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獅子の強さとネコの弱さ

~承前






 ――――ありえない……


 率直な感想を言うならば、ウォークの持った感情はひとつ。

 こんな事、絶対にあり得ないというものだった。


 国境まで5リーグ程の距離にある前線本部の幕屋内では、今回の騒乱の説明が続いていた。ボルボン家とアッバース家の合同参謀本部は、太陽王が来る事は無くともどちらかの当主が来ると思っていたらしい。


 だが、そこに現れたのは最強の文官と言うべきウォークだった。それが意味する所をボルボン家の面々は痛いほどに感じ取っていた。太陽王が見せた配慮と親心なのだが、違う視点から見た場合だと絶対に失敗できない事態となっていた。


「つまり…… ネコの軍勢およそ3000は獅子の国の300名に一方的に蹂躙されたと言う事ですか……」


 ネコの国の南西部。獅子の国との国境となる大河が海に注ぐ辺りは、殊更に荒涼とした岩と砂の続く荒れ地だった。その地で行われた合戦は、文字にすることすら苦痛を伴うような苦戦で、獅子の国より派遣された威力偵察紛いの300名による一方的な殺戮となったらしいのだ。


 国境となる大河の川岸に侵入防止の柵を張り巡らせたネコの国は、その内側でハリネズミのような陣を敷いていたらしい。3000名にも及ぶ派遣軍は、そのどれもがベテランで構成されたもの。


 あの一方的に後方から斬り掛かられている状況は、恐れを成して逃げ出したのでは無いのだとウォークは理解した。


「獅子の国の将は相当な手練れですな。完全に防衛線を突破しただけで無く一方的に攻め上っています」


 夥しい数で矢印の書き込まれた野戦戦況図を改めて精査すれば、時間の経過と共に何が起きたのかがよく解る。ビッグストンで学んだ戦術学と騎兵の機動戦闘理論を思いだしつつ、ウォークは理解に努めた。


 最初は防衛戦となる柵の前後で弓を打ち合ったらしい。だが、その合戦の最中に何かが起きた。それが何かを教えてくれる生き残りが居ないので詳細は分からない。だが、少なくとも威力は段違いだったようで、ネコの側は防衛柵から徐々に引き剥がされたようだ。最初はごく僅かな点でしか無かった防御力の弱い箇所が結果的に致命傷らしい。


「柵から引き剥がしで一気呵成に侵入したのか……」


 その後の乱戦を生き抜いた数少ない生き残りの話に寄れば、まるで嵐のような暴風が吹いた後、獅子の軍勢は巨大な防循を翳して土石流のような突入を行ったとのことだ。矢も槍も効かぬ状態で柵まで辿り着いた彼らは、一気に柵を破壊して突破口を作った。


 そしてそこに全ての軍勢が集中して突入を図り、防衛側の対処能力を超えた。結果的に獅子の軍勢はネコの軍団の後方まで一気に貫通し、後方から機動戦闘を仕掛けたようだ。


「立て直す時間すら与えられなかった……ということですな」


 深い溜息と共にそう呟いたウォーク。

 だが、その時点で『ん?』と気が付いた。


「……あの、所でク『ここには居ません』は?」


 クリスティーネの存在が無い事に気が付いたウォークが尋ねる前、ボルボン家の老将ジャン・セリュリエ・ボルボンは辛そうな表情で口を挟んだ。名家であるフィリヴェール家よりボルボン家に入り婿としてやって来た男だ。


「どういう事ですか?」


 ウォークは僅かに上ずった声でそう言った。もはやクリスとウォークの仲はボルボン家でも公認状態になっていた。だが、それを理解しているからこそ言いにくい事もある。セリュリエは腕を組み、目を伏せて静かに言った。


「その会戦の途中、支援に向かったクリスティーネは獅子の軍勢の仲に孤立してしまった。我々が救援に向かおうとするも、獅子の軍勢の圧倒的な吶喊力に圧されてしまい、辿り着くことすら出来なかったのだ」


 話を聞いていたウォークは、視界が一気に暗くなったような錯覚に陥った。

 思わず後方へよろけ、たたらを踏んでから必死になって姿勢を整えた。


 ――――そんなバカな……


 仲間を絶対に見捨てないル・ガル騎兵にあるまじき失態。その生死は不明だが、圧倒的な奔流となった獅子の国の軍勢に圧され、生存は見込めないだろう。ならばその遺体を収容したいものだが……


「では、私が直接出向き、遺体を収容しましょう」


 惚れた男の責任として、ウォークはそれを行うと言い切った。

 しかし、それを聞いたセリュリエは力無く首を振って応えた。


「いや、彼女は死んでない。それは間違い無い。我々が再度の救援吶喊を行った時には、既に獅子の軍勢は逃げるネコを追ってかなり進んでいた。徹底的に破壊され尽くした防衛柵の周辺を捜索したが、彼女の遺体は発見出来なかった――」


 セリュリエは上目がちな視線でウォークを見ながら続けた。

 受け入れ難い絶望的な現実を……だ。


「――捕虜となったか、または戦利品として捕縛された可能性がある。いずれにせよ、獅子の国の軍勢に虜として連れ去られたと我々は考えている」


 経験豊富なセリュリエをして、それが最大限に希望的な観測である……と言外の嘆き節を言わざるを得ない事をウォークは読み取った。普通に考えて、戦場で捕らえられた女がどんな末路を辿るかなど言うまでも無いことだ。


