何事も場数と経験
~承前
その光景を見たジョニーは、ただただ絶句して言葉がなかった。
――――ありえねぇ……
精強を誇るジダーノフ家の北方軍団がまるで乞食か浮浪者状態になっている。最前線に設えられた前線本部を含む広大なル・ガル国軍施設は、酷い悪臭を放つとんでも無い有様に堕ちていた。
ガリガリにやせ衰えたスペンサー家の騎兵たちは、壁に寄りかかったまま動こうともしない。その近くにいたジダーノフ家の騎兵たちも疲労困憊で、ギリギリの食糧を分配しつつ敵に備えている状態だ。
「……何日まともに食ってない?」
そう問うたジョニーに対し『まる一か月です』と答えたジダーノフ家の騎兵は、げっそり痩せた状態でそう言った。およそ騎兵というものは体力を使う兵科なのだから、食糧不足は深刻だ。
喰うや喰わずの状態で最も恐ろしいのは、実は餓死よりも抵抗力の低下から来る病気や怪我の回復力が落ちること。野営を続ける行軍中の病気は死に直結する。抗生物質など存在しない世界では薬といえど薬草を乾燥した程度でしかなく、魔術による治療回復も術者の疲労度に大きく左右される。そんな環境ゆえに、何より食料供給は重要なのだ。
「我らが先月ここへ来たときも、同じこと言ったよ。もう大丈夫だとね」
姿を表したウラジミールは疲れ切った表情でそう言った。目ばかりがギラギラとしているのは、戦闘を繰り返して脳内からアドレナリンがドバドバと出ている証しだろう。
だが、そうは言っても生物的な限界は近い。まだ動けるものは乏しい食料の配布や輸送の補助にあたり、動く気力すら無くした者は銃を構えて陣地防御についている状態だった。
「とりあえず腹一杯喰ってくれ。それから事後策を考えよう」
こんな時のジョニーは徹底して親分肌を見せる。辺りを見回し励ます言葉を投げ掛け、率先して救済に歩いた。その姿を見ていたポールが感心するほどの献身性だった。
ただ、その裏にあるものをポールだって気が付いている。現状ではすでに足手まといになっているのだ。軍務にある者の性と言っても良い部分。勝利を得るためにはどうすれば良いのか?だけを考えているのだ。
「なぁドリー。王が言ってたアレ。来ると思うか?」
ジョニーは全部承知で本来なら格上であるはずのドリーにそう問うた。ドリーはスペンサー家の当主であり太陽王に直接忠誠を誓った公爵だ。ただの無頼で公爵家とは関係の無くなったジョニーなど、本来は全く住む世界の違う人間のはずだ。
レオン家を預かるのはあくまでポールであって、ジョニーはその補佐役にすぎない。だが、それでもドリーはジョニーに一目おくような対応をしていた。敬愛してやまない太陽王の友人。本来であれば私情を挟むべきではないのだが、王とて人間なのだから必要な存在だと認識していた。
「……来るかどうかはともかく、対応する準備はしてた方が良いな」
西部戦線に送り込まれた面々が知識として得ていたもの。それは補給部隊を襲った獅子の側の戦力だ。全く未知のルートで襲われ痕跡を残さずに撤収した敵集団がいる事への不安は尽きない。
ただ、その正体をネコの国が教えてくれたことで、恐れるばかりではなく対応策を検討できる段階になった。その未知の軍団は何処から来たのか。不意に空を見上げたジョニーは、うんざりするように言った。
「まさか空から来るとはなぁ……」
そう。地に暮らす種族や水の中に暮らす種族があるように、空を生活の場とする種族がいる。翼を持ち空を飛ぶ空中種族は、鳥のように自由な行動を得ているのだった。
そして、空中から一方的に攻め立てる攻勢を行い、敵を撃滅せしめる牙と爪とを持っている。弓矢しか無い敵に対しては、一方的に攻撃できるのだ。そう。ヒトの世界がそうであるように、敵よりも高く、早く、多く。この三原則を二つ持っているのだった。
「いずれにしろ……って……あれは……」
ジョニーが指差した先。西部戦線を形作る彼方に海が見える。馬を使っても1時間という距離だが、平坦故に遠見が出来る状態だ。そんな所に居たジョニーは、沖合に何かを見つけた。
「船だな」
「ってぇと……あれがキツネの国の増援か」
腕を組んで眺めていたジョニーとドリー。そんな2人の周辺では、レオン家とスペンサー家の増援が担いできた食糧によって何日かぶりのまともな食事が始まっていた。
飢えていた者が急に大食をすると命に関わる事がある。多くの騎兵がそれを知っているので、まずは汁物を飲み込む事から始める。消化する為のカロリーすら足りていない状態なのだから、これはやむを得ない事だった。
「とりあえずキツネの連中を出迎えやしょう」
ポールは控え目にそう意見した。まだどこかジョニーに気後れしているポールだが、そろそろ独り立ちしてくれないと困るのだ。だからこそ『んじゃぁ俺が出迎えてくる。レオン卿。後は頼んだぜ』と責任を預けてジョニーはその場を離れた。
