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ル・ガル帝國興亡記 ~ 征服王リュカオンの物語  作者: 陸奥守
青年期~第5次祖国防衛戦争
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和平交渉

 フィェンゲンツェルブッハから西へ三十五キロ。

 後退するネコの国軍を追跡するように進軍するイヌの騎兵達は、ネコの国の奥深くへ着々と侵攻を続けていた。

 衝撃的なセダの死から三週間。だが、一般発表は行われず、セダの率いていた中央軍集団は十個師団の偉容を持って進んでいた。


 ただ、その舞台裏ではセダとウダ亡き後のル・ガルをどうするのかについて、ノダとカウリの二人はゼルを交え、何度も話し合いの席を持った。

 その席にはセダとウダの遺臣たちも参加し、忌憚なく言いたい事を言うようにと言う事で遺臣達は遠慮無く言いたい事を吐き出していった。

 最初、ゼル(五輪男)は針のむしろを覚悟していた。だが、彼らの言った言葉はゼルをして安堵の溜息と、そして、情の深さを思い入らしめる涙を誘った。


 ――――貴殿の策により天幕内で爆殺されずに済んだ。最後は運が悪かったのだ。

 ――――あそこに行ったネコは貴殿を殺しに行った最後の刺客だったのだ。

 ――――つまり、太陽神はそなたを生かした。今さら死んで貰っては困る。


 涙に暮れたゼル(五輪男)をノダが励ました。

 そして、シュサの家臣団やセダ・ウダの遺臣は一つの結論を見る。


 『次の太陽王にノダを推挙する』


 聖導教会の法王と帝国議会の議決を持って、国家御璽を持つ権利をノダに認めるというものだった。

 どんなに政治システムが民主的になろうとも、最終的に軍を掌握している者が国王になるのは自然な流れだ。そしてその軍部の総意はノダを推挙する事にしたのだ。

 

 だが、まずはこの戦役を終わらせることが重要だ。


 その為にはネコの側に継戦意欲を失わせ、ただの終戦ではなく両国関係のいがみ合いをキチンと終わらせる必要がある。つまり、ここからは交渉を有利に運ぶ為の手柄争いが始まる事になる。


 こうなると、これ以上ネコの領土への深入りは危険であると幾人かの将軍が諫言し、ノダはここでガルディブルクへ引き返す事になった。そして、ル・ガル国軍は複数の将軍陣がセダの死を隠し前進を続けた。すでにネコの国土へ五十キロ近くも縦深し、いくつかの郡を勢力下に置いている。ネコの国は市民の撤収が間に合わぬと見え、兵士だけが潮のように後退していたのだった。


 まだ生存者が居るにもかかわらず、ネコの軍は同じように焦土作戦を展開。ル・ガル国軍は兵士たちだけでなく、ネコの民衆をも食わせる重荷を背負った。


「間違っても住民虐殺だとか略奪行為をしないように。周知徹底させるんだ」


 臨時で軍総監役になったゼルは、統合参謀本部の参謀全員から推薦を受けていた。

 騎兵師団の将軍や士官のウケも良いらしく、支持率は割りと高いようだった。


 だが、その当人は未だに激しい後悔に苦しんでいた。

 一人の時には激しく落ち込み、日に日にやつれた姿を見せ始めている。

 カウリやロイエンタールがやって来ては励ましていくのだが、ゼルのふりをするのにも疲れ始めてしまっていた。


 ――――このまま戦死したほうがいいな


 そんな物騒な事を思い始め、五輪男は顔に死相が浮かび始めた。すっかり土色になり始め、その正中線に青い筋を見たような気がしていた。だが、ヤバイともマズイとも思わず、なる様になれという心境だった。


