シュバルツカッツェ炎上
~承前
その時、フェリペは心の底で叫んでいた。
――――私はルイの名を受け継ぐ者だ……
と。
アンリ・エンリケより始まるアントワーヌの家系は、この大陸の中央部であるミッドランドの覇者だった。勇猛果敢で恐れを知らず、何よりも仲間と部下を大事にする益荒男だった。
そして、アントワーヌの差配となる男達は、代々にわたりルイを自らの名としてきた。正統なる支配者を意味するというその言葉は、何よりも重く、また、権威のあるものだった。
「ディセント!」
何処かで自分を呼ぶ声がした。風を切り走るフェリペは、その声の主を探して頭上を見上げた。ただ、その視界に捉えられたのは、翼を広げる鳥のような黒い影だった。
いや、それは鳥では無く、矢の大軍だった。一斉に放たれたその矢の影が、上空で煙のように漂い、まるで翼を広げる鳥のように見えただけだ。
――――当たるものか!
――――私はルイなのだ!
手綱を緩め腰を浮かしたとき、フェリペの跨がっていた愛馬は更なる加速を見せた。石畳の上に乾いた蹄の音が響き、思わず振り落とされそうになるほどの末脚を見せて風の様に駆けた。
――――良いぞ!
――――良いぞアルピーヌ!
雪を被った北部の山並みのようだ……と、皆が褒め称えた駿馬。強靱で撃たれ強い軍馬で有りながら、まるで競走馬のように四肢を伸ばして大地を蹴る。その流れるような躍動は、全ての矢をフェリペの後方へと落着させた。
「ダヴー! 射点は屋根の上よ!」
「承知!」
通常よりも拳3つ分だけ銃身が長い銃を構え、ダヴーは遠慮無く初弾を放った。通常の20匁より一回り大きな30匁の銃弾が音速で飛翔し、屋根の上に居たネコをまとめて貫通した。
「中隊斉射! 撃った者は建物に火を掛けろ!」
ダヴーの声が響くと同時、ボルボン家とアッバース家の総力射撃が始まった。普通の弓矢であれば届かないか、届いても殺傷力を失うような高さの屋根。しかし、200リューの有効射程を持つ20匁弾の場合は、まったく問題にしない。
最前列がバリバリと射撃し、その音が響き渡る頃には次の列が前に出ている。教本通りの前進射撃を繰り返しつつ、射撃を終えた者は前方に飛びだして、各所で建物の入り口を蹴破り、中に放火を繰り返した。
魔法による着火はあっという間に業火となり、全てを焼き尽くすかのように建物を紅蓮の炎に包む。そんな炎の中へアッバース家の銃兵達が特性催涙玉を投げ込むと、上昇気流に煽られて噎せ返るような臭いが屋根の上のネコを包んだ。
「ゾッとするような光景ね」
ジャンヌが眉根を寄せて漏らすショッキングなシーン。屋根の上に居たネコたちが火だるまとなり、逃げ場を失って屋根の上から落ち始めていた。3階建て相当の屋根から落ちれば相当な衝撃なのは言うまでも無い。
各所で動けなくなり、そのまま炎で焼かれて絶命するネコが続出している。そして、それを見ていたネコ達が『助けてくれ!』と助命を懇願する中、イヌの兵士達は黙々と放火を繰り返した。
「ひとたび斬り結んだ者に降伏など許すものか。勝利か死かだ」
腕を組んだダヴーが厳しい表情でそう言った。
その隣に居たジャンヌもまた、腕を組んで厳しい表情になって見ていた。
「アンタル卿。前進しませんこと?」
「良い案ですね。掃討しましょう」
ジャンヌの言葉に首肯を返したアンタルは、右手を挙げてアッバース家アンタル一派の首魁に前進を指示した。散発的に射撃を続けていた者や各所に放火して歩いていた者がサッと集まり、隊列を組んで前進体制となった。
「全員装填! 統制射撃を行う! ボルボン家騎兵を撃つなよ! 前進!」
アンタルの指示が飛んだとき、アッバース家一派の者がよく響く笛を吹いた。そして、軍楽隊が民族色豊かなマーチを鳴らし始めると、アッバース家に属する歩兵軍団が一斉に前進を始めた。
5歩進んでは右を向き総力射撃。再び5歩進んでは左を向いて総力射撃。それを繰り返しながら、確実にネコの防衛線を削っていった。時々は矢が降るのだが、そのどれもが風の魔法により吹き飛ばされている。
ひとつひとつは小さな魔法に過ぎない、ごくごく僅かなかまどに風を送る物に過ぎない。しかし、そんな送風魔法も100人単位で一斉に使われると、紅蓮の炎に包まれた建物の業火が荒れ狂う火龍となって天に立ち上った。
