秋の訪い作戦 <後編>
~承前
午前中の砲撃が一段落した昼下がり。
なんとも牧歌的な話だが、双方ともにランチタイム休戦的な時間を挟む暗黙の了解が存在していた。本当に切羽詰まった場面ともなれば食事など後回しで戦闘が継続されることだろうが、ここしばらくはのんびりと昼飯にありつくのだ。
双方ともに惰性的な状態でやり合っているこの状況では、不思議とそんな隙間的空白が生まれてしまう。ただそれ自体は悪い事じゃなく、キャリは公爵家の面々を集め、状況説明と戦術的な説明に入った。
目標はただ一つ。
獅子の国西部にある辺境の都市、ジェンガンを勢力下に置くことだった。
「戦術的な勝利は戦略的敗北を挽回できなくてよ?」
典雅な発音と優しいイントネーションでジャンヌはそう言った。キャリが提案した案件について、一夜明けた公爵家の面々は一様に慎重論を唱えた。要するに、獅子の国が本気になった場合はどうする?と言う面での戦略が不安なのだ。
皆が承知している通り、獅子の国はとんでもない大国だ。ガルディア大陸についてのみ言えばル・ガルは勿論大国であるが、獅子の国は単純に考えてル・ガルの100倍近い国家規模を持っている。
そんな国を本気にさせてしまった場合、その後はどう対処するのか。対処を誤れば亡国の奈落へ落ちてしまうだろう。それについての安全策が見えてこない以上は慎重にならざるを得なかった。
「勿論承知しています。ジェンガン占領後に獅子の国が積極的奪回攻勢に出る場合には正面衝突となりますし、国家崩壊に近い水準で手痛い敗北となるでしょう。ですが、ジェンガンを拠点化し、待ち構えて防御戦術に徹する限りは向こうの方が不利です。力負けする要素が殆ど在りません――」
キャリでは無くタリカがそう応え、同時に防御的戦闘となった場合の強さについては相当な自信を見せた。獅子軍魔法戦力の魔法投射範囲よりも遙か彼方から砲撃を加える事が出来るからだ。
「――つまり、ここで何としてもジェンガンを陥落させ、こちらの拠点化する事が肝要です。こちらの防御拠点を前進させるのです」
タリカの示した方針には一定の理解を皆が示した。いまさら言うまでもなく、向こうも物資輸送に苦労しているはずだ。そして、獅子軍側はジェンガンに物資蓄積を行っているが、ル・ガル側は野積み状態となっている。
その差は言葉で説明する以上に大きな差なのだ。雨の心配こそないが、食糧なら痛む心配をせねばならないし、水については土砂混入などを考慮せねばならない。なにより、弾薬関係は水濡れ厳禁だ。
「まぁ、拠点奪取は戦略上の重要な点だな。だが、それは向こうも解っているだろうし、ある面では少々の無理をしてでもジェンガン防衛に努力することが予想される。それについてはどう考える?」
国軍の要諦であるドリーがそう切り出した。
だが、タリカは間髪入れずに応えた。
「仮に獅子の側がジェンガン防衛で積極的前進を見せたなら、銃兵団列の一斉射撃で方を付ければ問題無いです。向こうが前進では無く拠点防御を念頭に置いた消極的な攻勢の場合には、銃兵の散兵戦術で的を絞らせずに前進し撃滅します――」
タリカはキャリやララと相当考えたらしい……
そんな印象を持ったドリーは目を細めて若者達の研究発表を聞いた。
「――仮に積極的な退却戦の場合を仕掛けるなら、それこそ銃の良い的となり、グズグズと煮え切らない消極的な後退戦の場合ならば砲撃の餌食となるか、騎兵による爆薬投擲で対応すれば良い。結論として現状ではル・ガル側に損はありません」
タリカは胸を張って自信たっぷりに答えた。この手の発表では自信あふれる姿と言うのが何よりも重要になるケースが多い。発表する側が不安に苛まれる様では、聞く側も本当に大丈夫か?と不安になるものだ。
「一気に後退してジェンガンに籠城した場合は?」
ウラジミールは冷徹な声音でそう言った。まるで戦術教官が採点するべく圧迫面接を行うかのような雰囲気だった。長らく諜報畑を主戦場としてきたジダーノフの一門ならば、それも当然の事。
