冊封脱出
~承前
ボルボン家を預かるフェリペとジャンヌが見ている先、獅子の国よりやって来た使者は髭を震わせながら屈辱に耐えていた。その応対をしているのはあのウリュール公だが、決別の裁可を下したのは女王ヒルダだった。
「……以上。我がネコ一門は獅子の国との誼を絶つ事とします。理由はここまでお話しした通りですが、もう一度言いましょうか?」
エデュの表情には緊迫や緊張の類いと言ったものが一切無かった。ごく自然に、ごく当たり前に、風に嬲られた葉が枝を離れて落ちるように。スッとこぼれて落ちたその言葉は、相当な威力で使者を殴りつけていた。
「では……」
無様に髭を震わせているのは、恐らくハイエナと呼ばれる種族だろうとジャンヌは見ていた。あまり美しいとは言えない毛並みと身体格好は、とてもじゃないが彼の国で重要なポストにある者とは思えない。
ただ、ジャンヌはそのハイエナたちに親近感を覚えていた。なぜなら、使者としてやって来たハイエナの一団を統率する長は女性だったからだ。あの強力な国家である獅子の国において、最初に被支配階級となったハイエナたち。
しかし、その実態として見えてくるのは、女性を頂点とする女系社会にあって、争うよりうまく負ける事で後々になっても有利なポジションに居続けるという冷徹な配慮だった。
「ネコの一門は……シンバの庇護を受けぬと……そう理解します」
シンバ……
それは、彼の国において獅子を指す言葉らしい。シンバとは頂点を意味し、支配する者を意味し、強者を意味するもの。そして同時に、彼の国では皇帝を指す言葉であり、また勝者を讃える尊称でもあった。
「庇護もなにも――」
クククと苦笑いしたエデュの眼に狂気が宿る。イヌやキツネと比べ、相当に長い生涯を送るネコの寿命は獅子をも越える。そんなネコの『力の管理官』であるエデュが見せた姿勢は、それ自体が屈辱を感じさせるものだ。
「――先に我が邦を通過して行ったライオンの戦闘要員は、あらん限りの略奪を行っていった。畑は荒れ、家畜は全て奪われ、商人達が集めた商材の全てが失われた。数多の者が涙を流している。庇護どころか狼藉の限りを尽くしていったのだが、それは問題とならないのかね?」
エデュの言葉にハイエナが返事を飲み込んだ。少なくともそれは、獅子の国とネコの国の間で交わされた国家規模の条約事の破棄に他ならない。つまり、獅子の国の正規軍が行う事に一切口を挟まないという文言を無視したのだ。
そもそも、規律有る獅子の国の軍隊が狼藉など働くはずも無い。そんな無体な思い込みがあったのだ。だが、実際には景気付けだとばかりに相当酷い事をしているのも事実。
勝ち戦の時は負け戦の時以上に気が大きくなるのだからやむを得ない。しかし、それをされる側はたまったもんじゃ無い。結果、ネコは獅子を裏切りイヌに付いた形となった。
「まぁ、帰ってシンバへ報告せねばならないあなた方の苦労も解らない訳じゃ無い。それこそ、獅子の都へ近づくにつれ、胃の腑に穴が開くほどの思いでしょうな」
エデュは笑いを噛み殺した様な顔でそう言った。ハイエナの使者をバカにして掛かる様な物言いに、フェリペが小さくプッと吹き出した。ギャラリーにまで馬鹿にされるように笑われ、ハイエナの使者は爆発寸前のような表情を浮かべる。
ただ、そんな様子を見ていた使者の長がやおら口を開いた。
エデュと交渉に当たっていたのはハイエナの男だが、使者の長は女だった。
「解りました。では、その様に報告いたします」
正直、美貌という面ではいまいちだとジャンヌは思った。ブスとは言わないが、少なくとも美人とは言いがたい顔だった。しかし、そうは言っても何処か愛嬌を感じさせる顔立ちでもある。
――――そういえば……
――――朝貢には女を差し出すと言うのもあったんでしたっけ……
ふとそんな事を思いだしたジャンヌは、やや顔を顰めてしまった。朝貢として金品や農産物と言った価値ある者を提出出来ない場合は、国中から未婚の生娘を集めてきて人身納品を行う事になって居るという。
そんな女たちがどんな扱いを受けるのかは、もう考えるまでも無い事だ。人倫に悖る行為と言えばそれまでだが、そんな倫理など弱者の泣き言でしか無い。嫌なら立ち向かうしか無い。勝つしか無い。負けるとはそう言う事だ。
話し合いによる解決を望むなら、相手に負けないだけの戦力を持ち、勝てずとも負けないレベルの実力をつけて対抗するしか無い。そこまで行って初めて、話し合いによる解決などと言う府抜けた言葉を吐く事が許される。
負けた側に与えられる慈悲など勝者の気まぐれでしかないのだから。
「えぇ。そうして下さい」
エデュはこの時初めて快心の笑みを見せ付けた。今の今まで、獅子の国では奴隷階級でしか無いハイエナ相手に我慢し続けてきた屈辱と忍辱の日々は終わりを告げたのだ。
そしてそれだけで無く、この場にイヌが居るという事の意味をハイエナの使者は知った。ネコは獅子の国を裏切ってイヌの国に付いた。言葉にすればたったそれだけだが、そこには全く異なる風景が展開されていたのだ。
