緊急連絡・再び
帝国歴397年も終わろうとしている、年の瀬のガルディブルク。
数々の争乱を経て幾度も窮地を迎えたのだが、それでもカリオン王は上手く事を運んでいる。獅子の国との全面戦争も回避されそうな空気なので、来年は良い年になる……と、王都市民の誰もが根拠もなくそう考えていた。
だが、そんな華やいだ空気がある一方で、ガルディブルク城の中では困った事態が発生していた。
「いや、だからだな……」
必死になって宥めているのはウォークだ。その前にはおかんむりなクリスティーネがいて、プリプリと口を尖らせている。ボルボン家の当主はカリオン王によって連環同盟の各加盟国へ太陽王代理として挨拶に赴いている。
その為、当主不在のボルボン家館ではクリスティーネが当主代行として、諸事様々な雑務を引き受けていた。ただ、この場面に付いてのみ言うのであれば、その当主代理という立場が問題なのだった。
「……やっぱり私の事はどうでも良いのですね?」
拗ねた女の意地らしさは可愛いと言うが、それは端で見ている第三者の印象に過ぎないもので、拗ねられている当事者にしてみれば困った事だ。ル・ガルの様々な難問を前に果敢な調整を果たすウォークですら、困るほどに……だ。
「私の立場も君は知っているだろう。他ならぬ太陽王代理の立場で特定の家に出入りするようになってはだ、公爵各家の鼎の軽重が問われる事態になってしまう。そうするとだな『なら私をあなたのお部屋に置いてくださいまし』
クリスティーネがガッツリ拗ねている理由は単純だ。エリクサーにより身体は回復したが、その精神は回復までに2週間を要した。だが、その2週間は羞恥心や自己抑制などが殆ど無い、子供のような精神になっていた。
そんな状態のクリスは、ボルボン家の屋敷で療養を続けていたのだが、ウォークはそこへ通い婿状態になっていた。クリスがそんな状態なのだから、ある意味でやむを得ないことだった。
しかし、今はもう回復しているのだ。故に、太陽王の懐刀であるウォークがボルボン家に入り浸るのはよろしくない。公爵五家は等しく太陽王を支える存在で、太陽王もまた公爵五家を平等に扱う。それがル・ガルの一大原則になっていた。
従って、ウォークはボルボン家の屋敷に出入りする事をやめていた。王府官僚の頂点にあって全てを公平に扱わねばならないウォーク故の事だった。だが、官僚の立場と女の情念は両立しないものらしい。
――――どうやら私の事は遊びだったらしいですわ……
クリスティーネが拗ねた始まりは、どうもその辺りだ。国家間のあれやこれやで道具にされただけで、実際には私の事などどうでも良いのでしょう?と、ウォークを城まで追いかけてきたクリスは、公衆の面前で泣いて見せた。
如何なる世界でも同じだろうが、女に泣かれたなら男はもうどうすることも出来ない。解決出来ねば甲斐性なしと後ろ指差され、面倒だと手を上げれば男の屑でロクデナシと詰られる運命だ。
進退極まったウォークは一瞬だけ黙ってしまったが、今度はお前の部屋に居させろとクリスがねじ込んできた。一人男の寝床でしかないウォークの家は、城下の官僚向けアパートの一角にあった。
他ならぬ太陽王の、その側近中の側近だ。それ故に多少は広くて豪華な部屋を宛がわれているし、緊急事態となれば10分以内に王の元へ馳せ参じることが出来るようになっている。
ただ、そこへクリスを入れるとなると、今度は別の問題が出てくる。そもそもウォークは独身官舎に住んでいて、既に50年を超える状態だ。今では独身官舎の主として様々な問題をも解決している。
そも、独身の官僚は須く管理される事になっていて、傾国の美女と言うようにハニートラップを仕掛けられ職務上の機密や難しい問題を外へと漏らさぬように厳重管理されている。そう。若い身空の男が金や女に転ばぬように……だ。
だが……
「……せめて年明けまで待ってくれ。独身官舎に連れ込む訳にはいかん」
必死になって宥めようとしているのだが、口喧嘩で女に勝つのは大変だ。およそ男という生き物は、こんな場面ではめっぽう弱いもの。それでも必死になって対抗しようとしているのだが……
「連れ込むだなんて……やっぱり私をそばに置いてくださらないのですね」
両眼一杯に涙を溜めてそう迫られては、ウォークも二の句を着け損ねる。そもそも、ここまでゾッコンにさせてしまったのは自分の不注意な部分があるのだ。あの獅子の国の街からネコの国までは、自分の馬の上に乗せてきた。
