勝ち戦の罠
トゥリングラードから西へ二十リーグ。
騎兵による行動単位としてのリーグは、馬で一時間進む距離を一リーグとしている。上り坂や下り坂や自然障害などを加味し算出するため、厳密な距離測定としての数字ではないのだがザックリと計算する時などでは割と使われる単位だった。
シュサ帝の弔い合戦開始から二週間が経過し、統合参謀本部の幕屋は西へ向かって凡そ四十キロを前進していた。
トゥリングラードから前線本部への通達は士官学校の騎兵課がその役目を買って出ていて、凡そ十五分おきに前線参謀と兵站幕僚の間で情報がせわしなく行き交っていた。
騎兵課の中でも持久力や移動に対するうたれ強さなどから北方系の血統種が重宝されていて、アレックスなどは一日でトゥリングラードと前線幕屋の間を二往復する働きを見せていたのだった。
その中心に居る参謀総長のゼルは初日にネコの騎兵団が見せた戦術をピタリと当て、さらにその後の的確な分析と対処を指示して戦線の大崩を防いでいた。当初は訝しがったイヌの参謀たちも、その姿とその智謀を目の当たりにした後は、ゼルの正体が何であるかなど、どうでも良い事になっていた。セダが言った通り、白いイヌでも黒いイヌでも役にたつなら何だっていいのだ。
「ネコ側の布陣が判明しました」
各参謀が地図上に駒を並べ始めた。
驚くほど『普通』な布陣にゼルが苦笑いを浮かべた。
「やはり奇をてらった策はありませんか。少し期待したんですがね」
「まぁ、手堅い作戦には数が足りないでしょうな……」
初日こそ随分と手痛くやられはしたが、二日目以降には戦線を整理して乱戦を防ぎ、生産力の違い見せ付け、矢を気前よく降らせた。その関係でネコの側も迂闊には近づかなくなりつつある。
奇抜な戦術も二回目は通用しない。奇襲には良いが全体を潰すには基礎戦力が足りてないのだ。敵戦力の三倍を用意し、慎重にすり潰して勝利する。どんな世界でもランチェスターの法則は有効だとゼル自信がそれを再確認していた。
「普通に戦っても勝ち目が無いのは彼らもわかっているはずです。基本となる対応三原則を堅持し、釣り出されないように注意を徹底しましょう」
各個拠点で多少の被害を被るも、嵩に掛かって力強く前進するイヌの騎兵団。
やはり地力の違いは如何ともし難く、ネコの騎士団はズルズルと後退を始めた。
だが、場面場面でネコ側の見せる『新しい戦術』は斬新な発想に溢れていた。
面と面の接触を避け、鋭い点を穿って戦線の突破を図っている。
そして、左右へ後退した戦線の接触面には矢を射掛けている。
直接に剣や槍で斬り合わず、弓矢を使って傷口を広げてしまうのだ。
「さて、ではもう少し手の内を見せて貰いますよ。精一杯踊ってください」
ニヤリと笑ったゼルは各方面へ伝令を走らせた。
暖簾に腕押し作戦と名付けられた巨大な罠。
「精神的な弱点をさらけ出してくれるのが一番有りがたいのですがね」
ぼそりと呟いたゼル。
その後ろ姿を見ていたイヌの参謀達も、新しい『なにか』が見られるのではないかと期待している表情だった。
――――数時間後
「伝令! 中央集団。第三後退線へ到達! 反転準備を整えました!」
同じように面で護っていたイヌの軍勢は、ネコによる穿孔突破を受けていた。
ここ数日、執拗に同じ攻め方をしてくるので、ゼルは一計を案じていた。
突撃してくるネコを迎え入れるように中央軍を左右に分割し、一切抵抗せずスルーして通過させるのだ。
その後、通り過ぎたネコの騎兵へ向かって後方から襲いかかると言う鬼手である。
通常、騎兵という兵科は前方と右側面への攻撃力が最大となる。
逆に左後方が最も弱いのだ。左利きの人間でも騎兵では右利きに矯正されてしまう。
故に、左後方から攻めるのは卑怯とされているのだが……
通過していったネコの騎兵を前進出来ぬよう浅い角度で押さえ込み、漏斗状になった弓による火線でもって最大投射攻撃を行う殲滅戦だ。反転し逃げようとする者へは後方からイヌの騎兵が襲いかかる。
つまり、逃げ場の一切無い、しかも、容赦すら一切無い全滅させる為の戦い方。
一人たりとも生かして帰さぬと言う、ゼルの無言のメッセージだった。
「なぁジョニー」
「あ?」
「あ?じゃねーよ」
「んだよ」