「どっ…… どういう風の吹き回しかしら?」
ハイエナの女は声を裏返らせて驚いた。
目の前にいたエデュがいきなり長刀を抜き放ったのだ。
「どうもなにも、土産を用意しようかと思ったのですよ」
好々爺の笑みを浮かべたエデュは、壁際にいたジャンヌとフェリペをチラリと見てから、再びハイエナの使者へと視線をやった。その時点でその顔は、好々爺では無く歴戦のいくさ人に変わっていた。
「まずは……シンバの帝王へ捧げる土産物をこれに」
次の瞬間、パッと眩い閃光が室内に放たれた。シュバルツカッツェにある大きなホールに差し込む陽光がキラキラと乱反射したのだ。目を眩ます光が飛び交い、その直後に血煙がパッと拡がった。
エデュの太刀が使者としてやって来たハイエナの男の首を刎ねたのだ。シューッと音を立てて血が噴き出し、ガクリと膝を付いて使者の身体が前へと倒れた。その首を拾ったエデュは、首桶の中にそれを収めてからハイエナの女に差し出した。
「さぁ、これを持ってシンバの都へ向かいなされ。そして、帝王へこの首桶ごと提出すればよろしい。百万の言葉よりも遙かに雄弁に我らネコの気持ちを伝えるでしょうし、我々もそれを望んでいる」
エデュの顔には下卑さが張り付いていた。凡そネコと言う種族は、ある意味で精神異常者の集まり的な側面が強いのだ。相手が嫌がろうが泣こうが喚こうが、自分達が楽しければ平気でそれをやるし、一切の悪気無く相手を殺す事もある。
そんなサイコパス的な部分を内包したまま、ネコは普通に振る舞う事が出来るのだ。なぜなら、相手を騙す事に対し一切の罪悪感が無いから。騙す方が悪いのではなく騙される方が悪い。
相手を出し抜き、一歩でも半歩でも自分が有利な立場に立てるように努力するのが基本だ。つまりは、ここで使者の首を刎ねる事も想定内。ハイエナの使者が大人しく身を引いて帰っていれば……
「こんな事をして……ただで済むと思うなよ」
グルグルと喉を鳴らして精一杯相手を威嚇するハイエナだが、エデュは涼しい顔で答えた。ある意味では予想通りと言わんばかりの顔になっていた。
「いえいえ、ただで済ませますよ。その為にイヌと組んだのですからね。我々ネコの一門は。長年の被差別階級暮らしともおさらばだ」
エデュが太刀を鞘に収め、その直後に左手を挙げた。次の瞬間、壁際に並んでいたイヌの公家や兵士達が一斉に長細い棒状の物を抱えていた。形と構造からして吹き矢の類いであろうと踏んだハイエナの女は、スッと頭を下げて逃げる体勢に入った。だが……
「撃てッ!」
フェリペが叫んだ瞬間、室内に猛烈な破裂音が鳴り響いた。ボルボン家の兵士30名ほどが室内で一斉射撃を敢行したのだ。およそ30名ほど居た使者の大半が即死し、運良く生き残った者も重傷を負った。
「苦しませるな。楽にしてやれ」
フェリペがそう指示を出すと、兵士達は一斉に動き出し、瀕死の者の首を刎ねて首桶に収め始めた。よくみればハイエナにも色々と血統があるのが解る。ただ、何種であるかは関係無く、ボルボン家の兵士達はハイエナの使者の首を切り落としていた。ただ1人、ハイエナの使者の長を遺して。
「こちらの首桶に収めたハイエナの使者の首は、ネコの国と誼を結んだイヌの国の中央に送らせて貰いますよ。かの太陽王も、この土産には狂喜するでしょうな」
ついにはガハハと笑い出したウリュール公は、ボルボン家の差配役であるフェリペを呼んだ。手にしていた銃を肩に掛け、そそくさと近づいたフェリペ。それを見ていたハイエナの女は『なるほどね』とちいさな声で呟いた。
「では、結構な土産も戴いた事ですし、失礼しましょうか」
強気の態度でキッとした眼差しをエデュに注いだハイエナの女。だが、そんな彼女を狙うように四方八方から銃が向けられている事など、知る由も無かった。
「ご無事な帰還を祈っております。最近では風に乗って鉛玉が飛び交うと言いますからね。どうぞ気をつけください――」
エデュがそう言うと、ボルボン家の兵士達が一斉に銃を構えなおした。アッという間の次弾装填技術――早合――を見せた兵士達は、長銃身の40匁銃を構えていたのだった。そして……
「――あなただけは生きて帰ってもらいます。我々の本気を見て伝えて貰わねばなりませんからね。ですが。同行されてきた方々まで同じ扱いかどうかは保証しかねますので、どうぞ早々にお引き取り下さい」
エデュの言葉が終わると同時、火蓋を開くカチャリと言う音が響いた。そして、鼻を突くような異臭が部屋にこぼれた。他ならぬ、魔法の成果その物だった。
「でっ では…… 失礼する」
最後まで胸を張って立派な使者足らんとしていたハイエナ。だが、程なくしてたった3騎だけとなったハイエナの使者達が馬に跨がって駆けていった。長らく獅子の冊封を受けていたネコが、イヌの支援で独立した瞬間だった。