 古今東西、勝ち戦にある側の者は攻め立てられる側の集落を焼き、男は全て殺し尽くし、女は慰み者の果てに悲惨な最期を遂げるもの。子供達は奴隷として売られるか、さもなくば矢の的にされるのが関の山だ。


「……いずれにせよ獅子の軍勢は壊滅させたのでしょ? ならば捜索に向かいましょう。もはや主力は居ないのだから問題無い」


 先ほどの会戦で凄まじい集中射撃を見せたボルボン・アッバース両家による戦果は、間違い無く全滅でしか無いだろう。5万丁の銃で撃たれて生き残れるとは到底思えないのだ。


 だが、そんな言葉にもセリュリエは首を振って否定の意を示した。事態を飲み込めないウォークが『なにか?』と発した時、老将は力無く椅子に腰掛け、先の戦闘の真実を告げた。


「討ち取ったのはおよそ100騎ほどに過ぎません。主力は既に獅子の国の側へ脱出しています。間違い無く威力偵察でしょう。これより主力が来る筈です。それがどれ程の威力を持っているのかは――」


 セリュリエの眼差しが怯えている……とウォークは思った。数々の激戦を潜り抜けてきたアジャン中将も同じ事を思った。実際に獅子の軍勢と手合わせした将の肌感覚は絶望的だった。


「――私には想像も付かない。実際、先の集中射撃でも5発10発と銃弾を受けて倒れなかった者が居た。彼らは我々イヌとは強靱さの次元が違うのだ。故に全力射撃を行ったのだが……我らと同じ数で攻めてきた場合は……」


 悲痛そうなため息をこぼしたセリュリエ。そこに垣間見えるのは、長年の軍人稼業も終わりに近づき、有終の美を飾るはずだった男の嘆き節だった。もはや年金暮らしで悠々自適の老後が見えていたのだろう。半ば滅び家だったはずの生家フィリヴェール家を再興し、その中興の祖として讃えられるのは間違い無かったはず。


 ル・ガルに産まれた男子として、生涯のうちに得られる勲章(いさおし)は全て貰い尽くした様な男だ。そんな男が最後に得るはずだった『完勝』という栄誉は、獅子の軍勢が木っ端微塵に打ち砕いてしまった。ならば、上手く負けるしか無いのだが……


「いえ、やはり攻め込みましょう。もうすぐ増援が到着します。獅子の軍勢を率いる将がどれ程に優秀であっても、それを叩き潰すだけの戦力を連れてきております故に問題有りません」


 ウォークは優しい笑顔でそう言ってセリュリエを安心させた。正直に言えば増援など来る筈も無かった。王府の誰もが簡単にカタが付くと思っているのだ。新進気鋭の戦術と兵器とを持って獅子の国を撃退する。


 ル・ガルの実力を世界に知らしめ、ガルディア大陸への進出を諦めさせる。つまり、絶対的な生存圏を構築し獅子の国が存在する大陸と互角に渡り合う事を目指しているのだ。


「そうですか…… では…… どうします?」


 セリュリエはウォークの見解を尋ねた。太陽王と共に幾度も戦場を駆けたはずの騎兵は、新しい戦術をどう理解しているのだろうか?と聞いてみたい部分もあったのだ。


「まず、手持ちの戦力を動員し敵を少し揉んでみましょう。騎兵同士が激突した場合には圧し負けたのですよね?」


 確認する様にそう尋ねたウォーク。

 だが、それに応えたのはネコの側の将だった。


「圧し負けたも何も……まだ学生低度な若者と年寄りばかりの軍勢には荷が勝ちすぎた任務だった。組織的抵抗を行うには体力が足りない。体力があっても経験が足りない。すなわち――」


 長い髭をプルプルと震わせながら言葉を続けるネコの将は、立派な身形を怒りと恥辱とに震わせながら言った。


「――お前達が殺しすぎたからだ!」


 凡そネコなる生き物の我が儘ぶりは、まともな言葉では説明出来ないだろう。一方的にル・ガルへ攻め込んでおいて、抵抗ル・ガル側の抵抗による戦死者が多いから獅子の国に負けたのだと文句を言う。


 その矛盾をネコは全く気にしないし、意識もしないだろう。ネコにとっては結果が全てであって、その課程などどうだって良いのかも知れない。いや、考慮する必用すら感じてないのかも知れない……


「……では、次からはル・ガルに攻め込まないことですね。ル・ガルに対抗しようなどと言う分不相応な事を願ったからこそ、こんな結末なんですよ。素直に共存の道を歩んでいれば良かったものを」


 全く表情を変えること無くウォークはそう言い切った。話を聞いていたル・ガル側の将官達がウンザリ気味の顔をしていたのを見れば、今までこんなやり取りが幾度となく繰り返されてきたのは間違い無いと思ったのだ。


「そんなもの! 受け入れられる訳無かろう! 嫌なものは嫌なんだ!」


 ドンッ!と机を叩いて抗議したネコの将は、牙を剥いて怒りを露わにした。しかし、だからといってウォークが態度を変えるかと言ったらそんな事は無く、平然とした表情でサラッと言い切るのだった。


「解りました。では、ル・ガルは全て引き上げるので、蹂躙されるなり奴隷に成るなり、或いは滅亡するなり、好きな結末を選んでください。イヌには関係無いことですからね」

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