ジダーノフ家への増援
色々あって遅くなりました
~承前
「……こんな事になるとはな」
深い溜息を吐きながら、ウラジミールはそう呟いた。
海を見下ろす台地の上にはジダーノフ家の兵士達が結集していた。
「仕方が無いよボバ。相手が悪い」
側近中の側近であるドミトリーは、香草を詰めて焼いた鳥の脚を囓っていた。
ル・ガルによる大侵攻から早くも3週間が経過しているのだった……
「だからといって3週間も戦線を膠着させて良い法は無い」
まるで血を吐くような口調でウラジミールが漏らした言葉。
それは、ジダーノフ家が直面しているとんでも無い事態への率直な心情だった。
――――トラの国への侵攻を命ずる
カリオンが言った言葉をウラジミールは反芻していた。そして、その時に見せた王の表情を思いだした。万全の信頼を込めた穏やかな顔だった……
――――あの笑顔を決して裏切れぬ……
再びの深い溜息と共に、ウラジミールは奥歯を噛みしめた。
巨躯を誇る凍峰種の大きな身体が小さく萎んだようにも見えるため息だ。
「ボバ。どうやったってあの鎧は貫通できない」
ドミトリーがボソリと零す。ありとあらゆる手段を講じて斃そうと試みたトラの一団だが、彼らは皆ぶ厚い甲冑を身に纏ってやって来たのだ。話しに聞いていたレオン家が遭遇したという存在と一緒だろう。
だが、レオン家には為し得た鏖殺もジダーノフ家の戦闘ではまったく不可能どころか一方的に反撃されて死傷者続出だった。至近距離まで引きつけた上で必殺の40匁弾や60匁の大筒を使っても斃せなかったのだ。
「……かといって救援を呼ぶのは恥だ」
そう。彼らジダーノフ家の首領達が拘っているのは、恥なのだ。レオン家には為し得た事が我らには出来ない。その結果、無能者の烙印を捺される事を怖れているし、役立たずと罵られる事を恐れている。
なにより、他家から軽んぜられる可能性をもっとも怖れている。ル・ガルを支える侯爵五家の中で、どうしても下位扱いされているとジダーノフ家の面々は感じているのだ。
揺るがぬ名家であるボルボン家。西方の雄であり一致団結の象徴でもあるレオン家。ル・ガルを支える猛犬連隊の名を欲しいままとする、ジェントルメンの一団なスペンサー家。
これらビッグスリーの影にあって、泥まみれの下働きなアッバース家と共に、情報諜報活動を一手に引き受けるジダーノフ家は、どうしても影が薄いのだ。
「打つ手無しか…… 何とも面倒になってきやしたね。ボバ」
ドミトリーはまるで他人事のように遠慮無くそう言った。だが、このウラジミールにとってすれば、その軽い言葉こそが救われるのだ。実力主義なジダーノフを預かると言う事は、己の命より家の存続を最優先とするもの。
そんな時、自分の評価や名声よりも他人事扱いで一歩下がった視点から言ってくれる事の方が余程救われるのだった。
「こうなると……ヒトの知恵と言う奴でも良いから聞いてみたいですね」
ドミトリーの近くにいた者が不意にそんな事を言った。
それを聞いたウラジミールは顔を上げて『続けろ』という眼でその物を見た
「……あ、いや、思いつきなんですけどね――」
ジダーノフ一門の中にあってあまり目立ちはしない男だが、それでも時には鋭い視点で物を言う事がある存在だ。諜報活動を行う上では小柄な方が役に立つ。それ故にうんと小柄な存在なので存在感がいまいち無いのだった。
「――ヒトの世界で普通に銃を使うなら、銃対策も進んでると思ったんですよ。ならばその銃対策への対策も考えられてるんじゃ無いかな?って」
一瞬だけジダーノフの幕屋が静かになった。
その意見の重みや視点が全員に異なる視点で見る事の重要さを教えた。
「ヴゴール…… それ、採用だ」
ウラジミールは腰を上げて幕屋を出た。丘の上から見下ろす浜辺の激戦地では、今もジダーノフ家の騎兵たちがトラの一団と斬り結んでいた。基本的にトラは個人対個人の戦いを好むらしい。
だが、騎兵が隊列を組んで吶喊すれば、彼らも同じように戦闘をしてくれる。そして正直に言えば、この戦闘ではまったく問題無くジダーノフ家の騎兵が勝つのだった。しかし……
「また来やがった!」
浜辺の激戦地に姿を現したのは、並のトラを凌ぐ巨躯を持った大男達。それらは全てがぶ厚い金属製の甲冑に身を包んでいる。厚さ凡そ1センチにもなる装甲付きの甲冑は、至近距離ですら銃撃を物ともしない。
