戦い済んで日が暮れて
イヌとネコの終戦交渉から一週間。
心地よい疲労を抱えたゼルは、護衛をつれてガルティブルクへ向かっていた。
隣にはカリオンとジョン。そして、カウリが一緒に歩いていた。
まもなくフィェンゲンツェルブッハへ到着する一行の行き足は速い。
復興なった町並みを眺めつつ、帰国への道のりを歩んでいた。
「思った以上に綺麗になっていますね」
感心した様に呟くジョン。
カリオンはそれを冷やかす。
「ル・ガルの国軍はそれだけ優秀ってことだろ」
「そーだな。まめな奴も多いしな」
気の置けない会話をしながら進む二人。
実はブルテシュリンゲンでの和平交渉中にちょっとした騒ぎを起こしていたジョン。
その窮地をカリオンが救い、ジョンは完全にカリオンの側近扱いになっていた。
「ジョニー。こういう裏方仕事に汗を流す者も評価してやるんだぞ」
後進を育てる楽しみを知りつつあるカウリは、ジョニーの指導を買って出ていた。
和平交渉に出席していたジョンの父であるジョン・レオンはカリオンと共にいたジョンを問答無用で張り倒した。だが、息子ジョンの方も負けてなく、これから交渉と言うところで父ジョンを投げ飛ばす暴挙に出た。
その間に入り乱闘を止めたのはカリオン。
だが、カリオンを直接知らなかったレオン伯はカリオンの胸倉を掴んでしまった。
そして、ノダの家臣団に止められ、その正体を知ったレオン伯。
「ご子息は僕の大事な友人です」
そう胸を張って言ったカリオン。
ジョン・レオンは感服して息子ジョンに言った。
――――お前が選んだ道だ。お前の責任は重大だが、後悔無い様に生きろ
ジョン・レオンは息子ジョンソンの頭をガシリと握り、力一杯締めていった。
その横顔には満足そうな笑みがあった。
カリオンはその顔を見て思った。
この人は喜んでいるのだと。
何事も形式ばった面倒なイヌの社会だ。
親が親であり、子が子である為にも、いろいろ気を揉まねばならない。
自由を愛する風狂で侠客なレオン伯は公爵の肩書きが重いのだろう。
だが、レオンに生まれた以上はレオンを背負わねばならない。
ジョンがそうであったようにジョンソンもまたそうなるのだろう。
その息苦しさそのものを嫌うネコには理解しがたいらしい。
だが、そのエピソードを持ってゼルは言い切った。
イヌにはイヌの正義があるんですよ。
相手に裏切られても、相手を裏切らないのがイヌの美徳です……と。
結果、ピエール卿とイチロウの二人はイヌが信用に足るという結論に達していた。
そして、ゼルの意向をイチロウは汲み取ったようだった。
「以後はそれぞれ王宮での政治的暗闘ですな」
「貴殿の手腕に期待します。イヌはこれ以上ネコと争いたくは無い。不毛すぎる」
確信的な部分は一切言わず、双方が『理解しているはずだ』と言う前提で話をした。
ゼルは祈っていた。どうかイチロウが選択を誤らないように……と。
「ジョニー。親父さんはどんな人物だ?」
「そうっすね……」
基本的にジョンとその父ジョンはそりが合わないらしい。
だが、二人が大喧嘩しているところを見たゼルは、二人が全く同じ人物に見えた。
何より、その生き方がロックしているナイスガイだった。
言いたい事があっても、自分の立場が悪くなるなら飲み込んでしまう。
そんな処世術をとる人はあまりに多い。だが、このレオンの男たちは違うのだ。
どれ程自分が不利だろうと窮地だろうと、言いたい事を言ってしまうタイプだ。
それで立場が悪くなるならそれはしょうがない。だけど、それを言ってしまう。
ある意味で馬鹿で愚かな生き方だ。
だが『粗にして野だが卑に非ず』を絵に描いたような人間であった。
どんな窮地でも友のピンチには駆けつけるタイプだ。
