根回し~今後の方針の説明
~承前
初夏の眩い光りが降り注ぐガルディブルク城の中庭。
太陽王の秘密の花園は、この日も花々が咲き乱れていた。
だが、そんな穏やかな中庭に集まっている者達は、皆一様に硬い表情になって話を聞いていた。数ページの報告書を読み合わせているのだが、そこに記載された様々な情報の持つ威力は凄まじい……
「以上で、現段階における彼の国の分析報告を終わります」
ペコリと頭を下げたウォークの姿に、カリオンは小さく『ウム』と首肯した。
それは、現状における世界情勢の分析と獅子の国がとるであろう政策について検証した今後の見通しについてだった。
「想像以上に……想像以下だな……」
何とも禅問答のような言葉を吐いたドリーは、小さくため息をこぼした。話を聞けば聞くほど、獅子の国はル・ガル以上に長い歴史と安定を誇ってきたという言葉がただの虚構に見えてくるのだ。
およそ獅子の国では、王位に就いた血統の者が5代続くことは稀だった。最大限よく言えば、それは実力主義という事だろう。だが、広大な地に数多くの民族が集まり、ごった煮の様な歴史を紡いできたエリアなのだ。
そこに存在するのは、統一しなければ死んでしまうとでも思ってるかのような、なかば病的な一統思想であり、すべての地域を支配下に置くことが王を名乗るうえで必要な事らしかった。
「太平の世を望むなら戦に備える必要があるな」
「所詮血塗られた道という事ね」
フェリペとジャンヌのふたりは、顔を見合わせながら言った。ありとあらゆる手段を使って調べ上げた獅子の国の現状は、控え目に言って国家崩壊寸前だった。新王の即位を認めない勢力による抵抗活動が活発化し、それを諫める為に既得権益の積み増しを是認しなければならない。
だが、それにより従来の主流派が着々と勢力を弱めてしまっていて、新王の政権基盤は驚く程悪いようだ。なにより、国家の抱える多くの知識階級が新王の王権承認を保留していると言うのだが……
「あの強大な国家の内部が……これ程に腐っているとはね……」
改めて報告を読んだボロージャまでもがそう零した。油断すれば獅子王の座ですら危ういのだろう。ライオンは確かに強力な種族だが無敵ではない。広大な草原地帯における王者に過ぎず、密林ではトラの一門が強力な権勢を誇っている。
また、草原地帯ではピューマだのチーターだのと言った、ライオンに対抗できるだけの実力を持つ者たちが、事実上軍閥と化して存在していた。それらの勢力に対し、獅子の王はその実力と独立性を承認し、一定の配慮を求められていた。
つまり、獅子王は王でありながらただの議長に近い存在でしかない。各勢力の小競り合いを調整し、衝突を回避する調停者の役を買って出て、各方面に気を使い金を使い、地域の警察力として血を流すことでその権威を維持していた。
「……つまりこれってアレっすか? うち見てぇなもんで、傘下の連中の面倒見てるただの親分役ってこって」
ポールのべらんめぇ口調にジョニーが容赦なく拳骨を落とした。『いてぇ!』と涙目になったポールの頭をゴリゴリやりつつ『その通りだがおめぇはもう少し頭を使え』と指導が入った。
西方地域をまとめるレオン一家だが、その一家の頭役であるポールにはその内情が肌感覚で伝わるものがあった。確かに御頭役には莫大な権限が集まるし、膨大な銭も集まってくる。
だが、その分だけ気苦労が多く、思うようにならないことも多々ある。だからこそポールは太陽王を尊敬しているし、その苦労が我が事のように理解できていた。そして同じように公爵五家の他家も同じようなものだと理解していた。ただ……
「……皇帝ねぇ」
ボソリと呟いたジャンヌの言葉は実は深い意味を持っていた。
ここまで獅子王と呼んでいたル・ガル内部において、皇帝を僭称する存在である事が白眼視されている。なぜなら、およそ皇帝という言葉は神代の時代に存在した神にも等しい存在を意味する物だからだ。
だが、獅子王は自らを獅子の皇と名乗っているらしい。誰がそれを言いだしたのか知らぬが、少なくともイヌの常識においての皇とは、世界を作った三皇の事を指し示し、帝とはこの世界に文化文明を想像した傑物を指す。
創世神話の中に出てくる人を導き護る存在。そんな三皇五帝と同じ存在であると言う意味の言葉。それが皇帝。そしてそれを現代解釈に照らせば、様々な諸侯ら王族の中にあって王を束ねる存在を意味する。
彼の大陸の中で勢力を競い合う様々な種族らの王を任命し承認し導く存在。獅子の皇なる名は、その象徴としての尊称なのかも知れない……
「で、陛下」
アッバースを束ねるアブドゥラは硬い表情のままカリオンを見ていた。
他の公爵家を預かる者達がジッと見守る中、覚悟を決めたように切り出した。
「我がル・ガルは…… イヌは世界を征するのですかな?」
その一言にドリーが顔色を変えた。
