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純粋な悪意

~承前






 それは、ジョニーが西部戦線に来ておよそ一ヶ月が経過した日の事だった。


「嘘だろ……」


 言葉を失って眺めているジョニーとロニーは、馬上で震える自分の身体を抑えることが出来なかった。あの大河イテルの水量が驚くほど減っていたのだ。小さな葦の生えていた水際から1メートル近くも水位が下がっている。


 川の中ほどには中洲がいくつも姿を表していて、その周辺には柔らかい泥が太陽を浴びていた。雨季と乾季の切り替え時期という知識はあったが、それが導き出す新たな事態までは予測出来なかった。


「兄貴、これ、獅子の国の連中は知ってたんですよ」


 ロニーの漏らしたその言葉に『間違いねぇ』と答えたジョニー。その目が捉えたのは、向こう岸にある獅子の国の陣地へなにか大きなモノが到着する様だ。


「なんだありゃ……」


 目を凝らして眺めるのだが、さすがに対岸の事を肉眼で確認するのは難しい。距離にして2キロはあろうかという遠方だが、はっきりと見えるのは馬の無い荷馬車の列だった。


 大きな幌を駆けた荷馬車が4台か5台ほど連なっていて、そのどれもが見事な統制で動いている。まるで一本の縄で繋がれているかのように見えるのだが、それが何かと問われても正体は分からない。


「ありゃ……何て代物なんでやしょう?」


 ロニーも首を捻る代物だが、初めて見る仕組みなのだからロニーだって説明できないのだ。ただ、1つ言える事はあれが獅子の国の秘密だと言う事だ。ル・ガルも前線への補給で苦労しているが、それは獅子の国にも言える筈。


 ただ、この数ヶ月を見る限りだが獅子の国は全く問題無く補給路を機能させているらしいのだ。水や食料だけで無く、様々な消耗品や嗜好品が補充されているらしい。そして勿論、消耗し続ける人員もだ。


「まぁ、なんだ。とりあえず本営に戻るぞ」


 馬を返したジョニーが走り出す。ロニーも『へいっ!』とそれに付いて行った。ふたりは獅子の国が中央から遠く離れたこの地に大量の物資が続々と運び込まれる秘密を見たのだが、残念なことにそれを全く理解できないのだった。




 ――――――それから小一時間




 用意された昼食は乾いた肉と味気の無い果物。それと味の無いパンにエール。水の貴重な地域でワインやビールを飲むのは不思議な話だが、ビタミン不足からくる壊血病対策に最も有効な飲み物がこれなのだ。


 これもまた砂漠の民の知恵で、アッバースの諸家の面々はエールで乾燥させた果物を胃に押し込んでいた。どうやったところで乾燥には勝てないのだから、文句を言う前に工夫するしかない。


「若干酔っぱらうのだけが難点だな」


 ろ過など全くしていない正真正銘の生ビールを飲んでいるドリーは、ほろ酔い状態に酔いが回ったのか随分と上機嫌だ。アルコール分が3%も無い水のようなビールだが、そのなかには多量のビール酵母が泳いでいる。


 それこそがビタミンやミネラルの供給源で、ヒトの世界における大航海時代の水兵達は、海の上で毎日6パイントのエールを『主食』にしていたくらいだ。どんなに綺麗な清流の清水を樽に詰めても、船に積んで2週間もすれば青藻がわく。


 それに比べ若干でもアルコールが入っているエールは、自己殺菌によって4週間の航海でも衛生状態を保ったと言う。そんな食生活に耐えられない水兵は死ぬだけだ。遠慮無く死体を海に放り込んで終わりな世界。


「まぁ、死なねぇだけありがたいと思えってな」


 ジョニーが言うとおり、砂漠と言う極限環境には冷徹な現実があるのだった。

 文句を言うのは自由だし、泣き言を言って食べるのを止めるのも自由。


 ただし、食べねば死ぬ。飲まねば死ぬ。暑さはどうにもならないのだから、上手く付き合うしか無いし、折り合いを付けるしか無い。


「……で、参謀長の見立てた件だが」


 ボロージャはエールの入ったマグカップを持ちながら切り出した。ジョニーの言う案件に、派遣されたル・ガル軍首脳部は頭を抱えていた。その仕組みは解らないが、獅子の国は続々と補給をうけているらしい。


 物資だけでなく人も送り込まれていると考えるのが常道だろう。続々と増援が送り込まれている状態で、彼らは乾期の到来を待っているのだ。橋の必要性が薄らぐ季節とも成れば、彼らは遠慮無く渡河するはずだった。


「普通に考えれば、一斉渡河してくる危険性を考えるべきだな」


 ドリーはそう切り出して、残っていたエールを飲み干した。若干胡乱な目をしているが、この程度で正確な判断が鈍るようでは公爵家の当主など勤まらない。


「それより、参謀長が見たと言う馬の無い荷馬車の列が気になる」


 ボロージャはそっちに目を向けていた。補給路をどうにかしようと提案していた男は、そこに獅子の国の強さを感じたのだ。前線に出てくる兵は驚くような弱兵ばかりだが、その補給は恐ろしく優秀で切れ目がないように感じているのだ。


