ネコの国の最期 <後編>
~承前
「楔陣形! 切り込む! 乱戦に持ち込め!」
フェリペの決めた覚悟はこれだ。どれほどに必殺の一撃であろうと、仲間を撃つ危険性のある環境では毒矢など使えない。となれば、敵の取る運動は一つ。弩弓を捨てて剣を抜くことだ。
「突入!」
フェリペは目印となる者の眉間を銃で打ち抜いた。揺れる馬上にあって素晴らしい照準だが、そんな事は頭から抜け落ちていた。気合と度胸と根性とが混然一体となったル・ガル騎兵の心意気だった。
「あまねく地上を照らす太陽よ! 我らの勝利を導く光を与え給え!」
フェリペの発した声に全員が雄叫びを上げた。突撃時の蛮声は一時的に恐怖をマヒさせる効果がある。誰彼構わず野太い声で叫びながら、イヌの騎兵は迷う素振りすらなくまっすぐに敵中央へと切り込んでいった。
「ッセイ!」
フェリペの手にしていた長刀が太陽の光に煌めいた。次の瞬間、最初にコンタクトしたネコの騎兵の首がボールのように飛んだ。返す刀で弩弓を構えていた後列の胸を大きく切り裂き、間違いなく致命傷だと思えるレベルの傷を負わせた。
そのままザクザクと斬り進み、ネコの一団を抜けた辺りで大きく旋回したフェリペは、ちらりとネコの本陣側を見た。騎兵ならぬ一団がそこに待機していて、全員が弩弓を構えていた。
――――なるほどね……
あれは間違いなくネコの督戦隊だとフェリペは思った。戦線から逃げ出す騎兵を撃つための一団だろう。敵と斬り結ばない騎兵など存在価値はない。だが、敵はどう見てもこちらより優勢だ。
そうなればもう自己中なネコのこと。とっとと戦線を放棄して逃げ出すだろう事など容易に想像がつく。故に彼らは、そうやって逃げ出すネコの騎兵を撃つために存在しているのだった。
――――同情くらいはしてやっても良いな
だからと言って手加減するつもりはない。大きく旋回しながらフェリペは再び銃に弾を込めた。ただ、その銃が狙ったのはネコの騎兵ではなかった。
「右手へ旋回! 各個順次射撃開始!」
一度は左手方向へ大きく旋回したフェリペは、装填を終えた時点で右手へと旋回した。その間に装填を終えた銃は、風を受けて銃身が冷え射撃可能な体制となったらしい。
そのまま速度に乗ったフェリペの一団は、督戦隊側へ銃口を向け照準を整えた。どんなに弩弓が強くとも、この距離では銃以外に致命傷には為らない。それが解ってるからこそ、フェリペは迷わず令を発した。
「撃てッ!」
一般に右肩に付けて撃つ銃は右方向への銃撃が安定しない。だからこそ左手方向へ一度旋回しかけたフェリペを見れば、ネコの騎兵もある意味安心して弩弓の装填を進められた。
だが、その直後に進路を変えれば、ネコの騎兵は慌てて追撃態勢に入った。督戦隊方向には本体が控えている筈。そこへ銃撃が降り注ぐのは、彼ら騎兵にしてみれば困った事態なのかも知れなかった。
「まっ! 待てッ! 待つニャ!」
遠くからそんな声が聞こえたが、クサビ陣形のまま督戦隊の前を横切るフェリペの一団は猛烈な射撃を開始した。銃身の短いカービンは馬上における再装填の手間を省く為のもの。
馬上で射撃し、直後に槊杖へ銃弾をセットして押し込む。そしてまた射撃。一連のフローを流れるように素速くこなしながら、フェリペは短い間に3度の射撃機会を作っていた。
――――よしよし……
――――釣れた!
