ジェンガン砲撃
~承前
侵攻開始から三日目の夕暮れ時、ル・ガル軍団の視界にはジェンガンの街が入っていた。侵攻遅滞戦闘に終始してた獅子軍側も疲れが見えたのか、陽の傾く頃からは、次々とジェンガンの街へ逃げ込みつつある。
町の郊外に築いていた拠点からは様々な物資が運び出されていて、一時は本気で郊外戦をやろうとしたことが見て取れた。ただ、その多くが間違いなく補助軍と呼ばれる獅子以外の種族らしかった。
――――まるでノミの引っ越しだ……
彼方にジェンガンを臨む拠点の台上にキャリは居た。工兵の拵えた前線本部用の観測台は地表から10メートル近くの高度を稼いでいた。レンジファインダーで様子を窺えば、ジェンガンはまるで亀のように守りを固めていた。
固く固く城門を閉ざし、城壁の上には弓兵が待機している。典型的な籠城戦をやる算段のようだ。だが、そんな戦術が有効なのは大規模攻撃魔法の存在故だろう。ル・ガル側はその射程外から攻撃出来るのだ。
「遠慮無く撃ち込むが……恨みを買うぜ……」
タリカは全てを覚悟していると言わんばかりにそう言った。戦争をしているのだから、攻められる時は烈火の如くに攻めるのが上策。ブルドーザーによる野砲の移動は案外順調で、獅子軍側の魔法が届かない2リーグ程の距離に展開していた。
据え付けを完了した野砲陣地には続々と補給が続いていて、明朝にはスペアの砲身が届くことになっている。つまり、砲身の命数まで遠慮なく使い切っていいという事だ。
「……予定通り夜間砲撃するの?」
ララは少々怪訝な表情でそう確かめた。音もなくやってくる夕闇の向こうから炊煙が立ち上っている。狭い城内に敵兵と市民とが犇めき合っているのかもしれないが、だからと言って遠慮する事もないだろう。
キャリはその問いに対し『あぁ』とだけ答え、簡単な食事を摂りながら戦況台を見つめていた。キツネの街への攻撃で経験している事だが、逃げ場のない所へ撃ち込むのは騎士道に悖る行為かもしれないし、人道的にも問題なのも間違いない。
間違いなく相当な恨みを買う行為であり、終わりなき泥沼の闘争を行うに至るだけの理由を生む行為でもある。だからこそ、キャリはわざわざ使者を立て、ジェンガンの街へ降伏勧告を出していた。
投降するなら、騎士の礼節をもって名誉ある扱いを行うと約束するしたのだ。だが、投降しなければ容赦しないとも付け添えて。
「奴ら……降伏すると思うか?」
ジェンガンを眺めつつ、タリカはそう問うた。この砂漠地帯にどうやって構築したのかは知らないが、見事な城壁がそびえ立っていた。大の大人数人分もある巨石が組み合わされ、隙間のない石垣が見上げるほどの高さまで続いている。
一辺が1リーグを越える長さの城塞都市は大量の人々を飲み込んでいる。当然住環境は悪くなるし衛生環境としても褒められたものではないだろう。
「しないだろうな。おそらくは執政官が拒否を示すだろう」
キャリは嘆かわしいと言わんばかりにそんなことを言った。シンバより街の差配を預かっているらしい行政官は、街の事についてすべての責任を負わねばならないとの事だ。戦って負けたらなら降伏も止むを得ないだろうが……
「戦ってねぇしな」
タリカが漏らした言葉がすべてだ。実際にどう戦ったのかは問題ではなく、戦ったか戦ってないかが重要なのだ。それ故に無駄な死をいとわず戦うことになるのだろう。
日没までに返答しろと迫ったキャリはただの時間稼ぎに過ぎないとしか思っていなかった。為政者のメンツと理由の為に死ぬ市民にしてみれば、たまったもんじゃないのだろうが……
「若。各軍団の首脳が揃いました」
