収まる形
~承前
「ポール。大事な話だからよく聞け」
カリオンは穏やかな声で切りだした。ゴクリとツバを飲み込んだポールは、コクリと頷いたのだが、すかさずジョニーからの2撃目が脳天に直撃した。頭蓋の頂点を正確に狙った一撃でポールが悶絶するが、ジョニーは遠慮せず言った。
「他ならねぇ太陽王の言葉にコクコクと頷くたぁ良い度胸だ。てめぇは鶏か!」
思わず『あっ!』と言わんばかりの表情になったポールは『面目ねぇ……』と項垂れる。そんな姿を見つつ『まぁいいさ。それより聞け』とカリオンは言った。
「まだ時間がある。9月からのビッグストンに編入する手続きを行うので学んでこい。軍略だけで無く、様々な学問を半年で全て学べ。教育長に言っておくので4年分を半年で覚え込め。勿論馬術や諜報学もだ。良いな?」
カリオンの言葉にポールの顔色がサーっと変わった。どちらかと言えば言葉より行動なタイプのポール故に、正直言えば学問は苦手な部類だ。だが、一軍を率いるとなれば話は変わってくるし、キチンとした軍のアレコレも覚えねばならない。
「陛下…… その…… あの……」
フニャフニャと身体を捩りながら困った顔になっているポール。
そんな若者の姿を見てニヤリと笑ったカリオンは、容赦無い顔になって言った。
「ドリー。ボロージャ。フェリペとジャンヌ。聞いた通りだ。ポールは来年3月にビッグストンを巣立つ。それまでにレオン家が陣容を整えるだろうから、先の命は出来れば1月中。遅くとも2月までに完了せよ。その後、3月時点を以てキツネの国へ全力侵攻を行い、東方種族の全てを支配下に置く。それが終わった後――」
カリオンはその話を聞いていた者達の顔を一人ずつ見た。
誰もが気合いの入った顔をしていて、ドリーなどは今にも踊り出しそうだ。
「――余は全軍を率いて獅子の国へ攻め込む。それまでに各々が課せられた義務の全てを果たす事を祈る。なお、アッバース家の諸君は各家へ戦力を供給し、侵攻作戦の主兵と成って奮戦する事を期待する。これが余の方針だ」
両手を広げたカリオンは『諸君らの意見を聞こう』と、全員に考察を求めた。だが、意外な事に最初の質問を発したのは、カリオンの背後で話を聞いていたキャリだった。
「父上。私の作った戦車はどう使われますか?」
ある意味でキャリにはその方が重要だった。まだまだ改良の余地がある兵器なので、使いながら改良したいというのが偽らざる本音だ。そして、この侵攻作戦がその場に最もふさわしい場なのは論を待たない。
どこへ行くにしろ頑強な抵抗が予想される。そんな場に持って行き実戦へ投入するのだから、開発者にとってこんな楽しい場はない。次期帝としての立場を忘れ、キャリは一人のエンジニアの顔になっていた。
「若…… まさか立太子された次期帝が最前線へなんて言われませんよね?」
苦笑いしつつもドリーはそんな風にキャリを嗜めた。シュサ帝の時代から急速に細くなってしまった正当な太陽王後継者の血筋は、キャリの代に及びたった一人になってしまっている。
つまり、キャリの身に何かが起きれば、太陽王の血統は途絶えることになる。そしてその後に来るのは、新たな太陽王にならんとする猛烈な後継者争いだろう事は想像に難くない。
アージン一門の中で有力な家はあらかた粛清してしまった。残っているのは傍流として辺境に繋がる養子となったトゥリ帝の子孫や、行きずりの女に胤をつけて遺したシュサ帝の隠し子程度。
つまり、限りなく薄いアージンの血を巡り、公爵家の傍流同士が壮絶な闘争を繰り広げることになる……
「ん? 馬鹿を言うなドリー。余とてフレミナとの決戦では最前線に立ったし、過去幾度も命の危険を感じてきた。太陽王は運の良い者のみがなれる。キャリとて必要な事だ」
ハハハと軽快に笑いながら、カリオンはジッとドリーを見た。
「うん。そうだな。そうしよう。キャリ。例の新兵器をもってスペンサー家と進軍しろ。タリカも連れて行くんだぞ。フレミナに入ったらオクルカ殿の支援を仰げ。弾正の肩書があるのでオクルカ殿もやる気になっていることだろう」
先のクマによる侵攻により大きな被害を出したフレミナ地方だが、結果的にはそれによってバラバラだったオオカミの結束が固まりつつある。互助互恵の精神をもって地域間の結びつきが強くなり、絶望的に存在していた相互不信の芽も復興の努力の前には消し飛んでいた。
オオカミにも新時代が来たのだ。その先頭を走るオクルカは、ル・ガルが送り込む莫大な資金と技術とをもって、フレミナ地方全体の物流などを根本から作り変える革命的な改革に取り組んでいた。
「はい、そうします」
キャリは素直な物言いでそう返答しドリーを見た。そのドリーはポカンとしていた顔だったが、突然椅子を蹴り飛ばすように立ち上がると総毛だった様な状態になって恭しく頭を下げて言った。
「……謹んで拝命いたします。若王に比すれば鴻毛が如きではございますが、この一命に代えまして、ご無事な生還を図りまする」