そう。この攻撃はある意味で折り込み済みだった。ネコの騎兵団は数が揃わず、多くは市民兵だと予測を立てていた。そしてその市民兵が騎兵である可能性は、とんでも無い低確率なのは言うまでも無い。
およそ騎兵という者は、馬に乗れれば良いと言うモノでは無いのだ。馬上運動を自在にこなしつつ、自在に馬を操る馬術に長けていて、しかも全体の統制を見ながら隊列を組み、走る事が要求される。
それが出来ないなら、後は弓を構えて待ち伏せるか、さもなくば白兵戦要員だ。城塞や砦など、防御陣地として形状をを整えてある場所ならば問題はない。だが、こんなオープンスタンスで開けた場所では、土嚢を積んだ陣地が精一杯だ。
――――彼らも災難だな……
ふとそんな事を思ったフェリペ。だが、まるで機械のように冷徹に振る舞う男は迷う素振りすら無かった。次の一発を装填した後、土嚢の上に見える何処かの誰かの眉間目掛け銃を放っていた。
直後に『ギャッ!』と短い断末魔が響き、血を吹き出しながら名も知らぬネコが後方へと吹っ飛んだ。それまではこの世界に無かった兵器故に、そのネコもまさかこんな事になるとは思ってもみなかったのだろう。
戦争行為へ本格的に魔法を組み込み戦力化した最初の軍隊。
言葉にすればそれまでだが、これは多くが想像していた何処か華々しい戦争魔法の理想とは対極にあるものだった。大規模術式による強力な魔法効果を発揮させる巨大魔法の放ち合いこそ、魔法の戦力化として想定されたものだったはずなのだ。
多くの者が戦争に魔法を使うと聞いた時、そんな想像をしただろう。だが実体は正反対と言うべき事だったし、軍隊と言う仕組みを思えばこれが正解なのだ。戦いの帰趨を決めるのは、威力では無く純粋な『数』であり敵より一兵でも多い事こそが唯一無二の解なのだ。
仮にそれが島を吹き飛ばし、大陸を引き裂き、海を沸かすような凄まじいモノであれば話は別だろう。だが、敵の兵を前に巨大な火球を作る程度の魔法では、正直話にならないのだ。
ならばどうするか。威力は小さくとも数で押し切るしか無い。そして、その魔法は確実に1人だけ敵を屠る程度で良いのだ。あとは数で押し切れば良い。連動で押しきれば良い。優秀な指揮官による一斉攻撃で良い。
どんな世界でも、時代でも、軍隊でも、突き詰めれば数こそが正義だ。そしてもうひとつ。詰まらぬ理屈や理念など何の価値も無いのだ。正義が勝つのでは無い。勝った側が正義だ。だからこそ……
「弾の残りは考えるな! 押し切れ!」
最強の軍隊に必要なもう一つのこと。それは兵站だ。物資の補給力こそが軍隊の実力を左右する。兵の補充だけで無く武器の補充や整備。そして消耗品だけで無く嗜好品などの補給力も重要になってくる。
敵よりも兵の頭数を揃え、優秀な武器を持たせ、やる気を出させる飯と酒と嗜好品をふんだんに使わせる。たったそれだけの事だが、兵士もまた人なのだから大きな差が付くのだった。
「ディセント! 右手注意! ネコの騎兵!」
後続の騎兵がそう注意喚起した。パッと首を振ったフェリペはネコの騎兵を睨み付けるように見ていた。そこに見えたのは弩弓を構えるネコの騎兵たちだった。
――――よしッ!
――――勝った!
フェリペは勝利を確信した。ネコの騎兵の向こうに味方を見なかった。複雑な機動運動線を描いたル・ガル騎兵は、敵であるネコの騎兵たちを翻弄していた。そしてそれは、彼らネコの騎兵にとって最悪の行動であることを意味していた。
「構うな! 本陣へ射撃集中!」
フェリペがそう叫んだとき、別の所から一斉射撃を加える凄まじい轟音が響き渡った。千や二千と言った数では無く、万に近い数字での一斉射撃が行われた際特有の空気が張り裂ける音だった。
――――良いぞダヴー!
そう。ボルボン騎兵2万を率いて突進したフェリペだが、凡そ1万の予備兵を預かっていたダヴーは、ネコの騎兵への横槍を付いたのだ。慮外の角度から突き刺された一斉射撃の十字砲火により、ネコの騎兵が次々と斃れた。
その十字砲火を放っていたもう片方は、あのアッバース家のアンタル一派だ。歩兵戦力としてやって来ていた彼らは、4段程度に並んだ1万5千丁に及ぶ銃を段列射撃では無く一斉射撃として放っていた。
合計2万5千丁に及ぶ銃の一斉射撃は、2万程度の数だったネコの騎兵を文字通りに一撃で粉砕せしめた。そう。一撃。たった一回の射撃機会で……だ。
「本陣を叩け! 再装填! 征くぞ!」
再び大きく旋回して見せたフェリペは、督戦隊だった面々の目の前を反対方向に走った。敵を右手に見ての前進では、思うような射撃は出来ない。だが、それ故に出来る事があるのをフェリペは気付いていた。
「ディセント! 装填良し!」
後続が大声で叫んだ。それに続き、各所から『装填良し!』『第3中隊いつでも撃てます!』『第4中隊も良し!』『第5中隊! 的を残しといてくだせぇ!』と声が上がった。
その声こそが心理的なプレッシャーとなる。そして、着々と敵の心を削っていくのだ。その行為が……では無く、その声が敵になる。音が手強い存在となる。恐怖が戦意を蝕むのだった。
「ディセント! 第2大隊だ!」
後続が再び声を上げたとき、ダヴー率いるボルボン別働隊とアンタル一派がネコの騎兵の死体を踏み越えてやって来た。僅かに生き残っていた騎兵が完全に鏖殺され、戦力足り得なくなっていた。そして……
「ディセント! アレを!」
誰かが指差したとき、ネコの本陣の中から老いたネコが出ていた。長い棒の先端に大きな白旗を括り付けたその姿は、降伏を願い出る軍使だった。
「イヌの公家よ! どうか聞き入れてもらいたい!」
その声が聞こえたとき、フェリペは何も言わずに馬の速度を緩めた。間違い無くもう充分だと思った。そして同時に、この時点で初めて、他の戦線の帰趨が気になったのだった。