才能の激突
~承前
人材という資源は不思議なもので、栄える国ほどよく生まれるという。
衣食足りて礼節を知るという様に、日々の生活に飢えるようでは新しい才能を育むなどと言う事自体無理なのだ。
その意味においてル・ガルという国家は人材の宝庫とも言える。ガルディア大陸の中央部に居座る巨大国家は、その隅々まで衣食足りている状態だ。それ故に国民はその中で切磋琢磨している。
少しでも上を目指すならば、幼少期より努力し続けなければならない。そして、己の限界に到達した者は次の世代への投資を怠らない。幼少期より情操教育を施してやるだけでなく、様々な面で才能を伸ばす為の投資を行うのだ。
結果、ル・ガルは見事なポジティブサイクルにはまり込み、次から次へと新しい才能が国家の中で花開くようになっていた。そこから脱落していった者が這い上がれない程に格差を生む状態となってしまったネガティブ面もあるくらいに。
だが……
「参ったな」
腕を組んで戦跡を見つめるウォークは、言葉に窮してそう呟いた。おびただしい数で残るネコの死体は、そのどれもが背中に傷を負って絶命していた。力比べに及んで圧し負けたなら身体の前面に傷を負うはず。
その背中に残る傷は、要するに逃げ出したネコを追い首して一方的に蹂躙した結果だった。100や200じゃ追いつかないその死体の数を見れば、戦の跡片付けすらする気にならない理由もわかろうと言う物。
完全に心が折れている。
もう抵抗する気力もない。
そう。要するに、死にたくない。
自分が他人より先に死ぬのは受け入れがたいというネコの特性そのもの。顔も知らない赤の他人が死ぬのは運が悪かっただけであり、徒党を組んで抵抗を試みたことはただのバカな行為でしかない。
――――とっとと逃げればよかったのに……
ネコの中に残るそんな言葉は、かのシュサ帝を屠った獰猛なネコの騎兵と同じ種族が発した言葉とは、到底信じられないものだった。
「しかし、こうやって見ると……見事なものですな」
ウォークと共にやってきた参謀役は、いつの間にかヴェテランに老成しつつあるアジャン中将だった。かつてのフレミナ戦役などを経験し出世してきた中将もすでに年齢200を越えていて、もはや引退の頃合いを待つようになっていた。
そんなヴェテランが見て取ったのは、見事というしかない機動戦闘の痕跡だ。真正面からぶつかり合ったのは間違いないだろうが、その激突ではおそらく互角だったのかもしれない。
ただ、そこに残っている足跡を見れば、何が起きたのかは見当が付く。激突した獅子の国の一団は、押し切る事をせずに後退したのだ。当然、ネコの側は浮足立ったことだろう。
他ならぬ獅子を圧している事実に心が躍ったはず。しかし、それが罠でしかないのは明らかで、ある一点まで押し切ったネコの陣形が縦長になった時、その伸び切った線のど真ん中を食い破るように横槍が入ったらしい。
先頭集団は見事に包囲殲滅され、逃げ場なく一方的な鏖殺が起きたのだろう。そっち側に残っている死体には首が残っているのだ。しかし、分断された後方側はパニックに陥って反転を試みたらしい。
その集団は後方から押し寄せてくる味方と獅子の国の軍勢に挟まれ身動きが取れず、後方から一方的に殺され続けたようだ。算を乱して逃げる者など完全な七面鳥撃ち状態となるのだが、それより酷い戦闘になったのは間違いない。
最初にネコの軍勢と激突した獅子の軍勢は大きく回り込み、ネコの後方集団のさらに後方へと回り込んで再度の挟み撃ちとなったようだ。
「獅子の国の指揮官は相当な戦上手ですね」
ウォークが唸るのも無理はない。
その運動は見事としか言いようがないほどに連携の取れたものなのだ。
何より驚くのは、戦場に残る馬の蹄の跡を辿ると見えてくる一つの推論だ。少なくとも獅子の軍勢は二つではなく三つに分かれていた。おそらくもっとも機動力のある集団が最初に激突し、その直後に吶喊力のある集団が横槍を入れた。
最初に激突した集団はぐるっと後方に回り込んだのだが、その間にネコの集団をけん制した第三の集団が居たのは間違いない。つまり、三つの軍団を別々に動かしただけでなく、それぞれの動きが連動してネコを追い詰めていた。
「……戦術の教本に載せたいくらいですな」
アジャンも舌を巻くその戦い方は、かつてネコが見せた見事な機動戦闘の発展形ともいえるもの。しかし、なぜにネコはこんな単純な戦い方になったのだろうか?とウォークは考えた。
打たれ強く戦上手な印象しかないネコの国が人的資源の枯渇に悩まされる訳がないのだが……
「あ……」
ここでウォークはひとつの可能性に気が付いた。ネコの国の戦術家や切れ者の大半がル・ガルとの戦闘で命を落とした結果かもしれない。少なくとも、これ以前にはもっと上手く戦を行っていたはずだ……
「ネコにはまともな参謀が残って無いのかも知れませんな」
