三年生の苦闘 或いは、青春と呼ばれる日々(中編)
年が明けて一月の初旬。王都ガルティブルクも寒い日々だ。
もっとも、北方出身のカリオンやアレックスにしてみれば絶好調な季節とも言える次期で、起き抜けの寒い時間帯などは南方系のイヌが殊更辛そうにしてる中、白い息を吐きながらグランドを走り体力錬成に汗を流していた。
「ただ走れば良いというもんじゃ無い。上り坂では力を入れ、下り坂では速度を調整するんだ」
入学したばかりのポーシリを指導しながら一緒に毎朝ジョギングしているカリオン。本来であれば部屋の清掃指導や片付けについて監督せねばならないのだが、そっちはもう一人のフシコに任せている。
カリオンのクラスメイトである三年生は、あの猛闘種であるブル・スペンサーだ。代王ノダの思い人であった公爵スペンサー家の衛星貴族である侯爵スペンサー家と同じ衛星貴族の出で、その父は近衛騎兵連隊の総長を務めるジョージ・スペンサー。
色々と抜けている部分も多いブルをどう育てるかは皆が頭を抱えたのだが、カリオンはゼルの教育方針その物である『先ずやらせてみる』から始まり、『失敗を責めないが指導はする』という方針だった。
カリオンは未だ三年生の分際で部屋の室長である中隊長を名乗っていた。この部屋に暮らすはずの四年生二人のウチ、一人は連隊長として寮全体を統括するアサドであり、もう一人は旅団長として士官候補生の頂点に立つマイク・スペンサー。つまり、両方とも部屋の指導どころでは無いので、部屋は事実上カリオンに任されていると言って良い状態だった。おまけにマイクは旅団長室に一人で暮らしている関係で、この部屋には戻ってくる事が無い。故にカリオンの負担は非常に大きく重くなる。
「しっかり手を振って前に進むんだ。手を振らねば足も振れないからな」
ポーシリ達が大きな声で『はい!』と返事をするなか、淡々とジョギングを続けるカリオン。やがてコースを回りきり、学校の前に到着した。体力錬成の指導教官へ引率を引き継ぎ、カリオンはこの時点で部屋へと戻る。ブルが指導した筈の部屋をチェックする為だ。
「ブル、あっちの毛布が拙い」
「あ…… そうだ」
僅か2ミリ程度のズレでしか無いが、そう言う細かな部分を見落とすと室内検閲には合格しない。チェックを受けて不合格となると自らの評定にも傷が付くのだから、カリオンとて真剣だった。
「こっちはもっとダメだ」
ガサリと毛布の全てを持ち上げたカリオンは、窓の外へ毛布を放り投げた。窓の下。芝生の上に転がった毛布には使用者の名前が書き込まれている。カリオンの指導を一言で言えば『厳格』で『容赦が無い』というモノだ。だがそれは寮や部屋の取り決めに関するルールについてのみであり、また、キチンと出来ている限りは全く文句を付ける事無くキチンと評価するスタンスだ。
それ故に一年生二年生は安心してカリオンの言葉を聞いていた。違反さえしない限りは、かなり緩いと言って良い状態だからだ。
「カリオンの指導は容赦が無いな」
ブルの言葉にはわずかでは無い驚きが混じる。いつも同じことを繰り返しているブル。カリオンはそんなブルを『何処かおかしい』と感じている。
応用が出来ないとか、違う角度で考えることが出来ないとか、『普通の人』とは大事な部分が違うのだ。言われた事に対しては完璧と言っていい対処をするのだが、それは有る程度状況的に緩い時だけで、二つ三つと同時進行での対処を求められると、途端に応用が効かなくなる悪い癖がある。そして全部の案件で支離滅裂な対応をすることになる。
このレベルでよく三年生に進級出来たとカリオンも驚くものの、学業だけならトップクラスなのだから始末に悪い。このまま前線士官にでもなれば、間違いなく突撃将校一直線だ。相手の腹の探り合いと言った部分が全く欠如しているのだから、こういう人物の部下になるのは不幸以外の何物でも無い。
「掃除はどうだ?」
「昨日の打ち合わせ通り今日は……」
結果的にカリオンは正確無比な指示をブルに出す事になる。言われたこと以外が出来ない上に応用も効かない。ならば完璧な指示を出すしか無い。経験を積んでも改善されない個人の資質な部分だ。こればかりはどうしようもない。
「あぁ、良いね。それで良い」
なんでブルをこの部屋にあてがったんだろう?
