく後継だった。純白の花が茶色く枯れて砕けていき、白い霧の谷間から色が消えていった。


 もし世界が終わるとするなら、きっとこんな光景なのだろう。何の根拠も無くカリオンはそう思った。ただ、それは同時に絶対受け入れ難い事態が起き、そして進行中なのだとカリオンは気が付いていた。


「リリス!」


 寝室で飛び起きたカリオン。クワッと見開いた眼差しは彼方の闇を睨み付けていた。その隣で眠っていたサンドラも跳ね起きるようにして立ち上がり、カリオンの隣に立って彼方の闇を見つめた。


 水平線の向こうに沈んで見えない筈だが、それでも何かが見えるんじゃ無いかと言う変な期待がふたりにはあった……


「絶対何かあったよね。リリスどころかジョニー君も来なかったし……」


 サンドラですらも慌てて早口になっている。ただ、そうは言っても帝后の努めが染みついているのか、無意識レベルでカリオンの背にガウンを掛けて帯を締めた。


「ここに居てくれ」


 乱れた頭髪をサッと整え、カリオンは身支度を済ませると部屋の出口へと向かった。その後ろ姿を見送りながら『……わかった』とサンドラが囁いた。そして『誰がある?』と小声で囁く。すると、壁の暗がりからスッと殿居の女官が出て来た。


 カリオンでは無くサンドラの手駒として動く城の中の女たち。その中にリベラの育てた細作紛いの事を出来る者達が幾人か揃っていた。彼女らはサンドラの側近として城の中の指揮命令系統とは独立した存在になっていたのだ。


「なにか」


 怜悧な眼差しでそう切り出した女官のひとりが囁く。

 まるで忍者のように素速く動く彼女らはサンドラの指示を待った。


「何か暖かいモノを。それと、城の全てに明かりを灯して」

「畏まりました」


 勘の良い者ならば、それだけで何かが起きたと理解するだろう。最大限クリスティーネへ配慮しつつ、それでもウォークへ大至急登城しろというサインをサンドラは出していた。


 ……ふと、リリスが死んだかも知れないとサンドラは思った。そして、誰にも言えない一番深い部分の本音として、そうなったら面白い……と素直に思った。カリオンは間違い無く嘆き悲しむ筈だが、その隙間を自分が埋めるかも知れない……


 隠しきれぬ女の性が頭をもたげているのだった……




 同じ頃。


「ウォーク! ウォーク! どこだ!」


 カリオンが城詰めスタッフで埋め尽くされた太陽王の執務室へ入ったとき、深夜にも関わらずガルディブルク城の王府はまさに大混乱に陥っていた。獅子軍側の大反攻が最前線から送られてきた光通信で速報されていたのだ。


 ただ、混乱の原因はそこでは無い。最も重要なキーパーツと呼ぶべきウォークが不在で指揮命令系統が混乱しているのだ。完全に舞い上がっているカリオンは居るはずの無いウォークを呼んで広大な王府事務エリアを歩いていた。


「ここです! ここ! 陛下! 遅くなりました!」


 王府大広間に作られた対策会議室へ駆け込んできたウォークは、ほぼ裸な状態の上からガウンだけを羽織った姿だった。その身からほんのりと甘い女性物の香水が漂えば、誰だってウォークが何をしていたのかを理解した。


 だが、膨大な報告書の積み上がった首席執務卓に辿り着いたウォークは、矢継ぎ早に前線から送られてくる文字通りの走り書きの報告書を読みながら青ざめた。その内容に息を呑み、城のスタッフを動員して時系列の整理を行い始めた。


 ――――陛下来臨!


