オオカミの合流
~承前
年が明けて2週間。
カリオンは寒空の下を西へと向かっていた。
広大な平原地帯に長い長い達列が伸びている。
その隊列のあちこちに、太陽王を示すウォータークラウンの旗があった。
「これだけ寒いと辛いな」
そんな言葉とは裏腹に、カリオンの表情は穏やかだ。カリオンの隣にはサンドラが馬に乗っていて、長い時間を掛けてコツコツと練習してきた成果を遺憾なく発揮していた。
およそ乗馬というものは人馬一体を旨とする総合的な連動運動だ。そしてそれは経験よりも慣れを得る事が重要なのだった。馬を知り、馬を理解し、馬と協力して前進する。
乗馬の肝は、結局そこに集約されるのだった……
「でも、遠乗りって楽しい。これは初めての経験だから」
ウフフと上品に笑ったサンドラ。ただ、その傍らにいる存在が問題だった。全身を黒尽くめにして面帯をつけた細身の女性が馬上にあった。サンドラの側近で相談役だと言うが、その存在を初めて見る者も多かった。
「そのうち慣れるわよ。と言うか飽きるのよね」
その中身はリリスなのだ。だが、公式には死んだことになっている。故にサンドラは彼女のことをリースと呼んでいた。オオカミの国からやってきた魔導師と言う触れ込みだった。
複雑な魔術を行使し、自分の存在を世の中から消していた凄腕の存在。それ故に城内の者が誰も気が付かなかったのだとサンドラは周囲に説明し続け、リリスはリリスで『勘の鋭い者には気付かれたけどね』と嫌みったらしく応えていた。
声音まで変えてしまったので、リリスを覚えている者ですらも正体には気が付かないらしかった……
「ところで、あとどれ位かしら」
上機嫌なサンドラがそう問うと、すぐ近くにいた騎兵が『およそ2リーグです』と即答した。馬を歩かせて2時間ほどの距離なのだから、ざっくり言えば10キロほどだった。
「次はノターマの街だ。到着したら一休みだな」
東方地域の地理もいつのまにか詳しくなったカリオンだ。
空を見上げ傾き掛けた太陽を眺めて思案する。
――――女衆を連れてきたのは間違いだったな……
ふと、そんな事を思ったカリオン。だが、年末のうちにキツネの国へ送っておいた使者は、太陽王の訪問を『夫妻で』と伝えていた。侵攻作戦や合戦に向かうのではなく、あくまで訪問して話をしたいと言うスタンスなのだ。
年が明けて2週間が経過したらイヌの王都を出立するので、どうか穏便に話をしたい……と、カリオンの信書を添えての訪問だった。これに対しキツネの国は歓迎の意向を示し、太陽王とその帝后を国賓とすると回答してきた。
――――キツネとはあくまで誇り高き一門よの……
カリオンの漏らした感想は王府の総意と言っても過言ではなかった。あくまで上から目線に近い物言いに、不敬だ!と声を荒げる者すらいた。だが、それを諌めたカリオンの言は至ってシンプルだった。
――――余はイヌの王ぞ
――――キツネの王に非ず
キツネにはキツネの王がいる。
率直に言えば、カリオンの孤独さを理解してくれる存在がそこに居るのだ。
「早く会ってみたいものだわ。その、キツネの帝とやらに」
楽しそうな表情でそう言うサンドラは、まだ見ぬキツネの帝に興味を示した。ただ、それが純粋な興味や関心でないことは言うまでもない。お腹を痛めて産んだ我が子を拐っていったのはキツネなのだ。
結果的に男女の重なりであった事態が解消されたが、だからといってアリガトウを言う存在ではない。国内諸勢力を管理しきれない不安定な権力構造は、第2第3の同様な事件を産み出しかねないのだ。
「まぁ、ぶち壊しにしさえしなければ良い。無茶はしないでくれよ」
どこか力なくそう言ったカリオン。母親の怒りや悔しさは理解しないわけではない。だが、それ以上に大きな事が控えている以上、王やその家族の感情よりも国家を優先せねばならないのだ。
「……うん。解ってる」
釘を刺された形のサンドラだが、苦笑いでリリスを見た目には激情の炎が揺らめいていた。リリスですらも思わず苦笑いするのだが、現時点に於ける帝后としてのプライドもあって、不承不承にも飲み込むのだった。
「さて、街が見えてきた。誰ぞすまんが、余に茶を一杯飲ませて欲しいと伝えてきてくれ」
