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凄い男 凄い女

~承前






 ――――フィエンの街で話をして以来だ


 エデュがそう切り出し、カリオンは歩み寄って固く握手をした。

 帝國歴325年の夏、フィエンゲンツェルフッハの街中でふたりは合っていた。


「思えばもう70年も前の出来事だ。懐かしくすらある」


 感嘆するように呟いたカリオンはエデュに椅子を勧め、それに応えてエデュは腰を下ろした。他ならぬ太陽王の私室にまで招かれたのだから、決して悪い待遇では無かった。


「そうだね。あの時はヒトの男が来ていたな」


 目を細め遠い昔を懐かしむエデュ。

 だが、その時点で部屋の中の状況に気付いたのだった。


「……そういえば……あれ? 君は……」


 エデュはここでサンドラとリリスに気が付いた。しかし、その事態を飲み込むほどでは無く。、一瞬の間に様々な可能性を思案した。そして最終的に導き出された答えは、そっくりさんと言う扱いだった。


「色々あってね…… 一度は寡婦になって寂しい想いをしたのだが」


 恥ずかしそうに切り出したカリオンだが、エデュはサンドラとリリスを順番に見てからカリオンを見た。そして、ニンマリと笑って見せた。


「男の性というものは……種族の違いを超えるのだなぁと再認識したよ」


 後妻に入った后と先妻によく似た姿のヒトの女。それを見ればエデュとてカリオンの本音は分かろうというもの。ただ、この時エデュはリリスが本物である事を見抜けなかった。


 男の性という部分で『さもありなん』と思考する事を止めてしまったのだ。それでは駄目なのだと気が付かないエデュでは無いが、この場においては太陽王の私室へと招かれたと言う部分でいささか舞い上がっていたらしい……


「……で、ウリュール卿」

「あぁ。皆まで言わなくとも解っている。ボルボン卿に昏々と言われたよ」


 困った事だと言わんばかりにエデュは笑った。正直言えばネコの国がル・ガルの一部になる事に何の異論も無かった。そもそもネコの国は重商国家だ。商売が出来るのであればどこの国だって関係無いし、むしろ国すら不要と思っている。


「獅子の国対策であれこれ動いてきた。キツネの国とも誼を結んだ。後顧の憂いを無くし、彼の大陸に進出しようと思っている」


 カリオンは言葉を選んでル・ガルの行った一統政策の本質を語った。ふと気が付けば老練な政治家の顔になっていた。後の世でリュカオンの大侵攻と呼ばれるものは、実際にはル・ガルによる大陸統一政策の一過程でしか無い。


 だが、ル・ガルに征服された国家では、大陸統一それ自体が屈辱の塊と言える。強力なイヌの国家を相手に為す術無く蹂躙され尽くしたのだ。イヌの存在自体を嫌悪するのは、もはややむを得ないだろう。


「理念は解る。未来も解る。イヌの国の安定の為というのも、もちろん解る。だがね。だからといって割り切れるものでは無い」


 そう。解っているからこそ割りきれない部分がある。エデュはそれを悔しがっていた。如何なる世界でも、如何なる文明でも、どんな世界線でも、そこに横たわる絶対に変わらない神の摂理。


 そう。つまりは弱肉強食。弱い方が悪いのだ。博愛精神だの高い理想だのと言った言葉で誤魔化される事が多いもの。だが、自然災害で死ぬのは弱い者からと決まっているように、それ自体が淘汰の原則に沿ったものでしかない。


 そして、エデュはネコの国の弱さを嘆いた。移り気で気まま勝手で協調性と言ったものが皆無なネコの愚かさを嘆いた。だからこそ征服されたというのに、だからなんだと勝手に事業を再開するネコの多さを嘆いていた。


「……そうだろうな」


 エデュの見せた悔しさをカリオンも承知していた。

 だまってエデュを見つめ、小さく息を吐いてからボソリと言った。


「逆の立場であったなら…… イヌは最後の一兵まで抵抗していたかもしれん。イヌは妥協する事を良しとせず、誇りを胸に死を選んだかもしれん。その意味では、ネコは手強い」


 真っ直ぐな言葉でネコを褒めたカリオン。

 エデュはニヤリと笑ってカリオンの眼をジッと見つめつつ呟いた。


「あの…… 幼さとあどけなさとを持っていた新進気鋭の若手騎兵も…… 人誑しになったものだね。太陽王とはやはり破格の人でなければ務まらんと言う事か」


 クククと笑っているエデュ。

 同じようにクククと悪い笑みを浮かべたカリオン。


 そんなふたりを見ながら、リリスはスッと静かに立ち上がって部屋の隅からワインを用意してきた。小さなトレーにグラスを揃え、70年もののビンテージなワインを選んで来たリリスは、何も言わずにサンドラの後方から差し出した。


