表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
498/665

価値観の違い

~承前






 粛々と合戦の後片付けに入ったル・ガル国軍騎兵たちは、各所で遺体の収容に当たっていた。武人の礼として遺体を粗末に扱わないのは当然だが、それ以上に重要なのは感染症や新たな伝染病の発生源にしないようにする為の措置だ。


 腐っていく人体というのは、はたで考える以上に不浄で不潔なもの。ましてやその腐肉を野犬や野獣が食べた後では、病気をまき散らすことになりかねない。どれ程感情で拒絶しても、人だって死んで腐ればただの汚染物質なのだ。


 一つ一つ遺体を改め、姿勢を整えて埋葬する。たったそれだけの事だが、これで近隣集落に影響を出さずに済むなら安いもの。例えそれがネコの勢力圏とは言え、ネコと国境を接している以上はル・ガルにも影響が出るかもしれない。


 故に手を抜けないことだった……


「軍監殿!」


 埋葬作業の陣頭指揮にあたっていたウォークは、徹夜明けの妙なテンションで現場にいた。正確に言えば、クリスの不在による焦燥感を紛らわす為であり、また、僅かでもいいから手掛かりを探す行為でもあるのだが……


「呼びましたか?」


 丁寧な口調で返答しつつ自分を呼んだ兵士たちの所へ来たウォークは、その場に生き残りがいる事を知った。銃弾や槍の傷はなく、どうやら何事かで頭を打って昏倒した結果らしい。


 おそらくはル・ガル騎兵の突入時に頭を打ったのだろうが、状況認識に多少影響があるようで、寝ぼけたような茫然自失の表情になっていた。


「勇猛果敢なる異国の(つわもの)よ。合戦は終了した。今は後片付けの最中だ。言っている事がわかるか?」


 近づいたウォークは穏やかな表情でそう語りかけた。言葉の違いがあるやもしれぬと警戒していたのだが、その兵士は硬い表情のまま首肯し『もちろんだ』と答えた。


「私はジャッカル一門の戦士コウハイ、この合戦で死ねなかった事を心魂より恥じる。生きて虜囚の辱しめは受けぬ。もし憐憫の情あるならば、この場にて首を跳ねられたい」


 腰を据えた姿でそう言ったコウハイなるジャッカルは、まっすぐな眼差しでウォークを見ていた。見栄を張る為の言葉ではなく、身体の奥深くからにじみ出てくる様な魂の叫びだった。


 ――――そういえば……そうだった……


 獅子の国はイヌ以上に名誉と誇りを大切にしていると言う。それはある意味でキツネ以上でもあるそうだ。命は軽く、名は重く、後世において嘲笑の対象となる事を何より恥じる文化だ。


 だからこそ、この戦でたった1人生き残ってしまっては『命を惜しんだ臆病者』との誹りを受けかねないのだろう。コウハイと言うひとりの男はそれを、それ自体を恥として死ぬ事を望んでいた。


「……承った。我がイヌの一族もまた名誉を重んじる故にだ。だがその前に、もし知っているなら教えて欲しいことがある。先の合戦で虜囚となった我がイヌの同胞に女が居たはずだ。彼女の行方を探している」


 ウォークは迷う素振りすらなくそう言った。機密情報を取り扱う亊に慣れているとは言え、やはり口に出すには憚られる部分があった。だが、その言葉を聞いたコウハイは表情を若干険しくしていった。


「先の合戦で得た()()()に女が3人居たのは知っている。恐らくは後方送致の上で執政官により恩賞の形で何者かに与えられるだろう。そなたの国では貴顕の存在やも知れぬが敗軍の女ならばそれが宿命だ。そも、奴隷扱いとなったならやむを得ない」


 コウハイはまっすぐにウォークを見たままそう言った。非常に険しい顔になっていた筈なのに、一切の恐れを見せずにいた。


「獅子の国では……女は……財産なのか?」


 言葉を選んでそう言ったウォーク。奴隷とは主の財産だ。そして、コウハイは戦で得た女を戦利品だと言い切った。つまり、それは有価証券や動産と言った物と同じだとする言葉……


「財産という言葉の解釈に齟齬があるかもしれん。だが、恐らくは女に対する扱いの基本は変わらぬだろう。子供を産むのは女だ。故に我がシンバの統べる国では何より女を大事にする。そして、女を大事にするからこそ、戦場に女を連れ出すことはしない。負ければ奴隷だからだ」


 ウォークから見れば、言っていることは無茶苦茶だが一本筋は通っている。戦場に女を連れ出すこと自体が間違っていると言う意味なのだ。そして、戦利品として得た女は誰かに与えると言うが、そうでもしなければ女は生きていけない社会。