カリオンは戦線を指差した。
「あれさ、弓矢じゃなくて魔法投射したら良くねぇ?」
「おまぇアホか。魔法詠唱してる間にズタズタにされんぜ」
「先に詠唱して置くってのはどうだ?」
「出掛かったションベンと一緒だぜ。我慢するにしたって限度があらぁ」
「んじゃ、魔法をもっと簡単にしたら?」
「そんじゃ威力がたんねーだろ」
「んじゃ、戦車にして魔法使いを騎兵で運ぶのは?」
「あんな揺れる場所にひ弱な魔法使いが乗れるもんか。それに小回りがきかねー」
半ば呆れる様にはき捨てたジョン。
カリオンは尚も考えている。
だが、ジョンはさらに畳み掛けた。
「だいたいよぉ。そんなのが出来ンなら、今までに絶対どっかがやってんだろ」
「……そりゃそーだけどよ」
「俺ら程度が思いつきでなんかやらかそうってのは、大体無理があんだよ」
何かをイメージしたカリオンだが。まだそのイメージが形になっていない。
全く新しいものを作り上げるには、まだカリオン達は若すぎた。
「結局は俺たちが切り込むのが一番早いってな。弓でも魔法でもそうだろ。守りを固めたら後は力だぜ、単純に力。重甲冑着込めば矢は貫通しねぇ。それで戦斧でも担いできゃ、少々の奴ならイチコロだぜ。結局んとこ、どんなに剣や魔法が進歩したって」
ジョニーは肩を窄めて言った。
「戦いは頭数の多い方が勝つ。だろ?」
「……だな。不変の真理だ」
だがカリオンは思った。
もう一つ何かがあれば、あの戦い方は戦争を変えてしまう。
――――面ではなく点を攻撃
――――簡単な魔法と詠唱の単純化
――――高い防御力
――――戦いは数
破局的な被害を相手に与え、こっちはほぼ無傷で済ます戦闘。
機動力を移動ではなく防御に使い、簡単な魔法で一人ずつ……
「おーぃエディ くだらねぇこと考えてたって無駄だぜ? 無駄」
「そーだな」
一つ息を吐いて気持ちを切り替えたカリオン。
丘の上から戦況を見ているのだが。
「ところで俺たち、なんか仕事あんのかな?」
「あんでだよ? 暇でいーじゃねーか」
「どうせ暇なら参謀本部へ勉強に行こうかと思ってさ」
「……おめーは本当にマメだな」
冷やかすようなジョニー。
だがカリオンは至って真面目な顔だった。
ある意味で千載一遇のチャンスなのだ。
「父上のやらかしてる戦局操作を見るには最高の条件だぜ?」
「……あぁ、そうか。エディの親父さんが参謀長だもんな」
「しかも、明日辺りにはネコが後退すると思うんだ」
「あんだけ手ひどくやられりゃな」
「だろ?」
前日、最初の衝突で見せた全戦力から見ると、ネコの兵員数は予備戦力を足しても半分以下に減っていた。つまり、それだけ死んだ事になる。
ネコの側の斬新な戦術もそうだが、イヌの側から見て今回の戦で本当に恐ろしいところと言えば、ゼルが見せている徹底した勝ちへの戦術だった。
相手を全滅させれば後顧の憂いは無い。
単純にそれだけなのだが、今までは何処の国でも軍でも、そこまで勝ちきる事は無かった。単純に手が甘かったのだ。だが、ゼルの戦術と戦略はシンプルでしかも恐ろしい鬼手を連発している。確実に逃げ場を塞ぎ、一人残らず殺す勢いで攻め立て、そして、ごく少数だけを意図的に逃がす事によって恐怖を伝播させる。
その証拠に、ネコの国軍は一気に十キロ単位で後退し戦線を整理している。大きく後退するときは場面転換を図りたいという意思表示だ。だが、ゼルの打つ手はそれすらも許さない。新しい戦線を構築している最中に騎兵で蹂躙してしまうのだ。そして再び、ごく少数の生き残りを意図的に逃がして、恐怖を喧伝させる。
どれほど訓練を積み実戦を重ねたヴェテランであっても、心の中に巣食った恐怖という敵には対処しきれない。ギリギリの局面で判断をしなければならない時、その恐怖が積み重なっているとどうしても腰が引ける。故に、ネコの国軍は目に見えて士気が下がっている。
この先、ゼルがどう勝ちきる絵を描いたのか。
カリオンはそれを見に行きたいのだった。
「父上の戦況判断を聞いてみたい」
「確かに面白そうだよな」
「だろ?」
ニヤリと笑ったカリオンは、なんとなく鼻が高い。
巨大な軍勢を操作しながら戦況を制御して鏖殺を繰り返す手法。
その現場を見てみたいのだ。
