補給路整備を要す・・・・
~承前
王都ガルディブルクを出立し、陸路を行くことおよそ2週間。
整備らしい整備のされていない荒れ果てたネコの国の街道は、この国を形作る種族の宿痾をこれ以上なく理解させる状態だった。面倒が嫌いでコツコツやる事は時間の無駄でしか無い。
そんなネコにとって、数年がかりや数十年がかりで整備する街道など無駄の極みにしか見えないのかも知れない。なにより、通行しがたいのであれば、物流を受け持つ業者が割増料金を取る大義名分になる。
全てが金儲けに繋がっているネコの思考回路では、街道整備などむしろ誰かのビジネスチャンスを潰してしまう愚行そのもの。そこを通る旅人などの都合など関係無く、それでお金が動くかどうかが重要なのだろう。
――――こいつらの性根は絶対に治らないだろうな……
ボソリとそんな事を呟いたボロージャことウラジミールは、ジダーノフ一門の騎兵やアッバース歩兵およそ6万を引き連れて、その酷いコンディションの街道を旅しながら最前線へ到着した。
道中あちこちで街道の整備を行い、兵士たちは思わぬ苦役に疲れ果てていた。ただ、それをしなければ補給路が途切れてしまう。道中で幾度も進退窮まった大型馬車と遭遇し、人海戦術でそれを救援してきたのだ。
――――諸君らの今日の苦労は
――――来月の諸君らを救うことになる
口には出さずとも不平不満を抱えていた多くの兵士は、その言葉を嫌というほどに理解した。騎兵だけならば1週間の急行軍で到達できる距離の最前線は、補給が滞り飢えと渇きでひどい状態だったのだ。
ギリギリで保たれている戦線の規律は、イヌの持つ種族的特性以外に理由が思いつかないほどの惨状だ。蛮族だと罵られるキツネの武士団は、敵兵の跨っていた馬を解体して食糧にしているありさまだった。
そして、そんな酷いル・ガル側の陣容に対し、眩い程のコントラストを持って光り輝いているのは、獅子の国の陣地だった。
「……予想以上に敵の陣容が整えられているな」
到着するなり監視台に上ったボロージャは、それ以上の言葉もなく驚いていた。ネコの国と獅子の国を隔てる大河イテルの畔に拵えられた敵側の前線基地は、驚くような規模で着々と拡大が進められていた。
この2週間を継続的に小競り合いで過ごしている両陣営だが、獅子の国の側は効率の良い仕組みを整えつつあるのだ。普通に渡河出来ない大河を挟んでにらみ合っていたのでは、何時までたっても決着がつかない。
それ故に船か橋が必要になるのだが、獅子の国の軍団は驚くような水準の土木工事を行って、大河イテルへ立派な橋を架けてしまった。
「あの橋が最前線ですわ」
少しばかりダイエットしたらしいジャンヌは、やせ細った顔になってボロージャを出迎えていた。その隣にいるフェリペは、どうやら酷い大怪我のようで右腕を三角巾でぶら下げている状態だった。
その姿を見れば、ここに到着するまでに掛かった2週間がどんな状態だったか推して知るべしだ。相当な争いだったのだろうが、ボルボン家の2人は意地を張って優雅な振る舞いに徹していた。
「なるほど…… どうやら酷いご苦労のようだ。後は任せて王都へ戻られよ」
自信あふれる笑みを浮かべるボロージャは、ジャンヌとフェリペの肩をポンと叩いて安心させようとしていた。見張り台の下まで進出してきたジダーノフ家の騎兵たちは、連戦疲れで動けなくなりつつあるボルボン兵らを労わっていた。
――――ひどく苦労したようだが、わし等が来たからには安心せい……
早速巨大な鍋がいくつも用意され、炊き出しとしてなにやらごった煮状のスープがボルボン家騎兵やキツネなど他国兵士に振る舞われていた。まだまだ寒い時期故に暖かい物はそれだけでご馳走だ。
疲労と栄養不足と緊張の連続による神経の麻痺を解きほぐすのは、いつだって暖かく美味い食べ物と相場が決まっている。ジダーノフ家の者達が用意したそのスープは、たっぷり入れたチーズが決め手の具だくさんなボルシチだった。
「食べて飲んで眠れば疲れは取れる。さぁ、これからだ」
自信あふれる笑みで皆を見たボロージャ。その表情には余裕が有り、見る者を安心させる包容力を発揮している。ただ、その柔和な表情とは別に、ボロージャは内心で唸っていた。
彼方より石を運んできて設えられた巨大な石橋は、少々の出水でも問題なく対処できそうな出来栄えだ。そしてその橋をめぐり、両陣営は小競り合いを続け、一度は侵攻を許したル・ガル側の奮戦により橋の袂を奪回したらしい。
だが、その過程で少なくない犠牲を払っただけでなく、鏃やらの武器類と糧秣を大量に消費していた。キツネの武士団はまだまだ意気軒昂だが、それでも隠し切れない疲労と徒労感があるようだ。
何よりも飢えという敵と戦っていた。何せそもそもネコの国は食糧供給が弱い。その関係でル・ガルやトラの国から大量の食糧を輸送している状態だ。前線基地に駐屯している正面戦力は10万を若干切った程度だが、それでも10万居るのだ。