カリオンはそれを考えた。最初はたちの悪い嫌がらせを考慮もしたが、それならもっと酷い手を使うだろうと思う。反抗的だったり、或いはマダラ差別の強い人間だ。ブルは基本的にそういう部分を飛び越え、根本的に能力が足りてない。
それだけじゃなく、出来ない自分を他人からあれこれ言われることに酷く反抗する。とにかくプライドが高いのだ。感情的に不安定でカッとなると見境が無くなる上に、思うようにならなとすぐに手が出てしまう。
「窓は?」
「全部水拭きさせて桟も掃除させてある」
「衣服棚は?」
「一度全部出させ、中をきれいに掃いてから納め直した」
「服は?」
「鏝を当てて折り目を整えさせ糸くずも埃も全部取った」
「洗面台は?」
「鏡も止水栓も全部磨き砂で磨かせてある」
「寝台の下は?」
「一度寝台をどかして掃除させた」
「天井もみた?」
「蜘蛛の巣一つ無いはずだ」
「灯りは?」
「油曇り一つ無い」
「扉の裏は見た?」
「……………………」
途端に不安そうな表情を見せたブル。目の届きにくい場所も掃除する。そう言う意識でベッドの下や天井や灯りの裏などにも意識を向けるよう仕向けたはずなのに、ドアの裏という部分を見落とした。
士官は全てが完璧に整っていなければならない。なにせ命のやりとりをする現場で指揮するのが仕事なのだ。全てにおいて注意深く思慮深く、そして抜かりなく行えなければならない。
「扉の裏は自分が掃除いたしました!」
返答に詰まっていたブルを差し措き、新入りのローアシが答えた。その二年生を苦々しい表情で見たブル。カリオンはちょっと困った表情になった。
「……うん、ご苦労」
どうしたモノかと思案しつつ、カリオンは再び部屋を再確認し、伝令を呼んで大隊長アサドを招聘した。部屋の検閲を受け合格をもらわねば朝飯も食えない。ブルをなんとかしないと不味い。そう思いつつも朝の忙しい時間は過ぎていく。
「宜しい。カリオン。合格だ。教導官殿を」
部屋の検閲を終えたアサドが教官を呼んだ。
色々と思惑があってカリオンに便宜をはかっているアサドだが、こんな部分ではきっちり手抜かり無く行っている。やはり士官候補生なんだとカリオンは思うのだが、アサドにしてみれば隅々まで気を巡らせているカリオンの能力に舌を巻くしか無かった。
「大変よろしい。合格とする」
指導教官が部屋を出て行ってから、カリオンは室内の後輩達に整列を命じ、そして校庭を一周して食堂へと向かっていった。士官候補生の長い一日はまだまだこれからだった。
午後。
昼食を終えた候補生達はつかの間の『自分の時間』を取る。
午後の課業の仕度をする者。昼寝をする者。自習に励む者。様々な姿を眺めつつ、カリオンはジョニーやアレックスとおしゃべりをするのが日課だった。
「あー 酒飲みいきてぇ」
「バカも休み休み言え」
「終末くらい外出させてくれねぇかなぁ」
かつてはガルディブルク一番の遊び人と呼ばれたジョニーだ。特別な用事が無ければ外出出来ない三年生までの期間が非常に辛いのだろう。
だが、勝手に外出したとあっては大問題になる。カリオンのように『公務』として堂々と学校から外出出来るのであれば良いのだが、ジョニーの場合はそうも行かない。
「おぃエディ。なんかしばらく用事無いのか?」
「ここしばらくは聞いてないな。真面目に勉強しろって父上に言われてるし」
「親父さん……厳しそうだもんな」
「心配してくれてんだよ。ヒトの寿命は短いから」
「……そうだよな」
少し残念そうなジョニーを見ながらカリオンは見透かすように笑った。
「御伴で外出作戦か?」
「そうだぜ! そうでもしなけりゃ俺たちは堂々と外出できねぇ」