あとはドリーが上手くやってくれるだろう。いきなりスペンサー家の家督を受け継いで散々面食らっただけに、経験値を積むと言う部分でドリーはきっと上手く出来ると言う妙な確信があった。
「ポール。今のは良い視点だが言い方に気をつけた方が良い」
ドリーは早速そんなジャブを入れてきた。何がどうと言う事では無く、まずは双方に気を抜いた柔らかな物言いからだ。だが、それを先達した者の事をドリーはよく覚えている。
同じく公爵家を受け継いだジダーノフ家の先代当主であるイヴァン。彼もまた同じように苦労を重ねて立派な当主の振る舞いを身に付けた。それと同じ事をするだけ。そうやってル・ガルの良き伝統は受け継がれていくはずだ。
「……と言うと?」
慎重に言葉を選びドリーにそう返答したポール。
その背中をポンと叩き、ドリーは笑みを見せて言った。
「俺が担ぐのはスペンサー家の命運と王。ポールが担ぐのはレオン家の命運と、同じく王。それだけ。つまり、俺と君は同じ立場だ。幼長の差は気にする必要など無いんだよ。ただただ、一族を繁栄させ、そして王を支える。それだけだ」
その物言いを薄笑いで眺めているボロージャは、かつてのイヴァンがドリーにそう接していたのを覚えていた。つまり、ドリーは遠回しにジダーノフ家への配慮を見せているのだ。全ては場数と経験が叶えるもの。そうやって人間は成長していく。その場面場面で先達がどう導くかこそが重要なのだった。
「君がこの国において気を使うのは太陽王だけで良い。そう言う事だ。我々は枢密院という王を支える機関であり、その同志であって上下は関係無い。ただ、君が為すべき事について意見をすることはある」
ボロージャもそんな風に噛み砕いて教育を続けた。ポールが立派な公爵家当主になるための教育は、結局のところ周りを見て感じて覚えるしか無い。そしてその中で、周りがフォロー出来る体制で失敗をするしか無い。
「……つまり、ジョニーの兄貴に指示を出せ……と、そう言う事ですか?」
ポールは恐る恐るにそう尋ねた。ドリーは笑みを浮かべ首肯し、ボロージャは一言『礼儀と常識をわきまえつつ……な』と応えた。尊大に振る舞えと言う事では無いことを理解出来るまで、教えるしか無い。
それを何となく読み取ったポールは『解った』とだけ返答した。レオン家を背負って立つポールは、この日また一歩、大人の階段を登ったのだった。
――――同じ頃
「成るほど。アレが獅子の国の船団という訳か」
北西戦線に到達したオクルカは、トラの国の丘の上で海上にある船団を眺めていた。沖合に現れて既に1ヶ月が経過していて、時には港へ上陸し水などを補給せよと要求して沖合に離れていく。
トラの国の係官はこの1ヶ月ずっと観察を続けたそうで、その報告に因ればかの国の船団は定期的に入れ代わっていることが確認されていた。
「この距離じゃ砲弾は届きませんな」
アッバース家を預かるアブドゥラはここに居た。
彼がカリオンから託されたのは思わぬ重要任務だった。
「うん…… さすがに300匁でも届かないと思う」
オクルカが現れたトラの国に送り込まれたのはキャリだった。タリカと共にやって来たキャリは新型戦車の開発に余念がない。敵のど真ん中に斬り込んでいき、バタバタと敵を打ち倒す強力な兵器を目指しているのだ。
何事も場数と経験。それを嫌と言うほど理解しているカリオンだからこそ、キャリにも経験を積ませる事を優先したのだ。ただし、それについての配慮は抜かりないレベルで行われている。
トラの国へと送り込まれたル・ガル兵には検非違使が含まれていて、その検非違使と共にやって来たのはなんと、茅街のヒトの兵団だった。トウリの名前で上奏されたその嘆願書には、ヒトも世界の一員たるを証明したいと書かれていた。
「もう少し接近した時になら届くんだけどな……」
悔しそうにこぼすタリカ。その姿を楽しそうにオクルカが見ている。タリカのキャリの2人があれこれ言葉を戦わせ、どう対処するかで頭を捻っているのだ。それこそがカリオンの思惑であると解っているからこそ黙って見ていた。そして……
「代表……外様は大人しくしているべきだな」
「そうですね」
ボソリと呟いたマサの言葉にタカがそう応える。一歩下がった所でそれを見ている2人は、茅街から持ってきたレンジファインダーの数字を見ていた。距離環には12000メートルの表示が出ている。
丘の上から船まで12キロ程。ヒトの世界の武器ならばいつでも攻撃できる距離だが、指示がないので黙っているのだ。ここで勝手にスタンドプレーを始める訳にはいかない。あくまで依頼という形を取ってもらうことが重要なのだった。