 これは本来であれば帝后の仕事であり、差し出がましい行為の範疇。少なくともヒト風情が口を挟むようにやってはいけないことだ。しかし、サンドラはそれに気が付かず、リリスは見るに見かねて助け船を出した形だった。ただ……


 ――――表情が変わったな……


 エデュがそう印象を持つ程度にはサンドラの表情が強張っていた。いつの間にか如何なる事態を前にしても、穏やかな表情のままで居られる程度には鉄面皮な振る舞い方を覚えたサンドラ。


 しかし、ここでリリスが行った行為は、他ならぬ帝后への当て付けにも等しい行為と言えるもの。以前の関係であれば『さすが!』と素直に褒められたはずなのだが……


「……ありがとう」


 サンドラは精一杯の意地を張って笑顔でリリスへそう言った。当のリリスも精一杯の笑顔で『えぇ』と応えて終わりにした。そこに垣間見えた僅かな感情の機微こそが太陽王の弱点かも知れない……とエデュは思った。


「ウリュール卿。よろしければどうぞ」


 サンドラは精一杯に平静を装ってワインをグラスに注ぎ、カリオンとエデュのふたりへと差し出した。まったく持って噛み合わないふたりの連係に、他ならぬカリオン自身が内心でため息をこぼした。


「男の思いとは……ままならぬものよ……」


 そんな言葉で太陽王を慰めたエデュ。ネコの国でもっとも我が儘な女を妻とした男の言葉に、カリオンは苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。


「明日以降、各地域の代表がここへ集まる。余は決して戦を望むわけでは無い。だが、獅子との決戦は避けられぬものと考える。故に……――」


 ワイングラスを翳し乾杯を求めたカリオン。

 エディは不承不承と言わんばかりの仕草を見せた後、ニンマリと笑って見せた。


「――どうか助力を願いたい」


 カリオンの見せた『願い』というスタンスにエデュが表情を変えた。

 願いと言った以上、見返りがあるものと考えたのだろう。


「ネコの本願は安定と繁栄。商売繁盛が実現出来れば、それ以上は求めない」


 双方に言いたい事を言い、その上で決着点を決めずにカチンと音を立てて乾杯したカリオンとエデュ。その視線がバチバチと激しい火花を散らしながら、真正面で絡んでいる。


「では…… 明日」


 グッとグラスのワインを飲み干したカリオン。

 同じワインなだけに、先に飲み干して毒など無い事を示した。


「……やはり君は破格だな」


 感心したように呟いたエデュ。そのままワインを飲み干し『良い味だ。世界に向けて売り出したいくらいだ』と商人らしい反応を見せて笑った。ただ、好々爺な姿と表情をしているが、その眼差しには一切の油断が無かった。


「あなたも……恐ろしい人だ。余の父があなたと初めて会ったあと、あのフィエンからの帰り道で言った通りだな」


 カリオンの言葉にエデュは表情を僅かに変えた。あの時、フィエンの街を訪れた五輪男の事を、エデュは色濃く覚えていた。だからこそ『どんな評価でしたかな』と興味深げに聞いたのだ。


「凄い男だ……とね。余を育てたあのヒトの男が、率直に凄い男と褒めたのは、それこそ生涯片手程度の数でしか無かった。その中の1人ですよ。あなたは」


 クククと再び飲み込むような笑いを見せ、『では、明日』と言い残しエデュは帰っていった。すぐさまウォークが城下へと随行し、エデュが居なくなった室内でカリオンはドサリと音を立ててソファーへ座った。


「……やはりな。凄い男だ。手玉に取られた」


 大きく息を吐いて天井を見上げたカリオン。その脳裏に去来するのは、あの日の夜、フィエンの街で初めて出会った世界の壁の厚さそのものだった。そして、そんな相手を前に、父ゼルは五分以上に渡り合っていた。


 ――――やりにくい……


 リリスとサンドラの冷戦はどうしようも無いレベルまで来ている。少なくとも息を抜き油断できる環境な筈のプライベートエリアで全く気を抜けなくなっている。それでは困るのだが、どうすれば改善するのかは思い付かないのだ。


「なぁエディ」


 そんな所に姿を現したのはジョニーだった。いつもいつもふらりと現れる無頼の男は、この日に限って救世主的な登場の仕方をした。なぜなら、ジョニーの後に思わぬ人物が居たからだった。


「どうした……って……」


 首を起こして部屋の入口を見たカリオンは、そこで言葉を飲み込んだ。

 そこに立っていたのは、すっかり年老い始めている母エイラだった。


「……なるほどね。普通じゃ解らないけど、私の目は誤魔化せないわよ」


 エイラの眼がリリスを捉えている。そしてその眼は優しさと厳しさを併せ備えていた。しまった……と狼狽えた表情のリリス。サンドラも困った!と言わんばかりの表情だった。

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