アッバース家のリティクがキャリを呼びに来た。観測台の下には即席で拵えられたジェンガン城塞の模型が用意されていた。その周辺には公爵五家の当主と各々の側近衆が侍っている。そしてそれ以外にもル・ガル軍団の参謀人が待機していた。
「さあ、予定通り始めよう。人倫に悖る行為だが、何せこれは戦争だ。返答の刻限は今日の日暮れまでだから遠慮することはない。問答無用で攻撃したなら問題だがこちらは警告したのだ」
そう切り出したキャリは、各軍団の長へ戦術的な確認を繰り返した。方針は簡単かつ明瞭で理解に齟齬は生まれないと思われた。城内へ遠慮なく砲弾を撃ち込み続ける。すべて焼き払うつもりで行う。
城門が開いた場合には容赦なく内部へ銃撃を行う。中から飛び出してくる者があれば遠慮なく射殺する。30匁銃の射程は300メートル以上あり、有効殺傷距離は軽く200メートルに達するのだ。
「内部から飛び出なくなっても砲撃は中断しない。ここまで運んできた大量の砲弾全てを撃ち尽くすまで撃つ事にする。明朝、日の出と共に内部へと突入し、掃討戦に移る。情け容赦は一切不要だ。何か質問は?」
包囲殲滅を旨とする強力な攻撃だが、それもある意味では仕方がない。こちらを見縊っている。或いは舐めて掛かっている。そんな奴らに一泡吹かせるのが目的なのだから、この先は遠慮する必要はないし、むしろ遠慮してはいけない。
キャリの表情にグッと厳しさが増し、公爵家を預かる当主は硬い表情になって覚悟を決めたようだ。ここから先、ル・ガルは完全に禁断の領域へと踏み込む。純粋な戦争目的での無差別都市攻撃は、世界で最初の事だった。
「さぁ、日没だ。二刻経過後に攻勢を開始する。全員攻勢開始点へ移動して」
最後にそう締めたキャリ。全員が首肯を返し行動に移った。ジェンガンの街にある尖塔からも見える事だろう。戦闘装備を整えたル・ガル騎兵や歩兵軍団が一斉に動き出したのだ。
「なぁタリカ」
再び観測台へと上がったキャリは、すぐ近くにいたタリカを呼んだ。眼下では騎兵達が配置に就くべく、砂塵を上げて移動していく。
「……どうした?」
キャリの心情がわかるだけに、タリカは柔らかい言葉で返答した。
一言で言えば『怖い』のだろう。或いはそこに逡巡と葛藤が潜んでいる。
「これで良いんだよな?」
それが救いを求める言葉である事など解りきっている。
だからこそタリカは冷たい言葉を吐き浴びせた。
「知らねーよ、そんなの」
ギョッとした表情のキャリがタリカを見た。
だが、そのタリカはペロッと舌を出して笑った。
「上手く行ったならよ、やったぜ王様!って褒めて。んで、まずい時にはよぉ、何か違う道を探しましょうって言うのが俺の仕事だ。おめーはその内、誰かに許しを貰える立場じゃ無くなるんだぜ。こりゃその前哨戦だ――」
タリカが容赦無く吐いたその言葉は、妙な暖かさを感じさせつつもキャリの心に染みこんでいった。甘ったれるな。弱音を吐くな。しかし、絶対に間違うな。そんな茨の道のみが王の歩む道だった。
「――ただよぉ、これから色々あるだろうけど……砂とか泥とか罵詈雑言は俺が浴びる役だから気にしなくて良いぜ。きっとウォーク様だってそうやってるはずだ」
そう言ってキャリの背中をポンと叩いたタリカ。
これから世界を背負うであろうふたりの男を、ララが眩しそうに見ていた。
二刻後。
全ての野砲が一斉に火を吹き、次々とジェンガン市街への砲撃を始めた。
街の出口全てでル・ガル銃兵が待ち構えていて、一人も逃がさないという苛烈な処置を無言で通告していた。無条件で降伏するならば命は助ける。しかし、抵抗するなら容赦はしない。
