リュカオンとカリオン二世
~承前
帝國歴396年の夏が来た。
ガルディブルク城に設置されている巨大な議事堂には、全国から召集された民衆の代表が集っている。彼らは皆『太陽王による特別な議会の開催』という召集状を持っていて、それが無ければ会場に入れない仕組みだった。
「諸君。真夏の猛暑に遠路遙々来てくれた者も居よう。余の呼び掛けに集ってくれた事を感謝する。冷たい物も用意してあるのだが、早速始めよう。今後の方針について、余の考えを示す」
割れるような拍手の中に姿を現したカリオンは、民衆を前にそう切り出した。同時進行で城のスタッフが全員に氷の浮いた茶を配り始めた。生活の中で役に立つ魔法の体系化を完了したル・ガルでは、既に夏の氷が珍しくない状態だ。
ジワジワと生活に浸透していく生活魔法の大半は、それこそ取るに足らない些細なものばかり。だが、そのどれもが『それ以前の生活』には戻れないものばかり。
火を着ける。明かりを灯す。或いは、水を冷やし凍らせたり、小さな風を起こして竈の火を強くしたり……だ。それが将来的にどう発展していくのかはまだ解らないが、少なくともイヌの社会に魔法の素養が入り込んだ。
特定の魔導師とその弟子達が独占してきた奇跡の技は、こうやって一般化してゆくフェーズに入っていた……
「この10年、我がル・ガルはまったく持って不安定な日々を送っていた。余の実力が不足して折る故か、邪な野望に駈られた者の狼藉を許してしまっただけで無く、他国から介入される口実にもなっていた。余はこれを改善したいと欲する」
この辺りから会場が静まりかえり始め、カリオンの言葉を聞き逃すまいと真剣に耳を傾ける者が大半となった。だが、その場で示された方針は、これと言って特筆するべき部分のないものだった。
先の全貴族所領替えを再度実行し、改めて貴族家の統廃合を進める事にするだけでなく、新領地となる地域の開発に力を入れ、全土の農業生産石高を向上させる新方式の採用を通達した。
また、今までは公然の秘密であったヒトの街が公式に紹介され、先のシュサ帝戦死を招いた教訓から、ル・ガル全土に落ちたヒトを一カ所に集め、合わせてヒトの知識と技術とを吸収し研究する施設を設置した。
また、その一環として農業生産を改善する為の化学肥料が紹介され、僅かな量ではあるが全土に流通させたいとの詔が発せられた。マサを中心とするヒトの中の組織によりハーバー・ボッシュ法による窒素肥料の生産が始まったのだ。
ただ、その生産量は冗談にも成らないほど少量で、1週間の工場稼働を経て樽2杯の肥料が生成される程度であった。ただ、それが有ると無いとでは大きく違うのは言うまでも無い。
全国に再配置させる公爵家が技術を各地に持っていく事により、ル・ガル全土で農業改善が図られる事になった。実験によれば生産石高を10倍近くへ引き上げる事が可能とされているのだ。その言葉に民衆の代表が狂喜した。
「次に、周辺国家への備えであるが、公爵家の単位で宣告に再配置を行い、防衛力を高める事にする。ル・ガルから侵攻をする必要は無い。ただし、侵攻を受けた場合には完膚無きまでに叩き潰す。それが基本方針だ」
まったく新しい兵器である『銃』と『砲』のふたつが戦争を変えた。その話は既に全土へと流れていた。魔法により運用される新しい兵器の威力は、従来の手強い敵をただの藁束へと変えていた。
組織だって動く巨大な暴虐の津波は、悪意を持って攻め込んでくる他国の凶徒を完全になぎ払うのだ。ただし、その裏にある物に気付かぬ者などいないだろう。その暴虐の津波を他国へと押し出せば、凄まじい殺戮の衝撃波が産まれるはず……
「最後になるが……この数年の混乱を鑑みるに、余は引退し他国凶徒に備える事にしようと思う。息子に代を譲ろうと思うのだがどうだろうか。諸君らの闊達な意見を求めたい」
ここから先、カリオンはひたすら聞く側に回った。そもそもそれが目的なのだから、予定通りと言える事だ。ただ、全土から集まった市民や貴族代表と言った者達は、口々にカリオン退位についての反対意見を述べた。
そして同時に、他国への備えの為に国民は喜んで協力するし、勅命を待つとすら言った者もいた。国民は喜んで国土を護る戦に参戦すると拳を突き上げて訴えた。イヌの王国を蚕食せんと欲する者を撃退する事。
そこに何の異論もなかった……
「まぁ…… 良いんじゃねぇか?」
玉座に座り黙って話を聞いていたカリオン。
その耳元でジョニーがボソリと言った。
「少しばかり気になる言葉もあったが…… 概ね同意見だ」
真面目な顔でそう答えたカリオンは、ウォークを呼び寄せ全員に冷たい物の再配布を命じた。少しばかり過熱気味なので水入りにしようと言う事だ。だが、配布された冷水を飲み干した者から自然発生的に国家が歌われ始めた。
――あぁ慈しみ深き全能なる神よ
