勝利を目指す国家総動員体制
~承前
「空前……とは、こういう事を言うのですね」
それ以上の言葉が無く、ただただウォークは立ち尽くし眺めた。
巨大な机の上に並べられた駒は、想像を絶する戦力を意味していた。
「常識とは無意識に設定した全く根拠の無いただの空論か……上手い事言いやがったな。あのふたりのヒトは」
苦々しい表情を浮かべてぼやくヴァルターだが、その言葉とは裏腹に盤上のコマとなって駆ける日を密かに楽しみにしている部分があった。王の親衛隊筆頭として任官したあの日から、王の真横に立って駆けられる日を待っているのだ。
「まぁ、ル・ガルの持つ余力は……ここまで巨大なものに成長していたのだと喜んでおこうぞ。歴代王とその臣下達が脈々と気付いてきたものだ」
カリオンの言葉にウォークとヴァルターは黙って首肯を返した。マサとタカのふたりが王都ガルディブルクへとやって来て早くも10日が経過した頃だ。ヒトのふたりが進言したそれは、ル・ガルという国家が硬直しきった思考回路に沈んでいたことをまざまざと見せ付けるものだった。
――――国家総力戦というものをご進講に参りました……
最初の謁見の翌日、城へと姿を現したマサはそう切り出して謁見を求めた。
だが、それに反応したのはカリオンだけでは無かった。
国軍の参謀陣は元より、ビッグストンに在籍する講師や教授を含めた学者の面々と国立大学の研究者達。まだ王都に残っていた高級将校。そして、各公爵家の中にあって経済計画を策定する頭脳達だった。
ただ、その講義が深夜に及び、白熱した討論が夜明けまで行われた後、彼らに突き付けられたのは、否定できない思考の硬直化だった。
――――万が一にも敗北したとき
――――言い訳となるものを全て排除した状態
――――それこそが国家総力戦というものです
――――予備戦力を残した状態は総力とは言いません
厳しい表情でそう言ったマサは、王都に残る戦力10個師団の全てを戦線投入しろと言い切った。各公爵家に残存する戦力が8個師団。そして近衛師団が2個師団の合計10個師団だ。
だが、そこで問題になったのは近衛師団の扱いだ。王の警護となる近衛師団を戦線に投入してしまう様では、王都の守りが手薄になる。王を護りその手足となる近衛師団は、ある意味で国軍最強の面々が集まっている筈だ。
――――王の警護はどうするのだ?
国軍参謀が頭を捻ったのはそこだった。キツネやオオカミやトラが万が一にも裏切った場合、この王都の護りをどうするのか?について、解決策を見いだせなかったのだ。
だが、カリオンはそれに対し驚くべき解決策を見せた。思い悩む面々を前に、ズバッと大胆な手を示したのだ。
――――簡単な事だ
――――余が直接戦線に赴く
太陽王の御親征は珍しくも無い事だが、王都を完全に空にするような総力戦闘など滅多にあるものでは無い。だが、格上である獅子の国との戦闘では避けて通れない部分でもある。
いつの間にかル・ガルは大国になっていた。相手を侮るつもりは無いが、何処かに余裕を持った戦闘を心掛けていた。そんな心の贅肉をそぎ落とし、かつて建国当初の頃のようにひたむきな対処が求められた。
「しかし、ビッグストンの生徒だけで無く講師や教師といった一般人まで動員となりますと……指揮系統の負担が増えますね」
ウォークは官僚の頂点らしい視点でそう言った。戦線にあるおよそ15個師団の戦力に10個師団が追加されるのだ。だが、問題はそこでは無い。本当に問題になるのは……
「国民軍か…… そんな発想などした事も無かった」
戦況卓を囲んでいた老将のひとりがボソリとそう漏らした。そう。マサとタカが進言したのは、軍だけでは無く国民から義勇兵を募ると言う政策。ヒトの世界の戦史を見れば何度も出て来るものだ。
