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消耗戦という愚

~承前






 キツネとは進んだ精神性を持つ穏やかな集団で、彼らが信奉する神の使徒を自認する種族である……などと言う世迷い事を信じる者は、この世界にもまだ一定数居たのかも知れない。


 だが、その夜に起きた事を記録する獅子の国の歴史書には、俄には信じられない言葉がいくつも並んでいた。曰く、捕虜を取ったら捕虜ごと皆殺しにされたとか、包囲され降伏を選んだ部隊が瞬く間に皆殺しにされた……などだ。


 およそ千年後に書かれた獅子の国における歴史書『東方風土記』によれば、イヌの軍隊とは統率の取れた凄まじい奔流だが、キツネの軍隊とはただ一言、蛮族と表現されるに至っている。


 その行動原理を一言でいうなら、『死体は反撃してこない』というものだ。キツネの捕虜が言ったとされる『族滅』なる単語の解説には『およそ紛争紛糾の解決に最良なるは、訴訟沙汰相手を皆殺しにせしむ事也』と記されている。


 悪鬼羅刹と怖れられ、蛮族と罵られ、文明社会の対極に存在する者どもと蔑まれたキツネの武士達。だが、そんなキツネにはキツネのポリシーが存在していたのだった……


「この報告書をどう読めば平和的解決だと理解出来るのでしょうか?」


 文字通りに頭を抱えているウォークは、登城してくるなり差し出された通信班からの連絡文書を読み、本気で頭痛を覚えていた。そこに記されているのは、最低限の配慮としてオブラートに包んだ表現をもってして、バーバリアンな振る舞いだ。


 夜半過ぎに港から上陸したキツネの武士団は、迷うことなく獅子の軍勢の中間付近に激突した。ただ、それはイヌの騎兵が考えるような激突ではない。キツネの武士は馬上で大弓を放ち、その威力は獅子の兵が着込む甲冑を軽く貫通した。


 いきなりの襲撃で算を乱したところへ遠慮なく切り込み、連携が取れぬうちにその周辺全てを惨殺した後、ネコの国へと顔を向けていた獅子の兵をすべて後方から一方的に攻撃し続けた。


「少なくとも……彼らは平和的と考えているようであります」


 通信士官は怪訝な表情になってそれを言った。報告書の後段にはこうある。敵軍勢の中間へと割って入ったキツネの武士団は、その前衛側を族滅せしめた。返す刀で後衛へと斬りかかったが、そこにはキツネの武士で捕縛された者が居たらしい。


 その捕虜はおよそ20名ほど。だが、キツネはそんな事を一切考慮せず、真正面からものすごい密度で矢を射かけ、怯んだところに斬りこんだとか。一度は手合わせしているル・ガル国軍は、その威力を嫌というほど熟知している。


 胸甲騎兵が付ける胸当てを紙のように切り裂き、騎兵のヘルメットはまるで木の実のように叩き割る恐るべき太刀だ。しかも、金属を叩き斬っているにも拘らず、その太刀の刃部分には刃こぼれ一つしていないのだ。


 歴戦の使い手が振るうキツネの戦太刀は、この世のありとあらゆるものを容赦なく切り裂く。なぜなら、死体は反撃してこないから。すべて殺せば安全が確保できるのだから容赦なくそうするだけ。


「……一晩でおよそ3万を屠るとは、常識外れもいいところだ」


 逃げ場のない殺し間を作り、そこへ誘い込んで瞬く間に数万を撃ち殺したイヌがそれを言うな!とキツネの側は言うかもしれない。だが、すべて手作業でそれと同じだけの事をしでかすキツネの武士団。


 同じ報告書を読んだカリオンは、ただ一言『味方であれば心強いな』と漏らし、それ以上のコメントはなかった。キツネの考える平和的解決とは、戦う相手が一人も居なくなれば平和が訪れる。純粋にそれだけの話だった。


「で、どうされますか? ジムの一団は今日の午後には到着するとか」


 さすがに絶対的な距離がある関係で、すぐさまの到着とは成らなかったようだ。だが、今日の午後にはル・ガル軍団も到着する。キツネと双方で10万を越える戦力が戦線に揃う。


 そうなれば敵を攻めたくなるのが軍人の性だろう。一気に攻め出て行って獅子の国へ侵攻するのも一興だ。ただし、その場合は決戦を避けざるを得ない可能性が出て来る。


 そもそも獅子の国相手に決戦を挑む最大の理由は、相手に厭戦気分を植えつけて争わない様にする為だ。覇権争いをするくらいなら交易をしたい。そんな思惑がガルディア大陸国家の側には存在しているのだった。


「先ず護りを固めさせよう。決戦に備え、守り勝つ体制を作る事が肝要だ。彼の国の実力は分からぬが、ル・ガルを越える大国なのは間違い無い」


 カリオンの方針はシンプルだ。犠牲を抑え戦力を維持し決戦に及ぶ。この大陸に暮らす全ての民族を動員し、一枚岩であることを見せつける。それによってこの先の無益な戦いを回避するしかない。


 だが、その日の午後になってから、カリオンの思惑が少々虫の良い願望にすぎないことを思い知らされる報告が届いた。発信者は包囲から救出されたジャンヌで、国境地域に於ける戦いの情況が詳細に記されていた。


「大国なだけの事はあるのだな……」


 ため息混じりにこぼしたカリオンの言葉は、獅子の国の側の対処があまりに早く完璧であった事への感心と落胆だった。夜戦により大打撃を被った獅子の国だが、午後には別の軍勢が一斉に攻め掛かってきたのだ。