だが、それに回答を示したのは、意外なことにララだった。
「騎兵による追撃戦では無く、単に追い立てるだけにしましょう。むしろ籠城戦術を向こうに取らせる方がル・ガル側には好都合です。城壁を飛び越え内部へ砲撃を加えられますし、城の出口全てを銃兵で待ち構えてやれば良いのです」
それはキツネの都に対し行ったカリオンの戦術の発展版だ。事前に降伏勧告を出しておき、猛烈な砲撃を加えながら内部を焼き払う。徹底的に籠城するなら市民もろとも焼き払えば良い。
仮にどこかから飛び出して来たなら、銃兵による集中砲火でねじり殺せばいい。市民を盾に飛び出たならば、それこそ好都合と言うものだろう。市民の側を保護したうえで軍属のみに十字砲火を浴びせる。
「……重要なのは降伏勧告ですね。あと、市民を撃たないようにしないと恨みを買います」
ポールが零した嘆き節は、そのまま戦後統治の困難さに直結する部分だった。誰だって家や財産を焼かれれば困るし、焼いた敵が統治者になったなら反抗的な態度を取るものだろう。
考えるまでもなく困難な道になる。ただ、そこに見える一筋の光明は、戦乱を経験してきたル・ガルの強みなのかもしれない。
「まぁまたしっかり街を復興させれば良いんじゃないか。その上で住民と為政者側を分断し、あの国の統治体制に楔を打ち込んでやろう」
ジョニーが言ったそれは、遠い日に見たゼルの政策だった。完全に焼き払われたフィエンの街を復興させるべく、ゼルはル・ガル工兵だけでなく全兵科に作業従事を命じた。
最初は嫌な顔をしたイヌの兵士たちも、ネコの住民に感謝される場面が増えた結果として積極的な行動に切り替わった。信用を得るための行為は、結局のところそんな地道な努力の積み重ねなのだ。
「けど、迂回して来てここを狙う敵の存在が本当に厄介だね。空中種族の姿が見えないのはなんでだろう?」
ルイ・フェリペの一言は率直な疑問であると同時に、戦術戦略の両面において重大な『穴』を再認識させた。まだ雨季の頃、補給線を叩くべく神出鬼没に姿を現した鳥の一族は、その攻撃手段が弓矢程度ながらとんでもない威力をたたき出した。
こちらの弓矢が届かない高度から矢を撃ち降ろしてくる。軽弓に小さな鏃でしかないが、その威力は落下速度も相まって凄まじい威力になった。故に、それへの対策が急務であったが、正直に言えば防御力を上げる以外に方法が無かった。
「それについてですが、実は新式兵器で対処出来るのではないかと考えています」
キャリは一枚のパネルを取り出して説明を始めた。そこに書いてあるのは、簡単に言えば打ち上げ花火だった。
「これは……と言うかこれもヒトの知恵なんですが、この集積地に一定間隔でこうやって鉄の筒を埋めておいて、一斉に点火させると――」
それは一定の高度で炸裂する花火と同じ原理の対空兵器だった。翼をもつ種族が空中から攻撃してくるのは、だいたい50メートルないし80メートルの間で、それより高いところからというのは考えにくい。
自分の力で羽ばたいて高度を稼ぐ以上、武器を抱えたままあまりに高いところまで上昇するのは辛いのだろう。そもそも空中の種族はとにかく小柄で身体の構造はが華奢の一言だ。
そんな彼等が空中で強力な衝撃波を受ければどうなるか。それを実現したのがこの花火だ。表面に大量の礫を張り付けた花火は、文字通りに大量の命の華を空中へ咲かせるだろう。
「――こうやって空中全体に幕を貼るように礫を四散させます。直撃すれば即死。かすっただけでも大怪我。そして衝撃波は彼等の平衡感覚を狂わせます。その結果として『解った。もういい。要するに完全に無力化出来るんだろ?』はい」
キャリの言に言葉を重ねたルイは柔らかに微笑んだ。勝ちが見えたと言わんばかりの姿だが、実際には対処法が産み出されたにすぎない。だが、それでも有ると無いとでは大きく違うのだ。