健康な男であればひとりも漏らさず戦線へと送り、少々不健康でも後方支援などに当たる。もちろん女子供も挺身勤労の義務を負わせ、輸送や補充、そして生活支援などに当たれば良い。
「最前線の兵を全て戦闘に宛てる為に、補助となる者を送り込むと言うのは全く斬新な発想だ。だが、理に適っている」
凡そ軍隊と言う組織は、全ての行動についてを自己完結できるように構成するものだ。戦線における衣食住はもとより、戦線への補給輸送や通信機能の維持管理など外部支援を受けない仕組みになっている。
だが、その任に当たる者もまた訓練を受けた兵士。ならば彼らも戦力してしまいましょうとマサは進言した。戦線への輸送など年老いた馬喰にだって出来る事。戦線宿舎における供食や洗濯と言った雑務は女性挺身隊に任せる。
現在は軌匡を使った簡易鉄道輸送が行われているが、その荷扱いならば身体の強さより頭数の方が重要になる。そして、戦線を支える兵器の製造工場を支援する為の増強も図れる。
「国家総動員法ですか…… ヒトの世界では何とも無茶な事をしたのですね」
黙って眺めていたララがぼそりと呟く。だが、それをせざるを得ない意味を、マサとタカはこれ以上ない説得力を持って語っていた。勝利の対義語は敗北ではなく滅亡なのだ……と。
現実問題として、ル・ガルと戦をしたネコやキツネの国家がどんな対処をしましたか?と。ウサギの国はどうだったか?トラは?それだけじゃなく、今は良好な関係であるオオカミの国がどうでしたか?と。
「使えるものは何でも使う……という事か」
クククと苦笑いしつつもカリオンは盤上を眺めた。ル・ガル全土から集約される巨大戦力は非正規兵だけでも30万の規模になりそうだ。それ以外に志願を募る枠だけで100万を優に越える規模となる。
戦線にある50万の兵を養うための後方支援として300万を動員する。その300万を円滑に動かすためにル・ガルの各地で2000万のイヌが動員される。全てが獅子の国との最前線を支える歯車となる。
「もはや単なる軍事的な行動ではなく、国家運営その物ですね」
何かをメモしつつウォークはそう言った。
その手元にあるメモ書きにはビッシリと様々な疑問点や問題点が並んでいた。
「そうだ。だがそれについては何ら問題はないと余は考えている。まぁ、余には優秀な側近がある故にな」
ニヤリと笑ってウォークを見たカリオン。
当のウォークは渋い顔で言った。
「……また留守番ですか」
何とも残念そうにそう漏らすのだが、実際の話として国内の諸機関を連係させ国家をまわすともなれば相当な能力が要求される。それについて場数と経験を積み重ねただけで無く、様々に調整する能力も必要なのだ。
その意味ではウォーク以上に適任の存在は無く、カリオンとて代わりが務まるとは言い切れないレベルだった。
「やはり……不満か?」
ウォークが不満であれば対処を考えねばならない。カリオンとて面倒の全てを押し付けるつもりは無いのだ。だが、どんな言葉が飛び出すか?と固唾を飲んだ面々は、あまりにも予想外の言葉が飛び出したことに驚いた。
「不満は不満ですが、それよりも不安の方が大きいです。彼のシュサ帝は20万余の手勢を御しきれずに戦線は混乱を来したと学びましたし、王と共に駆け回ったオオカミとの紛争では総勢25万の軍団も、半分以上が指示待ち状態でした」
ウォークの語ったその言葉に見え隠れするのは、最前線に多種族からなる50万オーバーの戦力が集結する事への不安感だった。指揮命令系統はバラバラで、その方針すら統一が難しいかも知れない。