事前に通告したとおりで、それをどう捉えるかは向こうの都合のみ、一罰百戒と言うように、次の街、次の都市、次の城にある者達へのメッセージそのもの。凄惨な終わりとなる攻勢で、敵に大きな恐怖を植え付ける事が目的だ。
次の街を包囲した時、獅子軍の兵士は当然の様に士気が下がり、厭戦気分が蔓延るようになる。そして彼らは思うだろう。『上』がどう言おうと降伏しよう。場合によっては上役を殺して投降しよう。
誰だって死にたくは無いのだ。どうやっても死から逃れられないなら、味方を殺そう。そう誤断させる為の措置と言える。ただし、それは勝ち切った場合にのみと言う注釈を、一秒たりとも忘れてはいけないのだ。
「ネコやキツネはこうなる事を予見していたのかもしれないね」
ぼそりと呟いたポールは、腕を組んで黒煙を眺めていた。打ち合わせ通りにジェンガンの東城門前で陣取っているレオン家の面々は、数段構えの銃兵団列を組み上げて待機していた。
「まぁ、なんだ。ネコもキツネも疲労困憊だ。新戦力の到着を待つことを選択したって仕方がねぇさ」
ジョニーはポールのやや後ろに立った状態でそう応えた。イヌだけで行う事になったジェンガン侵攻だが、最初の夜の侵攻以降ル・ガル国軍はまるで泥田に杭を打つような錯覚に捕らわれていた。
気が付けばル・ガル騎兵は疲労困憊になっていて、そろそろ楽をしたいという頃合いになっていた。だが、ぶっちゃければここから先が大変なのはよく解っているのだ。
「ジェンガンの街には降伏勧告を出してあります。降伏すれば占領し、抵抗を選べば鏖殺はやむを得ません。敵方の出方を見極める為に、時々は砲撃を中断します。市民の側から降伏を言い出した場合には――」
ジョニーと共に立っていたロニーが冷静な言葉を並べていた。
ふと気が付けばロニーも驚く様な成長を遂げていたのだ。
「――ひとりも逃がさぬよう銃撃砲撃を続行します。要点はひとつだけ。街の為政者たる存在の首を差し出せと言う事です」
それがどれ程に苛烈な処置であるかは言うまでも無い。だが、市民に変装して脱出する可能性もあるのだから、当然の措置でもある。一般市民が暮らす街への無差別砲撃は人倫に悖る行為だが、攻城戦ではやむを得ない行為だ。
籠城を選択させて干殺しにするのもまた悲惨な結末を迎えるだろうし、市民は怨嗟を抱えたまま占領軍を見ることになる。それが積もり積もった結果、イヌとネコの関係は最悪を通り越すレベルまで悪化したのだ。
「街の再建に汗を流す羽目になるな……」
吐き捨てる様にそう言ったジョニー。イヌとネコの関係に一石を投じたゼルの街再建助成は一定の効果を見せ、ネコのイヌに対する態度にはある程度の軟化と融和的なスタンスが混じっていた。
それ故か、そもそもに大規模攻勢を提案したドリーはあくまで手順通りの進行をキャリ達へ進言した。諸々の懸案はあるが大局的視点から見れば些事に過ぎない。必用な結果を得る過程では、些細な問題など踏みつぶせば良い。
良いか悪いかと問われれば、まず間違いなく誰もが悪いと答える考え方だろう。だが、じゃぁどうすればいい?と問うと、今度は誰もが沈黙する問題だ。正解のない問題に回答を示し、その決断に責任を取る。それが出来るかどうかで、支配者の価値は決まるのだろう……
「けど、やっぱスゲー威力ッスね」
何処か抜けた調子でロニーが漏らす。僅かに空気の悪化した幕屋の中で空気をかき混ぜる事を選んだのだろう。いつの間にかそんな配慮も出来る様になっているのだが、ジョニーはまだまだだと思っていた。
ただ、実際には12門の野砲が遠慮無く榴弾を撃ち込み続けている。縦横1リーグ少々となる街を分割し、それぞれ宛がわれた範囲へ満遍なく撃ち込み続ける絨毯砲撃だ。
