ヒトの思惑
~承前
「なかなかやりますね」
トラの国へとやって来た茅街の住人に宛がわれた宿舎は、驚く程に広くて快適な所だった。本当に使って良いのか?と全員が訝しがったのだが、トラの関係者は遠慮するなと笑って鍵を置いていった。
――――奴隷階級と呼ぶべきヒトが来たのだぞ?
――――下手をすれば馬小屋でも宛がわれかねない……
そんな危機感を持っていたタカだが、マサを含めた100名ほどのヒトは大きな商館を指定されて、そこを拠点としていた。元々は獅子の国の関係者が使っていたらしい所なので、獣臭さが残っているのだけは閉口したのだが。
「気合と度胸なら我々の世界でも通じるだろうな――」
静かに茶を嗜むマサは、窓の外を見てそう呟いた。板ガラスを作る技術がないので、窓と言うより開き戸に近い構造だ。そもそも獣人種の場合は体毛が濃いので、寒さに対し非常に強いのだ。
ただ、女はどうするんだろう?とヒトの誰もが思ったのも事実。実際、冬場に見る女性形の獣人は、着ぶくれ状態でモコモコになっているか、若しくは建物に立て籠もって出てこないことが多かった。
「――まぁ、要するに魂の本質は姿形など関係無いのだろうが……」
タカの言葉にそう返答したマサは、椅子を立って窓際に進み出た。商館からやや離れた所では、トラの代表が獅子の国の船乗り相手に凄んでいた。その姿はまるでヤクザかチンピラかと言ったようなものだ。
獅子の国より来た船団は沖合に陣取り、定期的に水をもらいにやってくる。2度目までは『仕方がねぇ』で水を渡していたトラだが、仏の顔も3度まで。3回目の来訪の時にはいい加減にしやがれ!と声を荒げていた。
――――居候だって3杯飯はそっと出すモンだぜ……
――――水を恵むのは吝かじゃねぇがちったぁ感謝しやがれ!
と、凄んで見せたのだ。そもそも船乗りが水を求めたら、陸の者は水を出してやるのが普通のこと。海を上を走り続ける船に対し水を売りつけるのは、相手の足下を見た商売と言う事で忌諱されるものだった。
だが、獅子の国の船団は、さもトラの国が差し出して当然というスタンスで水をもらいに立ってきたのだ。それについて怒り心頭になったトラは、気っ風の良さが姿を引っ込め面倒な因業ジジィ状態に成り下がっていた。
「で、獅子の国は引き下がったようですね」
遠目に見ていたタカもそんな事を呟く。獅子の国にトラが通告したのは、水を飲みたけりゃ金を払えと言う脅し文句だった。そしてそれに『それが嫌ならさっさと上陸して攻めてこい』と付け加えた。
相手を舐めて掛かる物言いは、本気の殺し合いに発展しかねない。だが、それでも構わないのだとトラの国は気合を示した。それは、トラの空元気でも強がりでもない。陸の上にはオオカミの各氏族から集められた精兵4万が待機しているからだ。
また、アッバース家の強力な銃砲隊凡そ1万がやって来ている。銃は3万丁ほどあり、その他に250匁の試作型を含め20門の砲があった。ガチでやり合っても負ける積もりは毛頭無い。
本気でどちらかが滅びるまでやり合ってやる。そんな調子でトラが凄めば、誰だって二の句を付け損なうものだ。
――――売られた喧嘩は買ってやる
――――負けたら死ぬだけだ
――――遠慮しなくて良いぜ
こんな時、トラは徹底的に気っ風の良い心意気を見せ付ける。バカで単純で御しやすい。そう陰口を叩く者も多いだろう。だがそれは、銭金では買えないものを腹の中に持って居る証拠だ。
「けどまぁ…… 水がなければどうするのだろうね? 彼らの船は所詮帆船だ。造水器などあるように見えないし、魔法とやらで作るにしたって、まとまった量は作れまい。作れるなら最初から水をもらいに来ないだろうしな」
そう。全ての生物にとって水の存在は最も重要な生存条件だ。食糧が乏しくとも1週間や10日はどうにでも成るし、実際にやった経験がタカにもマサにもある。しかし、水が切れたときは3日目で行動不能になる。
寒冷期故に水の消費が少ないと言っても、全く飲まない訳にはいかないのだ。喉の渇きを訴えた時、最もやってはいけないのが海水を飲むこと。海水を飲めば喉の渇きは加速していく。ヒトの世界の常識で考えればそうなる。
およそ獣人とは言え、生物反応の軛からは逃げられない。故にマサとタカは彼らの船には兵士が碌に乗ってないと結論付けた。カリオンの元に届いていたネコの国の情報は、ここまで来ていなかったのだ。
「一日あたり凡そ1.5リットルの水が必要になる。仮に兵士が1万居れば、1日で15トンの真水を消費する。私が南方に進出した時には、輸送船のデッキにドラム缶で水を携行していった。5個師団が4隻に分乗したのだが、水だけで3000トンを用意し、尚且つ輸送船の造水器を使ったもんだよ」