その後だって、王都へ戻る道中では甲斐甲斐しく世話をしてきたのだ。懸想する男にそこまでされては、女はもうどうにも成らないくらいに惚れ込んでしまう。そしてそれは、困難な恋であればあるほど、激しく燃え上がってしまうのだ。
「だからっ! 年明けには改めて居を移すので、それまで待つんだ!」
それは、その言葉こそはクリスがもっとも聞きたかった言葉。これでふたりの愛の巣を手に入れたも等しい。戦上手で知られるクリスティーネに一杯喰わされたウォークは、『あっ!』と、後になって気がつく。
「ウォーク様…… いえ…… 旦那様…… 男に二言はございませんわよね?」
満面の笑みを浮かべたクリスティーネは、してやったりの表情になった。その前にいるウォークは、完全な繰話術によって嵌められたのだと気が付くのだった。
――――――帝国歴 397年 12月 23日 午後
ガルディブルク城
ウォークとクリスの痴話喧嘩は中庭で延々と続いている。その様子を微笑ましく眺めているカリオンは、城下のどこにウォークの公邸を作るのかを思案していた。
「あの様子じゃ……尻に敷かれるわね」
「そうね」
リリスとサンドラの二人はニマニマと笑いながらカリオンの背中を眺めていた。その直ぐ近くにはサミールがいて、全員にお茶をサーブして歩いていた。
「やはり城下だな。ミタラス島内が望ましい。急いで来いと言ってすぐに来れる所となると……やはりここしかないか」
巨大な中洲であるミタラス島も、既に極限まで開発が進んでいる。島の全方向が既に石積みの堤防になっていて、その全ての面のギリギリまで建物が建っている状態だ。
島を守る巨大な城壁にも見える構造だが、実際にはガルディブルク市街が炎上しても城下には燃え広がらない構造になっている。それもこれもかつてネコの国の魔導師が大規模魔法を使った事の教訓なのだ。
「大学を郊外へ移転させるしかない……」
ガルディブルク大学ミタラス校舎は既に限界一杯の状態になっていて、学生を飲み込み切れずにミタラス島外の様々な施設へ間借り状態になっていた。王府の各機関は王都郊外にまとまった土地を確保するべく思案したのだが……
「まずは王立療養所の移転ですね」
かつてサンドラがトウリと過ごした王立療養所は、既に入所者も少なく閉鎖の目処が立ちはじめていた。あの業病に焼かれ死ぬのを待つばかりだった人々は、その大半が療養を終えて故郷へと帰っていた。
最盛期には20を越える建物を擁した療養所も、今はもう3棟だけになっているのだが、問題はその残った施設をどうするかだった。
「まだ中には居るの?」
メイド衣装のリリスが尋ねると、サンドラは困った様な顔で首肯した。国母である以上はサンドラの掌握案件になるので、彼女は常にそっちにも気を配っていた。
「あと……15名少々って所ね。ただ、帰るべきところがなくて行き場がないって人も居るから、何とも言えないけど」
業病の恐ろしい所は、人の姿その物を変えてしまう所だ。全身が腐りながら溶けていく事もあり、どう回復させるのか?と言う面で、最初は完全に手探りだった部分が大きい。
だが、回復の道程が分かってからは、その効率も一気に向上しはじめている。医療もまた経験を積み重ねる物なのだから、療養患者をゼロにする見込みも立ちはじめていた。
「療養所を……そうだな。こっち側の演習場辺りに移そう。合わせて設備を更新して使いやすい施設にしよう。その後、一旦全てを取り壊してから地面を消毒し、現状の3倍近い施設として大学を再建しよう。そして――」
白地図上にペンを走らせるカリオンは、未だ完全な腹案状態ながら都市計画担当者に見せる草案を作り上げつつあった。
「――この校舎を取り壊した部分には、新たに近衛連隊本部と国軍司令部を置く。こうして城直下に空き地を作り、ここにウォークの邸宅を作ろう。そうすればこれからの時代にも使いやすくなる」
新しい時代はすぐそこまで来ている。そんな直感を太陽王すら持っている。連環同盟は強力な仕組みとなって、ガルディア大陸を一枚岩にしつつあった。獅子の国とは縁を切り、あとは栄えるだけだ。
いずれは彼の国と公式に誼を交わし、国家間の貿易で銭を産む体制に移行していけば良い。ル・ガルだけでなく、キツネやウサギの国からの産品で儲けられるだろうし、儲けるようにすれば良いのだ。
「うん。これで良いな。さて、じゃぁ……」
ウォークの胸に飛び込んでいるクリスをチラリと眺め、カリオンは次のステップに移ろうとした。だが、毎度毎度、そんなタイミングで厄介事は飛び込んでくるのだった。
「陛下! ボルボン家のジャンヌ様より緊急連絡です!」