大まかな戦術的目標をやり取りするだけでも伝令が走り回る事になるだろう。だが、獅子の国の側がそれを見過ごすとは思えないし、強力な広範囲魔法でも使われた場合には、一網打尽でやられかねない。
戦線本部となる拠点を強襲でもされれば、獅子の国に敵対する諸国家の首脳部が一瞬で全滅しかねないのだ。
「ル・ガルの内部だけでも大まかな指揮命令系統を作った方が良さそうです」
ウォークの不安を見て取ったララがそう進言した。戦術と戦略の専門家に育ちつつある彼女は、盤上に並ぶ駒を見ながら大きな戦略を思案していた。
「軍団分けするのでは無く、兵科毎に独立した指揮命令系統を作り、それぞれを有機的に連動させる方が威力を発揮するんじゃ無いかと……思う……けど……」
カリオンの反応を確かめたかったのか、言葉の後半は尻切れ蜻蛉的なものになってしまった。だが、少なくともそれは従来のル・ガル参謀陣では提案すら無かったものかもしれない。
カリオンは『フム……』と思案した後、ララをジッと見つめた。思わぬ才女に育った存在だが、カリオンにしてみれば間違い無く娘な存在だ。
「具体的にどうするべきか案はあるか?」
参謀陣や軍関係者、各官僚と諸機関の関係者達。そんな国家運営の要衝を任される者達へと問う時とは、声音も空気も全く違う言葉がカリオンから発された。この場にいた者達はそこに父親としての存在を感じた。
幼長や性別や種族と言った垣根を越え、能ある者を重用し素直に言葉を聞く。カリオン王の持つその特別な資質はル・ガルの発展に大きく貢献してきた。しかし、それらとは全く異なる部分がカリオンにもあったのだ。
父と娘のやり取りその物を見て取ったウォークは、どこか優しげな表情になってララを見ていた。この子は将来どうなってしまうんだろう?と案じていた頃とは全くの別人に見えていた。
「……先にウサギの国で試した戦術ですが――」
ララが盤上に手を伸ばし、その駒を大きく並べ替え始めた。彼我戦力衝突線の手前に配されたのは、騎兵では無く歩兵だった。大きな塊となる歩兵の結集拠点は大きめの隙間を空けて分散配置されている。
そのやや後方に存在するのは騎兵の一団だ。ただし、真っ直ぐに斬り込むには距離が有る。そのまま突入すれば間違い無く魔法の集中投射を浴びることになる。国軍関係者が怪訝な顔で眺めていると、ララはその後方に砲兵を配置した。
最前線には6門の新型野砲が送り込まれているが、王都の工廠では更に6門の砲が完成しつつ有り、その後を受けて製造段階に入る砲の為の材料となる製鉄作業も進んでいた。
「――この戦術の肝は野砲です。敵の魔法戦力中心部へ遠慮無く砲を撃ち込み、魔法攻撃を妨害します。出来れば詠唱中に着弾させて混乱状態にするのが良いでしょうが、間に合わなくとも問題在りません。魔法を放った後であれば一時的に虚脱状態となるのですから、より一層効率よく敵を排除できます」
ララの手により、野砲陣地からの砲撃を受けた敵側戦線に着弾点を示すピンが差し込まれた。その細い指が次に指し示したのは、歩兵陣地だった。
「恐らく敵側は歩兵では無く隙間に見える騎兵を攻撃対象に選ぶでしょう。戦線では騎兵による爆薬の投射攻撃が威力を発揮していると聞きます。当然、敵もそれに警戒しているでしょうから、騎兵はすぐに前に出てはいけません――」
ララの指が示したのは、矢印では無く雲のような不定形の『帯』だった。
「――この地域へ全ての歩兵拠点からバラバラに走って前進します。走りながら手にした銃で適宜銃撃を続けます。一発撃って再装填し、また一発撃って再装填。それを繰り返しながら、戦列を作らずこぼれた水が拡がるように進みましょう」
