ポール・レオンの復帰と鉄の船
~承前
「暑い……」
ボソリとこぼしたカリオンは、ガルディブルク城のバルコニーに居た。
ネコとトラの両国であった獅子の国の使者を追い返した事件から、早くも3ヶ月の月日が流れていた。
「けどよぉ……」
カリオンの重臣として近くにいるジョニーは、珍しく将官の衣装を纏って城へと上がってきた。レオン家を勘当された身分とは言え、少なくとも西方方面軍の差配を預かるのはジョニーだからだ。
本来であればレオン家を継いだポール・グロリア・レオンの預かる重職な筈だが、そのポールはまだビッグストンで修行中の身。夏の実習を経て2年制に進級するはずなのだが、色々あって1年生だけを経験する事になっていた。
「まぁ、そう言うな。なかなか良い面構えになっていたじゃないか」
カリオンがそう切り出したのは、卒業式の場に出て来ていたポールの印象だ。彼ら1年生は夏の課題に向けた動きが出る頃だった。様々な現場に送り込まれ、士官と下士官の間にあるあれやこれやを経験しておくこと。
それが有ると無いとでは、後々に大きな差になってしまうのだった。だからこそカリオンだって同じ経験をしたし、ジョニーはジョニーで全く毛色の違う現場に送り込まれ経験を積んでいた。
「まぁ、ボチボチ来るぜ」
身に纏っていた将官級向けの将校服を優雅に直しつつ、ジョニーもまたバルコニーに立っていた。差し込む光は強く眩くあり、夏の気配がすぐそこまで来ている事を痛感させていた。
そんな時だ。ウォークを先頭にした一団が城のバルコニーへとやって来た。ポールを含めたビッグストン1年生の集団で、彼らは全てが公爵家など太陽王の重臣階級にあって大家名家の跡取りやその兄弟だった。
「陛下。今夏の城詰め実習生です」
「ご苦労。全員楽にしろ。暑い季節だからな。張り詰めてばかりだと倒れる」
柔らかな物言いを心掛けたカリオンは、まだまだあどけなさが残る子供達に声を掛けた。たとえその者が敵対する種族の子息で有ろうとも、懸命に努力し成長しようとする姿は微笑ましいのだった。
「全員まずは余の元へ挨拶に来たのだろう。余は諸君らの着任を歓迎する。僅かな間だがこの城の中で様々に学ぶと良い。城下には国軍指令室もある。スペンサー家のドレイク卿が待っているだろうから挨拶に出向け。後日、1人ずつ呼び出す故、気を抜く出ないぞ」
その言葉に子供達が全員『御意!』と元気よく答えた。太陽王を始めて見る者も居るのだが、そんな事はどうだって良いことだ。
「よし。全員良い面構えだ。今年も豊作になりそうだな。名乗りを上げるのは後日だ。今日は暑いからサクサク行動しろ。暑さでまいりそうになったら先に言え。一回はまいっておくと、次にそろそろヤバイのが解るようになるからな」
ジョニーの訓示が終わり、ウォークはニコリと笑って『次へ行こうか』と1年生達を引き連れバルコニーを降りようとした。そんな刹那に『ポールはここへ残れ』とカリオンが呼び止めた。
「なかなか良い面構えになったな。ポール」
王城へと挨拶に来たレオン家の当主ポールは、いつの間にか顔立ちまで変わっていた。超絶に厳しい環境下で士官の促成教育を受けたせいか、あのべらんめぃな雰囲気までもが全て消えていた。
――――おいおい……
――――ありゃ突撃将校一直線だぜ
呆れた風に漏らしたジョニーは、どうするんだ?と言わんばかりにカリオンを見ていた。2人は言葉を交わす前にアイコンタクトで意思の疎通を図っていた。ウォークと共に新人がその場から消えたのを確認して、ジョニーは首元を寛がせた。
「お陰様で学びを得ました。すぐにでも実戦行動へ出られます」
パキパキとした四面四角な雰囲気のポール。だか、それもやむを得ないだろう。そもそもビッグストンの1年生は徹底して抑圧的な生活をするのだ。そんな中で様々な知識を頭に詰め込み、今度は下級生の指導でそれを自分の血肉にする。
どちらかと言えば後半課程の方が遙かに重要なのだが、ポールにはそれを経験する暇がなかったのだ。故に、ここから先の成長を導く役は、他ならぬカリオンがそれを引き受けねばならない。
「まぁ、そう焦るな。理論と実践を繰り返し士官は育つ。その時間を取ってやれなかったのは申し訳無いと思うよ。故にだ――」
カリオンが手招きすると、傍らに居たジョニーが『やっぱり』と言わんばかりの表情になって苦笑いだった。
「――ジョニーだって連隊長を務めたんだ。ポールの指導役として付けるから、続きを学ぶと良い。レオン家にもビッグストンの卒業生が沢山居るだろうし、まずは彼らを見て、そしてちょうど良い具合ってのを覚えるんだ」
カリオンの言葉を聞いたポールは、カチッと踵をならしつつ、上を向いて敬礼しながら『承りました!』と応えた。その振る舞いは間違い無くビッグストンの一年生そのものであり、もっと言うなら兵卒を束ねる下士官の振るまいだ。
