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噛み合わない歯車 歯の欠けた歯車

~承前






「おぃおぃおぃおぃ……」


 呆れた様な声を出したジョニーは、それ以上の言葉を飲み込んでしまった。

 恐らくは相当凄惨な戦闘が行われた筈なのに、その痕跡が全く残ってないのだ。


「これ、かなり念入りに跡を消してますぜ、兄貴」


 実況見分にやって来たロニーもそう漏らす。イヌの鼻には嗅ぎ分けられる硝煙の残り香や腐った血の臭いだが、それにしたって……だ。


「土饅頭も無いんだよなぁ……」


 そう。何処かに埋葬したはずなのだが、その痕跡すら無いのだ。過去幾度も凄まじい戦闘を見てきたジョニー故に、ここでは実に嫌な想像をしてしまう。つまり、死体を解体して焼いて食べたか、食べないまでも全て灰にしたか……だ。


「ヒトの一団が増援に加わったって報告でしたけどねぇ」


 ロニーは取り出したのは、王都から光通信で送られてきた通達書だ。ジダーノフ家の公式報告に寄れば、手こずっていた現場に現れた茅街からの増援は凄まじい結果を叩き出したという。


 合戦終了から5日目の午後。ジョニー達レオン家の特別派遣団はトラの国の内部を移動していた。ジダーノフ家の残した僅かな痕跡を辿りながら、応援に向かっているはずだった……


「なんか…… 応援もクソもねぇって感じじゃねっすか? って言うか、基本的には行くだけ無駄じゃねぇっすか」


 ロニーの漏らした言葉は、紛れもない本音だった。これだけの戦闘をしてのけたのであれば、下手に応援に入っても邪魔になるだけだろう。ならばする事はひとつしかない。


 それに、アッバース家の分遣隊からは別の報告が既に王都へと到着していた。それを知っての応援遠征だが、コレでは当初の目的など何の意味も無い状態だった。


「あぁ、それは同感だ。だから俺達は――」


 再び馬に跨がったジョニーは、馬上より騎士の栄誉礼を行った。

 少なくともここには勇敢に戦った男達が葬られているのだ。


「――ジダーノフの見届け役だ。連中を追うぞ」


 ジョニーの言葉に『合点!』と応えてロニーが馬に飛び乗る。

 それに続きレオン家の中でも指折りな一騎当千が一斉にスタンバイした。


「行くぞ!」


 隊列の先頭にジョニーが陣取り、草原を矢のように走ってく。彼方には海が見えていて、あの大きな塩の湖にジョニーは思いを馳せた。海に出た事など一回も無く、強いて言えば浜辺で遊んだ程度だ。


 海水には塩が溶けていて、毛並みだけで無く鉄製の装備を錆びさせる。その程度の知識しか無いのだが、それ故にロマンを掻き立てる存在でもあった。


 ――――いつかあの潮水の平原を走ってみたい……


 帆を立てて風を集め、水面を走って行く大型船を何度か見た事がある。ル・ガルには存在し得ない巨船だが、海に生きる事を選んだ一族は太陽王の麾下に入る事を選ばなかった。


 南洋遙かなる地に本拠を置くという海のイヌは、数年に一度やって来て、様々な物を太陽王に売りつけるのだという。不幸にも一度たりとてそれに遭遇した事は無いが、過日カリオンが自慢げに見せてくれた海の一族の槍は素晴らしい物だった。


「ジョニーの兄貴! どこまで走りやすか!」


 ふと気が付けば馬を15分近く走らせていた。

 長距離を全力疾走させるのは馬の消耗が激しく厳禁事項だった。


「全員足を落とせ! 速歩より並歩!」


 急減速では無く段階を追って減速させるのは馬の心臓を労る為だ。

 段々と速度を落としたジョニーは再び海を見ながら進み始めた。

 どこまで行ったのか?と、ジダーノフの足取りを思案しながら。




 ――――――同じ頃




「ボバ! 遠くに街並み!」


 馬上にて半分寝ながら移動していたウラジミールは、ドミトリーの声で目を覚ました。海を見下ろす高台の合戦から5日が経過し、ジダーノフの一門はトラの都まであと50リーグまで迫っていた。


 道中でいくつかの小さな集落を通過したが、そこにいるのは女と子供ばかり。年老いた男が槍を持って立っていたが、ウラジミールは『精強なトラの勇者に敬礼』と号令を掛け、全員が敬礼でその前を通過して行った。


 ――――トラの内情も酷い物だ……


 世界に冠たるル・ガルへの対抗は、財政的な体力の伴わない小国にはとんでも無い重荷だった。日露戦争前夜の大日本帝国がロシアとの戦争は亡国の道であると恐れ戦いたように、トラやカモシカの国は国家滅亡の覚悟を持って事に望んでいた。