カリオンがそれを言うと、すぐ近くにいた親衛隊の一人が『ヤボール!』と応え、単騎で一気に駆けていった。道中の街に太陽王の行幸を伝えてなかったので、そんな手配が必要だったのだ。
――――やはり馬は良いな……
駆けていった騎兵の背を見ながら、カリオンはそんなことを思っていた。
――――――それから2時間後
ノターマの街へ入ったカリオン一行を待っていたのは、以外な事にフレミナからやって来たオクルカだった。カリオンと同じように妻イローラを連れてきたが、リリスの姿を見た彼女がギョッとした表情で驚いていた。
「……まぁ、やむを得ないか」
苦笑いのカリオンは人払いをし、オクルカとイローラを迎えてサンドラやリリスと会談の席を作った。どこかで話をしておかねばならない事なのだから、それなら早い方が良いのは明白だった。
ただ、女三人寄れば姦しいとの例え通り、その3人は猛烈な勢いでお喋りに興じ始めたのだ。誰も止められない勢いで喋り続ける彼女らは、時にアハハと馬鹿笑いをしつつ情報交換に余念がなかった。
「まさか……こんな事になってるなんて」
イローラは新鮮な表情で驚いていたが、話をしだせば事態を受け入れてしまうのは早い。ことの次第を話したリリスに涙を浮かべ『大変だったのね』と痛みを共有し、我が子を失った悲しみにはリリスの肩を抱いてその共有と連帯を示した。
難しい立場のなかで全体に目を配り、一族全体の利益のために己を捨てて事に当たる。およそ王なる立場の者は、誰もが同じ痛みを持つもの。それを解っているだけに、イローラもまたリリスやサンドラの複雑な心情を我が事のように理解した。
「で、オクルカ殿」
女達の話とは別に、カリオンは静かな様子で切り出した。ル・ガルと言う国家の弾正と言う肩書きを外れ、オオカミ一族を束ねる王としてやって来たオクルカへの言葉だった。
「心配は要り申さん。色々言う向きもあるだろうが、それも自由を愛するオオカミ故のこと。決まった事には文句を言わぬし、難しい決断なのも良く理解している。オオカミはイヌと共にある。その精神は本来百世不磨のものですよ」
今さら多くを語らずとも、オクルカとカリオンはちゃんと通じあっている。それが確認できただけでも、リリスやサンドラやイローラにとってはありがたい席なのだった。
「では、ともに未来を」
「えぇ。未来を」
佩ていた剣の柄を握り、僅かに抜いて勢いよく収める。カチンと音を立てて収まったその剣は、争う事無く事態を受け入れると言う古い仕来りだった。
「さぁ、行きましょう」
リリスやサンドラと楽しそうに話をするイローラを尻目に、先を急ごうと話を切りだしたオクルカ。その旅路はまだまだ続くのだ。このノターマから国境の街であるコーニッシュまではまだ20リーグほどある。
次の宿場町であるヨバクまでは4リーグほどなので、急げばまだ陽のあるうちに到着するだろう。コーニッシュまではまだ2泊を要しそうなので、ドンドン進みたいのが本音だった。
「キツネの国は遠いですな」
ノターマの街を出て進み始めたカリオン。その近くにはオオカミ王であるオクルカが居て、遠慮無い会話で獅子の国対策の相談をし始めた。曰く、オオカミの国は総勢10万程度の兵を出せそうであると。
そして、徐々にではあるが銃の使い方をマスターしているので、充分に支援兵力として役に立てると思うと。騎兵としてだけで無く銃兵としても役に立つ存在なのだから、それは実に心強かった。
「獅子の国へ攻め込むのが楽しみだ」
何とも物騒な事を言い出したオクルカに、カリオンは苦笑いだ。ただ、その裏にあるのは百獣の王を名乗る存在への対抗意識。そして、勝手に王を名乗ってる事への抵抗心。
また、この世界の中で確固たる立ち位置を造り出し、出来るものならもっと広い世界へ進出したいと言うオオカミの本音でもあった。山の斜面にへばり付いて生きるのはもう飽きた。
どこまで行っても平らな場所で暮らしたい。そんな事を願う位の野心は、オオカミの中にまだまだ脈々と息づいていた。山岳地帯の中で鉱物資源を頼りに生きているだけじゃ無い生き方を願っているのだった。