トラとヒョウ
~承前
「……それで、ル・ガルに侵攻してた……と」
冷たい口調ながらも柔和な表情でそう言ったウラジミール。それを聞いていたトラの大男は『まぁ、そう言うこった』と肯定した。トラの国の王都中心部。巨大な石積みの建物の中をふたりは歩いていた。
およそトラと言う種族は、まるで全てが任侠者の様な一種独特の気風を持っている。情に篤く義理堅く、何よりも約束を大事にする。それは国境を接するレオン家の面々にも近いものであった。
「で、望んだ形にはなったかね」
何処か嗾けるような言い方でウラジミールは問いかけた。その問いの本質は、トラに対する圧力その物だ。だが、支配する為のものでは無く、むしろその背を押す為のもの。
言い換えるなら、今まさに崖っぷちにある状態の者に対し、遠慮無く飛べと言うもの。崖下に居て安全に拾ってやる……と、そう声を掛けるものだった。
「あぁ、ここまでトラの国は疲弊し続けた。それも終わりだ」
ウラジミールと一緒に歩いているのは、トラの国を支える官僚だった。シザバと名乗ったその官僚は、トラの王と従兄弟なのだという。ガルディア大陸最強の農業国家なトラの国。その内部にあって生産計画を一手に引き受ける男だ。
「この数年……いや、数十年だな。求められてた農産物の量は、我が邦の可能移出量を超えていた。トラが飢えてもなお、最大量の供出を求められていた。そんなデタラメもこれで終わりだ」
長い廊下を歩いて行くと、そのどん詰まりには広場があった。そもそもに巨躯を持つトラの国では、すべての建造物が大きく作ってある。その為か勢い移動量は多くなり、部屋を移るだけで疲れるとすら言われるのだ。
ただ、そんな労を負って出た広場の真ん中では、ふたりの男がグルグルと喉を鳴らして向き合っていた。片方はこのトラの国を治める王にして、建国の祖から血筋を受け継ぐ存在。イサバと言う名を持つ王は、右手に斬馬刀をもって凄んでいた。
そして、その反対側にはトラよりも細身で長身の男が立っていた。長い肢体に数々の飾り輪を通したその男は、小さな頭をもつ独特の存在だ。ウラジミールはそれをヒョウと説明されていた。
広大な草原地帯に暮らし、イヌやキツネやトラなどを相手にしない脚力を持つ。なにより、そのトップスピードは、獅子をも凌ぐというのだ。
「これで終わりさ。イヌには感謝しか無い」
シザバの漏らしたその言葉には、万の感情を圧縮したものが詰まっていた。トラの国を疲弊させてでも朝貢を求め続けた獅子の国の横暴ぶり。その横暴を許してきたのは、ひとえにあのヒョウの存在だった。
総じて速度を武器にする種族に対し、トラはどうにも相性が悪い。ヒョウと呼ばれる種族はその全てを持っていた。素早く正確な戦い方は、トラにとって天敵級の存在だった。
どんな手段を講じても、ヒョウには敵わなかった。一方的に斬りつけられ、何人死んだか解らないくらいだ。だが、この場に同席していたイヌの存在が、そんな窮地を救っていた。
「……まだ、やるかね」
イサバ王はニヤリと笑いながらそう言った。何度も侵攻したル・ガル領内だが、この何年かの間にその全てが撃退された。獅子の国より求められた朝貢を達成する為の侵攻計画は全て白紙に終わった。
だが、トラはそれを逆手に取った。カリオン王によるガルディア一統に参加する代わりに獅子をどうにかしろと。トラの国が滅ぶレベルで求められている朝貢を粉砕してくれと。
それが叶うなら、トラはル・ガルの一部になっても構わない。むしろ、その方が国家は安定するはずだと言い切っていた。そして……
「リティク殿。準備はよろしいか?」
イサバ王の言葉を聞いたイヌの公家は『どうぞ』と一言だけ応えていた。砂漠の民アッバース一門の中でトラの国へと派遣されたのは、もはや死を待つ世代だ。しかし、このリティクは新しい時代の戦術へ見事に対応していた。
……砂嵐のリティック
かつて、砂上戦闘に於いて並ぶ者なしと讃えられた男。極限環境戦闘にあたるなら、この男に任せておけと言われる存在だ。そのリティク率いるアッバースの面々は新式銃を構えて銃口を向けていた。
どれ程に素速く動けるヒョウと言えど、銃弾の速度は躱せない。銃声と同時に襲い掛かってくる銃弾は、何よりもその心を打ち砕く。素早さにおいては他の種族を寄せ付けないヒョウをして、全く対応不能なのだった。
「……バカな」
絞り出すように漏らしたヒョウの使者は、怒りをかみ殺すように震えながら、髪を逆立ててイサバ王を睨み付けていた。トラの国へ来た使者30名のうち、既に18名が物言わぬ死体になっていた。そして、残る12名のうち、半数は何処かを撃たれて苦しんでいる。
……トラの逆鱗に触れた