「で、問題はいつやるか?だ」
既にやる気になっているドリーは喰い気味に身を乗り出した。だが、それも宜なるかな。敵は既に後退局面と言って良いだろう。ここ数日の砲撃では戦果らしい戦果が無く、嫌がらせのような状態でしかない。だが、そんな嫌がらせ砲撃とて砲は消耗するのだ。
ことに凄まじい力の掛かる砲身とチャンバー部の消耗は無視出来ず、ル・ガルの金属工学では高耐久性な素材を作り出すことなど不可能だ。地道な冶金技術の積み重ねで耐久性を増していく金属工学は、経験工学そのものだからだ。
「……あくまで提案ですが――」
キャリはひとつ間を置いて全員の耳目を集めた。
「――今宵は月が二つとも新月です。夜襲には持ってこいです。星明かり程度の明るさですが、騎兵を突貫させ、突入局面で砲を使います」
キャリの言った砲という言葉に全員が『砲?』と言い返した。その見事なハモり具合にララが笑みを浮かべるくらいだ。
「そうです。砲です。恐らく向こうも夜襲を警戒するでしょう。そんな所に地上を照らす目映い光を放つ砲弾を使います――」
照明弾。マグネシウムを詰め込み地上を照らす効果を発揮させる砲弾だ。茅町の面々が『試作品ですが』と言って持たせてくれたそれは、射撃の段階ですでに導火線に着火させ、空中で眩く燃え上がりながら地上に落ちてゆく。
「――彼等の魔法水準で言えば夜を照らす強力な魔法があっておかしくはありませんし、明かりではなく夜目の効く魔法を使う可能性もあります。そんな場を明るく照らしてやれば、彼等は驚くんじゃないでしょうか?」
ここまで地道に研究してきた事が一気に花開く。キャリとタリカは胸を張って自らの研究成果を示した。だが、歴戦のベテランはどんな時にも問題点をすぐに見つけるもの。
アブドゥラは怪訝な表情で『砲は動けませぬ。いずれ砲撃範囲を出てしまうことになる』と懸念を示した。ただ、それも承知しているとばかり、間髪いれずにキャリは言った。誇らしげに胸を張り、笑みを添えて。
「その点も心配はありません。ぶるとぅざ……なるヒトの世界の道具を使い砲自体を前進させます。長く研究してきた戦車の問題がひとつ解決されました」
それは500匁砲を強靭な台車に積載し、ブルドーザーで牽引するという原始的な仕組みだ。ブルドーザーに砲を積めば文字通り戦車の出来上がりともいえる。だが、その状態で砲撃してはブルドーザーのフレームが持たない。それゆえに考えられた仕組みだった。
そう。キャリたちの戦車は駆逐戦車ではなく、あくまで歩兵支援・騎兵支援を任務とする本来の戦車だ。つまり、敵側の行動範囲外を低速で移動しつつ砲撃するのが最適の運用方なのだ。
ただ、キャリの言葉は全員を一時的に感情停止状態にしてしまった。何処まで準備していたんだ?と驚くばかりだ。次期王自ら新しい時代の扉を開こうとしている事に、少なからぬ嫉妬と羨望を覚えたのだ。
「……なるほど。さすがは王の血筋。先々を見ておられる」
揉み手をしつつもドリーはそんなことを言った。つまり、これで今宵の突撃は決まったようなものだ。槍をかざし一気に掛けていく最後の突撃かもしれない。敵との正面衝突ではなく、包囲殲滅型戦闘が主流の時代は、すぐそこまで来ている。
「ですがドレイク卿。ちょっと残念なお知らせです」
肩をすぼめてララが切り出した。
ドリーは怪訝な顔になり話の続きを待った。
「最初に突撃するのは歩兵です。幾度も戦術的な説明をして来ましたが、最後は経験しなければなりません。一回の実戦は百回の訓練に勝ります。この先に経験するであろう戦闘を前に、一回は歩兵に戦闘を経験させておきたいのです」
思わず『え?』と言葉を漏らし、傍目にみて解るほど肩を落としたドリー。
だが、そんなドリーを奮い立たせるような言葉をキャリは言った。
