大侵攻の中間点
~承前
帝國歴396年の11月。
すでに王都ガルディブルクには冬の気配があった。
「……さぞかしボバは肝を冷やした事だろうな」
1日付けの新聞を広げているカリオンは、その記事に目を細めていた。ひと頃猛威を振るった王を批判する記事は既に無く、今は世の中の出来事を伝える内容になっていた。
「あまり笑い事では無いと思いますがね」
ウォークはお茶をサーブしながら手短に応えた。紙面には王の差配により西方方面へ大規模な侵攻作戦が行われた事を詳細に伝えていた。
批判的な記事を書いていた記者は姿を消し、まともな人間が残ったと言うべきだろう。あのアージン評議会から様々な形で支援を受けていた記者が批判を繰り返していたが、気が付けばすべて失脚したか、さもなくば読者と会社から相手にされなくなっていた。
「まぁ、実際にはその通りだが、あの批判ばかりしていた紙面が懐かしくすらあると思わないか? ウォーク」
控え目な勝利宣言とも取れるカリオンの言葉。突き詰めれば、マスコミなど所詮はその程度の存在なのかも知れない。そして、自分達の食い扶持を出してくれなくなった存在に義理立てする事もないのだろう。
所詮は企業である以上、スポンサーの意向には逆らえないもの。故に市民は賢くならなければならないのだ。批判的な記事や内容が吹き荒れるときは、それに釣られてはいけない。
まず立ち止まり、その情報が正しいのかどうかを良く吟味し、そして同時に、その批判によって誰が得をするのかを考える事。それを怠り、マスコミの報道に踊らされたとき、市民は痛い目に遭う事を学んだのだった。
「で、新聞屋の無能さはともかくですが、西方地域はどうされますか?」
ウォークはあくまで官僚の元締めとして問うた。王府の様々な機関はこの男が一手に掌握しているのだ。ヒトの世界で言うならば、内務省、或いは総理府と呼ばれる組織。近代国家では内閣府と呼称される国府最高責任者の手足となって働く機関の元締め。
それ故に、ウォークはカリオンの意向を正確に理解し、その方向性を違わずに読み取り、先回りして王が必要とする情報や結果を用意しなければならない。
「そうだな。まずは現状維持を図り、年明けにでも直接行ってみるか」
カリオンが飛ばした与太話に『はぁ?』と辛い反応を示したウォーク。その表情は『冗談だろ?』と言わんばかりで、考えるだけで胃の痛い話だった。
「……まさか行幸するとでも?」
念を押して再確認したウォーク。
カリオンは間髪入れず『何か問題か?』と返答した。
「……いえ、あの……」
どう切り出して良いものか解らず、ウォークは盛大に溜息をひとつ吐き出してから応えた。その僅かな間に頭を整理したのだとしたら、やはり相当な人間なのだとカリオンが再認識するほどに。
「東への備えがまったく出来て無いのに西へ行こうだなんて、まったく持って不用心です。それともスペンサー家に留守番を命じますか? またドレイク卿が耳まで真っ赤にして怒鳴り込んできますよ?」
呆れた様に言ったウォークだが、カリオンはしばし黙ってウォークの顔を見てから、萎むような息を吐いて『そうだな』と呟いた。ただでさえサイコなレベルでカリオンに陶酔しているのだから、手を間違うと恐ろしい事になる……
「さてさて。どうしたものか……」
新聞を事務机にバサリと投げ出したカリオン。
その脇には各方面より連日のように送られてくる勝利の報が溜まっていた。
「ボルボン家のふたりは全く問題無さそうですね」
遠くネコの国から中継で送られてくる報告には、ネコの国の実情がビッシリと書き記されてた。およそ平民レベルの民草は三日で五食出来れば御の字レベルな食糧状態らしい。
ボルボン家が様々な形で食糧を流し込み、ネコの国の内部では2週間の経過を待ってやっと食糧事情が改善されたとある。ネコの女王ヒルダとは未だに接触が無く、ジャンヌなどは王宮を焼き払わせてくれとまで言い出す始末だ。
「王宮を焼くのは問題だが、あまり甘い顔をするのは良くないな。ただ、絞めすぎても問題が発生するのは間違い無い。程よく緩めてやって欲しい物だが……」
報告書の中でフェリペが繰り返し述べているのは、ネコのプライドの高さは以上だと言う事。女王をガルディブルクへ連行したいのだが、下手をすれば魔法力で自爆しかねない。
かつてはネコの魔法で王都の半分を焼かれているガルディブルクだ。それの二の舞は勘弁願いたい所だが、そうは言っても最終的には太陽王の前で跪かせるのがゴールなのだろう。
「跪かなくとも……机を挟んで歓談が出来ればそれで良いのだがな……」