「かと言って、勝手にここを離れるわけにゃいくめぇ」
「だよな。それなりに理由が要る」
あれこれと考えているカリオンだが、どうしても手が思い浮かばない。
どうしたものか。そんな事をグルグルと考えている時、ネコの騎兵が順次後退を始めたのだった。
中央で守っていたセダ兵団の後退を訝しがったのか、ネコは深追いをやめた。
そのわずかな機微にカリオンが何かを思いつく。
「ジョニー。参謀本部へ伝令だ!」
「よっしゃ! 大義名分出来たぜ!」
通常、伝令に走るのはポーシリの役目。
だがしかし、トゥリングラードと前線本部の間を走り回っているポーシリは数が足らなくなり始めていた。ならば自分で走るしかない。レラは風を切って草原を走った。
ふと振り向くと、すぐ隣をジョンが走っていた。カリオンの心に一点の恐怖も無かった。
同時刻。参謀本部幕屋。
「ほぉ。やりますね」
「と、言いますと?」
初老の雑種な参謀はゼルに尋ねた。
ゼルは戦況卓の地図に載せられた駒を動かし戦況を説明する。
「彼らは殺し間に気がついたようだ。これ以上前進しては退路をふさがれ鏖殺される。その恐怖が伝播しきったか、さもなくば理屈ではなく肌感覚として危険を察知したか」
操作棒を使って駒を直接動かしたゼルは、カウリとノダの軍団に散開を指示した。セダ軍団が攻め上がる段階である。強力な騎兵段が横一列に並び前進するのだ。気力と体力を充実させた騎兵の突進を止めるのは並大抵の事ではない。それこそ、大規模な戦域魔法でも使わない限りは仕切り直しすらままならない。
「さぁ彼らはどう踊るつもりか。拝見しましょうか。後退ですら作戦なら、それはそれで楽しい事になりますよ」
凶悪な笑みを浮かべたゼル。
その様子を居並ぶ参謀達は見ていた。
「失礼します!」
幕屋の位置口に立ったカリオンとジョン。
その声に気が付いて振り返ったゼルの顔に怪訝な色が浮かぶ。
「何をしている!」
「伝令! ネコ騎兵段中央軍 後退速度は凡そ半リーグ。横三列で反転後退です!」
胸を張って報告したカリオン。
怪訝な顔をしていたゼルがにやりと笑った。
「伝令! ここへ来い!」
「はい! 失礼します!」
幕屋へと入ったカリオンへ一斉に視線が集まる。
だが、その腰帯が王宮騎士を示す赤の帯である事に皆が気が付く。
つまり、只者ではないのだと知るのだが、残念な事に、ここでカリオンを知るのは数人しかいなかったのだった。
「こんなところで何をしているんだ。持ち場はどうした」
「伝令役で待機していたんですが、一向に仕事が回ってこないので」
あっけらかんと言い切ったカリオン。
二人のマダラが顔を見合わせていて、しかもその姿が似ているのだ。
「君は?」
ゼルの近くに立っていた雑種の参謀は壮年に近い者らしく何かを感づいた。
「申し送れました。私はカリオン。北部総監ゼル・アージンの息子。カリオン・エ・アージンです」
胸を張って答えたカリオンにたいし、多くの参謀が背筋を伸ばした。
仮にもただの士官候補生であるから、敬礼を先にすることは無い。
だが、太陽王に手が届く位置にいる公孫であると皆が知った。
「忙しい現場に失礼いたします。勉強に参りました」
カリオンが背筋を伸ばし敬礼すると、参謀たちがそれに敬礼を返した。
「カリオン。忙しい現場だ。皆の手を止めるな」
「申し訳ありません。父上」
「で、君は?」
ゼルの目がジョンを射抜いた。
その恐ろしい眼力にジョンは一瞬ひるむのだが。
「西部方面軍元帥ウダ・アージン伯側近。西伐軍司令官公爵。ジョン・レオンの長子。ジョン・ジョナサン・レオンと申します。兵学校にて公孫の親衛隊をして『友達だよ。俺の友達』おいエディ。せっかく俺の決め台詞を」
顔を見合わせ笑った若き二人。
その姿にゼルがうれしそうに笑った。
「仲が良いのはいいが、今は命のやり取りの最中だ。まじめにやれ」
「「失礼しました」」
参謀たちの邪魔にならないように一歩下がって見ているカリオンとジョン。
続々と駒が動かされ、それを見ながらゼルは指示を出していた。
「伝令! セダ軍に前進を支持! 歩兵四リュ―前進 騎兵一リーグ前進」
歩兵が千歩分を歩いて進む距離を一リューという。おおよそ四リューで一リーグ。
地上における平面戦術ではこの単位が頻出する。
