格上との戦い方
~承前
真冬の寒気が居座る王都ガルディブルク。
気が付けば2月も折り返し、早くも後半戦へと突入した頃となった。
街を歩く市民達は肩を寄せ合い、寒風に身を縮こまらせている。
そんな王都から遙か彼方。
ネコの国の西部戦線では、寒さにめっぽう強いジダーノフ家が展開中だった。
ただ、そんな彼らですらも打ちのめされてしまう事態が発生しているのだった。
「……これが砂漠の雨期なのか」
まとめられた報告書を読んでいるカリオンはただ一言、そんな感想を漏らした。
最前線へ進出したジダーノフ家のボロージャことウラジミールは補給線の維持と拡大を訴え続けている。現状の補給路は完全な泥濘地と化し、馬車は使えず馬の背に荷物を載せた歩行輸送が主力になっていた。
その結果、輸送力は激減していて食糧や弾薬だけで無く、衣類などの日用品までが滞りはじめた。最前線はとにかく様々な物を飲み込み続ける無限の穴だ。そしてそれらの維持こそが士気の高揚に繋がるのだった。
「船舶輸送も全く機能していませんね」
ウォークが指摘した通り、大河イテルを使った船舶輸送は全く機能していない。雨期をもたらす強い低気圧により海上は大時化が続いていて、河口にまでたどり着ける船が少ないのだ。
大型の動力船がある筈も無く、船乗りは気合と度胸と吹く風だけが頼り。その結果、船や船乗りの消耗と損失があまりにも大きく、沿岸航路輸送事態が壊滅的な状態に陥りつつあった。
――――あの鉄船を使えないか?
そんな声が上がるほどの窮状なのだが、故障したエンジンを修理する技術など、あの茅街にすら存在しなかった……
「敵側はどうしてるんだろうな」
カリオンの問いはもっともで、同じような条件となる筈の獅子の国はどう補給しているのかが気になっていた。ただ、それに対する回答は驚くべきもので、もはや国家としての地力の違いその物を突きつけられた様な状態だった。
「強行偵察隊の報告では、敵側の前線拠点に対し内陸側から強固な舗装路が建設されているとの事です。地面に石を積み上げて嵩上げし、地面より大人の腰ほどにまで積み上げられた状態だとか――」
ウォークは報告書を思い返しつつ、呆れた様な物言いで言葉を続けた。
所々に挟まれるため息は、どうしようも無い現状への冷めきった苛立ちだ。
「――その表面は可能な限り平らに仕上げられているそうで、4頭立ての大型馬車が次々と行き交っているとの事です。少なくとも消耗品や糧秣だけでなく嗜好品まで補給されているとの事」
獅子の国の本当に恐るべき所。それこそがこの土木工事の技術力だった。かつてのローマ帝国がそうであったように、軍隊で有りながら土木工事のスペシャリストを養成しているのだ。
そもそも工兵という兵科が重要視されるのは、こう言った戦闘を補助するための部分にどれ程の余力を割けるかどうかのバロメーターな部分がある。古来より言われる通り、軍務の素人は戦略を語り、玄人は兵站を語るという。その中で繰り返し言われる通り、道路の啓開と維持管理は最も重要な事なのだ。
武田信玄が諏訪へ向けて建設した棒道と呼ばれるあの時代の軍用道路がそうであるように、軍馬と歩行のみで地上物流が実行されている世界では、道路整備こそ国家事業の根幹と言える。
「ル・ガル国内は整備を徹底して進めたが……周辺国家へも進めるべきだったな」
今さら後悔しても遅いのだが、それでもこの輸送の遅滞状況は戦線維持すら不可能になってしまう。武器弾薬以前に食糧がなければ戦線は維持されず、士気は下がり続けやがて突破されてしまうだろう。
その結果、戦線はズルズルと後退せざるを得ない事態になりかねない。敵に押し込まれ続けたならば何処かで戦線を大幅に整理しなければならないだろう。そんな経験を殆ど持たないル・ガルにとって、未知の戦闘が始まろうとしているのだが……
「いずれは補給と戦線が一本化するでしょう。ネコの国の中心部までは街道整備が行われています。各補給結社の報告によれば最終中継拠点であるソロテルミニョンと呼ばれる街まで全く問題無いとの事。問題は残りの30リーグだそうで、沼地と泥濘地と砂礫地だそうです」
それを聞いたカリオンは、脳裏にふと疑問が浮かんだ。
何でそれに気が付かなかったのか?と思うような部分なのだが……
「所でネコの行っていた交易は……どのような手段だったのだろうな」
まるで独り言のように言ったカリオン。それを聞いたウォークも事態を掴めず首を傾げ『……と言いますと?』と続きを求めた。どんな人間でも同じで、思いつきの言葉という物は全く思考的な整理がされていないもの。
その結果、第三者には全く理解出来ない言葉が流れる事になる。そして、説明を求められ、その時点でそれを言った者も思考を整理する事が多いのだが……
「いや、ネコが獅子の国へと送っていた物資はどうやって輸送していたんだ?」