 誰かの庇護下に収まって子供を産む為の存在として大事に扱われる事に成る。それが幸せかどうかはともかく、死ぬ寄りかはマシなのかも知れない……


「そうか。分かった。ところでその後方送致だが、それはいつ出発したのか?」


 ウォークは追いつけるかどうか?についての思考に切り替わった。獅子の国奥深くへ斬り込む事に成るのだが、そんな部分での危険性という思考がすっぽりと抜け落ちていた。


 クリスの為に追跡する。いや、追跡したい!と言う感情が迸っていた。事と次第によっては泥沼化してしまうのだが、それよりも情報を求めていた。


「出発したのは昨日の朝だ。ここから西へ7土里ほど行った辺りにジェンガンという街がある。そこに東域軍令官の居る東域補給敞がある。そこで改めて尋問の上で処置が決まるだろう。女3名と男22名が連行されていった。恐らく全てイヌだ」


 コウハイはもう良いだろ?と言わんばかりの顔になっていた。太陽は既に空高く昇っていて、ジリジリと体毛を焼いていた。大陸の奥深くから吹いてくる熱い風がル・ガルとは違うのだと教えてくれていた。


「情報に感謝する。私にとっては大事な存在故に、出来るなら取り戻したい」


 ウォークは遂に素直な言葉を吐いた。

 それを聞いていたコウハイは、柔らかな笑みを浮かべて言った。


「イヌの軍の監督官よ。そなたの望みが叶うことを願う。そしてその大切な存在が厚情ある者の手下に収まってることも。シンバの統べる国とて、名誉も情も関係無く、金と権力の亡者に堕ちる者は多い故にだ。急がれよ」


 ――――つまり……

 ――――早く殺せ……と


 コウハイは泰然自若な姿で己の死を受け入れようとしていた。その姿には余裕すら感じられた。近くにいたアッバースの兵士から銃を受け取り、装填されているかどうかを確かめたウォークは、もう一度コウハイを見ながら言った。


「……コウハイと言ったか、貴官の最後の望みは無いか。食事でも酒でも、我らに用意出来るのであればそれを叶えよう」


 この場で射殺する……と言外の通告をした形だが、コウハイは一度だけ目を伏せて考え、ややあって顔を上げた。


「ここに身共の認識章があるが――」


 コウハイは身に付けていた軍装の下から金属製の鎖が付いた小さなプレートを取り出した。獅子の国の文字で何事かが書かれているそれは、恐らくは個人識別章であると思われた。


「――もし可能であれば、これをジェンガンの執政官に渡して頂きたい。そして、ジーヤン出身のコウハイは最後まで勇敢に戦って死んだと、そう伝えて頂きたい。さすれば、身共の親族は恩賞を得られよう」


 ――――軍人の福利厚生も獅子の国では手厚いのだろうか……


 ふとそんな事を思ったウォークだが、直ぐそばに居た軍曹に『君が預かれ』と指示を出した。本人が受け取らんとして何かあった場合には面倒な事に成るからだ。


「確かに預かりました」


 受け渡しを見届けたウォークはその場で銃を構えた。照準越しにコウハイと目が合った。柔らかな笑みを浮かべているコウハイは、一切視線を逸らさなかった。そこに見えるのは、人としての強さだった。




                            パンッ!




 乾いた音が荒野に響き、勇猛なるジャッカルの戦士が大地に斃れた。


「コウハイ殿もこの地に埋葬せよ。丁重にな」


 認識章を軍曹から手渡されたウォークは、それを自分のハンカチに包んでから懐へしまった。そして、すぐさま振り返り前線本部へと戻った。川に待機していた渡し船の船頭達は既に逃げ出したらしい。


「勇敢なのか臆病なのか分からないな」


 ボソリとこぼしたウォークの言葉に、船を操っていたアッバース兵が応えた。


「どうせ雇われですよ。軍人とそれ以外の落差が酷いんでしょう」


 それならばある意味でやむを得ないだろう。軍人軍属は立派に戦って死ぬ事が求められるが、軍を支える使役人はただの労働者だ。家族を喰わせる為に、自分自身が喰う為に働いているのだから、死ぬ事など考え無い。


「……急いだ方が良さそうだ」


 何となく感じたウォークの懸念は、小さな声でポツリと漏れた。逃げ出していった船頭達が何処かでクリスを捕まえて売り飛ばすかも知れない。後方送致の途中で何か悲惨な事態になっているかも知れない。


 徹夜明けのテンションは言葉では表現出来ないが、その思考もまた良くも悪くも加速してしまう物。そして今、ウォークは飛びきりに悪い方向で事態の悪化を予測してしまった。


 ――――無事で居てくれ……


 ウォークの脳裏に過ぎる物は、反省と後悔だ。もっと早く、その懸想に応えていれば、今頃はガルディブルクの何処かに屋敷でも構えて、大人しく留守番していたかも知れない。


 それを出来なかった己の未熟さに熟々と焼かれながら、ウォークはこれからの事を算段するのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