――――士官を育てるはずが下士官になっちまったぜ……
抗議がましい目でカリオンを見ているジョニー。だが、当のカリオンは涼しい顔だった。ビッグストンの中で危ない橋をいくつも渡って様々な事を学ぶのだが、そんなものはレオン家の中でいくらでも学べるであろうと思った。
「さて、実はまだ多少時間がある。その関係で少し外出する予定だが、ジョニーと共に同行してくれ。ちょっと遠くまで行くが、しっかり準備してくれ」
カリオンが切り出したそれは、思わぬ事態への対応だった。
「……それはどんな事態ですか?」
ポールは問いかたまでもが下士官風に改まっていた。国家を支える公爵家の当主としてはいささかよろしくない。だが、ここからどう育てていくのかもまた上官の手腕のうちだ。
何事も場数と経験なのだから、ここはひとつ遠くへ連れ出して教えるしかない。それを思えば、実に良い機会なのだった。
「茅町には行ったことがあるな?」
カリオンの切り出したその応えにポールの表情が変わった。何度か訪れているヒトの街は、ポールにとって楽しい記憶が多い街だった。
「もちろんです」
その回答にニコリと笑みを返し、カリオンはジョニーにアイコンタクトした。
予想外の事態が起きているのだとポールは思うのだが……
「実はな……茅街の人間から大至急来て欲しいって連絡が来てるんだが、その実態ってのが……トラの保護下にあるカモシカの国なんだよ」
僅かな間に国際社会学を学んだポールは、そこに何が起きているのかを思案しはじめた。ただ、どんなに考えても茅街に居るヒトをカモシカが呼びつける理由が分からない。
そもそもカモシカの国はトラの保護下にあり、いわば一衣帯水の関係で保たれている部分があった。オオカミの国と同じように山岳地帯を住処とするのだが、その山中の僅かな平地には鉱山などがあるらしい……
僅かに首を捻ったポールは『何が起きたんですか?』と問いを発した。ただ、あくまでその振る舞いが下士官なのは、ジョニーすらも苦笑するしか無かった。
「カモシカの国の海沿いに不思議な船が難破して流れ着いているそうだ。中にはヒトが幾人も乗っていて、カモシカの国でそれを保護しているという。だが、そのヒトはどうも……落ちたばかりのようでな」
……落ちたばかり
世界線の垣根を越えて、こちらの世界に転移する事を『落ちる』と表現するのだが、そんなヒトは大概がこの世界の常識を知らず、色々と面倒を起こすという。故にル・ガルはヒトの保護を掲げていて、その知恵を集めることに執心している。
だが、それ以上に重要な事がそこにあるのだ。つまり、この世界に落ちてくるのはヒトばかりでは無く、ヒトの世界の様々なものが一緒にやって来る事もある。そして今回は……
「船ごと……落ちたと?」
ポールは正鵠を得た。
カモシカの国の海岸に辿り着いたのは、ヒトの世界の船らしい。
「そうだ。報告によればその船は全長が200リュー以上あるらしいが……」
馬で1時間ほど行軍する距離を1リーグと言うが、1リューはだいたい1メートル程度の長さだと思って良い。細かい事を言い出せばきりが無いのだが、その寸法感覚で言えば、騎兵が持っている馬上槍の半分の丈を意味するのだ。
「あり得ません」
ポールが驚くのも無理は無い。木造船で全長200メートルオーバーなどあり得ないし、帆走船でそんな大型船などあり得ないのだ。つまり、動力船と言う事になるのだが、そもそもこの世界では蒸気機関ですら存在し得ないのだ。
「そうだろうな。だが、その船は確実にカモシカの国に流れ着いていて……しかも驚くことで、船自体が鉄で出来ているんだそうだ」
ポールは思わず『は?』と漏らしてしまった。鉄船がこの世界に存在しうるなど考えられないのだ。それこそ、たたら製鉄程度の金属加工技術しか持たない世界なのだから、鋼板を製作し、それを切り出し、船の形にするなどあり得ない。
そんなものが流れ着いた以上は、調査しなければならないのだ。なにより、完全な未知の存在がそこにあるのだから、ヒトの助力を得られるのが重要と言える。それ故にカモシカの国はル・ガルを頼ったのだろう。
「余が直接出向く。検非違使を含め幾人も連れて行くので、君も同行しろ。何事も経験だ。下士官では無く士官に育って欲しいからな」
カリオンは真っ直ぐな言葉でポールに成長を促した。
それを聞いたポールが『畏まりました!』と返答し、事態は動き始めた。
「明日の晩、闇に紛れて王都を出発する。夜間行軍となるのでいきなり難しい課題だぞ。遅れを取るなよ。しっかり休んでおけ」
ニコリと笑ったカリオンはポールの肩をポンと叩いた。
いつの間にか岩でも叩いたかのような、ガッシリとした身体になっていた。
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