思わず『あ……』と漏らしたウォーク。言われてみればその通りで、ネコの国からは様々な物が運ばれていたはずだ。女を運んでいたらしいが、それ以外にも様々な物をこの大陸から彼の地へ運んでいた事が解っていた。
「雨期を避けたか、さもなくば人海戦術か……でしょうね」
ウォークも事態を掴み損ねているが、カリオンが言いたいのはそこでは無い。もっと深刻な、ある意味でクリティカルな問題だ。事と次第によっては西部戦線自体が崩壊しかねない問題を孕んでいる。
「違う違う。何処かに我々の把握していない、雨期でも問題無く通行出来る街道があるんじゃないかと言う事だ」
その言葉を聞いたウォークの表情がグッと険しくなった。充分にあり得る話だし場合によってはル・ガルサイドがピンチになる可能性がある。補給線を横から叩かれ前線本部が干殺しになる可能性だってあるのだ。
――――ウォークも疲れているな……
らしくない鈍い反応にカリオンはウォークの疲労を見た。新婚夫婦であるのだから、家に帰れば搾り取られる夜が続いてもおかしくは無いだろう。だが、それ以上に言えるのは、獅子の国との戦いは精神的な疲労が積み重なると言う事だ。
北伐やキツネの国への遠征と違い、ル・ガルよりも強大で余力のある国と戦うのだから、全ての面において気を使う必用があるのだった。
「……大至急調査させます」
黙って首肯を返したカリオン。
だが、こんな時に思い付く事は、だいたいが虫の知らせになる物だ。
翌々日の寒い朝、寝起きのカリオンはいつものように通信班の詰め所へと姿を現し、前夜の夜間に送られてきた筈の報告を求めた。毎朝のように行っている一連のフローにより、通信士官はそれが当たり前になっていた。
だが、この朝に読んだ報告は、前線からの悲鳴だった。雨の寒い朝に食べる物が無くなり、補給が丸3日途絶えている事を訴えている。補給路の整備は遅々として進まず、戦線の維持が限界に近づいているとの事だった。
「ウォーク! どうなってる!」
まだガウン姿のまま大股で歩いたカリオンは、執務室の隣にある控え室へと入っていった。ただ、その室内にいたウォークは首を振りながら『ありえません』とだけ応えた。
少なくとも最終拠点のソロテルミニョンに向けては、大型馬車が連日連夜の大車輪で輸送しているようだ。レオン家がまとめた荷物量の統計に因れば、フィエンの街からブリテンシュリンゲンを経由し、ゴルデンカッツェを通過して行く馬車は、一日辺り120台に達している。
その馬車はソロテルミニョンに到着するとすぐに荷物を降ろし、ゴルデンカッツェへと戻る体制らしい。最後のは歩行輸送となる補給隊も、最後の30リーグを2日で走破するらしく、その様子は現場ではアリの行軍と呼ばれている位だそうだ。
「……最悪の予感です」
ウォークが言ったそれは、ル・ガルの弱点を突く獅子の側の作戦だ。補給路を断つ攻勢は全く持って悲惨な結末をもたらす。碌な護衛の付いていない補給部隊なのだから、横槍を突かれればどうにも対処が出来ないだろう。
一方的に攻撃を受け、バラバラになって逃げ出した歩行の輸送結社はどうなっただろうか? それを思えば気が重いなんてものではないのだが……
「誰ぞあるか! 大至急ドリーを呼べ! それと検非違使を投入する!」
ガウン姿のまま城の中を闊歩するカリオンは、執務室の壁に貼られた街道略図を眺めながら所要日数を勘案していた。だが、そんな時にこそ悲報は舞い込むもの。
血相を変えて執務室に飛び込んできた通信士官は今にも泣きそうな顔になって報告書を差し出した。それは速記状態のままに持ってこられた物で、カリオンは奪い取るようにそれを受け取ると、慌ててページを開いた。
「……バカな」
控え室から頭を出したウォークは、ただならぬその空気に最悪の予感を持った。いや、怖れていた事が起きていると言うべきなのだろう。言葉にこそしなかったのだが頭の何処かでは可能性を考えていたはずだ。
「陛下……」
恐る恐る言葉を掛けたウォーク。
カリオンは若干震える声で言った。
「ウォーク。ル・ガルにとって過去最大級の危機がやって来たぞ」
カリオンが差し出した速記の帳面には、トラの国からの緊急要請が書き記されていた。そこに書いてあったのは、トラの国の沖合に獅子の国の大船団が現れたと言う物だった。
「上陸……するでしょうね……」
眉間を抑えたウォークは、一時的に思考を放棄するような状態となった。思考の全てが真っ白なモヤに包まれ、それ以上の事を考えるのを放棄したくなったのだ。
「……やむを得ん。ボロージャを含めた西方戦力の全てを撤退させる。戦線を小さくし、補給と一本化しよう」
思わず『それはつまり……』とウォークが確認する様に言う。カリオンは僅かに首肯しつつ『そうだ。ネコの国を見捨てる』と言い切ったのだった。