自分が死ぬと分かっていても、笑って助けに行くタイプだ。
男が惚れるタイプの男。
仁義と義侠に生きる男。
――――何があっても友は裏切るな たとえ自分が裏切られるともな
そんな一言をジョニーへ残したジョン・レオンは、口から血を流しつつ笑いながら交渉の席へとついたのだった。
「基本的に親父はバカなんすよ。なんつうんですかね。損得関係なく、自分が気にいらねーなら、相手が何もんでもはっきり言っちまうんです。おめーが気にいらねーって」
笑いながら言うジョンは、バカと言いつつもどこか嬉しそうだった。
「街を歩いてて乞食がいりゃぁ、飯を喰って来いって財布ごとくれちまうし、困ってるもんがいりゃ、どうした?って声を掛けて歩くし。ひところ、うちの家じゃ食い詰めと無宿と浮浪者だらけだったもんっすよ。そりゃぁもう家ン中じゅうくせぇってなあんばいで、お袋がよく怒ってましたが」
クククと笑ったジョンは心底楽しそうだった。
なんとなくその姿がまぶしくて、ゼルは静かに笑っていた。
ジョンはジョンなりに父親が好きなのだ。
「けど、親父はよく言うんですよ、困ってるもんは援けておけって。損得でやるような奴は唯のクズだ。てめぇが損して困るときにも平気で援けられる人間になれってね。酔っ払った親父は年中そういってました。ただ、どーも俺はソリがあわねーんですわ。まぁ、俺が言うのもなんですけど、立派な人間だけど抜けてるんですわ」
父親ジョン・レオンはぶっきら棒でいい加減だが、息子ジョンを愛しているのだ。
そして、息子ジョンもいつかそれに気が付くだろう。親の愛は無償の愛だ。
そんな父と子の関係が羨ましかった。
父を知らずに育ったゼルは、心底羨ましかった。
だから。
ゼルはゼルで、カリオンにたくさんの知識を遺していこうと決めていた。
「父上。今回の和平交渉ですが」
「今回は厳しい交渉だった。だがまぁ、欲しい物は手にしたな」
「欲しいもの?」
「そうだ」
ゼルはカリオンをジッと見ている。
何かを考え込むカリオンは、答えを探していた。
「今回、ネコは何でイヌに挑んだのだと思う?」
「えーっと…… 新しい戦術の実験?」
「それは副産物だ。と、いうより、戦争に至る判断過程の材料の一つだ」
「……勝てるかもしれないって期待の一つですか?」
「その通りだ」
ゼルの手が空中にかざされた。
何かのジェスチャーをしてカリオンにイメージを働かせている。
「闘鶏ってわかるか?」
「ニワトリを戦わせる遊びですね」
「そうだ。その闘鶏で昔々、ある王様が鳥を育てる名人に若い鳥を預けて最強の鳥に育てろって命じたんだそうだよ。鳥の成長は早い。ぐんぐん大きくなって立派な鳥になったんだそうだ。王様はな、もう良いだろ?そろそろ戦わせよう。そう言ったそうだ。だけど、その鳥を育てる名人は首を振って、こう言ったそうだ。ダメですよ、ダメ。ぜんぜんダメ。辺り構わずコケコッコと鳴いて回って空威張りしてて、自分を少しでも強く見せようって無様なもんです……ってね」
カリオンはわずかに頷いた。
その隣でジョンもカウリも聞き耳を立てていた。
「それからまたちょっと経って、王様が言うんだ。もう良いだろ?一回り大きくなって立派じゃないか!ってな。だけど名人はまた首を振った。ぜんぜんダメです。こんなの話になりません。だいたい、隣の鳥が鳴いただけで喧嘩を売るようなバカな鳥が勝てるわけがありません。ちょっとやそっとの事で我を忘れるような馬鹿は、すぐに死んでしまいます……ってな」
気が付けば参謀だけでなく騎兵隊長達も聞き耳を立てていた。
ゼルは少しだけ声を大きくして話を続けた。