 前線を維持するというのは、口で言うほど生易しいものではない。ましてや現地補充が出来ないものは運んでくるしかないのだ。だが、この3ヶ月ほどの間、いとも容易く獅子の国はそれをやってのけた。


 ル・ガルは強大な国家だが、それを遥かにしのぐ巨大で緻密で成熟した国家なのかもしれない……と皆が思い始めていた。


「これ、我々だけで頭を抱えてもダメですよね」


 ポールはそんな言葉で、合同軍本営に話を持っていくべきだと提案した。少なくともここにはイヌだけでなくキツネとネコが居るのだ。そこで情報を共有し知恵を集約する必要がある。


「……そうだな。ポールの言うとおりだ。少なくとも現状では負け戦だ」


 ジョニーが危惧したもの。

 それは今さら言葉に出さずとも全員が感じていることだ。


 決して負けてはいないだろう。だが、勝っているかと聞かれれば、誰もが首を横に振る状態だ。誰だって獅子の国の都に手を掛けられるなんて大それたことは思っていない。


 だがこの局面で敵を撃退出来ていない以上、イヌにしてみれば負け戦そのもの。ル・ガルに対する朝貢要求を断念させ、自主独立を保つことだけが勝利と定義できるのだった。


「午後の連絡会議に掛け、場合によっては各国の代表を集めた戦略会議を持とう。事態は急を要する。事と次第によっては防御陣地に最適なところまで後退せねばならんだろうな」


 この場における最年長のドリーがそう提案し、全員が首肯した。とにかくどうにかしないと危ない。そんな危機感を覚えているのだが、幾多の戦場を経験した者ならば、誰でも同じようなものを持つのだった。だが……


「ん?」


 唐突に本営幕屋の外から歓声が上がった。そして、雷のような拍手の音。それに続き聞こえてきたのは、随分とガタイの良い男が鳴らす足音だ。長身でガッシリとした肉付きの大男。そんな存在が鳴らす足音はすぐにわかる。


 ――――だれだ?


 拍手と喝采で済んでいるのだからカリオンの線は薄い。となれば、オクルカでもやって来たか、若しくはボルボンの夫婦が舞い戻ってきたか……


「あ、皆さんお揃いですね!」


 明るい声で唐突に本営へと入って来たのはキャリだった。その後ろにはタリカが居て、2人ともほこり臭い状態ながら明るい表情だった。


「……王子? どうされた?」


 ドリーも驚くその光景。キャリとタリカがここまでやって来たのは、予想より1週間早かった。2人は最新鋭の戦車をここまで運んできていた。その砲は着々と改良が進む300匁砲だ。


 だが、そんな事はまだ驚く様な事では無い。2人の戦車を牽引してきたその巨大な物はなんだろうか?と全員が目を丸くしていた。鉄で出来た大きな荷車のようにも見えるのだ。


「茅街のヒトが協力してくれて、ここまでの補給路は一気に完成しています。最終補給点からここまで4時間で物資輸送が可能でしょう。大量の食糧と水を持ってきていますので、まずは皆さん召し上がってください。それと……」


 一気呵成に説明を始めたキャリだが、その続きの言葉が出る前にジョニーは言葉を遮って西部戦線の話を切りだした。


「キャリ。タリカも聞け。実は面倒な事態になった」


 ジョニーはここで全員が直面した事態というものを説明しだした。まもなく乾期がやって来て、太陽が敵に回る事態だ。恐らくここは灼熱の地獄と化すだろう。それに対抗するやり方は、ル・ガルでは持ち得ないのだ。


 もうすぐ大攻勢が来るだろうから、一端後退して防衛陣地を作るべきでは無いかと言う事で意見の一致を見ていたのだ……と。


「ならむしろ願っても無い事です。これを見て下さい」


 キャリが紹介したのは、延々と茅街からやって来たブルトーザーだった。キャタピラを装備したブルトーザーはすぐ後ろの荷車に大型発電パネルを乗せ、太陽の光を浴びて動ける仕組みになっていた。


「これで……どうするんだ?」


 ボロージャも不思議そうにしているのだが、キャリの隣に居たタリカが足下の砂を使って説明を始めた。それは、ル・ガルにおける最高の戦術をここでやろうという物だった。


「このブルトーザーで土壁を作り防塁にします。それを幾段も積み上げ、5段重なりの防御陣地を作り、どれほど敵が押し寄せてきても全て撃退出来る様にします。万が一突破されたときの為に、後方に同じ物をもう一つ作り、後退時には爆破できるようにします。これで敵に……嫌がらせをしましょう」


 ニコリと笑って言う若者コンビは、ただでは負けないと言うスタンスを示した。そしてそれは、いたずらを思い付いた子供のように純粋な悪意の発露だった。

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