大人達の苦労・若者達の苦労
~承前
恐るべき殲滅戦闘から3日目の夜。
ドリーはガルディブルクへと送る光通信の内容を検めていた。
野営陣地の中に設えられた天幕の中、深々と冷える空気を火鉢で暖めつつだ。
――――我らが陛下へ恐々謹言
――――若者らの成長は著しくあり
――――彼らの羽ばたきに我らは邪魔と気付けり
――――吾の不明のみをただただ恥じ入る也
参謀本部へ送る戦闘報告を読めば、王は自体の全てを飲み込まれるだろう。
そう確信しているからこそ、ドリーは己の愚かさを恥じ入る言葉を送っていた。
「では、お預かりいたします」
通信科の下士官に文面を渡し、『頼む』と付け加えたドリー。その姿を見ていたオクルカもまた、光通信を送っていた。だが、実際にはリリスの手による夢の中の会議室で全てが通じるのだ。それ故に、要点を押さえた最低限の連絡のみをオクルカは送っていた。
「さて。今後どうしましょうか」
寝酒に……と運ばれてきたワインを舐めつつ、ドリーはそう切り出した。
立場としては弾正職にあるオクルカの方が上なので、下からの物言いだった。
「いや、今後も何も、現段階でクマもウサギも組織的抵抗は行えないでしょう」
同じようにオオカミの濁り酒を呷っていたオクルカは、笑いながら言った。ぶっちゃけてしまえば、もうクマにもウサギにも組織的な抵抗など無理だった。そもそも、近代国家としての体裁をクマもウサギも持っていない。クマは様々な氏族単位で雪原に暮らす緩やかな連合体でしか無いのだ。そして、ウサギは巨大な家族状態で成り立っている。
例えて言うなら、巨大な軍事国家とテロ組織が戦うようなモノでしかない。潰すべき頭は無く、国家の弱点的なモノも存在しない。最後の一兵まで殺しきるか、さもなくば敵対する意欲を削ぎ、プライドをへし折り、従属させるしかない。
「負けることはあっても勝つ事は無い戦争ですな」
ドリーは辛そうな声でそう漏らした。実際の話として、クマはもういくらも残っていないようだった。先の合戦で対峙したクマとウサギの連合軍だが、そこで事実上の鏖殺を行った結果、生き残りはこの広い雪原に数えるほどと言われていた。
「風の強い晩に麦の粒を飛ばすようなモノです。もはや勝ち負けでは無く、どうやって戦う事を回避するかに精力を注ぐべきかと」
オクルカは極めて現実的な物言いで現状を分析して見せた。もう合戦もなにもあったモンじゃ無いのが現状なのだ。ならばこの先どうするか……は、もう説明されるまでもない。
「生き残りに国作りを教えるのが早いですな」
「手前も同意見に。もう戦ばかりしている時代では無い」
ドリーの言葉にそう返答したオクルカ。フレミナの中にあってル・ガルの巨大さと正対したオクルカは、戦で勝ち負けを争うことがどれ程に無意味な事かをあの時に知った。
もっと言えば、これは異なる大陸との争いを生き残る為の前哨戦。獅子を頂点とする南方種族との生存闘争なのだから、クマやウサギを殺しきる事はイヌに取っても得策では無い。
イヌを頂点とする大陸ガルディアラの連合国家として一致団結する必要がある。その為に必要なのは、相手の敵意をへし折ることでは無く集団として団結した方が得であると認識させることだった。
「王は如何なるご判断を示されるか……」
……ドリーの忠誠は狂信レベルに達している。
そこに一抹の不安を覚えたオクルカだが、騎士道を体現するような分別も持ってるだけに、それほど心配するまでも無かろうとは思っている。だが、カリオンの覇道を達する上で、もしかしたらこの男が思わぬ障害になるかも知れない。
男の純情は時に大問題を引き起こすモノ。嫉妬に狂っておかしくなるのは女だけでは無く、なまじ権力体力があるだけに男のそれは面倒を引き起こす。惚れた男に褒めて貰いたいだけで、時には無茶もするのだった。
「まぁ、それは現状の始末をきちんと付けた上で判断して貰うのが上策。我らはまず結果を出さねばならぬ。ネコの国へ訪れているボルボン家の面々がどうなったかはうかがい知れぬが――」
とは言うものの、オクルカは実際には夢の中で事詳らかに説明を聞いていた。
事実上ネコの国を降伏せしめ、女王の特使として王婿を派遣することになった。
つまり、同じ結果を用意せねば面目が立たないのだ。
「――クマやウサギの代表者を仕立て、それを王都へ連れ帰ることが重要。それ位しておけばボルボン家やジダーノフ家にも対抗出来るでしょうし……」
そこまで言った時、オクルカは胸中で『あっ……』と漏らした。