「そろそろイライラしだした王様は名人に言ったそうだ。もうずいぶん経ってる。そのうちこの鳥は寿命で死んでしまうじゃないか!早く戦わせろ!とね。だけど、その名人は溜息を吐きながら沈んだ表情で言ったそうだ。この鳥を見てください。目を吊り上げ乱暴に振る舞い、俺は強い!俺は強い!そう無様に叫んで回る弱虫です。そんな鳥が強いわけがありません……」
カリオンの目がジッとゼルに注がれている。
遠い日。まだ赤子だったエイダがジッと自分を見ていた日を思い出したゼル。
ほんの少しだけ涙ぐみかけ、グッと奥歯をかんでそれをこらえ話を続けた。
「そろそろ痺れを切らした王様は名人に尋ねた。もう良いか?いいだろ?だってこの鳥は、まるで木に彫られた置物の様じゃないか……とね。そしたら名人は満足そうに頷いて言ったそうだ。その通りです王様。見てください。まるで木鶏です。周りの鳥がいくらピーチクパーチク吼えた所で泰然と構え、悠々と闘鶏場を歩くでしょう。その姿に戦うべき鳥は恐れをなし、戦いを回避するのです。戦わずして勝てる最強の状態です」
ゼルは微笑を添えてカリオンに話を続けた。
「これは木鶏という故事でな。真に強い者ならば泰然としているだけで相手は避けて通ると言う教えなんだ。だが、今回ル・ガルは木鶏足りえなかった。だから、ネコはちょっかいを掛けてきたのさ。本当に強くなっていれば、争いは起こらない。兵を揃え、軍を鍛え、馬を並べ、城を作る。そのル・ガルが木鶏足りえれば、ネコは、いや、ネコに限らず、イヌ以外の全ては恐れをなし、争いを回避するだろう。その状態まで行けばいいのだ。世界を支配などしなくて良い。ただただ、争いがないように仕向ける。そして、戦ではなく商いや人の往来や……」
ゼルの教えの言葉の途中でカリオンは笑った。
言いたい事を理解した息子にゼルは満足を覚えた。
「信頼を積み重ねていったら、戦争はなくなるんだね」
「あぁ、きっとそうだろう。戦争するよりもっと良い事があると、皆が気が付けば、戦争という選択肢は選びにくくなるはずだ。そしてな」
ゼルはカリオンだけでなく、ジョンやカウリや、周りにいた参謀たちもグルリと見回してから言った。
「国家だけでなく人もそうなんだ。真の王者に必要なものは、武力でも知力でもない。泰然自若に振舞い、人の模範として生きられる真理を理解しているかどうかだ。自らの強さを見せ付けたいなどというような精神の幼い者は、王者足り得ない」
ゼルの手がカリオンの頭を抑えた。
息子の成長を喜ぶ父親の姿が、そこにあった。
「人が生きる真理を得て、それを体現できるものを真人という。人は常に五つの精神を持たねばならない。それは仁・義・礼・智・信と言って、本来人が持っている悪を善なるもので中和するた為に必要なものだ。すなわち」
ゼルはカリオンを通り越してジョンを見た。
その眼差しに驚いて、ジョンは背筋を伸ばす。
「困っている者を見ても自分が損をすると思ったら見て見ぬふりをする。多くのものはそう振舞うだろう。だが、それを佳しせず、人を援け手を差し伸べる事を仁という。そして、たとえそれが敵であっても、人が困っているならそれを救わねばならない。人として正しい行いこそを義という。それから、いかなる席であっても場であっても、相手がどんな存在であっても、キチンと徳を持って正しく振舞うこと。これを礼という。その正しい行いとは何か。自らが知らぬ事を貧欲に求め、常に学び伸びる精神を智というのだ。最後に、もっとも大事なこと。それは信。人を信じる心。相手を信じる心があれば、人は強く生きられる。なぜなら、相手も自分を信じてくれるからだ」
どうだ?と言わんばかりにジョンを見たゼル。