「危ない橋はあんまり渡りたくねぇしな」
「ジョニーだって親父さんの立場があるしな」
「そりゃそうよ。なんせうちの親父もノダ様の件で偉くなっちまったからよ」
相変わらずべらんめぇなジョニーだが、父親であるジョンが何を思ってここへ送り込んだのかを理解しつつあった。親の思惑というものを子が理解するのは中々難しいが、超絶に厳しい環境で相手の腹を探って振る舞う事を要求されるこの学校に居ると、だんだんと『相手の本音』を見抜いて理解できるようになる。
ただ、どう背伸びをしたって頑張ったって、この子達はまだ18歳の少年なのだ。大人たちが『大人になってから気が付く大事なこと』を教えるために手練手管を尽くしたところで、やはりまだ自制心や向上心といった部分よりも自己欲求を優先してしまう。
「何だかんだで親父に迷惑かけるのは本意じゃねぇが……」
「バカなこと言い出すなよジョニー」
「……ばれたか?」
「当たり前だ。こんな時にジョニーが言い出しそうなことといえば」
ニヤニヤと笑うカリオンとジョニー。そんな所に何時も何時も折り悪くやってくるのがアレックスだ。そして、大体がよからぬ情報を持ってくる。いや、アレックス当人の名誉の為に言えば『知的好奇心』を満たす為の情報でしかないのだが、遊び人にしてみれば『千載一遇のチャンス』に化けるわけだ。
「よぉ! 良いこと聞いたぞ!」
「なんだよデブ」
ジョニーは相変わらずだがアレックスも最早気にしていない。
「なんと今日は!」
「勿体ぶってねぇでチャッチャ言えデブ!」
笑いながらも煽るジョニー。アレックスはニヤニヤしたままだ。
「午後から学校食堂に定期納品の食料馬車が来るらしい」
ボソッと呟いたアレックスの言葉だが、ジョニーとカリオンは顔を見合わせニヤリと笑う。食料馬車は学校からの帰り道に空っぽの樽を積んでいる。食料品等をしっかり詰め込む大きな樽だ。
野菜類など学校敷地で栽培しきれない物を郊外から運び入れているのだが、なにせ育ち盛りで伸び盛りの子供たちが食べるわけで、その量たるや半端なものではない。大型馬車を4台も5台も連ねて入ってくるのだが、その御者に一握り掴ませてこっそりと学校を出るのは伝統行事のようなものだ。
「……やるか?」
「狙ったように今夜は新月だ」
「月もねぇとは御誂え向きだぜ!」
3人して悪巧みの顔をしているのだが、下級生たちはまだ見て見ぬフリだ。
学校を抜け出す『大冒険』が出来るようになるのは三年生から。二年生までは放校になると色々面倒が多いのだが、三年生以降は放校になると下士官として10年の軍役となる。
兵学校へ子供を入れている貴族の親ともなると色々面倒の種になり、放校になったという事実は伏せられる事が多い。つまり、何か面倒が起きた時、何も面倒なく幕引き出来るのは三年生からという事になる。それまでは、どれ程キツクとも辛くとも、涙を呑んで我慢するしかない。
将来、士官として様々な現場で厳しい経験をする事になる少年たちは、こうやって『我慢』する事を覚えていく……はずなのだが……
「じゃぁ、いつもの算段で」
こんな時に仕切るのもカリオンの役目になっている。もし、何処かで見つかって処分という事態になった場合、カリオンなら色々と融通が利くはずだ。そんな思惑でいるのだから、大人たちにはしてみれば心臓に悪いことこの上ない。
ただ、危険な橋を踏み越えて行く事も、リスクを承知で強行する事も。そのどちらも時には必要なことだ。少年達はその決断をせねばならない時が必ず来る。
「抜かるんじゃねーぞデブ」
「俺は良いけどジョニーは目立つからな」