 大混乱の王府会議室にサッと緊張が走った。まさか太陽王が寝間着姿で来るとは思っていなかったスタッフも多いのだろう。カリオンの最終ガードとして付き従っていたヴァルターがそう声を発し、大広間の中がスッと静まりかえった。


「何が起きたというのだ!」


 寝間着姿のままでやって来たカリオンだが、その表情は焦燥感と稀に見る怒気に満ちていた。そもそもカリオンは人前で殆ど怒る事が無い。いや、怒る事はあっても、それは静かな怒りであり、因果を含め冷静な対処をするのが普通だった。


 だがどうだ。大広間に入ってきたカリオンは全身に緊張感を漲らせ、目を合わせた者が気圧されるほどの覇気を纏って大股で歩いていた。威風堂々とは呼びがたいが、少なくとも傲岸な支配者の風格は滲み出ていた。


「まだ全体像を把握していませんが――」


 報告書を読みながら話を整理し始めたウォークは、顔を上げてカリオンを見た。


「――調子に乗っていたら返り討ちにされた……実情はそんなところです」


 ウォークはあくまで軽い報告からカリオンに伝えた。だが、間髪入れずにカリオンが大広間の机を拳で殴り、ズドンと鈍い音を立てて部屋が揺れた。その剥き出しの怒気に室内の温度がスッと下がったような気がした。


「……被害は?」


 冗談を言って良い時では無い。無言でそう伝えたカリオンに、ウォークは表情と声音を変えて報告書を読み始めた。


「直接的な被害としては騎兵790名ないし820名が死亡または行方不明。城内に突入した士官の凡そ3割が戦死確定です。騎兵戦力は凡そ6割が減耗しており、残存戦力は定数の5割に満たない状態です――」


 数字に強いスタッフによる速報値の生成は、カリオンをして溜息以外に吐き出すモノが無い状態にせしめた。城の内部で起きたのは獅子軍の正規兵による一斉魔法攻撃だった。


 逃げ場の無い城内へ誘い込み、補助軍や市民を巻き込むのも厭わず敵兵を焼き払うと言う、とんでも無い瀉血戦術を彼らは行ったのだ。


「――こちらの戦闘継続能力を絶つ為とは言え、相当な事を行いましたね」


 ウォークは怜悧な官僚の眼差しでカリオンそう報告した。だが、問題はそこでは無いのだ。カリオンが継続的にイライラした状態にあるのは、その獅子軍側の攻撃による被害の内容だ。


「ウォーク」


 近くに来いと言うジェスチャーと共にウォークを呼んだカリオン。呼ばれた以上は行かねばならず、ウォークはカリオンの近くへと寄った。ふと、そんなウォークから上等な香水の残り香が漂い、カリオンはクリスティーネを思った。


「リリス様はなんと?」


 夜ごとに夢の中でリリスから直接報告を受けていたカリオンだ。彼の地で何が起きているのかを知らない筈が無かったし、ウォークも知っているモノと思っていた節がある。


 だが、慌てふためいた状態で状況の把握と時系列の整理をカリオンが命じた時、ウォークは間違い無くリリスの身に何かが起きたのだと確信した。


「それが……リリスの存在を余が認識出来ぬ……」

「……え?」


 ウォークが絶句するのもやむを得ない。カリオンもまた常識外れな魔導の力を持っているのだから、魔力による相互認識が出来ているはずだった。つまり、彼の地へ行ったリリスの存在をカリオンは感じていたのだ。


 だが、現状においてはカリオンの魔力探査でリリスが認識出来ていないと言う。つまりそれは、魔力という眼差し彼女を見つける事が出来ないと言うカリオンの焦りそのものであり、怒りの核心だった。


「今宵の戦況はどうなっていたのだ?」


 問題を吐き出したからだろうか。少し落ち着いたカリオンは戦況図と時系列の報告書を眺める余裕が出た。だが、報告書の束を読み進めていくウチ、その表情が一気に硬く険しくなっていった。


「ドリー……何をバカな事を……ありえん……バカな……」


 ドリーが提案しキャリが監修した作戦。それを決行した結果、敵が思わぬ形で後退し誘い込む様に城へ逃げ込んだ。そしてその結果、魔法攻撃での殺し間が作り上げられ、全く逃げ場の無い状態で強力な魔法攻撃を受けてしまった。