懐かしそうに目を細めてそう言うマサは、沖合に見える船の数を数えた。正直言えば、大型漁船に毛が生えた程度のサイズの船でしかない。一隻あたり20人か多くて30人が限度の小型船ばかりなのだ。
「仮に一千隻あったとしても、最大戦力で2万有るか無いかですね」
腕を組み現状を分析しているタカ。マサは顎を擦りながらそれに応えて言った。
どう戦うのか?では無く、どう振る舞うのか?の相談だ。
戦力は上限が決まっていて、おまけに希望した時間に希望した拠点で補給が可能だとは限らない。ヒトの世界の戦力は間違い無く強力だが、そんなヒトの世界の兵器はヒトの手による整備を前提条件としている。
「まぁ、問題は総数ではなく、そこに居ると言う事だ」
「……ですね。こちらは備えなければいけない」
戦力を分散せざるを得ない弱点を作るための戦略的な進出。
獅子の国が行ったのはそう言う部分での駆け引きだった。だが……
「頃合いを見て野砲を打ち込みましょう。15サンチ砲と20サンチ砲がそれぞれ3門ずつあります。射程は23000ないし28000だそうですから、問題無く射程に収めています」
メモ用の手帖を広げ、タカはそう提案した。だがマサは、酷く底意地の悪そうなニチャリ笑顔を顔に貼り付けて言った。
「いや、それは彼らにやって貰おう。あの王子が用意してきた新型砲の調整と運用について指導すれば良い。我々は矢面には立たず、言うなれば最後の手段、用心棒に徹するのだよ。さすれば……我らの価値はもっと高まる」
問題無く敵を撃破出来るだけに、まずはイヌにやらせてみる。それはヒトの側の余裕を示す事でもあるし、イヌの成長を促す手法でもあるのだ。つまり、出来ないからやって貰う事と、出来るけどやらせる事は全く違う事を教えるつもりだ。
イヌには対処出来ないからヒトにやって貰う。そんなポジションに収まる。そして、イヌが出来ないギリギリ上の所に居座り続ける。イヌを圧倒してしまえば、最初から頼られる事に成りかねないからだ。
銃も砲も消耗品も数には限りがあるのだから、少しでも高値で売り込む事が重要だった。そしてそれについてマサはよく解っていた。
「さすがですね」
タカは感嘆したように驚きつつ、ジッと遠くを見ていた。
その間にも天候が崩れだし、油断すれば雨が降り出しかねない状況だ。
「所でここへは補給ルートがあるのかね?」
ふと何かに気が付いたかのようにマサが確認した。絶海の孤島に浮かぶ緑の地獄で泥沼の戦闘を経験した参謀は、補給路の大切さを骨肉レベル理解したのだ。どうにかして補給線を繋ぎ続けなければならない。
兵の士気や戦闘力を左右するのは、兵器でも道具でも無い。最も重要なのは水と食料。この2つがあれば、人は少々苛酷な場面でも喜んで戦うのだった……
「全く問題ありません。小松製の均土機を使って着々と補給路の舗装が進行しています。凡そ1週間でこの地域まで馬車ルートが開通します。その後、状況を見て石畳の強化に入る事に成っています」
一言『重畳』と呟いたマサは空を見上げた。
今にも降り出しそうな雲の具合が気になるのだ。
「やはり雨は気になりますね――」
タカも空を見上げてそう呟く。
雨降りは視界を塞ぎ、音を消し、警戒を緩ませる。
「――あの……緑の地獄でそれを学びました」
吐き捨てる様にそう漏らしたタカ。
だが、それに口を挟んだ存在がそこに居た。
「大丈夫ですよ。そうならない様に技術は発展し、人類は更なる泥沼の闘争に足を突っ込んだのです。雨が降ろうが風が吹こうが、それこそ太陽が沈もうが何も問題はありません」
部屋の片隅で書類をまとめていた男が立ち上がってそう言った。
あのコンテナ輸送船の改修作業で事務方を務めていたタイゾウがそこに居た。
「ヒトの目で見えなくとも赤外線ならば見通せます。電波を使った探索技術で水平線の向こうまで見渡せます。ここに持ってきた道具があれば、真夜中でも監視し続けられます。全部自動で機械任せですが、何も問題ありません」
21世紀からやって来たタイゾウの言葉にマサはニヤリと笑ってタカを見た。
言いたい事は単純で解りやすいものだった。要するに悪意の簡便化だ。
「……まぁ、効率よく死んでもらうとしよう。ヒトの国を立ち上げるためだ。努力しなければな」
マサが発した言葉。それは現状の茅街を端的に示す言葉だった。拡大に次ぐ拡大を行い、ちょっとした規模の街になりつつあるのだ。ヒトはこの街を中心とする衛星国家を作り、そこで繁栄を目指す。技術と製品とを武器として、世界に売り込んで生き延びる作戦なのだ。
「この世界でも産業立国しましょう。この世界に必用な国になって見せましょう」
タカもそんな言葉で賛意を示した。茅街一世一代の勝負は、全てが未来のためという意思統一により進行しているのだった。例えそれが失敗するとも、意味のある失敗をしようとヒトは決めたのだ。
それが取り返しの付かないことになるとは、知る由も無いのだが……