彼らの食糧を輸送するだけでも大きな苦労を伴う。鉄道も高速道路も整備の行き届いたトラックも無い世界。馬車と歩行と海の恩恵があれば帆船程度が輸送手段の全てな世界。この世界における物流とは、労役者の苦労と忍耐で成り立っていた。
「海路によりキツネの国やル・ガルの港湾地域からも輸送が進んでいるが、それでも足りていない状況にございます。食糧は慢性的に不足していて、現状で2日分の予備が無い状態でした」
タヴーが漏らした言葉は、ル・ガルの問題点そのものだった。そもそもル・ガルは昔から長距離越境侵攻を企図した軍隊編成を行っていないのだ。どんな大軍でも基本的には国内の国土奪回と防衛戦闘を基本としている専守防衛型軍隊と言える。
先のキツネの国への侵攻でも問題になったそれは、10万の兵力を維持するために20万の輸送部隊が必要になる兵站能力の不足分をどう補うか……だ。キツネの国の時にはスペンサー領が前線基地となり、その先は陸路での馬匹輸送だった。
移動距離は往復100リーグ程度で二週間の日程が基本となっていた。だが、現在は西方レオン領を中継拠点とし、まずここへル・ガルとその周辺から物資が集められる。そしてそこから片道200リーグを越える補給路が形成されている。
延々と陸路を行けば、輸送力となる馬の糧秣も計算に入れねばならない。輸送人員も大量に必要だ。その結果、前線戦力10万を維持するために、輸送要員として延べ100万人が動員されている。それでも、輸送線はやせ細り続け、補給物資はなかなか到着しない状態だった……
「やはり我が国の問題点は輸送能力だったか。ここへ来る道中でも街道整備を各所で行ったが……」
ボロージャの副官であるドミトリーは、道中のあらましを説明した。大量の大型馬車が行きかった関係で、あちこちが非道い状態になっているのだ。ただ、ジダーノフ軍団の整備とともにやってきた大型馬車は、およそ200台。
これだけの物量があれば多少は一息つけるのだろう。飢えに悩まされていた面々の顔に光が取り戻されていた。しかし、ドミトリーを含めた北方の民は、その輸送路の整備がどれ程重要かを嫌と言うほど熟知している。
単に整地しただけでは意味がなく、下地からしっかり作りあげた石畳にしないと意味がない。なぜなら、北方地域では雪解けとも成ると各所でとんでも無い泥濘地に姿を変えて物流を阻むからだ。
「この先が心配だな」
ウラジミールはそう呟いて後方を眺めた。各所で工兵担当が街道を整備しているのが見えるが、そもそも地盤の弱い地域では重量のある大型馬車だと接地圧が高すぎて街道がどんどん痛んでゆくのだった。
「いずれにせよ、この後は我らが引き継ぎますれば、一旦後退して休養し、英気を養われてから再度の……いや、その頃には王自ら参るでしょうな」
ガッハッハ!と豪快に笑ったドミトリーは、腕を組んで眼下を眺めた。キツネの武士団とル・ガル騎兵団。それにオオカミの一団が集まって食糧や補給物資の分配をはじめていた。
この先どうなるかは解らないが、とにかく備える事が肝要だ。しかし、悪い事は重なるもので、ボロージャ達が到着した日の夜には天候が崩れだし、翌日は酷い嵐となった。
大雨と強風が続き、海は大時化の状態だという。季節外れの台風がやって来たのだろうが、気象観測を宇宙から行う術など無い世界だ。それ故、その実情は誰も知らないし知る術すらない。
知る事が出来るのはその結果のみで、この場合は……
「絶望的だな」
朝食にと用意されたパンを囓りながら、ボロージャは報告書を読んでそう呟いていた。キツネの国から派遣されたらしい後続の武士団およそ2万は海路を移動中に嵐と遭遇し、凡そ400隻から成る船の大半が海の藻屑と消えたという。
犠牲者は軽く1万を超えていて、様々な補給物資と共に食糧なども全て海に没してしまったのだとか。当然ながらキツネの武士団は落胆が酷く、その軍勢を預かる派遣軍団長は寝込んでしまったそうだった。
「ドミトリー。私の名で見舞いを出せ。それと王都に報告せよ。我らは天を敬い信じているが、どうやら天は我らの味方をするとは限らないらしい」
そんな軽口を漏らしたボロージャだが、表情は引きつった状態だった。酷い雨が降ったせいで街道はグチャグチャの泥濘地に姿を変えている。このまま雨期に入るのは、起きたまま悪夢を見るような状態だ。
――――いまのうちに手を打つように進言するか……
そう決めたボロージャはスッと立ち上がり、通信士官の詰める幕屋へと足を運んで自らに王への奏上文をしたためた。余計な文言が挟まれない、いかにもジダーノフ一門が書きそうな物だった。
――――ウラジミールより恐々謹言
――――真なる敵は未整備の街道なり
――――大規模な雑役を要す
――――ル・ガルの未来はこれにかかれり