「ゼル殿! 急報です!」


 伝令が馬で駆けてきて、五輪男は封をされた手紙を受け取った。

 周りの参謀がそれとなく遠ざかり、その中を読んだ。

 最前線で騎兵師団を率いていた侵攻軍責任者、カウリからの極秘通達だった。


 ――――ネコの軍使。矢留を願い出る。継戦能力は限界の模様。


 フゥと一つ息を吐いて、五輪男は空を見上げた。

 約一ヶ月前。次期太陽王であったはずの男は、自分の判断ミスで死んでしまった。

 そしてそのまま、この戦が終わろうとしている。イヌの側の勝ちは揺るがない。


 きっと勝利に浮かれ華々しいパレードやパーティーが開かれるだろう。

 間違いなく自分もそこへ呼ばれるはずだ。そして、常勝将軍だのなんだのとまたチヤホヤされる日々が続く事になる。


 だが、死んだ者は生き返らない。

 神の御手に委ねられた魂は、きっとヴァルハラへ導かれた事だろう。

 どれほど悔いても悔いたりない中、多くの遺臣やノダは五輪男を慰めた。


 畢竟、人間の生き死になど最後は運だ。


 もしかしたらあの場で、セダではなくノダが死んでいたかも知れない。

 或いはカウリが蜂の巣になっていたかもしれない。

 もちろん、ゼルが死んでいた公算も高いのだ。


 だから、生き残った人間は、死んだ人間の分も大事に生きるべきだ。

 死が身近にあるからこそ、生は輝き、そして、人生をすばらしく感じる。


 だが、その全ては生き残った者の楽しみでしかない。

 死者は生者が羨ましいだろう。人の死は、死以外の何物でも無いのだ。


 かつてゼルはセダから直接聞いた事がある。 

 帝國暦二百三十二年。ガルディブルクに西半分を焼き払ったネコの魔道師により、セダは妻と子の全てを失ったのだと。まだ若き王子であったセダの怒りと悲しみはどれ程であったろうか。

 そしてセダの死後、遺臣からセダのその後の話を聞けば聞くほど、五輪男は精神的に追い詰められていった。咎人の如く大地に跪き、涙を流したこともあった。その都度、セダの遺臣たちはゼルの肩を抱いていった。


『そなたが死んでも殿は戻って来られぬ。ならばその重荷を背負って生きられよ』


 遺臣たちはゼルの心にある情の深さを感じ入っていた。だからこそ厳しい言葉を吐き掛ける事によって、ゼルを引きとめようとしていたのだった。死ぬも生きるも厳しい世界で、死を死と割り切らねばならない辛さだ。


 そんなゼルは、かつてセダと話をした事を思いだしていた。セダはゼルに対し、何度も何度も同じ話をしていた。イヌにとって絶対に安心できる体制を作ることが大事なんだ。その為であれば、ネコが滅ぼうと生きながらえようと、その違いなどどうでも良い……と。俺と同じ悲しみを持つ者が現れないようにしたいのだと。その為なら、どんな苦しみでも背負ってみせる。それが王の勤めだ……と。


 ――――全部終わったら、どこかで自殺でもするか……


 懐のニューナンブを思い出して五輪男は笑った。まだ弾丸は二発残っている。

 ヒト一人死ぬのに、一発あれば十分だ。先にどこかに撃っておいて……


「ゼル殿。書状はなんと?」


 妙な表情を察したのか、例の雑種の参謀が訊ねてきた。

 ゼルはわずかに肩をすぼめ冗談じみた口調で言った。


「ネコは滅びたくないそうだ。矢留の軍使が来たらしい」


 ネコの国の穀倉地帯はル・ガル側に広がる平原地域だ。現状、その大半をイヌの軍が占領している状態で、そして、まもなく収穫だった麦畑は当人たちが全部焼き払っている。

 

 このままいけば、ネコの国は相当餓えるはずだ。体力の無いものから死んでいき、他人の糞まで奪い合って食う悲惨な地獄が訪れる。ありとあらゆる物を食べて命を繋がねばならないが、来年に備えて麦は食えない。つまり、死んだネコの死体まで食いだす、本当の地獄がやってくる。


 このまま行けば、ネコは国家崩壊の危機を迎えるだろう。幸いにしてこの世界では共産主義の話を聞いたことが無い。だから、革命が起きて世界が大変な事になるとは考えにくい。