「姉の言に付け加えますが、騎兵に出番がない訳じゃ有りません。これはあくまで実戦形式の演習です。まず歩兵により面で敵を押し出し、慌てて逃げ出す敵兵を騎兵で追撃します――」
キャリの手が戦域地図を指し、時間経過による状況の展開を提示した。
「――その間、砲兵は随時照準を変更し、統制のとれた砲撃を継続しつつ前進するのです。暗闇の中、騎兵に追い立てられた敵兵がどう対処するのか。それを確認するのも重要な事です」
騎兵が歩兵と砲兵の添え物に堕ちた。そう捉えられても仕方がない面がある。だが、用無しに成ったわけではない。従来、戦場の花形だった騎兵だが、その見せ場が特化されただけとも言える。
騎兵の持つ機動力や突撃力は失われたわけではない。騎兵の苦手だった面を他の兵科が代行するだけの話。それを肌で感じたドリーやジョニーは、俄然やる気を漲らせるのだった。
「では、夕刻より各兵科の長を集め最終打ち合わせに入りましょう。目標としては数日中にジェンガンへ到達し、可能であれば占領します。敵に混乱を生じさせ、回復させる前にこちらが有利な状況へ持ち込みます。最大の敵は――」
居並ぶ面々を前にキャリは一息の間を置き、グッと凄みを増した顔になって続きを言った。いつの間にそんな表情が出来るようになったんだ?と、誰もが思った。
「――時間です。素早く手際よく確実に。皆さん、よろしくお願いします」
そんな言葉で締めくくったキャリ。
だが、最後になってジョニーが再び口を挟んだ。
「いやいや、待て待て」
キャリやタリカが首をかしげてジョニーの言葉を待つ。
同じように公爵家の面々もジョニーを見ていた。
「大事なこと忘れてないか? この戦役はル・ガルだけのもんじゃねぇ。キツネやネコはどうする。連中も巻き込んだ方がいいだろうし、連れてかねぇにしたって話の一つもした方がいいぜ。茅町から来てるヒトも居るしな」
あぁ……と、そんな顔でジョニーを見たドリーは、返す刀でキャリを見た。
だが、その視線の先に居るイヌの若者は、ニッと愛嬌のある笑みを浮かべつつ自信満々に言った。
「当然です。故に、夕方の打ち合わせの場に招こうと思います。私の名前で招くので、皆さんは是非失礼無きよう振る舞ってください」
抜かり無い思慮と配慮。一片の隙なく積み上げられた思考の結果。それを感じさせる言葉に全員が安堵の表情を浮かべた。単に正面衝突で力比べをしていた戦では無いし、そんな時代でもない。それをちゃんと理解していると安心したのだ。
「新しい時代は新しい世代を鍛えると言うが、何も心配なさそうだな」
ルイの言葉に『その通りね』とジャンヌが応える。ただ、どこか不満そうな顔をしたアレックスが首をかしげながら言った。
「ところで若。この作戦の名前は?」
報告書を書かねばならないのだから割と重要な問題だ。
だが、それすら思慮の範疇だと言わんばかりの顔になり、キャリは言った。
「秋の訪い作戦。どうですかね?」
少しだけ不安そうにそう表明したキャリだが、その返答は拍手だった。『何とも詩的な表現だ。これも新しい時代だな』とルイが評しジャンヌが笑みを浮かべて首肯した。
乾坤一擲の攻勢を掛けようとしているにも拘らず、なんとも優雅な空気が幕屋の中に流れている午後だった。
――――――少し離れた幕屋の中
「ねぇウィル。どう思う?」
「結構じゃないでしょうか。若の将来が楽しみですよ」
片手では余すサイズの水晶玉を覗き込むリリスとウィルがそんな事を呟く。
「そうね。あなたはどう?」
リリスは傍らのリベラにそう問うた。相も変わらずリリスのボディガードをしているリベラは、普段よりも低い声で応えた。
「あっしでござんすか? 兵隊さん方の事はあっしにゃぁわかりやせんが――」
水晶玉を覗きこんだリベラが笑った
「――しっかりやってもらいやしょう。ただ、こうやって覗き見するのにも足が付きやすぜ?」
情報管理の面で常に抜かりない姿勢のリベラ。リリスは『大丈夫。魔法で覗き込まれればすぐにわかるから』と応えるのだった……