「カリオン。ジョンもだ。ここへ来い」
ゼルは自分のすぐ隣へ二人を立たせた。
トゥリングラードから西の地域はあまり凹凸の無い草原地帯が広がっている。
その地形がおおよそ描かれた地図の上に駒が乗っていた。
「何をしているか分かるか?」
「ネコの騎兵を押し返しているのですね」
先に答えたのはジョンだった。
「その目的は?」
戦術講義のように質問を浴びせかけるゼル。
二人は黙って考える。
「時間がかかりすぎだ。今は実戦なんだ。考えている間に人が死ぬ。戦って死ぬんじゃない。答えを出せないお前たち二人が見殺しにしたんだ」
非常に手厳しい事を言ったゼルは駒を動かした。
「伝令! カウリ軍に反転を指示、あいつらの逃げ場を塞げ。ただし、隙間を残しておくようにと。カウリ卿なら意図を見抜くだろう」
両手を戦況卓に乗せ、頭を動かさず眼だけ動かすゼル。
カリオンもジョンもそれをじっと見ていた。
「生かして帰すのはなぜですか?」
ジョンは素直にそう問いかけた。
「理由は三つ。まず全滅してはイヌの強さを伝えるものがいなくなる。それから、生き残りが帰ったら後進を育てる時にイヌの強さを喧伝する。つまり、後進はその恐怖と戦う。最後に、ネコの国民に敗北を悟らせ、イヌと争わないという選択をさせる為だ」
ゼルは首だけ振ってジョンを見た。
わずかに笑っていた。
「戦で勝つ為の方法が戦術。戦にならないように仕向けるのが戦略だ。そして……」
幕屋の入り口に再び伝令がやってきた。
肩で息をしているその少年は、大きな声で報告をあげた。
「軽装偵察騎兵より伝令! ネコ中央軍、再構築中の防御戦線を放棄し大きく後退を開始した模様! 糧秣や機密書類を放棄し五十リーグ単位で後退を試みる模様! 途中いくつかの集落に対し後退指示が国王命令で出ているのを確認との事。最終防衛線を構築する公算が高いとの報告です。以上伝令終わり!」
開戦二週間になって大勢が決し始め、ネコの騎士団は順次後退していた。
イヌの国軍は慎重に慎重に面でじっくりと押していく手法を取っていて、時には一旦後退しネコをつり出す動きを見せては、残存戦力を削っていた。
そんな戦術をとるゼルに対し、ネコの側も臨機応変に対応しつつ逆襲に出てきていて、日に数回は大きく打って出る突衝行動を取っていた。
だが、国軍としての戦闘行動が限界に近いのだろうか。この数日は目に見えて騎兵の動きが悪く、また、士気も下がっているのが分かった。
そして、討ち取った騎兵の遺体を精査した憲兵達は、ネコの兵士がろくに食料を持っていない事に気が付いていた。つまり、糧秣の補給に問題が発生している公算が高い。
「さて、ネコの国はそろそろ限界ですかね?」
ゼルの相手をしてきた雑種の参謀は、ボソリと呟いた。
わずかに首をかしげたゼルだが、すぐさま否定するように首を振った。
「私はこれをネコの側の誘い受けだと考える。大きく後退し、われわれの側の補給線を延びきらせ疲弊を狙う。騎兵師団は糧秣を馬鹿食いするからな。人だけでも食料は膨大な量になるが、さらに馬の分も運ばせているんだ。そろそろ限界を迎えると向こうは踏んでいるのかもしれない」
ゼルは地図の上にチョークで線を引いた。
「数日内に最低三十リーグを前進する。出来れば五十リーグ前進したい。これでネコのいくつかの都市をこちらの勢力圏下に収められる。戦を始めるのは軍人の仕事だが、それを終わらせるのは政治家の仕事だ。故に、セダ公の負担は大きくなる」
小さく息を一つ吐いて腰を伸ばしたゼル。
ちらりとカリオンを見てから、薄ら笑いを浮かべた。
「こっちが少しでも有利に交渉を運べるよう、手持ちの札を増やしておくのが参謀の仕事だ。精々頑張って行こう。気前よく譲歩しても問題ない程度に勝っておけばいいさ」
圧倒的に勝っている状況下では軽口の一つも飛び出すというもの。
状況を笑って見ている参謀たちの間にも緩い風が吹いていた。
着々と前進していくセダ軍、ノダ軍、カウリ軍の三集団。
統制の取れたその動きをネコの側も察知していた。
そして、淡々と機会を伺っていたのだと、ゼルは後に気が付く事になる。
根拠無き過信の報いは、すぐそこで牙をむいて待っていた。
運命は苛酷であった。