「して、ゼル殿は如何にお考えで?」


 そう訊ねられ、ゼルはもう一度空を見上げた。

 何と回答しようか考え、しばし思考を巡らせた。


 第五次祖国防衛戦争は、戦争というより紛争レベルで終わった。

 一方的にイヌが攻め立て、ネコは同盟先であるトラの支援も無い中を戦った。

 国土は大きく蹂躙され、自ら取った焦土作戦により荒廃は免れない。


 つまり、ネコにしてみれば骨折り損のくたびれ儲けだ。

 シュサ帝の命を狙ってやらかした軍事行動だったのだが、現実には国家崩壊だ。

 ネコの側から見たら一方的な負け戦なのだから、そろそろ勘弁しろと言うのだろう。


 だが、イヌにしてみれば、矢留により停戦と言うのは虫が良すぎる話でもある。

 まずもって太陽王の戦死と言うだけで、徹底殲滅の大義をイヌは持っている。

 さらに、ウダは晒し者にされ、セダは事実上暗殺された。王子二人が死亡した形だ。

 それだけでなく、さまざまな形で国軍の騎兵など約一万近くを失うという痛み。


 ル・ガルにとって一方的な勝利で終わったと言うが、正直に言えば割が合わない。

 賠償金をごっそり巻き上げるとか、国土を大幅に割譲させるとか、目に見える形で利を生み出さねば、国民も納得しないだろう。


 だが、五輪男は知っている。

 大規模な大戦の後始末をしくじると、それは次の大戦の導火線になる事を。

 莫大な賠償金を課せば、やがてそれが憎しみを生むのだと。

 そして、かりそめの平和は次の戦への前奏曲でしかない。


「上手く終戦工作をせねば次の大戦の種火になります。国民は納得しがたいでしょうけど、でも、ここで上手く勝って、尚且つ勝ち過ぎない程度が望ましいですね。出来ればネコの名誉を守る形で、しかも、イヌには勝利の大義がある形です」


 しばらく考えたゼルは訝しがる参謀たちにヒトの世界の話を始めた。

 もはやゼルがヒトである事を隠し必要すらなくなっている。

 それだけ赫奕たる異端として周囲に認識されていた。


「憎しみの連鎖は、結局、血で血を洗う闘争しか生み出さないのです。そしてヒトの世界では二度の大きな戦を体験しました。その中で……


 五輪男は淡々と語って聞かせた。黙って聞いていた参謀たちは、ゼルがなぜネコを懐柔しようとしたのかの意味を、なんとなく掴んだ。このまま行けば、イヌとネコは際限なく争い続ける事になるだろう。今はいいが、やがて世界を二分する大きな争いになるのは目に見えている。


「何かいい手は無いですかね? ネコの名誉を守ってやりたいんですよ。そうすれば、未来あるイヌの若者を戦場へ送り出さなくても済む。どんなに名誉が残っても、人の死はやはり死なんですからね」


 深い溜息を吐いたゼル。

 参謀たちは馬上で闊達な意見を交わし始めた。

 その討論を黙って眺めながら、最高の頭脳が集まっている参謀本部の実力を五輪男は驚いて眺めるのだった。






 ゼルの元に矢留の極秘情報が届いた翌日。

 五輪男はブルテシュリンゲンと言う小さな街のホテルに居た。

 ネコの側の全権使節団が用意した和平交渉の舞台だった。


「ゼル。すまん。何から何まで面倒を掛ける」


 小さな部屋の中、カウリは五輪男に頭を下げた。


「俺の頭ぐらいならいくらでも下げる。こんな戦に付き合わされ、こんな所まで歩かされたお前はさぞ迷惑だろう。だが」


 そのカウリの頭をゼルが押しとどめた。


「頭を上げてくれ。頼むから。俺に出来る事ならいくらでも協力するし、それに関係無いと言われるのは心外だ。俺はカリオンの為に平和を勝ち取りたい。あいつに戦争続きの生涯を送って欲しくないんだ」


