ライオンの正規兵襲来
~承前
「嘘だろ?」
霧の立ち込める草原の中、瀟洒なテーブルの周りに椅子が並べられている。その円卓の一角に座っているカリオンは、笑いながらそう言った。ただ、その言葉を投げかけられたジョニーは、力無く首を振りながら応えた。
「冗談で言うならもう少し脚色するさ…… 本気で真実だ」
ジョニーの顔にはいつもの余裕が無かった。そしてそれ以上に憔悴した顔に成っているのがアレックスだった。霧の会議室へ遅れてやって来たアレックスは、疲れ切った顔での登場だった。だが、それも宜なるかなと言うのが実際の所だった。
「国境を越えて進入してきたのは凡そ22万だ。そのうち正規軍は17万を数える様だが、全てライオンで統一されたとんでも無い集団だ」
獅子の国の正規軍が遂にやって来た。その一方を聞いたカリオンは、ジョニーとアレックスの報告を楽しみにしていた部分があった。しかし、続々と城へ送られてくる光通信の報告書は正視に耐えない物だった。
曰く、先鋒の約4万に及ぶ兵が一斉に魔法を使ってきた……と。
曰く、後詰めとしてやって来た4万の兵は先鋒とは異なる魔法を使ってきたと。
その後も続々と報告は届いた。ドリー率いる騎兵団はほぼ壊滅し、ドリーを含めた3千程度のみが脱出に成功したらしいと。その後、ジョニーが戦線に孤立し、救援に向かったマリオ率いるネコの騎兵が完全に壊乱してしまったと。マリオ・ウリュールは行方不明になっていた。
最終的にキツネの武士団が一斉に突入し乱戦に持ち込んだのだが、ル・ガル騎兵たちはそこで信じられないものを見た。キツネの兵が完全に力負けし、武士団が潰走し始めたのだ。
その時点で戦線は総崩れとなり、全域で酷い乱戦になってしまった。ただ、そんな中で前線へと上がってきた獅子の国の第3軍は、それまでに見た者とは全く異なる魔法を使ってきたと。
結果、現場は大混乱に陥り、味方同士が激突しかねない状況になったので拡散後退が号令されたとの事。事ここに至り前線の維持が不可能で有ると判断され、キャリは遠慮無く砲を放って石橋を叩き始めた。
結果、獅子の第4軍が襲来してくるのは阻止できたが、それでも河のこちら側へ12万の兵力がやって来た事に成る。ル・ガル側は戦線を整理し、逃散した各隊の騎兵を糾合しつつ再編成を図り、各家の騎兵が入り乱れる混乱状態のまま撹乱運動に入ったとの事。
「……いったいどんな魔法を使ったんだ」
首を捻ったカリオンは短い言葉でそう問うた。やや俯き加減だったジョニーは顔を上げ『火だ。火が降ってきた』と応えた。それに続きアレックスが詳細な説明を始めた。
「敵陣の中へ爆薬を投げ込んで混乱させようとしたんだが、その前に炎の大波がやって来た。隊列を組んだ獅子の正規兵は一斉に着火の魔法を使ったんだ。けど、約4万人が同時にその魔法を使うと……どうなると思う?」
それは文字通りに炎の津波だった。ファランクス陣形を組んだライオンの兵は一斉に着火魔法を使った。魔素に直接火を灯した小さな火種を投げる魔法だ。火口を用意しておいてそこに着火魔法を投げれば簡単に火が着くのだ。だが、4万の兵士が同時にそれをやったらどうなるか?
「かつて俺もそれを考えた事があるが……そうか。獅子の国は実用化したのか」
何処か感心したようにカリオンが漏らす。だが、アレックスはウンザリ気味の顔をしたまま言葉を続けた。なぜ戦線が大混乱になったのか? その問いの答えが出て来たのだ。
「問題は後詰めの第2軍だ。こっちが使ったのは……風の魔法なんだよ」
小さく『風……だと……?』と返答したカリオン。
力無く首を振りながらアレックスは消え入るような声で言った。
「そうだ。風だ。火口に灯った火を猛らせる為の風魔法だ。だが……数万の兵士が使うその魔法はこちらの陣形を完全に吹き飛ばす威力だ。何より――」
アレックスは唇を噛んで首を振った。何か恐ろしい物を見たのだろうか。わずかに震えながら上目遣いにカリオンを見ていた。
「――こちらの騎兵が全身火だるまになっている状態でそれを使われた。各所で爆薬が誘爆し、敵を粉砕する前にこちらが粉砕された。至近の者は爆風で即死し、距離があっても衝撃で吹き飛ばされて死んだ。それでも魔法の火は消えないんだ」
そう。魔法でおこした火は消えないのだ。集められた魔素そのものが火のような振る舞いをするだけに、消そうと思って消せる物では無い。だが、そんな火が大量に集まっている所に風が吹けばどうなるか……
「炎の柱が出来たんだよ。炎の竜巻だ」
ジョニーが言ったそれは、ル・ガルの兵士が今まで一度も見た事の無い恐ろしい光景だった。各方面より吹き付けられた風による火炎旋風がこちらの陣の中に沸き起こったのだ。
火炎旋風の恐ろしさは見た者で無ければ理解出来ないだろう。凄まじい熱を発しつつも強い上昇気流による吸引効果を発揮するのだ。その結果として巨大な掃除機のように辺りにある物全てを吸い込んでいく。大量の酸素供給により数千度に熱せられた炎の竜巻は鉄を容易に溶かしてしまうのだった。
