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抵抗は無意味だ

~承前






 獅子の国の礼儀作法では自らの名乗りを上げる際に、まずどんな種族なのかを名乗ることが重要らしい。リカオンという種族がどんな種族かは解らないが、少なくとも自分たちイヌの近似種であることが見て取れた。


 そして同時に、古より栄える獅子の国とて、長い年月を経てその内部が相当なところまで腐っている事を知った。古い建物がシロアリにやられて木が腐っていくように、この国もまた様々な軋轢と種族間闘争の諍いを内包しているのだった……


「ジャッカルの戦士、コウハイ……か。懐かしい名を聞いた。ジーヤン出身ならば手前の知己に間違いないでしょう」


 セルシムと名乗ったジェンガンの街の執政官は、ウォークが直接手渡した認識章を片手で弄びながら、遠い目をして回想にふけっていた。折衝の為にと案内された部屋は、執政官の執務室らしい。


「彼は……いや、彼と私は同じ街の出身でね。歳は離れているが同じ科挙試験を受験した同期生なのだ。獅子の国の官僚制度は年齢ではなく試験の合格年度を持って同期とするのだが……そうか。死んだか」


 複雑な感情を見せたセルシムは、同時にセリュリエが手渡した膨大な量の認識章に目をやった。コウハイが手渡したそれが特別な意味を持つと知ったル・ガル騎兵は、手分けして可能な限りの死体からそれを集めていた。


 ただ、その認識章を見ながらなんとも微妙な表情になったセルシムは、小さくため息を吐きながらつぶやくように言った。ウォークと共に部屋に居たセリュリエとウナス。そして、凡そ20名ほどのアッバース銃兵がそれを聞いていた。


「無駄な死を遂げてしまった同胞を悼むべきだが、率直に言わしてもらえば、面倒ばかり残して逝きおって……と言う所だ」


 それが何を意味するのかはウォーク達には理解できない事。

 だが、少なくともコレはあまり良い事ではないと理解できるのだった。


「お恥ずかしながら……コウハイを含めた一団の越境は……獅子の国の政に非ず。この地域における荘園主たちの……事業の一環なり。おそらくはネコの国から差し出されていたものが無くなり、コウハイを含めたレギオーは『それは何かな?』


 知らぬ単語が出てきたことで、ウォークは間髪入れずに問いを発した。

 ル・ガルとは異なる文明なのだから、知らぬ事は解明せねばならなかった。


「なるほど。シンバの総べる邦とは異なりますな。さすれば……ご清聴賜りたい」


 セルシムはひとつ咳払いをしてから、自らの胸に手を当てて切り出した。


「手前はシンバよりこのジェンガンの地域を預かる執政官。我が国では執政官をコンスルと呼ぶのだが、執政官と同じくシンバの定めし法を守るプラエトル……法務官によって管理される軍が二種類ある。獅子の国の市民である男が税として付く兵役の軍をレギオー・エクセルキトゥスという」


 ここまでは良いか?と目配せしてきたセルシム。

 ウォークは軽く首肯して肯定の意を示した。


「次に、奴隷階級にある者たちが作る補助軍としての存在をアウクシリアという。これは奴隷だけでなく、市民権を持たぬ獅子の国在住者の志願兵も含まれる。両軍ともシンバの命により行軍するが、その管理はコンスルである私セルシムとプラエトル……法務官の指揮下にある」


 セルシムが見せたのは一軍を預かる将たるぞ!という気概だった。だが、同時に困惑している様子をも漂わせていた。つまりこれは、責任の所在だとウォークは直感した。


 一軍の将たらば、その行軍には同行してくるのが常だろう。少なくとも、軍隊という組織は国家の暴力装置なのだから、責任者が付いていくのが当たり前なのだ。そして、この地域の最高責任者であるならば、居ない方がおかしい……


「貴兄の疑問。よくよくわかっており申す。なぜ私が現場にいなかったのか。それについて弁明する前に、我が国の荘園制度についても知識をお持ちいただきたい」


 いったん話を切ったセルシムは、茶を用意させまず自らが口をつけて毒が入っていないことを示した。そして、同じ器を使いウォークに茶を勧めた。だが、それをやんわりと断るジェスチャーを見せたウォークは、話の続きを求めた。


「……この大陸の全てをシンバは所有している事になっている。百獣の王を僭称するのはそれ相応の根拠があるのだ。だが、その支配の範囲から外れた辺境では、所有という概念が適応されない。このジェンガン周辺は、そもそもこの地に住んでいた者たちによる独立辺境領として、シンバから自治が認められている」


 ――――セルシムの言葉が微妙になってきた……


 そんな印象を持ったウォークは、無意識に隣にいたセリュリエを見た。そしてその向こうにいたウナスへもアイコンタクトしていた。時間が掛かりすぎている事への苛立ちと焦りが顔からこぼれ始めたのだ。


「で、その荘園がどうかというのか?」


 いよいよ剣呑な声音となったウォークが続きを促すと、セルシンはひとつため息をこぼしながら、まっすぐに視線を送ってから言った。


「荘園の領主は掛かる経費の全てを負担することを条件に、レギオーを動員することが認められている。そして、その動員は新たな荘園農地の開墾や地域街道の整備といった土木工事を主たる業務とするのだが――」


