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順調情報と警戒情報

~承前






 涼しい風の入り込む太陽王執務室。


 乾いた秋の風は大陸の奥深くからやってくるもので、この風が吹き始めると王都に暮らす者達は冬の訪いを知る。と言っても、まだその冬本体は北部山岳地帯の向こうにあって、この冬の寒気を溜め込み続けているのだが。


 ぱらりぱらりと紙をめくる音だけが聞こえ、執務室の中には深い森の香りを思わせるお茶の匂いが漂っていた。


「……なるほど。さすがルイを名乗るだけのことはあるな」


 上機嫌で報告書を読んでいたカリオンは、僅か7ページでしか無い書類に目を細めていた。ネコの国への侵攻が意味するモノは、単純に言えば侵略戦争その物だ。


 だが、その内情はと言えば祖国安寧への投資であり、見方を変えれば緩衝地帯増設の為の土木作業のようなモノ。古来より兵法に曰く『戦は余所でやれ』の鉄則をここでも適用しているに過ぎない。


 そして、たまたまその舞台がネコの国になっただけのことであって、仮にそこがトラの国であったとしても、同じ事をやっていたはずだ。ネコには迷惑千万な話であるが、そんな物はイヌには関係無い。


 自分の国を自力で護ること。それが出来て初めて独立国を名乗れるのだし、むしろそれが出来ない種族が独立した国家を持ちたいなどと言うのは、それ自体が烏滸がましい話でしか無い。


 自己責任。或いは、民族の責任。己の生存権を己で護れないならば、奴隷になるしかない。古くから人口に膾炙する通り、弱者だから文句を言うのではなく、文句を言いたいから弱者でいる事を選択しているに過ぎない。


 そう。汗を流し血を流し涙を流し、文字通り血反吐を吐きながら続く無限な競争を勝ち抜く事でしか自国の安寧は保たれない。それが嫌ならば奴隷となって、無責任な文句と愚痴を言い続けるしかないのだ。


「しかし、余りに呆気ないですね」


 ウォークは騎兵として戦場を走り回った武官の視点では無く怜悧な官僚の視点として、ネコの国の不甲斐なさに疑問を持った。負ければ誰かの養分になるのは説明するまでも無い世界の一大原則。


 弱肉強食の世界では、最後の一兵まで戦う覚悟を見せる事でしか敗北は免れないし、それでも良い敵には文字通り命を捨てて抵抗するしかない。ましてやそれが不倶戴天の敵であるイヌ相手ならば、ネコはもっともっと激烈な抵抗を見せる筈だ。


 そう。つまりはその必要が無いのかもしれないとウォークは考えた。既にネコが獅子の国の冊封体制に組み込まれていて、ネコを占領した時点で獅子の国の国軍が自動的に動き出すのでは無いか?と怖れている部分もあるのだ。だが……


「我が軍の戦力が強過ぎるというのも考え物だな。こう呆気なくては良からぬことまで疑いたくもなるというものだ」


 ハハハと軽快に笑うカリオンは、その他の書類に目を通し始めた。獅子の国との偶発的戦闘を一切考慮してないようにも見える。しかし、逆の見方を知れば、ライオンを首魁とする懲罰侵攻があったとしても撃退できると踏んでいる。


 だからこそカリオンは安心して上質な紙を捲っているのかもしれない。そして、その紙にしたためられた様々な報告の中に、ビッグストンからのものがあった。執筆責任者は教育長ビーン卿で、レオン家のポールに関する事だった。


「……ほぉ、ポールの奴め。なかなか苦労していそうだな」


 楽し気な口調でそう言うカリオン。ウォークは横からちらりと覗き込み、そこに書いてあった内容を速読した。そんな能力もこの50年で随分と鍛えられたが、それ以上に思うのは王であるカリオンのもつ破格の能力だった。


 ――――この文章を一瞬で読んで理解したんだ……


 ちらりと眺めただけでカリオンはその内容を理解していた。初っ端から飛ばしに飛ばした教育カリキュラムの中で、ポールはその多くをグングンと吸収しているらしい。


 最初にその教育を考えたビーンは、あまりの教育の速さに『落ちてゆく滝の水を飲み込ませるが如し』と表現していた。丸暗記させてそのまま学校から叩き出してしまい、後は実地で経験させて教育内容を理解させる。


 ヒトの世界では士官の促成教育と言う仕組みがあるらしい……


 そんな事をビーンに語って聞かしたカリオンだが、ビーンは今回ポールに施している促成教育課程を回答してきた。そして、それなりに優秀で軍務の基礎経験がある者ならば理解せしめることも可能かと……と付け加えていた。


 その言葉の裏にあるものは、自分自身の経験として見たカリオンの成長の過程そのもの。8歳で騎兵デビューし経験を積んできて、しかもぜルの手により戦術と戦略の手ほどきを受けていた。そんな人間には、座学3実践7の教育の方が良いのかもしれないと、ビーンも感じていたのだ。


 実際の騎兵連隊は、ビッグストンではなく各地の駐屯地で募集される騎兵勧誘により軍務に就く者が大半だ。そんな騎兵連隊の中で一から経験を積み重ねてきたベテランを短期再教育する事で騎兵に仕立て上げる。