「ジャンヌ。ディセントを迎えに行きます」
ダヴーは騎兵を編成しジャンヌにそう提案した。するとジャンヌは迷わず首肯を返し、『あの人を護ってね』と依頼した。ボルボン家を預かるのは彼女だが、その力の維持管理運用はフェリペの掌中にあるのだった。
「ボルボン騎兵諸君! 突撃するぞ! 我らがディセントの凱旋を迎え入れる!」
ダヴーは銃をしまうと槍を頭上に翳した。その姿を見た騎兵は、誰もが同じように銃では無く槍を準備した。騎士はやはりこれでなければならぬ!と、誰もがそう思ったのだ。
「躍進距離800リュー! 街を抜け反転する! 総員吶喊に移れ! 征くぞ!」
ダヴーが馬の腹を蹴ると、ボルボン騎兵が一斉に走り始めた。その刃は煙や炎に煽られ屋根から落ちた者を貫いて絶命せしめた。次々に鈍い断末魔が響き、街の各所から炎に焼かれる肉の嫌な臭いが漂った。
「良いようですね」
ジャンヌと共に様子をうかがっていたアンタルは静かに言った。騎兵の吶喊力と歩兵による銃撃力が混生された暴力の嵐は、このシュバルツカッツェに潜んでいた待ち伏せ戦力の全てを掃討した。
「やれやれ。蛮勇も時には役に立つな」
アハハと笑いながら戻ってきたフェリペは、自分自身を守るように取り囲む騎兵たちを労いながらそう言った。戦場の一騎駆けは勇気と度胸が求められる事だ。
「けど、あまり無茶しないでね。見てる方はヒヤヒヤするんだから」
穏やかな口調で言うジャンヌだが、その内心は荒れ狂う暴風雨だった。少なくとも、自分の夫が命懸けの蛮勇をふるって喜ぶ妻など居ないだろう。卑怯者の誹りを受けても、生きて帰って来て欲しいと願うのが女なのだから。
「けどな、危険を冒す立場の者は必要なんだ。それに、これは私がやらなきゃいけない仕事だよ。ルイの名を受け継ぐ者の責務だ」
胸を張ってそう応えたフェリペ。その姿には見る者を威する貫禄が漂い始めていて、ジャンヌはどこかウットリと、その姿を眺めていた。
仮に…… そう、あくまで仮にの話だが、もし、太陽王カリオンの身に何かがあった場合。その時は自動的に息子キャリへと王位が譲られるだろう。
だが、そのキャリの身にまで何かがあって、アージン家から世継ぎが産まれない場合はどうするか。その時になってみなければ分からない事だが、一時的にボルボン家がそれを預かる事になるのは、ル・ガルの成り立ちからしてやむを得ない。
そしてその為に、ボルボン家の家督は代々女性が勤めているとも言える。ボルボン家の家督を継ぐ女性が認めた男が、次のル・ガルの王となる。つまり、このフェリペは王位継承権の裏1位なのだ。
「ならばこれより、あなたをルイ・ディセントの名でお呼びしましょう」
ダヴーの言葉にフェリペが薄く笑った。
そして、僅かに首を振り、柔らかな声音で言った。
「いや、今まで通りフェリペの名で呼んでくれ。そうで無ければ……ディセントで良い。まだルイを名乗るには早すぎるし、王に失礼だ。もし王の身に何かがあったならやむを得ないが、今はまだ名乗るべきでは無いと……私は思う」
そう。ルイの名はそれほど軽いモノでは無く、また、ホイホイ使って良いモノでも無いのだ。イヌの歴史の中で輝く宝石のような名前であり、イヌの社会の中にしっかりと根を下ろす古い記憶の奥底に根を張っているのだった。
「さぁ、後始末だ。この街を完全に掃討し、我がル・ガルの支配下とする。そして離宮とやらを探し出して進軍する。給料分働いて貰うぞ諸君。我がル・ガルの栄光の為に」
フェリペの言葉に多くのモノが胸を張って笑顔で『ウィ』と応えた。すぐさまボルボン家の兵士達が街の中へ展開し、まずは燃えさかる街並みの消火活動に当たり始めた。
「さて、王宮へお邪魔しようか。誰かしらは居るだろう」
馬上にあったフェリペがクルリと馬を返すと、腹心の部下であるダヴーが主だった者を集め王宮への派遣団を編成した。
「私もお供いたします。」
ダヴーはそれが当然だと言わんばかりに振る舞った。ただ、少なくとも魔女と呼ばれる程の魔力を持った女王の居城だったところだ。何が起きるか分からないし、迂闊に足を踏み入れることも憚られるはず……
「じゃぁ私も行きましょう。危険は踏み越えてゆかなくちゃ」
ウフフと笑ったジャンヌも馬を返してフェリペの後を追った。
聳える尖塔の突端には、まだネコの国の軍旗がはためいていた……