 一瞬だけセルシムの目が泳いだ。

 何を言い出すのかと固唾を飲んで見守るウォーク。


 だが、そこから先の言葉は、脳髄に電撃が走るような言葉だった。。


「――甚だ遺憾ながら、荘園を脅かすものを排除する純粋な軍事行動も含まれる。今回はその為にレギオーが動員された。貴兄らの国から見れば侵略行動かも知れぬが、我々から見れば既得権益の再確保に過ぎない」


 セルシムの説明を聞いたとき、ウォークはこの場に法務官が居ない事の理由を直感的に理解した。何らかの理由で派遣された獅子の国軍が帰らない事の事務手続きを行うためだ。


 そして、彼らが帰らない事を知る理由はただ一つ。戦地から帰って来た者が居るということを意味する。つまり、あの戦場から戦利品と彼らが言うものを運んできた者たちを意味するはず……


「で、ここから本題ですが」


 ウォークの剣呑ぶりが最終段階に到達した。

 今にもとびかかって首でも絞めそうな勢いでセルシムを睨み付けていた。


「解っております。そなたらイヌの国の同胞を奪回しに来たのでしょうけど――」


 涼しい顔をしてウォークを見たセルシムは、部屋の外を指さして言った。


「――法務官アウグストゥスがいま出向いている先で、レギオーの事務手続きが行われておりまして、その場にて『奴隷であることを宣告し、その立場を了解させて奴隷身分であることを宣言さると言うことか?』


 ウォークの言葉が冷徹な官僚のそれに変わった。ここまで話を聞けば、この獅子の国は徹底した法による支配を受ける国であるとウォークは理解していた。同時にそれは、厳密かつ厳格な身分階級が存在する社会であることを意味する。


 何より、個人が所有する資産・財産としての奴隷は、その身分が将来的に獅子の国の市民権に直結している事を理解していた。つまりは国家の役に立てば奴隷としての立場から解放されるのだ。


 言い換えると、獅子の国の市民権を得たい他国の民や流浪の民は、何者かの所有物になり、奴隷として最初に登録されなければならない。そこから身を立てて、自由を勝ち取るしかない。その為には、一旦自らの権利全てを放棄する旨を宣誓する必用がある。


「…………然様です」


 その返答を出す為にどれ程の時間を要したのか。実際は須臾の間でしか無いが、セルシムにとっては数刻を要するような感覚だったはず。なぜなら、目の前に座っているイヌの男の手は、茶の入ったカップでは無く腰に佩ている太刀の柄を握っていたからだ。


「一つ……尋ねる……その宣誓を拒否した場合、捕虜の立場はどうなる?」


 ウォークの言葉に明確な殺意が混じった。必死になって震える言葉を押さえ込みつつ、出来る限りに大人しい物言いを心掛けた。だが、そんな努力も虚しく、その声には鋭い刃が見え隠れしていた。


「まず一つ。我が国のレギオーは捕虜を取らぬ。シンバは世界を統べる王にて、世界を同化統一する総覧者だ。つまり、抵抗は無意味であり、それでも抵抗するのであれば、獅子の国において人とは見なされぬ立場を甘受するしか無い」


 静まりかえった室内にガリッと鈍い音が響いた。

 その直後、ウォークは部屋の隅に向かって口の中から何かをペッと吐き出した。


 無意識レベルでセリュリエがそれに目をやると、そこには砕けた歯の破片が飛び散っている。怒りを噛み殺す為にグッと奥歯を噛んだウォークは、己の奥歯を噛み砕いたのだった。


「了解した。ならばセルシム殿。大変申し訳ないが、今すぐその荘園とやらに私を案内して欲しい。なお、先に言っておくが拒否は受け付けない。それが出来ぬと言うのであれば――」


 ウォークが目配せすると、セリュリエとウナスがスッと立ち上がった。

 そして、ウォークの背後に立ち、厳しい眼差しでセルシムを見下ろしていた。


「――コレよりこの街の住人を1人残らず殺す。解っていると思うが、これは脅しでも警告でも無い。太陽の照らす地上全てを神より預かる地上代行者。イヌの国の頂点にある王の代理としてここへ来た私の決定だ」


 顎を引き、これ以上無い強い眼差しでセルシムを睨み付けたウォーク。

 その双眸に狂気の炎が宿っているのを獅子の国の執政官は見た。


「いま、その荘園とやらに連れ込まれた我が国の同胞には女が3人居るはずだ。そのうちの1人は手前を懸想する者で、手前もまたいずれ我が妻にと思っている存在に付き、いかなる理由があろうと取り返す所存。もし彼女が死んでいるなら――」


 その時、セルシムは部屋の温度がスッと下がったような錯覚を覚えた。

 間違い無くウォークが発する凄まじい殺気を感じ取っていた。


「この街の全てをこの世界から消し去ってみせる。残念ながら返答を逡巡する時間は無い。今すぐ案内するか、それともここで死ぬかだ。好きな方を選んで良い。抵抗は……無意味だ」


 ウォークの言葉が終わると同時、アッバース銃兵が一斉に銃を構えてセルシムに突き付けた。それと同時にセリュリエが行ったのは、執務室の窓から顔を出し、空に向かって小さな笛を幾度か吹いたことだ。


 それが大隊への戦闘準備を示すものだと言うのは、一定のリズムで信号の様に響いたからだろう。ややあって街の広場からいくつものラッパの音が響き、そのリズミカルでテンポの良い音を聞けば、突撃準備だとすぐにわかった。


「分かりました。今すぐ……参りましょう」


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