兜に開いた目の部分や口周りなど、僅かな隙間しか肉を撃てない厳重な物。その重量も凄まじい事になるだろうが、それでも彼らは問題無く前進してきたのだ。間違い無く覚醒者だと解る姿だった。
「手順通りに対処せよ。抜かるな」
ウラジミールの指示が飛び、伝令が作戦の実行を告げた。するとジダーノフの騎兵たちは算を乱したように逃げに入った。覚醒者の一団は面白がってそれを追跡し始めるのだが、ある程度進んだ所で歩みを止め、クルリと向きを変えて帰るのだ。
砂浜の各所に掘られた落とし穴には油樽が仕込まれている。その穴に覚醒者を落とし込み、火を着けて焼き殺すしかない。幾度かそれを繰り返した結果、今度は覚醒者が一定のラインまでしか前進しなくなった。
トラ側の視点で見れば、勝ちはしないが決して負けない戦い方なのだろう。そしてそれをしている限り、イヌの側は少しずつでも被害を蓄積していく事になる。やがてはそれが限界に達し、ル・ガル側が撤退する事になる。トラの基本的な対処方針はこんな所かも知れなかった。
「……アレクセイ」
ウラジミールは静かな声でアレックスを呼んだ。ジダーノフ家の中で一定のポジションを得ていたアレックスは、幕屋の中からスルスルと歩み出て来た。
「呼びましたか?」
「あぁ。王都に直接通信を送れ」
腕を組んだウラジミールは悔しそうな表情で言った。
「トラの強兵に難儀せり。戦術指導を求むとな」
遂に出たウラジミールの泣き言。
だが、それに対する返答は意外な物だった。
「それなら昨夜、私の名前で王都に報告を送ってあります」
アレックスの意外な言葉に全員が『え?』と言った顔になっていた。勿論ウラジミールもだが、このアレックスが太陽王カリオンと懇意なのは周知の事実で、ビッグストン同期なだけで無く、あの学校の中でトリオだったのは有名だった。
「……で、何と報告した?」
ウラジミールの言葉に冷徹な刃が混じった。
何を余計な事を……と言わんばかりの物だった。
「いや、私個人宛に王からどうだ?と聞かれたんで、ボバが困ってるって返答しといたんですよ。そしたら朝になって王から支援を送るから上手く使えと」
事も無げにそう言ったアレックス。ただ、その中身が全部で任せなのは言うまでも無い。昨夜の夢の中で決まった事は、ジョニーを送り込むと言う事だけだ。
「どんな支援なんだろうな……」
ウラジミールの意を読み取ったかのようにドミトリーがそう漏らす。
幕屋の外で現況を眺めていた面々が鉛でも飲んだように押し黙った。
――――ハジャーイン!
腕を組んで厳しい表情だったウラジミールを見張りの者が呼んだ。怪訝な顔で顔を振った彼が見たものは、草原を駆けてくる馬の一団だった。その馬上にはヒトの一団が跨っており、先頭には見覚えのある存在が居た。
「あれは…… 検非違使別当ですね」
不思議そうな声音でそう漏らしたアレックス。ジダーノフの元に現れたのはトウリを筆頭とする検非違使に守られた茅町の面々だった。そして、彼らのさらに後方には別の馬車集団が見えていた。
「……どうやらこれが支援策らしいな。ボバ」
ドミトリーもそう漏らした一団。
覚醒者対策なら覚醒者をぶつけるのが一番と踏んだのだろうか……
「それにしたって……ヒトが多いですね」
訝しがるようにヴゴールが言う。その言葉の通り、長躯駆けて来たと思われる一団は、その大半がヒトらしい。厳しい表情になって馬上にある彼らは、見たところ武装らしい武装はしていなかった。
「サウリクル卿! いかなご用か!」
ウラジミールは先制攻撃でもするかのように、先に声を上げていた。
検非違使別当ではなくサウリクル卿と呼びかけたウラジミール。
それ自体が微妙な影を落としかねない行為なのだが……
「ジダーノフ卿」
一言だけ返答して馬の速度を落としたトウリ。
その内心は煮え滾る鍋の如しなのかもしれない……
「やぁやぁ!皆様方勢ぞろいで痛み入りますな。まだまだ合戦は盛況ですかな?」
トウリではなく明るい声を上げたのは、あのヒトの街にあって最近メキメキと頭角を現し始めたヒトの老人だった。たしかマサと呼ばれていたな……とウラジーミルが思い出した時には、すでに馬から降りていて、明るい表情で口上を述べた。
「レオン家の皆様方が難儀されたという敵勢力の存在を実地検分するために我らは参りました。どうか幕営にお加えください」
午後に今日2話目を公開します