小さくため息をこぼしてそう言ったカリオン。なにもネコの国を植民地にしようと言う事では無いのだ。どうしたって獅子の国と争う事になるのだから、その経路となる国に駐屯したいだけ。
ネコが獅子の手先となるならともかく、彼ら自体がそれを望まない限りは独立させておいてやりたい。結果としてイヌは感謝される事になるのだろうから、それ以上は望まない。
「出来る事と出来ない事がありますね」
ウォークも辛そうな口調でそう応えた。本音を言えばイヌと仲良くしてくれるならなんだって良いのだ。獅子の手先に為りさえしなければ、それ以上は望まぬし、ネコの国の領土で争ってル・ガル本土が荒れないようにしたいだけ。
ネコにしてみればたまったもんじゃ無い話だが、逆の視点で見た場合としてちゃんと補償し支援するのであれば、ネコはそれを飲むだろう。
「まぁ、要するにネコの都合に振り回される事が無ければ、それで十分なんだが」
ため息混じりの言葉には、カリオンの懊悩が詰まっていた。とにかく現状をどうにかしなければならないのだから、必要な結果に向けて努力するだけだ。だが、その必要な結果の最終的目標が獅子の国との全面戦争なのだから……
「トラの国とカモシカの国は……何とかなるでしょうね」
ウォークが改めて目を通した報告書。それはジダーノフとアッバースの両家から連名で出された西方地域の始末書だ。トラの国の王都は事実上無血占領され、トラの王府はイヌの国との公式な誼を希望していた。
だがそれはジダーノフ家によるトラの最高戦力を粉砕した結果であり、その牙を折られたトラにしてみれば、それ以外にまともな選択肢が無い事を意味していた。
「トラの国はまぁ……要するに現状維持さえ出来れば文句が無いのだろうな」
そう。トラの国は基本的に農業国家だ。国内を隅々まで開墾し、その強大な膂力の全てを農業に全振りしている様な状態だ。彼らは基本的にまず喰う事を優先していて、それに問題がなければそれ以上は望まないと言ってきていた。
ただ、その裏側には彼らが独自に作り上げてきた獅子の国との戦力全てをル・ガルが粉砕してしまった事実が横たわっている。あの強力な覚醒者や巨躯の戦士の全てを皆殺しにしているのだ。
「単純に言えば責任を取れ……でしょうね」
ウォークもそうぼやく結果。
ジダーノフの一門が頑張りすぎた結果だ。
「ボバにも少し手加減する事を教え込まねば為らんな」
クククと苦笑いしたカリオンが最後に眺めたのは、ドリーとキャリ達に指示したクマとウサギの後始末だ。
ウサギは既にキャリにべったりで、ウサギの女を何人も宛がっては小間使いにしろとうるさいらしい。そんなキャリをタリカが笑い、ララはいい顔をしていないとか。
「房事に関して言えばウサギは盛んですからねぇ」
呆れた様に言うウォークも、その実情を知った後は眉根を寄せて怪訝な顔になって居た。要するに誰かに依存していないとウサギは駄目なのだ。そんな国の内部でどこに着くか?の論議を重ねた結果、獅子の国を選んだと言う事のようだ。
それがル・ガルに変わっただけで、あとは彼らの悪戯心が爆発しない事を祈るだけだ。依存対象を困らせて、その役に立って、そして可愛がって貰う。そんな歪んだ愛憎劇をウサギは好んでいるのだという。
「で、クマですか」
「あぁ……」
クマはクマで、また問題があった。そもそも彼らは個性が強すぎる上に、とにかく大酒飲みだ。想像を絶する量の酒を飲み、その上で力比べをするのが大好きと来ていた。
クマとの交渉に訪れたキャリとタリカは、各所でゲロゲロレベルになるまで酒を飲まされ、その上で今後について論議を重ねたという。だが、正直言えば何を話したのかまったく覚えてない事も多々あったらしい。
「まぁ、今後についてはル・ガルに従うと言い出す者が多いようだな」
「そうで無ければキャリとタリカが可哀想ですよ」
クマはもはや国家の体を成してない状態らしい。いや、そもそも国家なんて者では無く、単なる群れの巨大化した物でしか無い。背中の体毛が銀に染まった者が長となり、その群れを導く。そんな長が集まり合議する。と言っても実際は飲み比べでしか無いらしい。
「まぁ、とにかく一度帰還せよと指示を出す」
「それが良いでしょうね」
カリオンとウォークの方針は一致を見た。ただ、ここから先の作業が相当大変になるのは火を見るより明らかだった。周辺国家を事実上併呑したル・ガルは、今度は東へと向かう事になる。
「再び……キツネか……」
息を呑んでそう呟いたカリオン。
後半戦とも言うべき強敵との対峙は、一筋縄ではいかないのだった……