――我らが王を護り給へ
――勝利をもたらし給へ
――神よ我らが王を護り給へ
議事堂にいた者達の大半が立ち上がって歌っていた。
座っていた者も徐々に立ち上がり、やがて全員が立ち上がった。
――我らが気高き王よ 永久であれ
――おぉ 麗しき我らの神よ
――我らが君主の勝利の為に
――我らに力を与え給へ
イヌの団結は常にひとつであり、そのひとつを持って全と為す。太陽王に反旗を翻した者は駆逐され、ル・ガルは初めて一体となったのかも知れないとカリオンは思った。
――王の御世の安寧なる為に
――神よ王を護り給へ
「お前の邦だぜ、エディ」
ジョニーはニヤリと笑って言った。
カリオンもまた笑って言った。
「いや、俺の邦じゃない」
え?と言わんばかりのジョニーを横に、カリオンは満面の笑みを浮かべて議事堂に集ったイヌ達に手を上げて歓声に応えた。他国から見てもっとも脅威となるもの。それは、取りも直さずこのイヌの一体感と団結だ。
「俺が預かっているだけの国だ。邦は……全てのイヌの物なんだよ」
歌声と拍手とが解け合って議事堂の空気に消えた頃、カリオンは議事堂の真ん中に進み出てグルリと周りを見た。扇状に拡がった議事堂席に集まる者達の視線がジッと集まる中、カリオンは振り返ってキャリを呼んだ。
「キャリ。お前に王位を譲る。ただし、これより10年、修行の日々を命ずる。困難を解決し、経験を積み、人の間に入って声なき声に耳を傾けよ。ひとつひとつ丹念にその声を拾い、お前の中で積み重ねて行け」
会場によく通る声でカリオンはそう切りだした。悲鳴にも似たため息があちこちから聞こえたのだが、10年という歳月の提示が多くの者に安堵を与えていた。
「カリオン二世を名乗るも良し。キャリの名を使い続けるも良し。それはお前の好きにせよ。新しい時代は新しい世代が作るものだ。そして、その新しい時代は新しい世代を鍛えるだろう。様々な艱難辛苦がお前に襲い掛かるはずだ」
その言葉の意味する所を正確に理解したのはごく僅かだ。間違い無く王はやる気だ……と、一部の者がそれを見て取った。だが、そんな空気を無視するようにキャリは言葉を発した。
「……ならば、うん、そうだ。ヒトの世界の王の話を聞いたんですが、それを真似します」
キャリの言葉に『ほぉ』と興味ありげな顔で答えたカリオン。
父親の反応が嬉しかったのか、キャリは胸を張って言った。
「カリオン・キャリ・エ・ノーリクル・アージン・セカンド。カリオン二世を名乗るキャリ・アージンを名とします」
小さな声で『そうか……』と応えたカリオンは、何度も何度も首肯しながら議場を見た。王の眼差しに気が付いた多くの市民議員や貴族議員達が一斉に立ち上がって拍手しながら『カリオン二世万歳!』を叫んだ。
幾度も幾度も木霊するその声が収まる頃、カリオンは再び手を上げて言った。
「これよりル・ガルは動乱に備える体制となる。諸君らの双肩に乗せられた重責は、その全てが余の臣民の生命そのものである。余を裏切っても文句は言わぬ。だが、諸君らを信じる市民を裏切らないで貰いたい。これが余の願いだ」
どこからともなく『カリオン王に100万年の栄光を!』と声が上がった。その声に呼応するように、万雷の拍手と歓声が沸き起こった。割れるような拍手の中、カリオンはキャリの耳元で囁いた。
「お前がこれを引き継げ」
え?と驚いた様な表情になって父カリオンを見たキャリ。
当のカリオンは満面の笑みを浮かべて続けた。
「俺を心配そうに見ていた父上の気持ちがやっと分かった。意図的に失敗の経験を積ませようとした事もだ。俺が助けてやれる間に失敗すれば良い。経験を積み重ねた先に成長がある。お前に期待しているぞ」
キャリの肩にポンと手を乗せたカリオンは会場を見上げたままだった。
「父上は……」
何かを言おうとしたキャリだが、カリオンは視線を合わす事無く言った。
「これからル・ガルは大侵攻を行う。その時、俺はリュカオンと名乗る事にする。ヒトの世界の神話にあるオオカミの王の名だそうだ。ヒトの街の住人が教えてくれたんだがな。案外気に入ってるんだ」
リュカオン……
何の根拠も無い事だが、それでもキャリは何となく不安を覚えた。
何がどう不安だと説明の出来ない事だが、それでも不安だったのだ。
「なんか……怖いですね」
素直にそう言ったキャリの頭をカリオンがグイグイと押さえ込んだ。
「不安など全て吹き飛ばしてくれる。これまでもそうやって来たし、これからもそうだ。運命など打ちのめしてやれ。強い信念のみが未来を切り開くのだからな」
自信たっぷりにそう言ったカリオン。
動乱の時代に入っていたル・ガルは、いよいよ戦乱の時代へ移ろうとしていた。
ル・ガル帝國興亡記
<大侵攻 征服王リュカオンの誕生>
―了―
<大侵攻 短い夢の終わり>に続く
次話は27日に公開となります