誰もがそう噂する通り、彼らは余りにも横暴かつ高飛車な態度でトラを叱りつけていた。いや、煽っていたと言う方が正確かもしれない。先に獅子の国より出されていた農作物の提出量は、どうやっても達成できそうにない。
ならば労役として獅子の国へ奴隷を出せ。それはヒョウの使者の物言いだった。だが、イサバ王は『異なる対処方針を示したいのだが、良いかね?』と切り出し、右の指をスナップさせて合図した。
その途端、広場の左右にある部屋から多くのアッバース歩兵が飛び出し、一斉に銃を抱えて狙いを定めた。ヒョウの使者はその銃を吹き矢だと思ったらしく、ヘラヘラと笑いながら『やってみろ』と煽った。
だが、その直後に響いた一斉轟音は、およそ200丁の新式銃による猛烈な斉射の轟音だった。そして、ヒョウの使者が振り返ったとき、そこにはかつてヒョウだったと思しき挽肉が転がっているだけだった。
「では、改めて申し上げる。使者殿――」
勝ち誇ったように言うイサバ王は満面の笑みで言った。
「――我々トラの国は獅子の国による支配を脱することを宣言する。本来であらば使者を立て申すべき事ではあるが、それすら面倒なので、斯様な措置と相成った。まずはこの外交的非礼を詫びると共に、使者殿に面倒を押し付ける事も忍びないので、ここはひとつ、我々の誠意を受け取っていただきたい」
イサバ王がそれを言うと同時、今度はヒョウの使者の背後から両手両足を打ち抜くように銃撃が加えられた。ギャッ!と叫んだ時には時すでに遅く、イサバ王はツカツカと歩み寄ってその胸を足で踏みつけた。
「そなたも帰国すれば責を咎められるであろう。場合によってはその家族一族郎党全てが連帯責任を負わされるやもしれぬ。それもまた実に忍びない。我々の方針を伝えただけで処罰されるのは理不尽よ。故に、トラの誠意一杯の誠意として――」
イサバ王の持っていた斬馬刀が高々と掲げられた。その刃に反射した光にヒョウは目を細めた。天より降り注ぐその光は、他ならぬ太陽のそれだ。
「――そなたの名誉を守るために首をはねる。これによりそなたの一族郎党は罪を免れ、そなたは勇戦したと胸を張れるであろう。どうだね?良い提案であろう?」
イサバ王はニコリと笑ってヒョウを見下した。
積年の恨みが詰まったその笑みは、絶望と同義のものであった。
「……シンバを。帝政シンバを。獅子を敵に回すのか……そうか……ならば――」
ヒョウは痛みと屈辱と無念さを漂わせながら絞り出した。
「――あの世で行く末を見守らせてもらおう。地獄で待っているぞ」
それが精一杯の強がりであることは論を待たない。イサバ王は『承った』と一言だけ返答し、斬馬刀を振り下ろした。その威力は凄まじいの一言で、ヒョウの首を一撃で刎ね飛ばした。
「これでよろしいか? イヌの王の代理よ」
シザバと共に一連の流れを見守っていたウラジミールは、ゆっくりと歩み出て拍手をしながらイサバ王の前に立った。
「イサバ王。何よりも上無き振る舞いに感服いたしました。これで獅子の国は怒りに震える事でしょう。我々イヌは義を持ってこれに対処する所存につき、どうか支援を賜りたい」
ウラジミールは太陽王の代理ではあるが、所詮はただの公爵家当主に過ぎない。それゆえに下からの物言いを心がけ、イサバ王をはじめとするトラの宣撫工作を慎重に行っていた。
「いやいや、支援などとは烏滸がましい。我々はイヌと共に獅子と戦う所存」
それがただの外交儀礼では無い事をウラジミールは知っていた。トラの国の王都を無血占領したアッバース家の面々と共に見たもの。それは骨と皮だけになるまで痩せ衰えた多くの市民だった。
実際の労働階級へ優先的に食糧を供給し、文字通りの飢餓輸出まで行って朝貢を行い続けたトラ。彼らはネコのように女を差し出す事を良しとせず、一族を上げて対応し続ける困難な道を選んでいた。
何よりも信と義を大切にするトラは、正しき国であろうとし続けたのだ。その精神にイヌが反応しない訳がない。社会が平和で安定する事を何よりも基本とするのだから、その協調性にシンパシーを感じるのだった。
「では……」
ウラジミールはまだ息をしているヒョウの重傷者のうち、最も身体の小さい者を選んでエリクサーを飲ませた。途端にゲボゲボとドス黒いものを吐き出し、それと同時に体中から鉛製の弾をこぼし落とした。
ゲホゲホと咳をしながらウラジミールを見たそのヒョウは、よく見ればまだ子供であることが見て取れた。それを知ったのか、表情を和らげてウラジミールは切り出した。物の因果を言い含めるように。
「誼の儀あってそなたのみを生かす。使者殿の首を持って使者の名誉と共に帰国せよ。熱き頃ゆえに手早く帰るがよろしい。使者殿の首が腐り果てぬ前にな」
ウラジミールが小さく指示を出すと、首桶に収められたヒョウの使者の首が差し出された。それを手に取ったヒョウの身体がガクガクと震えていた……