時々は下っ腹にズンと響く重低音が響き、何かしたに引火したと思われる爆発が発生した。まさかあの街に火薬があろう筈もないので、恐らくは何かの粉塵に引火しての爆発だろうと思われた。
凄まじい威力となる粉塵爆発のメカニズムは、この世界の住人がちゃんと理解しているとは言いがたい。実際の話として人類も雷の正体が電気で有る事を解明するまで、尖塔のある協会に火薬を保管したのだ。
つまり、粉塵爆発を防ぐ事は出来ず、対処不能の状態で撃たれ続けていると言う事が見て取れた……
「爆発音以上にこれは……心に響くな」
ジョニーがボソリと漏らしたのは、城内から聞こえてくる断末魔の絶叫だった。凄まじい一撃を受けたあと、身体をボロボロにした状態で死に掛けの者が叫ぶ声は心を抉る響きだ。
戦場を経験した者が一様に寡黙となるのは、死に行く者の真実を垣間見たからなのだろう。生者を恨み、生き残った者を恨み、自分だけが死ぬ事を恨み、この世界の全てを恨んで死んでいく。その言葉は魂その物を削るのだった。
「あっ!」
砲撃が始まって一刻と経過していない頃だった。ポールが唐突に叫び、それと同時に固く閉ざされていた城塞型都市ジェンガンのゲートが開いた。その直後、中から飛び出してきたのは雑多な種族からなる補助軍と思しき集団だった。
彼らは隊列らしい隊列もなく、ただ遮二無二にル・ガル砲兵陣地を目指して突撃を開始した。見事な散兵戦術だが、それは全く秩序統制の取れたものではなく、結果的にそうなっただけの吶喊だった。
「東門付近! 敵勢力進出! 総勢ごひゃーく!」
「防御射撃よーい! 斉射7段!」
次々に号令が飛び、その直後に砲声とは異なる一斉射撃の轟音が響いた。その直後には射手がさっと入れ替わり、再び一斉射撃が行われた。次々と射手が代わりながらの斉射が続き、あっという間に飛び出した補助軍の面々が死体に変わった。
だが、それでも彼らは次々と街を飛び出して砲兵陣地を目指している。つまり、街の内部が相当な事態になっているのだろう。街の住人達による圧力なのかも知れないし、或いは彼ら自身の自発的な突撃かも知れない。
それが緩やかな自殺である事は論を待たないが、少なくとも逃げ場の無い所で一方的に撃たれ続けてれば死を待つだけとだ。そんな状況を受け入れられなくなったのかも知れないし、破れかぶれの突撃かも知れない。
「好機だ! 飛び込もうぜ!」
早速槍を持ってタリカが動き始める。
だが、そんなタリカをララが止めた。
「まだっ! ここで市街へ入ったら砲撃できない!」
ララを含めたキャリたちの狙いは砲撃による降伏だった。こちらの兵士に犠牲者を出すことなく、力で屈服させる作戦だ。必要なのは圧倒的な火力と鉄量であり、夥しい犠牲を積み上げた結果としてねじ伏せるのだ。
これ以上の抵抗が物理的に不可能な状態にする事。徹底殲滅型戦略の肝はそこに尽きる。敵方の戦闘継続能力を粉砕してしまえば良い。その結果、相手の心を折ることになる。
苦痛と憎悪こそ真の尊敬を生む……とは、そんな血生臭い現実を最大限オブラートにくるんだ表現に置き換えたに過ぎないのだった。
「いや、ここで飛び込むべきでしょう! 市民を殺さず敵兵のみを鏖殺します!」
ララの反対に口を挟んだライトハイザーは、まだ淡い期待を抱いている部分があった。戦術の進化と言えば聞こえは良いが、現実は戦争に関するパラダイムシフトが起きた事をまだ飲み込めてないのだ。
「いや、待って欲しい。戦術的には肉弾戦に移る事が間違いだと思う」
新しい時代に古い時代の首脳を適応させる事。それが自分の仕事なのかも知れないと感じたキャリは冷静な声で止めに入った。彼らの逸る気持ちを上手く御せねば自分が危なくなるのを、ひしひしと感じるのだった。