少し恥ずかしそうに鼻先をボリボリと掻いたジョンは、嬉しそうに笑っていた。
「誰だって損はしたくない。裏切られたくもない。出来れば得をしたいし、自分が有利になる嘘なら、それを突き通したいと思うだろう。誰かが損をしたり、或いは命の危険があったとしてもだ。自分が得をして、そして後で困らないなら、誰かが損したって別に構わないってのは、実際誰だって大なり小なり持っているもんだ。そうだろ?」
カリオンだけでなく、皆がウンと首を振った。
ゼルも大きく首を振った。
「俺だってそうだ。出来るもんなら得したいさ。今夜だって、出来ればカウリより少し多く酒を飲んでやりたいところだ」
そんな軽口に皆が笑った。
馬上のカウリも腹を抱えて笑った。
「だけどな、大事な時にはとか、必要なときにはとかそういう事じゃなくだ。常に良い振る舞いをするべきだって言うのが帝王に必要な事。帝王学の根本であり、そして木鶏の故事で一番大事なことなんだ」
ウンと頷いたカリオン。
その向こう側にいた初老の参謀たちは、腕を組んで感心していた。
「いい話を聞いたなぁ」
「あぁ、全くだ。ゼル殿の言われるヒトの哲学は……深いな」
闊達な意見を交わしながら進む一行は、いつの間にかフィェンゲンツェルブッハの中心部へと到達していた。
かつてセダが死んだ教会は綺麗に整備され、焼け落ちていた街並みは着々と回復しつつあった。いずこかへ逃げていたネコが三々五々と帰ってきていて、街のあちこちから竃の煙が上がり始めている。街を見回したゼルは満足そうだった。
「軍総監!」
街の中心からやってきた政務官が馬を下りてゼルを向かえた。
「街の代表者がお会いしたいと待っております。いかがしましょうか?」
「そうか。さて、会ってみようじゃないか。暗殺されるなら、それも一興だ」
「承知しました。街の集会場で総監をお待ちしています」
「分かった。半刻後に伺う旨、伝達するように」
「承知!」
馬を返した政務官が街の中心部へと消えていった。
その後姿を見ながらゼルはカウリとカリオンたちに言う。
「俺一人で行くから先に帰ってくれ。きっとリリスはカリオンの帰りを待ち侘びているだろうからな」
「そーは行くか! お前だけこっそり上手いもんを喰うつもりだな! 俺をのけ者にはさせんぞ!」
話しに割って入ったカウリが豪快に笑った。
「叔父上さま。なんか悪い手本になってますよ?」
カリオンの鋭い突っ込みが決まり、カウリは再び大笑いしていた。
もう死にたいとすら思ったゼルも、それを見て笑っていた。
そのまま馬を進めたゼル。
ふと見上げたら、宿場の立ち並ぶエリアのようだった。
そして、辻には何件かの酒場。入り口は狭く、上に高い造りだ。
「この辺りは宿場街か」
ボソリとこぼしたゼル。その向こうでジョニーがニヤリと笑った。
「飯盛宿ですよ。あっちは銘酒屋です。どっちも西方じゃ有名ですよ」
「……へぇ」
ゼルは少し怪訝な顔で建物を見上げた。
言われてみればどっちの建物も小窓がいくつも続いていた。
「ちょっと前まではヒトがわんさか居たらしいですよ」
「ヒトが?」
「えぇ。そっち専門の遊び人の間じゃ有名でした。ほら、あっちはちょんの間ですよ」
ゼルは思わず眩暈を覚えた。
「おぃゼル。そりゃ、なんだ?」
「……おいおい、女好きのカウリが知らぬのはおかしいだろ」
「いや、本当に聞いた事が無い」
なんとなく下世話な笑みを浮かべたゼル。ジョニーも笑っている。
そして何故か、カリオンもニヤニヤとしていた。
「後で話をするよ」
キツネに摘まれたような顔をしたカウリは首をかしげていた。
さて、何の事だろうか?と考え込んでいたが、ゼルはその姿に微笑む。
どこまでも真面目な男だと、そう思った。