アジャンが吐き捨てる様に言ったその言葉は、ネコの国の窮状を端的に言い表すものだった。どれ程に戦力が回復しても、それを指揮する側の能力が追いついていない。
士官を育てるというのは、単に決まったカリキュラムを消化するだけでは無いのだと言う事をウォークは改めて噛みしめていた。つまり、現実を前に理想論を振りかざす無能になる無かれ……だ。
「獅子の国には人材が溢れているという事でしょうね」
ウォークが思い至ったそれは、獅子の国の実力を示す好例とも言えるのだろう。往々にして新進気鋭の人材は伸び盛りな新興国に産まれるものだ。新しい才能を生かすだけの社会的な遊び心があるのだ。
しかし、新興国が目指す旧体制の極みとも言うべき超大国は、古来より連綿と受け継がれてきた才能を産み育てる仕組みを有しているもの。そして、そんな旧体制の巨大国家には、往々にして新興国の才を力でねじ伏せるだけの天才が産まれるのだ。
「とにかく、ネコの軍団の本営を目指しましょう。まずは合流せねば」
アジャンが言う通り、事態への対処を試みるなら戦力の把握が重要だ。ウォークは『その通りですね』と返して馬を走らせた。死体の収容は事実上不可能かも知れない。
少なくとも1000人単位で死者が出た以上、現場での組織的な対処をするには頭数が足らなすぎる。そしてそれ以上に、獅子の国の軍勢がどこに居るのかが読めない以上は対処のしようが無い。
しかし、馬を出して程なくした時、ウォークは彼方に砂塵を見つけていた。それは、騎兵ならば察しが付く物だ。大量の軍馬が駆け回った時に沸き起こる砂塵の渦とも言うべきものだ。
「軍監殿! まずは待たれよ!」
アジャンがそれを叫んだ時、ウォークが手綱を引いて馬の足を止めていた。それとほぼ同時に夥しい銃声が一斉に鳴り響き、蒼天の空を轟々と揺らしながら純粋な殺意を辺りに撒き散らしていた。
――――凄まじい一斉銃撃……
――――何処かに殺し間があるのか……
ややあって、鼻が曲がるほどの硝煙臭が漂ってきた。それは1万や2万と言った単位での一斉射撃で無ければあり得ない程の濃度で風に乗ってやって来たのだ。だが、その臭いをウォークが感じ取った時、第二斉射の轟音が鳴り響いた。
「見事な統制射撃ですね」
アジャンがボソリと言葉を漏らした時、最初の斉射と2回目のそれとの間よりも遙かに短い第三斉射の轟音が鳴り響き、ウォークは馬上で腰を上げて彼方を眺めざるを得なかった。
その轟音が何を意味するのかは尋ねるまでも無い。防衛戦を敷いていたル・ガルの銃兵が敵に向かって放った一斉射撃だろう。ネコの国に派遣されている国軍は、ボルボン家の管轄下となる第3軍と第4軍。そして、アッバース家の3個師団だ。
少なく見積もって5万丁の鉄砲が一斉射撃をした事に成る。獅子の国の軍勢が如何ほどかは想像も付かないが、仮に3万か4万程度であれば再起不能だろう。5万を超えていたとしても、第4斉射でカタが付くはず……
「総員吶喊用意! 逃げ出す敵軍勢を押し返す! 着剣し突撃に備えよ!」
ウォークがそう叫び、アジャンは『両翼を狭く取れ! 征くぞ!』と呼応した。
ル・ガル騎兵が徹底して訓練する横一列に戦列を敷く暴力の津波だった。
「いざっ! 突撃!」
ウォークは軍旗を広げ馬の腹を蹴った。水面の上に形作られたウォータークラウンは、太陽王の近衛師団を示す軍旗でもあった。手にしている馬上筒の先端に銃剣を装着し、槍状となった銃を持ってウォークは駆けていた。だが……
――――ん?
その眼が捉えたのは、夥しい死体の転がる荒れ地だった。転がっている死体は獅子とは言いがたく、見た事も無い種族が混成された歩兵達だった。彼らは弩弓と槍と剣を持っているが、その中に魔法使いらしき者が散見された。
――――あぁ……
――――そう言う事か……
獅子の国の軍勢が持つ恐るべき強さの理由をウォークはこの時理解した。歩兵達の中に魔導師が紛れ込んでいるのだ。彼らの使う戦術魔法により敵を怯ませ、そこへ歩兵達が吶喊する戦い方だと理解した。
何より、それをされた側はいきなり強力な魔法を受けて算を乱した所に飛び込んでくる歩兵と対処せねばならない。仮にその魔法を受けた側が騎兵ならば、歩兵に取り囲まれた騎兵は死ぬしか無いのだ。
「友軍士官殿! お役目ご苦労にございまする!」
彼方から声が聞こえ、ウォークは馬の足を止めた。一瞬だけ自分の思考に沈んでいたようだが、それを表に出さないよう、必死になって表情を整え『状況は!』と叫んでいた。
『なかなか骨が折れますな!』と言葉を返してきたのは、ボルボン家に属する老練な将官クラスのようだ。何処かで見覚えがあるな……と思案したウォークは、内心で『あぁ……』と小さく漏らした。先々代のジャンヌ時代にボルボン家の中で軍総監役をしていたベテラン中のベテランだった。