「ドミトリー!」


 腹心の部下を呼びつけたウラジミールは、無表情のままだった。


「呼んだかいボバ」


 隊列の先頭にいたボバがやって来た。凡そ30段後ろにいたウラジミールも、正直言えば疲労困憊なのだった。だが、トラの王都を挟み撃ちにしようと約束したアッバース家の若者が孤立しているかも知れない……


 それを思えば疲れただの補給だのと、我が儘を行っている場合では無かった。一日でも半日でも、少しでも早く現地に到着する事。そして、そもそもの作戦を遂行し、王都へ勝利の報告を届ける事だった。


「この先に見える都市へ入り情報を集めよ」


 短い指示だったが、ドミトリーは『承知!』と元気よく答えて走り出した。風を切って掛けて行くその後ろ姿を見ながら、ウラジミールは何となく胸騒ぎを覚えていた。


 既に間に合わないんじゃ無いか……と。いや、間に合わないのでは無く、あのアッバースの若者が。自らをシャリーフと名乗った精悍な表情の戦士を。未来ある若者をトラの巨兵が踏み潰していたら……


 ――――くそっ!


 内心で悪態をついたウラジミールは、己の不手際を今さらになって後悔した。強力な抵抗にあったなら、そこを迂回してでも前進するべきだった。それを、よりにもよってヒトの支援を仰ぐなど、無能の烙印を捺されても文句はいえない。


 思えば他家の攻略は相当な手練れと手際を見せていた。レオン家などあの重装甲のトラの装甲兵を普通の銃で撃退していた。ジダーノフの一門が正面突破に拘ってるのは、文字通り無能なのでは無いか……


「ハジャーイン!」


 自ら思考の堂々巡りに陥っていたウラジミールだが、一族の長が自らの内側に落っこちてるのを見ていたヴゴールは、敢えて古いしきたりに則りそう声を掛けた。北限に生きるイヌ達の棟梁は、大頭目と呼ばれるのだ。


「どうしたヴゴール。くだらない用では無いだろうな」


 気を使ってくれたのが解らないウラジミールではない。

 敢えてキツイ言葉を吐いたのだが、表情は穏やかだった。


「あ、いや、後方がさ……」


 ヴゴールが指差したのは、ジダーノフの馬列に続いて歩いているヒトの一団だった。彼らも上手に馬を乗りこなし、一定の距離を保って追尾してくるのだ。ただ、そんなヒトの一団にも疲れの色が見えた。


 あの合戦の場から5日目。ほぼ不眠不休で歩き続けていた。正直、人間よりも馬が限界に近かった。何処かで休まねばならないのだが……


「休みを入れたい所だな」


 率直な言葉を吐いたウラジミールは、ヴゴールの背中をポンと叩いて穏やかに笑って見せた。正直、自分自身が一番休みたかった。ただ、そんな事が許される状況では無い事も良く理解していた。


 少しでも、少しでも、1リューでも前に進む事。寸刻を惜しんで王都へ迫らねばならない事を嫌と言うほど理解しているのだ。


「ハジャーイン。次の街で少し休もう。気力体力を回復させて一気に前進した方が良いと思うんだ。合戦に及ぶならそれが良いと思う」


 まだ若いヴゴールですら遠回しに休息を求めた。

 正直言えば、自分自身が一番しんどいのだ。


「あぁ。休む事に関しては同意見だ」


 ウラジミールもそんな言葉で休息を取る事に賛意を示した。そんな時、彼方から馬の蹄の音が聞こえ、ウラジミールは無意識に槍を手にして振り返った。彼方から走ってくるのはドミトリーで、その表情は明るかった。


「ボバ! ボバ! この街は無人だ!」


 へ?と間抜けな表情になってドミトリーを見たウラジミール。その横にいたヴゴールもまた抜けた表情のまま叫んでいた。


「同志ドミトリー。それって?」


 馬の足を落としてウラジミールの所へとやって来たドミトリーは、興奮気味にまくし立てた。


「待ちはもぬけの空で空き屋だらけだ。女子供すらいねぇと来たモンだ」


 それはある意味で朗報中の朗報だった。そこらの民家に押し入って、開いているベッドで眠れるのだ。交代で歩哨を立てる必要があるが、恐らくは王都辺りに応援で行っているのだと思った。


「このまま街に入る。厳重に警戒し、その後に休息を取る。全員抜かるな」


 ウラジミールの言葉に時ならぬ歓声が上がった。疲労困憊の兵士にとって、休みを取れるという事は、何よりのご褒美なのだった。

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