 これにより、大きく消耗したル・ガル国軍の再整備が大きく進む事になるとビーンは報告していた。


「しかし、これが出来るのは選ばれた人間だけですね」


 ウォークが漏らした本音は、カリオンへの羨望にも似た破格な者への劣等感だ。


「なんだ、妙な事を言うもんだな。お前も成績優秀だったろうに」


 からかう様にカリオンはそんな事を言う。その言葉の通り、ウォークもまたビッグストンで並ではない成績を残していた。そう、並ではないという注釈付きの優秀な成績だ。


「陛下と連隊長がいらっしゃらなかったら、私だってビッグストンの校史に名を残す事ぐらいはできたかもしれませんけどね」


 すべての成績で特秀評価を得ていたジョニーは、ビッグストン史の中でも指折りの存在であると記録されている。だが、それ以上にカリオンの成績が異常だった。学校始まって以来の7本線などと言う評価だったのだ。


 口さがない者はそれを王への阿りだと批判し、或いは未来の太陽王への配慮。言い換えるなら賄賂に近いものだと誹謗した。同じ時代にビッグストンにいて、その内情をつぶさに見た者でなければ理解できないカリオンの優秀さ故のことだ。


「……わかったわかった。で、ポールの奴はどうするか」


 ビーンの報告では、戦術学や戦略策定の授業において、ポールが特秀か秀の成績を連発していると書いている。そして、型にはまった戦術授業の中で、自分の経験としてこれでは横槍で負けてしまうと教官陣をやり込めてしまうと書いていた。


 また、馬術や剣術に関して言えば、徹底した実戦馬術かつ実戦剣術を見せ、1対8の戦闘授業をしても相手に勝ってしまうと嘆いていた。教育とは失敗の中で経験を積ませることなのだが、ポールには失敗の経験を積ませることが出来ないとも。


「予定通り促成教育で卒業させ、東部戦線で先陣を切らせてはどうでしょう」


 ウォークは半ば思い付きの言葉を吐いた。だが、それはある意味で最高の経験を積む舞台がそこしか残っていないという意味でもあった。


「そうだな……ボロージャもドリーも快進撃過ぎる」


 そう。フェリペの送ってよこした報告書以外にも、ジダーノフ家やスペンサー家の報告書が続々と送られてきているのだ。長距離光通信により毎晩毎晩送られてくる報告は、ある意味で手柄争いの様相を呈していた。


 しかも悪い事に、そこには北方フレミナ一派の働きが加わっていたのだ。彼らもまたル・ガルの中にあって確固たる立ち位置を作りたいのだろうし、異なる地域への移動を回避したいという思惑もあるのだろう。


 それら全てが絡み合い、ル・ガル内部の手柄争いは酷い状況になりつつあった。


「そろそろ手綱を締めませんと、ポールが卒業する前にキツネとやり合うことになりますよ?」


 ウォークの心配の種は別のところにあった。このままいくとル・ガルの財政が傾きかねないのだ。まだまだ基本的には農業国家でしかないのだから、今期の収穫高以上の事など出来る訳がない。


 かつて行った国債発行による資金調達は、利払いと言う仕組みにより国内に資金還流を実行せしめた。それにより各地の豪商が行ったのは、銃火器や弾薬生産などの工業化だ。


 しかし、それだけで済むならあまり問題はない。問題は国軍が銃火器や弾薬を吸収しきれなくなった時だ。商人たちは作った以上売りたいのだ。そうしなければ投資が回収できないのだから。


 もし国軍が吸収できなくなったなら、商人たちはたとえ他国の軍であろうとそれを売るかもしれない。そしてもっと言えば、それによって戦争が激化すれば彼らはさらに儲けることが出来ると気が付く。


 生産を抑えるように通達を出しているが、今度は性能向上に心血を注ぎこみ始めたのだから困ったものだ。この数か月で有効射程が事実上2倍と言う物もあらわれているし、多段装填の仕組みを考案するものもあらわれている。


「順調すぎても困るというのは……聊か疲れるな」

「まったくです。豊作貧乏とはよく言ったものですね」


 顔を突き合わせてため息をこぼすカリオンとウォーク。ふたりの醸し出す重い空気は、周囲にいた文官や側近衆に緊張をもたらすのだった。だが……


 ――――陛下! 緊急連絡です!


 慌てて駆け込んできた事務官は、速記しただけの緊急連絡用紙を鷲掴みにして執務室へと飛び込んできた。赤いインクで上書きされた但し書きには『極秘』の文字が躍っている。そして、その下には緊急通達の内容を簡単に記載する数字の羅列が並んでいた。


「どれ……」


 その紙を受け取ったカリオンは、乱数となった数字の羅列を眺めながら表情を硬くしていた。発信者は北方派遣されたスペンサー軍団で、その内容は予想外の抵抗による打撃の報告とお詫びだ。


「……戦力……2割減耗……だと?」


 ウサギの国の辺りでウサギやクマ等の一派とやり合っているスペンサー家は、フレミナ一派やアッバース家の北部派遣団と連合軍を組んでいるはずだ。総戦力8万近いはずだが、その2割と言えば1万6千になる。


「詳細な報告を待ちましょう」


 やや硬い声でウォークがそう言った。北方にはキャリやララが派遣されているのだから、正直言えば気が気でないのだった……


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