 どうやらそれが全体像で間違い無い。だが、その魔法攻撃の全てをリリスはひとりで跳ね返し、それだけで無く敵側の戦力を大幅に削るだけの反撃をしたのだ。ただ、その結果が問題だった。


 獅子の補助軍で生き残った者があり、彼らは正規軍側へ攻撃を開始した。彼の国では補助軍など奴隷と一緒の扱いだと言うが、だからといって殺されるのは歓迎しないだろう。


「ですが、どうやら事実です」


 ウォークが伝えたのは、同士撃ちを始めた獅子の軍団の顛末だ。正規軍は補助軍を含めた生存者の最終的処置を開始した。要するに、死人に口なしだ。結果として補助軍と市民は完全な捨て石にされ、ル・ガル戦力は一気に後退せざるを得ない状況となった。


 だが、拠点となっていた前線本部まで後退したとき、ル・ガル側も反転攻勢を開始したらしい。結果、獅子の正規軍は伸びきっていた戦力躍進の虚を突かれ後退せざるを得ない状況となり、ル・ガル側も追撃を諦めた。


 現状でル・ガル側は残存者の確認と消耗戦力の統計を進めているのだが……


「これを飲み込めと……お前は言うんだな?」


 まるで冥府の底から巻き起こってくるかのような声でカリオンがそう言った。

 手に持っていた報告書は、キャリが直接寄こしたモノだ。


「……残念ですが」


 いつ如何なる時であっても、ウォークはカリオンに事実だけを伝えてきた。一切の虚飾や希望的観測や『こうで有って欲しい』という願望を挟まず、現実を見据えた上で最も効果的な対処を提案する為だ。


 だが、今回に限ってそれは、カリオンにとって断腸の思いを越えるものだった。出来るものなら今すぐに最前線へ行きたい。彼の地へ出張って行って、そこでリリスを探したい。そんな願望だ。


 だが、そこに王府のスタッフが一枚の報告書を差し出した。報告文責者の名前にジョニーの文字が有り、共同筆記として情報担当将校アレクセイの文字があった。



 ――――ララとタリカのふたりも行方不明

 ――――ウィルとリベラは見つけた

 ――――リリスを確認する事が出来ない

 ――――夜明けまでに全力を尽くす

 ――――すまない



 その報告を送ればカリオンが怒り狂うのは目に見えている。だからこそジョニーは自分の名前で報告を送ったのだろう。何かしらの面倒があれば、最終責任は自分が負うのだと言外にそう言っていた。


 だが、その直後にキャリからの報告書がスッと差し出された。その文面を速読したウォークは、小さく溜息を吐いてからカリオンに差し出して表情を歪めた。一言でいえば、絶望と言うものなのは間違い無かった。


「バカな……」


 それは、キャリの詫び状その物だった。少なくとも現状の全てを率直に報告すれば関係各所に粛清の嵐が吹き荒れる筈。それを理解しているからこそ、キャリは全ての責任を背負って、覚悟を決めて父カリオンに報告書を出したのだろう。


 ――――リリス様とララが行方不明なので捜索に当たります

 ――――責と咎は我にありて候


 それは、キャリが示した次世代を担う者としての気合と覚悟だった。ただ、少なくとも今回のこれは褒められる物では無いし、場合によってはきつい叱責などでは済まない事態だった。


「前線へ指示を送れ」


 カリオンの声がわずかに震えている。

 それを見て取ったウォークは『どんな内容ですか?』と冷静に聞き返した。


「要点を整理すれば3点だ。生存者は可能な限り救助しろ。リリスとララの行方を追え。但し深追いするな。そしてこれは最も重要な事だが――」


 カリオンの眼がウォークを射貫くように注がれた。

 ウォークは思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


「――お前は絶対に死ぬな。他の全てに優先する。絶対に死ぬな。良いな」


 太陽王とはイヌの中で最も幸運な存在と言うべきもの。

 だが、キャリの運は少々インチキしているのだから心配だった。


「畏まりました」


 恭しく頭を下げたウォーク。

 だが、カリオンの思惑とは裏腹に、事態は悪い方向へ転がり始めるのだった。


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