他家への対抗と言う観点について口を滑らせてしまったのだ。
――――察されたか……
勘の良い者ならば、ここですぐに『なぜ?』と気が付くだろう。余所の戦地の情報が一切入って無いのに、なぜ他家へ対抗する為の具体的な成果水準を示せるのか?と、疑義を抱くはず。
そして、それに気が付いた時点でオクルカが隠してきたものが明るみに出てしまう可能性がある。時間も距離も飛び越えて自由に話を出来る環境があることをドリーが知ったなら。
いや、問題はそこでは無い。本当に問題なのは、カリオンに心酔し狂信しているドリーが、自分が呼ばれていない事を知ったなら……
――――大変な事になるな……
背筋を寒くしたオクルカは、どうやって自然に話題を変えようか……と、必死で思案した。表情を変えてしまえばドリーにバレてしまう。割とこういう所には勘が効くだけに、難しい対処迫られた。
「……どうされた?」
その怖れていた事をドリーが気が付いてしまった。オクルカの漏らした僅かな空気の変化を読み取ったのだ。そもそも騎兵はこう言う部分で空気を読む事に長けていると言って良い。
己の命を賭けて戦うのだから、空気を読む能力は必須とも言える。そしてこのドリーの場合は、殊更にその能力が研ぎ澄まされているのだ。はっきり言えば、迷惑なレベルでそれを感じ取れるのだが……
「あ、いや……」
どうリカバリーするかが思い浮かばず、口籠もってしまったオクルカ。ドリーは不思議そうな顔で見ていたのだが、そんな時、天幕の外に人の気配がした。
「……誰だ?」
これ幸いと声を落としてオクルカは言った。
敢えて低めの声で落ち着いた空気を漂わせながら。
――――あ、俺だけど……
――――入って良いかな?
声の主はタリカだった。何処かホットした表情になったオクルカだが、ドリーは控え目な声で言った。
「手前は気が付きませんでした。この気配を読み切るとは……さすがですね」
感嘆したように何度も頷くドリー。
勝手な勘違いなのだが、ドレイクは『たまたまです』と謙遜して見せた。
下手な自慢よりもこの方が自然だからだ。
「で、どうした? 夜更けだぞ?」
静かに天幕へと入って来たタリカは、フレミナの民族衣装姿だった。
まずはそれに驚いたドリーだが、オクルカは首を傾げていた。
「何をする気だ?」
その正装は、フレミナの社会では死に装束とも言われるものだった。
つまり、死を覚悟するような場面で見に纏うものなのだ。
「あ、あのね、キャリとも相談したんだけどね――」
旧に弱気なしゃべり方になったタリカは、しどろもどろな口調で切り出した。
「――クマとかウサギの陣地へ直接行って、話をしてこようと思うんだ」
タリカが切りだした内容に『ほぉ、続けろ』とオクルカは返す。するとタリカは意を決したようになり、キャリと考えていた事を切り出した。
「キャリと話をしてるときに出た話なんだけどさ。ウサギとかクマとかにちゃんとした国家の作り方を教えるから、俺達に協力しろって言おうかと思って」
クマは基本的に氏族の集まり的な緩やかで穏やかな集団として存在している。
そこには封建的な社会制度や上下制度が無いか、限りなく薄いと言われている。
「それで……どうするんだ?」
続きを促したオクルカは、再び黙って聞く体勢になった。
こうしておけばドリーの興味はタリカに移るからだ。
「彼らの国家を作ってやって、フレミナの衛星氏族に加え、それでル・ガルの協力国家にしちゃえば良いんじゃ無いかな。そのうちライオンなんかと決戦するんだろうから、その時の為に味方にしてしまおうかって……キャリと……ダメかな」
段々とトーンダウンしていった言葉だが、最後の頃にはオクルカの表情が満足げな物に変わっていた。若者達は若者達で将来を考えている事が解ったからだ。何より、カリオン王の深謀遠慮を垣間見ていた。
若者ふたりだけの国家となって『コレからどうするか?』を散々と考えさせた結果がこれなのだ。タリカはキャリとふたりして、将来必ず背負うであろうル・ガルの未来を良くする為に、今ここで危険を踏み越えようとしているのだった。
「……いや、今ここでドレイク卿とその話をしていた所だ。同じようにクマやウサギの国家体制を整備してしまおうとな」
父オクルカの言葉にタリカがパッと表情を変えた。文字通りに我が意を得たり!と言わんばかりの顔になっていて、『やっぱそうだよね!』と喜んでいる。
「まぁいい。護衛を付けるから行って来い。ただし、結果を出せよ」
承認すると同時に発破を掛けたオクルカ。
タリカは猛然とやる気を見せて漲り始めていた。