嫌らしい…… 話を聞いていた参謀達はそう唸った。これは敵からしたら相当嫌な戦術だ。威力の弱い魔法を収束して強力な魔法に化けさせる。それこそが獅子の国の強さの秘密。
薪に火を着ける程度の威力でしか無いが、それが10人分まとめられたら岩をも溶かしかねない。しかも魔法は点ではなく線として伸びる。収束された魔法効果の帯が長く伸びるのだ。
その伸びた威力の線に触れれば、どんなものでも発火するだろう。兵士の一団に浴びせ掛ければ、その一団が丸焦げになってしまうだろう。だからこそ歩兵をバラバラに前進させるのだ。
「敵に魔法の的となるものを与えないと言う事か」
その肝となる部分をカリオンも理解した。ただ、そんな言葉を吐いたカリオンをララがニヤリと笑ってみていた。本来の父であるトウリが時々見せる、あの仄暗い悪意を孕んだ邪悪さを感じさせる笑み。
だが、それ以上に思うのは、あのウォルドと名乗った七尾のキツネがみせる邪悪さを隠そうともしないそれだった。
「敵とて魔法を使ってくるでしょう。ですが、銃以上に魔法は連続使用が出来ません。ここで重要なのが……騎兵です」
……あぁ
ララの言った言葉を理解し、カリオンはその戦術の要諦を全て理解した。これまでのル・ガル定番戦術が騎兵の独断場だとするなら、これはル・ガルの総力が連動する国家規模での連係戦術だ。
騎兵は花形だが主力では無い。歩兵は囮となるが、同時に最大の攻撃力を発揮する主力となる。そして、両軍を支援する砲兵は、戦場を支配する神そのもの。防ぎようのない強烈な一撃を叩き込まれれば、敵の魔法兵は木っ端微塵だ。
「ですが、より強力な魔術を行使された場合はどうしますか?」
ウォークはかつて見たウィルケアルベルティの落雷魔法を念頭に置いていた。落雷が持つエネルギーは凄まじいものがある。そして、銃や砲を扱う所には火薬があるのだから、そこに落雷すれば大変な事になる。
タリカが重傷を負ったのを見れば分かるように、火薬への引火は最大効率で味方を殺傷するだろう。何としてもそれを防がねばならないのだが……
「よろしい。ならば余の持つ魔導師達を全て送り込もう。余と共に最前線へ赴いて貰う。そして、敵側が何か強力な魔法効果を狙った場合には、対抗措置を取って貰う事にする。国家の総力というならば必用な事だ」
カリオンはニヤリと笑いながらウォークを見た。夢の中の会議室で決まった、リリスを戦線に送り込む大義名分が出来たのだ。この世界でも指折りの魔導師が何人も居るし、正真正銘の魔法使いも居るのだ。
彼ら・彼女らの支援役として城からメイドを派遣した。それで何も問題無い。だが、そんなカリオンを不満そうに眺めているララは、何処かお冠な様子だ。
「……なにか不服か?」
娘の見せる不満な様子は、父親にとって最悪レベルで居心地を悪くするものだ。父親にとって愛娘は永遠の恋人で、尚且つ妻以上に扱いの難しい存在なのだ。それ故に娘の機嫌を損ねるのは、父親にしてみれば沽券に関わる。
「いや…… 別に……」
ララは否定して見せたが、それは暗なる肯定の意味を持つもの。カリオンは右手を額に添え『フム……』と考えた。その姿を後ろから眺めていたリリスは、遠い日に見たゼル公の悩む姿を思いだした。
だが、リリスがそれへの対処を考える前にウォークと妻クリスティーネが口を開いた。猛烈な勢いで火が付いたように言った。
「姫はダメですよ?」
「そうです! いくら何でもあそこはダメ! 危険なんてもんじゃ無い!」
猛烈に反対意見を述べる姿にカリオンもその正体を察したらしい。
だが、その解決策として提案した内容は、ガルディブルク中を大騒ぎにさせる事態となるのだった。