世界を征する……と、言葉にすれば陳腐な言い回しなのだろう。
だが、その内実は世界の変革その物であり、また、イヌの悲願でもある。どうもこの世界におけるイヌの扱いは軽いのだ。他の種族達からは腰抜けだとか陰口を叩かれる事もあるし、裏切り者扱いすらされる事もある。
何故なら、上古と呼ばれる神話の時代、神々が栄えていた時代に彼らへ最初に尻尾を振ったのはイヌだというのだ。他の種族が神々の戯れによって翻弄されていた頃、イヌはそんな神々らの尖兵となっていたし、或いは忠実な番犬となっていたという。
そして、神話の中で神々は、その持てる脅威の力を仲間割れと神々同士の争いに遠慮無く使ってしまった。そして、海は沸き立ち、大地は裂けて崩れ、空は炎に包まれたのだという。
その結果、神はこの世界の全てを焼き払った。神の放った滅びの炎により、神々の僕として産まれたごく少数の者達を除き、多くの種族が亡びに瀕してしまったのだとか。
それを止める事無く片棒を担いだイヌは、他の種族から蛇蝎のように嫌われた。それこそが、イヌが軽く扱われ、時には酷い扱いを受ける理由だった。だが……
「我等の世界とするならば、私がその先鞭を付けましょうぞ!」
ドリーは一気に燃え上がったような顔になって言った。
彼が心魂から願う物がそこにあるのだ。
「そうだな。まずは……この大陸を一統しようぞ。しかる後に……彼の大陸へと進出し、手出し無用を突き付けよう」
カリオンは静かな口調でそう言った。
そしてその一言で、王の秘密の花園から言葉が消えた。
「この大陸からイヌに仇為す者を駆逐する。全てをル・ガルの支配下とし、全ての種族をイヌの管理下に置く。そして、全ての職種において実力主義へと移行し、他種族国家としての安定体制を目指す」
ウォークがサーブしたお茶を一口すすり、カリオンは空を見上げた。
蒼く気高く光る太陽の光が降り注ぎ、目を細め風を感じながら続けた。
「この大陸の北方には何があるのか。東方の果てに何が存在するのか。ル・ガルはまだまだ知らぬ事ばかりだ。だからな、ドリー」
空を見上げていた眼差しを降ろし、ジッとドリーを見たカリオン。
その眼差しの強さに若干の狼狽を見せたドリーは、胸を張って座り直した。
「東方に備えを置き、北方への進軍を命ずる。遠くフレミナ地方を踏み越え、更に北を目指せ。そして――」
静かにカップを降ろしたカリオンは、顎を引いた姿でドリーに命じた。
「――ウサギの国を征服せよ。鏖殺しても構わんが恭順の意向を示した者は赦せ。そして、ル・ガルに従順な者のみで再出発させる。それが終わったならクマだ。彼の種族は手強いぞ。抜かるな」
カリオンの命にガクガクと震えるような姿を見せたドリー。それが武者震いの類いである事は明確だが、それだけで無く若干の不満と意外さへの戸惑いや逡巡も見せていた。
「陛下…… キツネ…… では無いのですか?」
ドリーの言葉はわずかに震えていた。キツネとの決戦に備えていたと言って良いスペンサー家にとっては、肩透かしも良い所だからだ。
「あぁ、そうだ。キツネでは無い。まずウサギとクマを何とかするのが先決だ。ここを安定化させ北への備えを固めた後に決戦に移る」
ドリーをジッと見つめたまま、カリオンは迷いの無い口ぶりでそう言った。
そして、その言葉に対するドリーの返答が出る前に、ボロージャを見ていた。
「ジダーノフ家にはカモシカとトラへの対処を命ずる。同じように完全征服を目指せ。抵抗する者は容赦するな。恭順する者には寛大な処置をせよ。迷う事は無い」
その勅命にボロージャは背筋を伸ばして頭を下げた。
「謹んで拝命いたします。必ずやご期待に応えます」
言葉少なに応えたボロージャ。その姿にドリーが何かを言いたそうだ。
だが、ここで必要なのは上っ面の忠誠心では無く結果・成果だ。
その意味においてこのウラジミールは顔の相を変えてまで決意を示していた。
「さて、ボルボン家の諸君らには遠くネコの国へ遠征に出て貰う。残念ながら最寄りのレオン家はもはや組織的戦力を為し得ない」
カリオンの命にフェリペが『ウィ』と上品に応え、ジャンヌは『楽しそうね』とやる気を漲らせていた。だが、それで収まりが付かない者が一人いた。
「ちょっと待ってくだせぇ! あっしらだってまだまだ行けますぜ!」
思わず大きな声が出たポールは、すかさずジョニーから巨大な拳骨の一撃を喰らい悶えた。だが、その一撃が決まった頭をさすりながら、遠慮無く主張した。
「確かに死人続出でやんすがね! あっしらにも意地ってモンがあるんすよ! そうでしょジョニーの兄貴! 俺達はまだやれる!」
若さを剥き出しにしたポールの声にカリオンが目を細めた。そして『あぁ、解ってるさ』と応え、レオン家への指示を出した。ただ、その言葉はある意味で驚天動地のものだった……