 五輪男の言葉は間違い無く本音だとカウリは直感した。息子の為に頑張る父親だ。

 カウリは自らが犯した大きな大きな貸しの重さに眩暈を覚える程だった。


「いずれにせよ、次期王ノダの意向は三つ。後腐れを残さない。勝ちすぎず、尚且つ、相手をへし折る。そして、イヌが恨まれないようにする」

「なる程。ノダらしい思いやりだな」


 カウリはそう言っているが、実際は五輪男がじっくりと説得した成果だ。

 ノダの時代で世界を安定化させよう。それがイヌの為であり、また、世界の為だ。

 憎しみと悲しみの連鎖を乗り越え、信頼と友愛の時代へ。

 そのためにイヌは世界の警察に成ればいい。

 五輪男の描いた絵にノダもカウリも賛同していた。


「じゃぁ、行こうか」


 交渉の席へ出たカウリとゼル。

 だが、その部屋の中でゼルは仰け反る程に驚いた。

 幾人かのネコと共にヒトの男が混じっていたのだ。


「ネコの国にはヒトの官僚が居るのかね?」


 先に口を開いたのはカウリだった。


「能力のあるものなら出自は問わない。イヌと違いネコは種族の混血が進んでいるのだ。もはやネコであるかどうかは関係無い」


 カウリの言葉に答えたネコは椅子から立ち上がり手を差し出した。


「ルガルの騎兵を率いる猛将カウリ・アージン伯と、北部に君臨する不敗将軍ゼル・アージン伯のお二人にお会い出来て光栄だ」


 カウリより先にゼルはネコの手を取って握手した。


「小職は国務諸省統括大臣ピエール・アシャベイと申します。女王陛下より全権を与えられ和平交渉に参りました。どうかお手柔らかに願いたい」


 ピエールと名乗ったネコに続き、ヒトの男が立ち上がった。


「私は王宮相談役を務めますイチロウと申します。姓は別にあるのですが、この世界へ来てしまった以上関係ないのでイチロウとだけ覚えてくだされば結構です」


 そう名乗ったヒトの男はジッとゼル(五輪男)を見ていた。

 思わずゼルはニヤリと笑った。醜いほどに頬を歪ませ笑ったゼル。

 その口元に白い歯を見たイチロウは、ゼルの笑みの真意を見抜いた。

 僅かに開いた唇の奥に犬歯が無かったのだ。


「あなたは……」

「私はル・ガル北部総監。北方軍および西伐軍臨時総監。ゼル・アージン。ゼルと呼んでくだされば結構だ」

「でも、あなたは」

「私はゼルだ」


 ニヤリと笑ったゼル(五輪男)にイチロウは驚きを隠せなかった。

 だが、その真意を見抜いたイチロウもまたニヤリと笑った。


「……トライフォースは全部集まりましたか?」

「力と知恵は良いとして、私には勇気が難しい」

「そうですか」


 今度はゼルが手を出した。

 イチロウに向かって指しだした手の指は曲がっていなかった。

 ヒトの世界の握手を求めたゼル。イチロウは手の内を見せたゼルに首を傾げた。


「あなたの探す勇気とは?」

「自分が汚れ役になること……そう言うと格好付け過ぎかね?」


 カウリはゼルの吐いた言葉と握手を見て、遠回しに素性をばらしたと気が付いた。

 そしてどうやらピエールもそれに気が付いたと理解していた。

 この場では有意義な交渉が出来そうだ。

 ネコもイヌも同じ事を思った。


「大きな戦の後始末をしくじれば、それは次の戦の火種となる。ヒトならばその知識もあろう。大きな賠償を背負った国家は合法で独裁者の台頭を許し、拍手と喝采の中で自由は死んでいくだろう。許しがたい格差と貧困の誕生は赤い嵐の吹き荒れる革命を呼ぶ事になり、全てを信用できなくなった支配者は孤独と絶望の中で自らの同志を粛清してしまう。そして行き着く果ては、世界の滅亡を意味する勝利という名の敗北。世界の終わりを示す時計を見ながら、相手の陰に震えて過ごす日々。人の生活ですらを脅かす凶暴な世界。だが、まだ間に合うはずだ。まだこの世界を救う事が出来るはずだ。憎しみと悲しみの連鎖を断ち切らねば、未来永劫同じ愚行をイヌもネコも繰り返す事になる。そうは思わないか?」

 

 押し黙ったまま握手して火花を散らしているゼルとイチロウ。

 その姿を見ながら、カウリは、腹の底で大きく息を吐いていた。

 少なくとも、成果ゼロで帰るという失態を犯さずに済みそうだ。


 カウリがノダから依頼された事はただ一つ。

 可能であればネコの国と国交の誼を交わしたい。

 だが、イヌの国の体面は何とか守ってくれ。

 それだけだった。


 ――――期待しているぞ ゼル


 そんな事を思いながら、カウリはネコの側が用意した和平交渉の叩き台を読んだ。

 その隣でゼルとイチロウは、まだ火花を散らしながら握手をしているのだった。

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