「そんで…… ネコの連中が火を消そうと水の魔法を使おうとしたんだが、その前にアッチにも火の魔法が降り注いだ。ライオン連中は相当訓練されているなってのがよく解る位だ。あっという間にあいつらも火だるまでよ……けど」
ジョニーの目がアレックスを見た。お前が言えと目で合図したのだ。
「あぁ…… 獅子の国がここまで待っていたってのをよく理解した。無いんだよ。火を消す水が。どこにも無いんだ。イテルの水量は驚く程に少なくなっていて、恐らくは当月中に枯れるだろう。つまり、火に対抗する手段が無いんだ」
獅子の国が乾期を待っていた理由。それをル・ガル側は初めて知った。こちらが想像していた以上の威力と破壊力を叩き出す魔法攻撃は、対抗手段が全く無い。つまり、何か新しい事をやらない限りは対抗出来ない。
唖然として話を聞いていたカリオンだが、その横にいたリリスが助け船を出すように言った。
「で、その後どうなったの?」
リリスの言葉に励まされるように顔を上げたジョニーは、罪の許しを請う罪人のように話を再開した。
「ライオンの第3軍が前進してくるのが見えたんだよ。俺はその時点で獅子の国の軍勢と軍勢の間に居たんだ。脱出路を探してた。そしたらロニーが開いてる所を見つけてきて、そっちに馬を走らせた。所がそこにライオンの軍団が居てな。連中が魔法を準備していたんで、そこへ爆薬を投げ込んだ。まぁ、一回は反撃できた」
それが全く無意味な反撃である事など論を待たない。この局面では1人でも多くの兵を脱出させて再戦に備える事が重要なのだ。しかしながら、そもそも脱出路自体が見当たらない状況だった。
こうなったなら破れ被れな突進でもするしか無い。敵のど真ん中に飛び込み、魔法を受けない場所に進んで暴れるしか無い。獅子身中の虫というように、どれ程強力な魔法を行使出来ても、味方にそれを使う事は無いという思い込みだ。
「その時、誰がどう伝令したのかは解らないが、キャリが例の戦車の砲を撃ったんだよ。凄まじい音がして一瞬だけ戦場の時間が止まった。砲弾は一発で石橋を吹っ飛ばし、すぐさま二発目が降ってきて今度は橋の根元を破壊した」
少しだけ嬉しそうに話すアレックスだが、その言葉が段々とトーンダウンしていくのは良い結末では無いと言う事だ。
「3発目4発目の砲弾が続々と降り注ぎ、石橋の周辺に着弾して橋が続々と壊されたんだよ。ただ、結果としてそれは悪手だったな。獅子の国の後続が直接川を渡り始めたのさ。そこにキツネの連中が襲い掛かったんだけど……弓矢で散々打ち合った挙げ句に犠牲者続出って自体になってさ。ライオンの第2軍がクルッと進路を変えてそっちに行って魔法を使った結果、キツネの矢は真っ直ぐに飛ばなくなった」
弓矢という武器の致命的な欠点。横風に弱く進路が定まらない弱点を突かれ、キツネの最大威力な武器が封じられてしまった。その結果、一方的に矢を射掛けられて壊乱してしまったのだろう。
「最終的にどうなったんだ?」
カリオンはやや震える声でそう問いただした。
もはやまともな戦場とは思えない状況なのだ。
「まぁ……」
深い溜息をこぼしながらジョニーが切り出した。
目を瞑り、首を左右に振り、後悔に身を焼かれる姿での告白だった。
「俺はロニーと共に隙間隙間を突いて走り回った。いや、逃げ回ったと言うべきだな。まともな激突など土台無理だ。地力が違いすぎる。キツネの武士が直接斬り結んだが、跳ね返されてたよ。ライオンって種族が百獣の王を僭称するのは伊達じゃねぇってな」
何か恐ろしい物を見たのだろうか。ジョニーは伏せ目がちでそう言った。
その隣に居たアレックスは、力無くため息をこぼしつつ言った。
「ちょうどそこへ茅街からヒトの一団が到着したんだ。で、検非違使が早速覚醒状態になって突入した。手にしていたのは覚醒者用の棍棒だ。純粋な力の激突って奴でさすがの獅子も吹き飛ばされていたよ。けど、本当に威力を発揮したのは――」
アレックスは寂しそうに笑って言った。
「――ヒトが持ってきた連発銃だ。4人一組になって検非違使に護られたヒトの集団がいくつか戦場に出た。そこであの連発銃をバリバリ撃ち始めたんだ。弾の数に限りがあるって聞いてたんだが、いま使わないでいつ使うんだ?って」
茅街から持ってきたのは50口径機関砲だった。輸送コンテナに入っていたその機関砲と凡そ1万発の弾丸を持ってきたタカ達は、構わずそれをぶっ放した。射線距離100メートルですら着弾した獅子の兵の身体を引き裂く運動エネルギーなのだ。
そして、12.7ミリの巨大な弾丸は有効射程1500メートルに及ぶ。そんな物をバリバリと撃ち込まれれば、さしものライオンとて足を止めざるを得なかったらしい。そこへキャリが榴弾を打ち込み、獅子の国の正規兵は撤退行動に入った。
「……つまりは、大きな借りが出来たと言う事だな」
カリオンの言葉にアレックスとジョニーが首肯した。それはイヌでは対処出来ない敵へヒトが対処した……と言うだけでは無い事態なのだ。イヌもネコもキツネですらもライオンに対抗出来ないなか、ヒトだけが対抗出来た。それがもたらす意味は、決して軽くは無かった。
思い切った事が必要だ……と誰もが思った。だが、それをするには非常に勇気が必要なのだとカリオンは気が付いていた……