 動員戦力は軽く3万を越えていて、どうやら後続としてやって来た別の軍団らしい。キツネの武士団はよく対応し撃退したのだが、少なくない犠牲を払ったらしく戦力としては計上できないかも知れないと弱気な文言が並んでいた。


「……合計戦力で約10万ですか」


 先にネコの国へと来ていた戦力は6万。後詰めとしてやって来た戦力は3万。合計9万の戦力だが、更に増援があると見て間違いないだろう。キツネの武士は約7万だそうだが、報告書によれば上陸して戦闘に及んだのは3万とされている。


 船乗り達の頭数まで入れてその数字の場合、実際に地上戦力として考えられるのは多くて5万。実際は4万あるかないかだろうから、ジム率いるル・ガル軍団の10万を入れて約14万。


「大いくさになりそうだな」

「えぇ、しかも、こちらは急行軍で消耗した騎兵が主力です……」


 頭を抱えるようにして思案しているウォークだが、実際にその懸念が的中するのは不幸な法則にある通りの事だ。その晩、定期連絡として送られてくるはずの光通信が一切無かった理由は、推して知るべしなのだろう。


 現場で何が起きているのかを知る方法は一切無い。いや、無い事は無いが、その手を使ってしまうと色々面倒な事に成る。リリスに探らせるか、さもなくば……


「やはり合戦に及んでいると見て間違いないな」


 夕食を終えたカリオンは、私室の中から彼方を眺めていた。城の最上階に近い所故に水平線が見えるのだ。見えない筈の彼方に目をやり、カリオンは思案に耽っていた。声が掛かるのを待つかのように。


「……見ようか?」


 部屋に入ってくるなり、リリスはそう切り出した。浴場でサンドラの背中を流してきたリリスは、地下から持ってきた巨大な水晶玉を取り出した。バスケットボールよりも更に一回り大きなそれは、地下で延々と魔力を込めて磨いたものだった。


「あぁ……足が付くかもしれんが……やむを得ない」


 カリオンが警戒しているのは、例の七尾のキツネが介入してくる事だ。リリスの力を感知して介入を図られた場合、どんな影響が出るのか想像が付かないのだ。しかし、こんな時には情報を得たくなるのが道理でもある。


 ――――どう対処するか……


 こんな時は悪い事ばかり考えるのが人の性なのだろう。実際、近衛師団を動員するためにはどう手順を踏むか……とカリオンは考えている。自分が行くのが一番早いのだから戦力を総動員して対処したいのだ。


「……見えてきた」


 精神を集中して遠見の術を発動させたリリスは、水晶玉の中に国境の荒れ地を映し出していた。そこには様々な種族の夥しい死体が転がっていて、死んだばかりと思しき鮮血の水溜まりがいくつも出来上がっていた。


「なんだこれは……」


 息を呑んでその光景を眺めているカリオンは、何かを言おうとして言葉が無く、ただただ絶句している状態だった。キツネの死体。イヌの死体。何か良く解らない種族の死体。ネコと思しき種族の死体。そして、まるでヒトのような死体。


 ――――サル……ですね


 唐突に言葉が沸き起こり、その直後にカリオンの私室へ何かが姿を現した。思わず『え?』と漏らしたカリオンが見たものは、まるでヒトの様な姿をしたウィルケアルベルティだった。そして、その隣にはネコの細作であるリベラが立っていた。一旦地下へと降りたリリスが連れてきたのだろうとカリオンは考えた。ただ……


「あのサルって連中はとにかくすばしこいんでさぁ…… 何度かやり合った事がありやすが…… 恥ずかしながら遅れを取りやして、事もあろうにあっしの主人の大事な大事なひとり息子を斬りやがりまして……」


 痛烈な後悔を吐き出したリベラは、まるで小さくなったかのようにしつつ懺悔の言葉を吐き続けた。ほんの一瞬だけ見せてしまった油断と慢心の結果、主リベラトーレ唯一の息子を刺殺されたのだった。


「……しかし、なんで獅子の国にサルが居るのだ?」


 カリオンはそこに疑問を持った。

 だが、ウィルは簡潔な言葉でそれに答えた。


「彼の大陸にはこちらの大陸以上の種族が暮らしています。あのサルは地上では無く樹上で暮らす事を選択した一門の末裔でしょう。今は獅子の王に忠誠を誓っているのでしょうが……少々面倒ですね。何せ彼らは――」


 ウィルは首を振りながら言った。

 それは、俄には信じられない言葉だった。


「――あのネコのヴェタラと同じ事をもっと大規模に行います。私も知識のみでしか知らないのですが、死体を魔力で蘇らせ兵士に仕立てる禁呪を行使する者が居るのです。たしか……ブードゥーと言ったかな。ヒトの世界の魔術だそうです」


 ウィルはいま確かに『ヒトの世界の魔術』と言った。その言葉にカリオンだけでなくリリスやサンドラまでもが驚きの表情を浮かべていた。ヒトの世界に魔術が有るはずが無い。そんな思い込みがあったのだ。


「ヒトの世界にも魔術があるのか……」


 カリオンは低い声でそう呟いた。

 だが、ウィルはカリオンが知らなかった魔法の真実を遂に口にした。


「いえ、それは違いますよ陛下。正確に言うなら、魔術は全てヒトの知識です」

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