次期帝の命運と生死を己が手にいきなり渡されたドリーは、何と言って良いのか解らずただただ震えるだけだった。
「頼んだよドリー。余が息子と同じ年の頃は、余の父が戦の手解きをしてくれた。負ける事無く、だが勝ちすぎる事無く……だ。程よく勝って程よく相手に花を持たせ、上手く治めて未来へと繋げる。それを教えてやってくれ」
その言葉を額面通りに受け取るほどドリーだってバカでは無い。猛闘種をまとめる公爵五家切っての武闘派であるスペンサー家に『手加減する為の鈴を付けたぞ』とカリオンが言ったのに等しい事だ。
ウサギやクマを相手に全滅するまで攻め続けるのはバカのやる事。言外にそう釘を刺されたと思ったドリーは、チラリとキャリを見てから答えた。
「畏まりました。最善を尽くします」
敬愛する王からひとり息子を託された。その事実が微妙なディスり具合になっているカリオンの勅命を崇高な物へと置き換えていた。そして、当のドリー自身がそれに酔った。
「……しかし、陛下。これは一度は議会にかけた方が宜しいのでは?」
やや怪訝な顔になったフェリペが控え目な口調で切り出した。仮にも世界を焼き払おうという大侵攻の計画なのだ。情報封鎖は重要だが、それ以上に国内の政治的手続きが重要だった。
要するに、後になってグダグダ言われるのが困るのだ。これにより後に成って国内の政治闘争が起きかねない事だからだ。
世界を焼き払う事についてイヌはまったく文句を言わないだろう。だが、自分の預かり知らぬ所で事が一気に動いていた……と、後になってそれを知った者が怒り狂うのは、イヌの社会ではよく割る話だった。
「陛下。数日中に議会を秘密招集しては如何でしょうか?」
ウォークが提案したのは、制度として整備されてはいるが一回も開催された事の無い王による直接召集の形となる秘密議会の開催だ。そもそもル・ガルの議会は王の政治的決断を輔弼する為の物であり、市民感情を直接吸い上げる仕組みだ。
その秘密会議を招集し、箝口令である事を説明した上で、今後の方針についての説明を行う。それにより国内の意思統一を図る事になるのだが……
「いや、それは危険だろう。市民議員の中には報道関係者へ情報を漏らす者が出てくるかもしれん。それに、何らかの情報を嗅ぎ付けた者が金を握らせる可能性も考慮せねば」
諜報活動を一手に引き受けるジダーノフのボロージャは、そんな危機感を募らせる言葉を吐いた。イヌがイヌを疑うのは人倫に悖る事だろう。だが、それを仕事にしてきたジダーノフの一門は、人の心の弱さや狡さを熟知しているのだ。
幾何かの金で簡単に人は転ぶ。大切な人を裏切る事も、大事な物を売り飛ばす事も平気で行う。金はどれ程の紳士淑女であっても、人を惑わせる魔力がある。それはまるで身体を蝕む毒のように精神を蝕む。
例えそれが累代に及ぶ忠臣の家系であったとしても、或いは、王より信任篤く重責を託された者であっても……だ。ボロージャはそれを良く知っていた。
「ボロージャ。君の心配ももっともだ。だから……そうだな……」
カリオンはしばし考えた後に、ふと顔を上げて言った。
まるで悪戯を自慢する子供のような笑顔だった。
「……なし崩し的になっていた所領替えを断行するので意見を汲み取りたいとでも理由を付けるか」
『……あぁ』と、そんな表情で全員が笑った。フレミナを叩き潰す為の策であった全貴族の所領替えだが、ここに来て重要な視点である事に気が付いたのだ。
「さすがは我が陛下! ご慧眼ですな!」
ドリーが楽しげにそう言った。そして、ジャンヌとフェリペは『西方辺境領へ左遷ですってよアナタ?』『それは困ったな……実績を積まねば』とニヤニヤしながら芝居がかった会話をしていた。
「貴族間の所領変更という事で大軍が動けば、周辺で観察している諜報関係者もそれなりに納得するでしょう。ル・ガルは予定通りにそれを断行すると言う事なのですからね」
ボロージャも納得の表情でそう言った。大侵攻を準備するにはうってつけの大義名分。思いつきでしかなかったカリオンだが、これは案外効きそうだ。
「スペンサー家を古都ソティスへ。ボルボン家は南征に備えレオン領へ。ジダーノフ家は移動の完了を待つ形で待機し、レオン家は東方へ移動する課程で一時的に王都へと留まる。その間、全土の護りの重責はアッバース家が受け持つ」
カリオンの提示したプランに全員が首肯した。ある意味、理想的な展開だった。ただ、ウォークは王の側近らしく重要な点について突っ込みを入れた。
「フレミナ領のオクルカ殿については如何されますか?」
各公爵は夢の中の会議室を知らない。それ故に時間も空間も飛び越えて指示を出せる事を知らない。つまり、カリオンは上手く立ち回る必要があるのだが……
「そうだな。それについては……改めて連絡をしよう。スペンサー家を待って欲しいと言う形が良いだろう。あくまで依頼だ。オオカミは自由を愛するからな」
事が上手く回り始めたなら、より一層慎重に対処せよ。その教えを思いだしたカリオンは、回りくどい手を選択する様に見せるのだった……