「それを言うなら一番目立つのはエディだぜ」
アレックスとジョニーはジッとエディを見た。
「上手くやるさ」
三人して僅かに首肯し、午後の課業へと散らばって行った。午前中は座学が多く、午後は実技が多いカリキュラムだ。カリオンもジョニーもアレックスもそれぞれに馬術であったり、或いは地上航海法と言ったノウハウを学んでいた。
そんな中、段々と天気が悪くなり始め、夕方には篠付く雨となった。こうなると耳や鼻の良いイヌとはいえ、音もにおいも誤魔化しやすくなる。夕方の体力錬生をを終え宿舎に戻ってきた学生たちが一斉に入浴時間となる頃、ポシフコたちは何処へ遊びに行こうかの算段をし始める。
この時、それとなく聞き耳を立てておいて、街中でバッタリ顔をあわせないようにするのも大事な事だ。情報収集を抜かりなく行い、その情報を分析し作戦を検討する。
上級生たちが食い気に走るのか、それとも酒を学ぶのか。若しくは色街へと繰り出して、馴染みの店に行って滾る若さを静めてくるのか。後で面倒をかける事になれば、それはそのまま上級生たちが学校内で立場を悪くするし、成績悪化に繋がる事になる。つまり、将来に影響が出る。
出来る限り迷惑を掛けないように、慎重に見極めねばならないのだが……
「殿下」
こんな時に目端の効く者はカリオンの態度から何かを読み取る。風呂場の中でそれを見抜いた四年生が、カリオンの耳元でそっと呟く。その声に反応したカリオンが耳だけそっちへ向けると、声を掛けた四年生はそ知らぬ振りして仲間に声を掛け始めた。
「うちの隊は西町の飲み屋で同期会だけど」
「マジでか? 俺の部屋の連中も行って良いか?」
「おう! 歓迎するぜ!」
「どうせなら他の寮の連中も誘おう」
「そうだな!」
カリオンに聞こえるように話をして恩を売るのも大事な事だ。下級貴族の息子たちはこうやって処世術を学んでいく。もちろん、カリオンも恩を売られて便宜を図るという事を覚えねばならない。後でキチンと義理を返しておかないと、それはそれで面倒になるということだ。
「上手くやってください」
「……お手間をおかけします」
「ミッドランド北部のロイ・フィールズと申します。お見知りおきを」
カリオンの背をポンと叩いて部屋を出て行ったグレーの背中。
「ロイ…… フィールズ……」
ボソリと呟いて、そしてカリオンは素早く着替え部屋に戻った。夜の街へと繰り出していく上級生を見送り、夕食を済ませ、そして下級生たちに自習の重点を伝えたあとで『学習室へ行ってくる』と宣言し部屋を出る。
もちろん下級生たちは意味を理解しているが、無粋に突っ込むような事はしない。そう言う『空気を読む』ことも学ぶ下級生たち。カリオンはこっそり用意した雨具を隠し、寮の裏手から静かに学生食堂の裏手へと回りこんだ。
情報どおり食料馬車が何台も停まっていて、その御者がこっそりと一握りの袖の下を受け取り馬車の中へと学生を押し込んでいる。そんな学生たちの『自主活動』を、ロイエンタール伯は学生指導室の中でにんまりと笑いながら見守るのだった。
「おせぇぞエディ」
「悪い。下級生たちに手間取った」
「よし、行こうぜ」
酷い雨の中をぐるッと迂回し、学生指導室から見えない角度で馬車へと接近したカリオンたち。雨の中の大冒険は誰にも迷惑を掛けないように始まる。隠れて接近したはずのカリオンだが、見えない角度から馬車に乗り込んだ学生がいる事でロイエンタール伯はカリオンたちの思惑を見抜く。
だが、危険な橋を渡らせて経験を積ませていく事を邪魔するようなつもりは無かった。つかの間の自由を味わう三人の長い夜は、始まったばかりだった。